2005年 一覧

(52)カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか (吉田健正)
(51)完璧な病室
    (小川洋子)
(50)会社はだれのものか
    (岩井克人)
(49)ポピュリズムに蝕まれるフランス
    (国末憲人)
(48)大東亜戦争の真実
    (東條由布子編)
(47)半落ち
    (横山秀夫)
(46)硫黄島
    (菊村到)
(45)消費税15%による年金改革
    (橘木俊詔)
(44)だます心、だまされる心
    (安齋育郎)
(43)希望格差社会
    (山田昌弘)
(42)日本道路公団〜借金30兆円の真相
    (NHK報道局)
(41)帝国の昭和(講談社 日本の歴史23)
    (有馬学)
(40)黒い雨
    (井伏鱒二)
(39)道路の経済学
    (松下文洋)
(38)原爆災害
    (原爆災害誌編集委員会)
(37)戦後和解
    (小菅信子)
(36)父と暮せば 
    (井上ひさし)
(35) 魂込め
    (目取真俊)
(34) 最後の瞬間のすごく大きな変化
    (グレイス・ペイリー)
(33) 『悪霊』神になりたかった男
    (亀山郁夫)
(32)沖縄「戦後」ゼロ年 
    (目取真俊)
(31)ラッシュライフ 
    (伊坂幸太郎)
(30)これが犯罪?「ビラ配りで逮捕」を考える    (内田雅敏)
(29)古道具 中野商店 
    (川上弘美)
(28)特攻と日本人 
    (保阪正康)
(27)ベトナム 戦争と平和
    (石川文洋)
(26)ヴェトナム戦争全史 
    (小倉貞男)
(25)タンポポの雪が降ってた 
    (香納諒一)
(24)死にゆく妻との旅路 
    (清水久典)
(23)アジアンタムブルー 
    (大崎善生)
(22)靖国問題
    (高橋哲哉)
(21)改憲という名のクーデタ
    (ピープルズ・プラン研究所)
(20)李歐
    (高村薫)
(19)テロリズム
    (チャールズ・タウンゼンド)
(18)センセイの鞄
    (川上弘美)
(17)反定義 
    (辺見庸、坂本龍一)
(16)知識人とは何か
    (エドワード・W・サイード)
(15)僕のなかの壊れていない部分
    (白石一文)
(14)ハルモニからの宿題 
    (石川康宏ゼミナール)
(13)神様 
    (川上弘美)
(12)海辺のカフカ 
    (村上春樹)
(11)あたらしい憲法のはなし/日本国憲法     (童話屋)
(10)自分で調べる技術 
    (宮内泰介)
( 9)他者の苦痛へのまなざし 
    (スーザン・ソンタグ)
( 8)心は転がる石のように 
    (四方田犬彦)
( 7)暴力の哲学 
    (酒井隆史)
( 6)ポストコロニアリズム 
    (本橋哲也)
( 5)茶色の朝 
    (フランク・パヴロフ)
( 4)憲法九条、いまこそ旬 
    (井上ひさし他)
( 3)平和と平等をあきらめない 
    (高橋哲哉・斎藤貴男)
( 2)中学生からの作文技術 
    (本多勝一)
( 1)「国家と戦争」異説 
    (太田昌国)
読書のコーナー:2005年
  最近読んだ本を紹介します。

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◆今年(2005年)読んだ本
 (◎お奨め  ○まあまあ  △とりたてて言うほども無い  ×つまらない)


