韓国の歴史 :2007.6.9
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 韓国の中学校歴史教科書より
 (韓国の国定国史)

1.国家の始まり〜新羅三国統一
 ・檀君(タングン)の古朝鮮神話

 ・BC4世紀頃 部族統合され、満州と北韓に国家ができた。
 ・漢により、古朝鮮滅亡(BC108)

 ・古朝鮮滅亡の頃に部族単位で国家ができる。
   満州・・・夫余、高句麗
   北韓東海岸・・・沃沮、トンイエ
   南部・・・馬韓、辰韓、弁韓
 ・高句麗(BC37)、百済(BC18)、新羅(BC57) 成立
  伽耶・・・連盟王国で中央集権国家が作れず562年滅亡
 ・高句麗 :4世紀末 広開土大王の征服活動
       長寿王の南進、5世紀全盛
 ・百済 :5世紀後半、高句麗からの侵略を受ける
      東城王 新羅と結び対抗
      武寧王 中国南朝の梁と結ぶ
      6世紀 聖王 漢江取り戻すが、同盟の新羅に奪われる
      以降、高句麗と力を合わせ、新羅と戦う
 ・新羅 :6世紀中頃 真興王 領土拡大
      高句麗・百済連合に苦しむ→隋に助けを求める
      (6世紀末 高句麗は突厥と連合して対抗)
 ・7世紀 高句麗 隋・唐と激しい戦争
   →百済滅亡(660)、高句麗滅亡(668)
   →新羅と唐の戦い
   →唐を追い出し、新羅による三国統一

2.新羅〜高麗
 ・新羅 統一後、武烈王直系が王位を独占
      唐とも交流
 ・渤海 :高句麗人と靺鞨人が国家設立
      唐、新羅と敵対。突厥、日本と交流
      後には唐とも交流
      全盛は9世紀
      926年 契丹族に滅ぼされた。
 ・8世紀後半 新羅 権力争い
  9世紀末 農民放棄
  →後百済(900)、後高句麗(901)できる→後三国時代
 ・後高句麗 高麗に名前変更(918)
 ・936 高麗による統一
 ・1126 李資謙の乱 1135 妙清反乱 1170 武臣政変 →武臣政権
  →下層農民の抵抗

3.元の侵攻・明との戦い・秀吉出兵・清出兵
 [元]
 ・13世紀 チンギスハン モンゴル帝国→東アジアへ
 ・1231年 戦争 (何度も高麗に侵入)
  首都を開京から江華島に移す→民心を失い、崔氏政権崩壊 
  →モンゴルと講和
  →以降80年 元の干渉を受ける
 ・14世紀 元衰退 改革気運

 [明]
 ・紅巾賊(漢族の農民反乱軍)と倭寇の侵入→武人勢力成長(李成桂など)
 ・明と高麗 関係険悪化
  →李成桂 威化島回軍(1388) 開京占領
    高麗倒し、朝鮮王朝建国(1392)
    官僚制社会、儒教、明と親善関係

 [秀吉]
 ・1592壬辰倭乱(文禄の役) 豊臣秀吉出兵→平壌まで北上
   李舜臣活躍・・・亀甲船、水軍
   →休戦、和議交渉失敗
 ・1597丁酉再乱(慶長の役) 秀吉死亡、倭軍撤退
  ⇒耕作地 戦前の3分の1に。人口大きく減少
   日本の捕虜となった人の一部はヨーロッパに売られた。文化財略奪

 [清]
 ・16世紀 女真族満州に散在。ヌルハチが統一 →後金(国号「大金」)建国(1616)
  →後、国号[清」
 ・朝鮮に攻め入る (丁卯胡乱:1627)
 ・再度攻め入る  (丙子胡乱:1636)
  →屈辱的講和

