従軍慰安婦 :2007.2.11
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吉見義明「従軍慰安婦」
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」より
1.問題の浮上
・1990年5月 韓国女性団体が「挺身隊」問題に対する謝罪と補償を求める共同声明を発表
→日本政府は国家・軍の関与を認めず
・1991年12月 韓国人元従軍慰安婦が、日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴
・1992年1月11日 朝日新聞記事(吉見氏の6つの証拠資料)
・同年1月13日 加藤紘一官房長官 日本軍の関与を認める談話
・同年1月17日 宮沢首相 日韓首脳会談で公式に謝罪
・1993年8月4日 河野談話 (下記参考資料)
・1965年 日韓基本条約
対日請求権について、日本から3億ドルの無償供与などを受け取ることで、完全かつ
最終的に解決されたこととなることを確認
・1971年(韓国)「対日民間請求権申告に関する法律」
遺族への支払いは行なったが、負傷者、原爆被爆者、元慰安婦は対象から外れる
2.慰安所の設置
・確認される最初の軍慰安所は、上海(1932年)
背景:シベリア出兵時、掠奪・強姦事件多発、性病多数発生
・中国東北部には、1933年4月から設置
・1937年盧溝橋事件で日中戦争本格化。1938年以降中国に100万人の軍隊駐屯
中支那方面軍 慰安所設置の指示(1937年12月)
当初、中国人慰安婦が多い。1938年以降に内地や朝鮮からの慰安婦増加
・陸軍関与を示す文書
「軍慰安所従業婦等募集に関する件」 陸軍省副官通牒
各派遣軍が徴集業務を統制し、業者の選定をしっかりするよう指示
・1941年以降 南方に展開
1938年以降、外務省が軍関係の慰安所の管轄権を失う
軍の証明書のみで渡航
・軍慰安所の形態
@軍直営
A民間業者経営で、軍が管理・統制
B軍指定 (一般人も利用)
・別の分類
@大都会にあり、さまざまな通過部隊が利用 A特定の部隊専属
・慰安婦の人数
はっきりとはわからないが、目安として、5〜20万人(吉見) 2万人(秦)
3.徴集
・日本人慰安婦
21歳以上 売春婦から集めた・・・婦人・児童の売買禁止の国際条約との関係
しかし、警察の渡航基準は厳密には守られず、未成年でも黙認されることが
少なくなかった。特に日本に住む朝鮮人女性には、この基準が守られなかった。
・朝鮮から
騙されて連れて行かれたケース、身売りが多かった
1930年の朝鮮人の識字率は、男性36%、女性8%
・台湾から
騙されたケース、身売りなど
未成年が半数を占める
・中国
占領地では軍が直接指揮した
村の有力者に集めさせる場合・・・村の安全のためとして地元の有力者が提供
軍からの要請は、地元住民には命令と同じ
軍が直接集める場合・・・一部証言にあるが、聞き取り調査が進んでいないため、
実態は不明
・東南アジア
中国と同様、軍が前面に出ている
シンガポール:占領直後、慰安婦募集された。売春婦など生活難の女性が応募
地元の有力者に命じて集まるケースは各地でみられる
詐欺による連行
フィリピン、インドネシアでは、軍による暴力的連行が多かった
4.オランダ人慰安婦問題 ・・スマラン慰安所事件
・ジャワ島スマラン慰安所事件:インドネシアでオランダ人女性が慰安婦にされ、戦後、
オランダによるBC級戦犯裁判で裁かれた事件
・1944年1月 日本軍はスマランで新たに軍慰安所の設置を計画
4つの抑留所から若い女性を強制的に集めた。
・1944年4月 慰安所閉鎖
・1948年判決で4人死刑判決
5.他国の状況
・イギリス軍、アメリカ軍に、専用慰安所設置または試みがあったが、すぐに閉鎖
本国の反発を恐れたため
→社会運動、世論、議会で女性の人権を擁護する声がないと、軍隊が慰安所を
生み出していく傾向がある
・ソ連軍が軍慰安所を持っていたかどうかわからないが、多くの強姦事件を起こした。
・ドイツ軍に慰安所はあった。(1942年に500箇所)
6.公娼制
・明治から昭和前期を3期に区分
@第1期 解放令の時代(1872-1900)
人身売買を禁じ、娼妓を解放する太政官達公布
娼妓は独立した営業者として売春を営む
前借金と返済のための年季契約が導入
官側は登録や検診による統制方式を作る
A公娼制度確立の時代(1900-1925)
娼妓取締規則(1900) :廃業の自由は認められたが、娼妓の環境は改善されず
B国際的規制の時代(1925-1945)
国際連盟成立を転機として、世界的な反公娼気運が高まる
・「婦女売買に関する国際条約」:1925年 日本は3つの条約に加入
未成年女性の場合、売春に従事させることを禁止
成年であっても、強制的手段が介在していれば刑事罰に問われる
→植民地などに適用しなくてもよいとの規定があった。
・従軍慰安婦のシステムは、公娼制の戦地版と位置づけるのが適切 (秦氏)
(参考資料)
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果が
まとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが
認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の
移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受け
た業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事
例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における
生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、
当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの
意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。
政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、
心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、
そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後
とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われ
われは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという
固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、
政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。