(52) 〇カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか(吉田健正):2005.12.31
  2003年3月20日、米軍がイラクにトマホークミサイルを撃ち込み、イラク戦争がはじまった。
  当時のカナダ首相ジャン・クレティエンは、安保理での新たな決議がなければ対イラク攻撃
  には参加しないと事前に言明しており、その通りにイラク攻撃には加わらなかった。
  カナダは対外輸出の83%が米国向け、輸入の70%が米国からという極端に米国依存度が
  高い経済構造をしている。ちなみに日本の米国依存度は輸出の24%、輸入の15%であり
  それと比べ物にならないレベルで米国に依存している。にもかかわらず、なぜ参戦しなかった
  のかというのが本書の問題設定である。
  その疑問に対して著者は、カナダという国の成り立ちからの多文化主義、多国間外交に答え
  を見出している。カナダは今まで、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン攻撃に
  も加わっていたが、イラク戦争は国連決議がなかったから参戦しなかった。そういう意味では
  基準はかなり明確であり、自衛隊を海外に派兵する立場を取る場合にはモデルとなるだろう。
  ただし、対米協調との関係から揺れ動く面もあり、完全に一貫した対応ができているわけでは
  ない。それだからこそ、カナダを学ぶ意味が一層あると思う。
  
  (内容のメモ)
  【カナダの歴史】
  ・15〜16世紀 先住民以外にヨーロッパから植民者(開拓者)がやってくる。
            スペイン、フランス、イギリスが北米を支配
  ・1620年 メイフラワー号でピューリタンが到着。強い信仰心を持つ(13植民地)
  ・1756年 ヨーロッパ7年戦争。北米にも飛び火し英仏が戦う。英国の勝利
        英国はフランス領を入手。「ケベック」と「インディアン領」に分割
        (インディアンの協力に報い、居住権を認める)
  ・1774年 ケベック法。ケベック植民地を拡大。カトリックに信教の自由を認める
        →課税問題も加わり、13植民地は英本国への不満高まる。
  ・1775年 アメリカ独立戦争勃発
  ・1776年 ワシントンがケベック、モントリオールに進軍。英国援軍により撤退
        ロイヤリストのカナダ移住(約10万人)
        カナダ領域は、フランス系+イギリス系となる
  ・1812年 アメリカ カナダに侵攻
  ・1817年 ラッシュ・バゴット協定:五大湖の軍艦制限
  ・1861〜1865年 南北戦争
  ・1866年 米国下院が、英国領北アメリカ合併法採択
  ・1867年 カナダ連邦誕生 (アメリカの脅威に対抗)
         英国との平和的協議によって誕生。外交権は英国にあり完全な独立国家ではない
  ・1926年 外交権取得
  ・1982年 憲法審査権を英国議会から移管
  【思想】
  ・ナショナリズム(対米自立)とコンティネンタリズム(対米協調)
   →国際協調主義と対米協調主義
  ・先住民が先住民権を持つことを確認(1982年)
  ・ケベック州分離独立州民選挙 1980年、1995年に実施。投票で却下
  ・多文化主義政策:他者の存在や権利を認める共存・共生の考え
  【対米関係反旗】
  ディフェンベーカー首相(1956〜63)
   ・核ミサイル拒否(地対空ボマークBミサイル)
   ・協賛政権キューバとの貿易続行。米国主導の米州機構(OAS)に加盟せず
   ・ヨーロッパにおける核実験禁止条約支持
   ・キューバ危機警戒態勢態度保留。・・内閣で意見分かれる
  ピアソン首相(1963〜68)
   ・ベトナム戦争 北爆反対
    (ベトナム戦争には派兵。枯葉剤はカナダ製。ボマーク、核弾頭受け入れ)
  トルドー首相(1968〜79 80〜84)
   ・ボマークミサイルと核弾頭撤去
   ・米国以外との関係強化:EU、日本、アジア
   ・米国に先駆けて中国承認。カストロと親交
   ・核軍縮、冷戦終結呼びかけ
  マルルーニー首相(1984〜93)
   ・親米路線
  ケレティエン首相(1993〜2003)
   ・対人地雷全面禁止条約
   ・国際刑事裁判設置推進
  マーティン首相(2003〜)
   ・イラク参戦しない方針を継続