4.19世紀〜20世紀
 ・農民蜂起相次ぐ
 ・1811 洪景来の乱
 ・1862 晋州農民蜂起
 ・東学創始・・・民間信仰、仏教、道教を融合 (反外勢的な性格を持つ社会運動)
 ・1860年頃 高宗(コジュン)即位。
  興宣大院君の改革→期待に応えた面と生活を苦しくさせた面がある
 ・1866 丙寅洋擾 :フランス軍を撃退
 ・1871 辛未洋擾 :アメリカ軍を撃退
 ・大院君退き、閔氏勢力が政権握る(開化派)
 ・1876 雲揚号事件、江華島条約(不平等条約)
    この後、西欧とも通商条約(不平等)を結ぶ
 ・1882 壬午軍乱
  (旧式軍人が政府高官・別技軍日本人軍事教官を殺害、日本公使館焼き打ち)
    →大院君再度政権に。
    →清が大院君拉致、閔氏政権
     清の内政干渉、日本軍ソウル駐在
 ・1884 甲申政変(金玉均ら開化派の政変)
    →清軍介入、金玉均 日本に亡命
    →日本賠償要求、漢城条約で賠償金払う
     (日本と清は天津条約結ぶ)
 ・1894 東学農民運動
    →政府は清に援軍要請。日本も軍隊送る
    →日清戦争 :東学農民運動失敗に終わる
 ・政府 ロシアに近づく
  1895 三国干渉
 ・1895 明成皇后(閔妃)殺害
    日本の圧力による乙未改革(断髪令など)
    →反発強まる。乙未義兵
 ・1896 高宗 居所をロジア公使館に移す (俄館播遷)
    他国に政治的利権奪われ続ける
 ・1897 高宗 還宮。「大韓帝国」
 ・1904 日露戦争
    →日本 外交権奪う (乙巳条約:1905)
 ・1907 高宗 条約無効を国際社会に訴えようとするが失敗
    →高宗強制的退位
      新条約(乙巳七条約):日本人統監が内政を完全掌握、軍隊強制解散
    →義兵運動
 ・1909 安重根 伊藤博文殺害
 ・1910 日韓併合
    土地収奪、土地調査事業→農民没落
 ・1919 高宗逝去
      3・1運動 (独立宣言:ソウル タプコル公園)
      柳寛順(ユガンソン)獄中死
      大韓民国臨時政府(上海) 
 ・1926 6・10万歳運動 →武装警察鎮圧
 ・1929 光州学生抗日運動
 ・1940 韓国光復軍編成 (太平洋戦争始まると日本に宣戦布告)
 ・1945.8 ソ連軍 北韓進駐。 米軍 南韓進駐→3年間軍政
 ・1948.8.15 大韓民国政府樹立
 ・1950.6.25 朝鮮戦争(6・25戦争)
 ・1953.7   休戦
 ・1960   4・19革命 (不正選挙と独裁に対するデモ)→李承晩 大統領から退く
        張勉内閣
 ・1961.5.16 5・16軍政 朴正熙大統領
        (工業化積極策、民主化は進まず)
 ・1971  独裁体制
 ・1979  10・26事態 (朴殺害)
 ・1980  5・18民主化  
       全斗煥大統領
 ・1987  6・29民主化宣言  :任期5年再選なしの大統領
   以降、盧泰愚→金泳三→金大中→盧武鉉



 《参考:日朝の歴史》(以前に記載)
  1875年:日朝修好条規調印(不平等条約)
  1894年:日清戦争 (朝鮮をめぐる日清の勢力争い)
  1895年:日本、日清戦争に勝利。 
        朝鮮における清の勢力を一掃。→ロシアと日本の対立が起こる
  1897年:李氏朝鮮、国号を大韓帝国と改める。
  1902年:中東でロシアと対立するイギリスと利害が一致し、日英同盟を結ぶ。
  1904年:日露戦争。 
        第1次日韓協約(韓国の外国との条約締結には日本との事前協議が必要)
  1905年:ポーツマス条約(朝鮮半島での全面的な優越権を認められる。)
        第2次日韓協約(韓国の外交権を接収→保護国化)
  1907年:第3次日韓協約(内政も日本政府の代表機関である統監府の監督下に置く。)
        秘密覚書(韓国軍解散)
  1909年:韓国人 安重根が、伊藤博文を射殺
  1910年:日韓併合(日韓条約調印)、韓国の国号を朝鮮に改める。朝鮮総督府を置く。
       「土地調査事業」を実施し、所有権の明確でない土地を朝鮮人の農民から没収。
       土地を追われた農民が日本に流入、低賃金労働者となる。