(51) 〇完璧な病室(小川洋子):2005.12.28
  小川洋子は「博士の愛した数式」で本屋大賞を受賞し最近売れっ子になっている。
  本書に含まれる4つの小説は1990年頃の作品でデビューした頃にあたり、下記に
  記すように屈折した心を描いている。私は最近の作品を読んでいないが、今も本書の
  ような作風だろうか。もし、今も同じ雰囲気の小説を書き、売れっ子になっているとし
  たら日本に対する私の見方も変わるが、どうだろうか。少し気になっている。

  「完璧な病室」:登場人物は、死が近い弟、主治医S、大学助手の夫、既に死んだ母親、
  そして、有機体を強く嫌ってしまう’わたし’である。母親は精神を病み、一切の片付けが
  できなくなり家の中に腐りかけのキュウリが転がっているような状態になった後で死んだ。
  その記憶が影響して夫が食事を取る様子にも有機体を意識してしまう。弟の病室は清掃
  が行き届き余分な有機体がないため自然な自分でいることができる。しかし、それも弟が
  死ぬまでの時間だけ、という悲しい設定の話だ。
 
  「揚羽蝶が壊れる時」:息苦しくあまり好きになれなかった。

  「冷めない紅茶」:中学の同級生が亡くなり、お通夜に行った帰りに同級生のK君と出会う。
  K君は中学時代に図書館司書をしていた女性と暮らしている。その2人の生活感のない生
  活に心地よさを感じて何度も遊びに行く。しばらくし、中学に行ったときに、中学校の図書館
  が5年前に火事で全焼し人が死んでいることを知る。女性と火事との関係は? 気になるけ
  れどはっきりと書かれていない。

  「ダイヴィング・プール」:孤児院を営む親のもとに生まれ、孤児と一緒の生活を送る’わたし’
  は同じ孤児院で暮らす同級生に恋心を抱く一方で、一歳児のリエに虐待を加える。読んでいる
  際中に三島由紀夫の「金閣寺」「仮面の告白」の歪みに通ずるものを感じた。


(50) △会社はだれのものか(岩井克人):2005.11.29
  岩井氏の講演を聞く機会があり、事前に本書を買って読んだ。本書自体はそれほど
  面白いわけではなかったが、3時間の講演は面白かった。講演の内容は本書とほぼ
  同じだったわけだが、講演では「私有財産制の範囲で株主主権論の誤りを示す」とか
  CSRについては、「ここからは資本主義の枠組みを超えた議論になる」というコメント
  が結構有効でよく理解できた。でも、3時間弱の講演で内容をすべて語り尽くしてしま
  うというのでは書物としては不足していると言わざるを得ないだろう。

  (内容のメモ)
  ・会社とは法人企業の別名。法人とは「本来はヒトでないけれども法律上ヒトとして
   扱われるモノ」。つまり、会社という存在はモノであるのにヒトでもあるという両義
   性を持つ。
  ・会社資産の法律上の所有者は株主でなく、法律上ヒトと考えられる会社(法人)で
   ある。一方、株式はモノとしての会社を指すので、株主はモノとしての会社の所有者。
   つまり、株主が会社をモノとして所有し(2階部分)、株主に所有されている会社が
   ヒトとして会社資産を所有(1階部分)するという2階建ての構造をしている。
  ・会社は株主のものでしかないと考える株主主権論は、2階部分しか見ていない法理
   論上の誤り。
  ・実態はモノでしかない会社が信頼によって仕事を経営者に任せる。したがって、経営
   者は自己利益の追求を抑えて会社の目的のために倫理的に行動する必要がある。
  ・20世紀後半までの資本主義は産業資本主義と呼ばれる。そこでは機械制工場が利
   益の源泉になっている。実際の利潤は、農村からと都市への労働者の移動によって
   賃金が低く抑えられることにより生み出されてきた。
  ・1970年代から農村の余剰人口が枯渇したため賃金が急上昇、利潤幅が低下し産
   業資本主義が終焉を迎える。利益を生み出すためには、「違い」が必要になる。
   他社と異なった技術、製品、市場、経営が必要だが、違いはすぐに模倣される。
   このため、常に新しさを生み出さなくてはならない。これがポスト産業資本主義。
  ・違いを生み出せるのは、人間だけなので、人間の頭脳が利潤の源泉になる。
  ・ヒトがやる気を持つには、自由な時間や社会的な尊敬などお金でない何かが必要。
   このため、お金だけでは利潤が得られなくなり、お金の力が相対的に弱くなる。
  ・CSR:市民社会の拡大に伴い、法人としての会社も良き市民として参加すべきという
   のが本来のCSR。CSRは長期的な利益になるから力を入れるというのは適切でなく
   利益がマイナスになってもやるもの。
   ただし、1社だけが良き市民になっても会社に不利になる可能性が高い。多くの会社が
   同時に良き市民となることが大切なので、CSRは得になるという宣伝も役には立つ。
   

(49) ○ポピュリズムに蝕まれるフランス(国末憲人):2005.11.24
  フランスに関しては、1995年の核実験によって失望したところがあり、それ以来興味を
  持てなかった。しかし、2002年の大統領選挙の決選投票に右翼候補が残ったことへの
  対応で話題になり、「茶色の朝」などの本を読んだことから、少し関心を持つようになった。
  本書はシラク大統領らの政治家を紹介しておおまかにフランスの政治状況を示しているが
  右翼への支持が増えていることへの分析がほとんどなく、踏み込みが不足していることに
  不満を持った。とはいえ、「スカーフ問題」で紹介されている政教分離の徹底や、移民同化
  の考えなど興味深い箇所が含まれており、もっと詳しく知りたいと思うようになった。
  なお、本書はフランスの状況について書いているが、当然のことながら日本の状況を意識
  しており、日本の状況を考えるうえで参考になる内容がある。(例:下記☆印)

  (本書のメモ)
  ・「ポピュリズム」はファシズム、デマゴーグと混同して使われるようになっている。
   (日本では異なる)
  ☆例えば、でたらめであっても何かを断言する。しかし、「本音でしゃべっているぞ」という
   みせかけのポーズが、ポピュリストの言葉の信頼性を高める。同時に、正統的な政治
   家の信頼性を失わせることにもなる。
  ☆技術的進歩が社会の進歩につながらないことを人々は悟った。そして、進歩に見切り
   をつけた民衆は保守的になった。現代のプロレタリアートはもはや進歩の担い手では
   なく、むしろ反動的なイデオロギーに親近感を抱くようになっている。
  ☆フランスでは左派と右派が競い合ってきたが、左派の与党経験により、違いが打ち出
   せなくなった。その結果、極右、極左に支持が流れる傾向がある。
  ・2002年大統領選挙の決選投票に右翼のルペン氏が残った。ルペン氏はすべての問題
   の原因が移民にあるかのように物事を単純化して語り、デマゴーグであることは疑いよ
   うがない。ただ、ポピュリストではあっても、ファシストではなく、議会制民主主義に沿った
   運動を主張し続けている。しかし、フランスの若者やマスコミは民主主義を否定する悪魔
   のイメージをかぶせようとした。
  ・ルペンは2002年の選挙で躍進したように伝えられているが、誤りである。第1回投票の
   得票は、88年435万、95年454万、02年480万。今回大きく伸びたわけでない。ルペン氏
   の国民戦線は近年国政レベルの選挙で15%前後の得票を得ている。
   つまり、国民戦線の脅威は、強固な組織が着実に支持を浸透させていることにあり、一
   過性の躍進より深刻な事態だ。
  ・決選投票でシラク82%、ルペン18%となり、民主主義の勝利のように言われるが、ルペ
   ンは552万票を獲得し、第1回投票より72万票も伸ばしている。
  ・フランスで起こったスカーフ問題は、他国ではほとんど見られない。多くの国では移民の多
   い地区で着用を認める柔軟な対応をしている。
   フランスでスカーフを認めない背景に、個人主義、自由主義に基づいて移民に同化を求め
   るフランス独特の論理がある。フランス語を話し、自由、平等、政教分離といった基本的
   価値観を受け入れた個人をフランス人として受け入れようとする傾向が強い。
  ・他国では、民族や宗教単位で固まってコミュニティを形成するが、フランスでは嫌われる。
  ・フランスでは、国家がカトリック教会と長年闘った経験から1905年に政教分離法が制定さ
   れた。フランスでは大統領が演説で聖書を引用したり、公共の場に十字架を掲げることも
   ありえない。



(48) ◎大東亜戦争の真実〜東條英樹宣誓供述書(東條由布子編):2005.11.20
  東京裁判で東條英樹元首相が提出した宣誓供述書の全文が掲載されている。内容は
  陸軍大臣になった1940年7月から(1941年10月から首相)、1944年7月に東條内閣総
  辞職するまでの期間、その中でも特に開戦直前を中心に考えを述べている。裁判のため
  とはいえ、特にアメリカとの戦争を考えるうえで非常に重要な文書だと思う。
  もちろん、内容に賛同できるかどうかは別問題だ。大東亜政策について書かれているが
  単に傀儡政権を作った時の弁明にすぎないように見える。しかし、太平洋戦争は自衛戦
  争だという言葉に真実も含まれている。現在の憲法論議では自衛戦争はできるという主
  張がよくなされるが、太平洋戦争に自衛戦争の側面を認めた場合、同じような戦争をでき
  る憲法にするか、できない憲法にするかは非常に重要なポイントになるのではないだろう
  か。その意味でも読む価値はある。

  (本書のメモ:場所、戦争名等は、本書の言葉を使用)
  ・1940年7月頃の認識
    支那事変開始後3年経過するが見通し立たず。重慶政府への米英援助が露骨に。
    第2次欧州戦争で東亜に関係する仏蘭が脱落。米参戦の気配
    米英の日本に対する経済圧迫
    自由主義より国家主義への転換という国内世論強まる
    国際的孤立を避けるため、独伊と連携、ソ連とも同調の考え。一方、独伊との提携が
    日米関係を悪化させることを懸念。しかし、松岡外相はご機嫌取りでは解決せず、米
    国には毅然たる態度を取ることを主張
  ・三国同盟の目的:国際的地位向上、支那事変解決、欧州戦争の東亜への波及防止
  ・北部仏印進駐(1940.9)の目的:米国と重慶(蒋介石)との分断。自給自足の経済体制
  ・日ソ中立条約の目的:対米国交調整。ソ連の対蒋介石援助を停止させる
    すでに独ソ不可侵条約があり独も歓迎すると予想していた。しかし、実際は独ソ間の
    緊張は高まり独は日ソ中立条約を歓迎しない状況だった。
    (同盟関係にあっても、あまり緊密な情報交換はなかったことがわかる)
  ・日米交渉
    1941年4月 日米了解案を米国から受け取る。支那事変解決と自給体制確立の問題
    解決のため、当初は受諾予定。しかし、松岡外相の意向により約1ヵ月後修正案を提出
    内容は、三国同盟死文化受諾せず、米国が蒋介石に和平勧告をし応じなければ援助
    打切りというもの
    1941年6月 米国対案。4月案と同等
  ・南部仏印進駐(1941.7):対日包囲陣が進駐する前に自衛のため先手を打った。
  ・1941.7月 松岡外相を退場させるために第2次近衛内閣総辞職。続いて第3次近衛内閣
   発足。日米交渉を続ける意思
  ・1941.9月6日御前会議:10月上旬までの日米交渉で妥結に努めつつ、戦争準備も進め
   予定期日までに要求貫徹の目処が立たない場合は、日英蘭開戦を決意することを決定。
   (このころまでに、日本は満州、支那、仏印、泰以外の地域との貿易は途絶されている)
  ・1941.10 首相、外相は撤兵問題で妥協すれば交渉成立の見込みがあるとの考え。東條
   陸相は交渉成立の目処なしとの考え。→9月6日御前会議の決定やり直し。
   →第3次近衛内閣総辞職。東條内閣組閣。和・戦どちらにも対応できる体制
  ・この時期の方針案は3つ
   @日米交渉続行。決裂に終わった場合も自重する
   A交渉を打ち切り、開戦
   B交渉を続行。12月初頭に決裂すれば開戦
   1941.11.5御前会議でB案が決定
  ・11月26日米国覚書での要求:中国全土(満州含む)と仏印からの撤兵、満州政府否認
   南京国民政府(汪兆銘)否認、三国同盟死文化
   →関係国の了解も得た最後通牒と判断。
  ・12月1日御前会議で開戦決定
  ・開戦時の終結に関する考え:ソ連、ローマ法王庁を適当な時期に仲介に立てる案あり
   重慶政府、英国の脱落を図り、米国の戦意喪失を図る
  ・俘虜について:ジュネーブ条約を批准することは俘虜となることを奨励することになり、
   俘虜となることを恥辱と考え、むしろ死を選ぶとする日本の伝統と矛盾する
  ・「戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任いかんの
   問題とは、明白に分別できる二つの異なった問題であります。第1の問題は外国との
   問題でありかつ法律的性質の問題であります。私は最後までこの戦争は自衛戦であり、
   現在承認させられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張します。(中略)第2の問題、
   すなわち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任であります。この意味に
   おける責任は私はこれを受諾するのみならず真心より進んでこれを負荷せんことを希望
   するものであります。」


(47) △半落ち (横山秀夫):2005.11.5 
  前半は密度が濃く緊張感に満ちている。しかし、それが中盤になると密度が低下し
  後半になっても回復しない。全体が6章から構成されていて、数値で書くとそれぞれ
  の密度が100、90、50、20、10、10と落ちていく。最後の10ページほどでそれ
  までの疑問が解明されて終了するが、それまでとの関連が不十分で何か唐突な感
  が避けられない。
  アルツハイマー病になった妻を殺し3日目に自首してきた警察官が、自首までの2日
  間については語ろうとしない理由は何か、に興味を持って読み進めることはできる。
  その理由も決して悪いわけではない。しかし、その大事なところが描ききれていない
  ように感じた。最初が良かっただけに途中から不満が出てきてしまう小説だった。


(46) ○硫黄島 (菊村到):2005.11.3 
  終戦から6年経ってから硫黄島に渡って自殺した男とその周辺の人々(硫黄島)。
  台湾人の小隊長の命令で沼を渡る途中で死んだ兵士と同じ小隊の兵士(しかば
  ね衛兵)。
  ソ連の収容所から脱走を試み失敗した日本兵(奴隷たち)。
  フィリピンで投降した後、処刑されたカトリック教徒の兵士(きれいな手)
  陸軍予備士官学校で上官から憎悪を持って扱われ、上官に同じく憎悪を持つ幹
  部候補生(ある戦いの手記)
  殺人事件を追う中で不法であれ合法であれ所持するもののない自分を発見する
  刑事(不法所持)
  少し不器用な描き方にも感じられるが、全て力作と言って良い6作から成っている。
  これらは1956年から58年に発表された作品だが、おそらく最近入手するのが難
  しかったに違いない。それを角川文庫が再度出版した。新作を出版するだけでなく
  過去の優れた作品を出版することも非常に重要だと再認識させる本だった。


(45) ○消費税15%による年金改革 (橘木俊詔):2005.10.29 
  年金の議論でいつも疑問に思ってきたのは、保険料と年金支給額の比例分が
  あり、なぜ公的年金なのに収入の多い人に年金が多い仕組みになっているの
  だろうということだった。もっと最低限の生活を保障するという年金制度の方が
  良いのにと思っていた。
  したがって、本書で書かれている基礎年金を税金で支給し、残り(二階部分)は
  民営化という話は納得できる。もちろん、消費税を10%上げて年金に回すと、現
  役世代が負担していた分を年金生活者やフリーター等を含めた国民全体で負担
  することになるため、税全体の累進性をどう考えるかなど多くの議論が必要だろう。
  でも、基本的には基礎年金を税金を財源として支給するのは良い方向だと思う。

  (本書の提案)
  ・一階の基礎年金をすべての国民を対象に一定額支給。
   金額は夫婦の場合、月額17万円。単身の場合、月額9万円
  ・二階部分は、積み立て方式による民営化
  ・基礎年金の財源は全額税収
   (税であれば高額所得者への支給削減ができる。保険料形式ではできない)
  ・累進消費税を財源とする
  ・当初は、年金目的消費税。のちに一般財源化
  (理由)
  ・すでに国民年金は未納率40%に達し、崩壊している。
   厚生年金も本来加入しなければならないのに加入していない会社が多数ある。
  ・保険形式は、支払った保険料と支給額の損得勘定で判断されてしまう。
   (保険の場合、損なら保険料支払いを止めることがある)
   税金なら、損得は関係なくなる。
  ・厚生年金の事業主負担分の支払いが免除される。
   (今までこの負担のために正社員を増やさなかった背景がある)
  ・保険料は現役労働者のみから徴収していたが、税の場合それ以外からも集め
   られる。
  
  

(44) ○だます心、だまされる心 (安齋育郎):2005.10.24 
  手品や芸術における楽しむだましや、霊視商法、悪徳商法などの悪いだまし、
  科学者の陥った誤りなど幅広いだましを紹介している。人間と同じくらいの知
  能を持つ馬(クレバー・ハンス)の話や、乳牛のおっぱいの目方で時間を当てる
  少年の話、コナン・ドイルが信じた妖精の写真、「こっくりさん」を解明したファラ
  デーなどなど、退屈しないで気楽に読むことができる。


(43) △希望格差社会 (山田昌弘):2005.10.23 
 
約1年前に出版され、ある程度売れた本だと記憶している。時期を逸した感もあるが
  最近本屋さんで見かけたので読んでみることにした。
  職業、家族などの生活環境が不安定になり、将来に希望を持てる人と持てない
  人に分かれてきている。これを著者は「希望格差社会」と呼び、リスク化と二極化
  という点から分析しようとしている。おおまかには多くの人が共有する感覚を整理
  した内容で特に目新しい内容はない。もっとデータを多く示してほしかった。
  家族や教育などにも触れているが、要は職業の不安定さが強く影響しているわけ
  であり、そこをはっきりさせておかないと対策が間違ってしまうのではないかと思う。

  なお、19世紀後半にデュルケームが「自殺論」の中で、自殺の新しい要因として
  「アノミー的自殺」を見出した。これは、自由な社会になることで欲求が拡がるが
  必ずしもその欲求は満たされるわけではなく、欲求と現実の差が非常に大きくなる
  ことによる自殺を意味している(私の解釈なので正確ではない)。この自殺論を
  1989年頃に読み、すでにヨーロッパでは19世紀にこういうことが議論されていた
  ことに感心した記憶がある。今回読んだ本でも似たような内容は含まれているが
  少し表層を見すぎている感がある。
  

(42) ○日本道路公団〜借金30兆円の真相 (NHK報道局):2005.10.17 
  昨年8月にNHKスペシャルで「調査報告 日本道路公団〜借金30兆円・膨張の
  軌跡」が放映されたらしい。本書はその内容をまとめたものである。おそらくこの
  問題に詳しい人には物足りないのだろうが、私にとっては非常にわかりやすく、
  有用な情報が多く含まれていた。本書や(39)「道路の経済学」を読んだ限りでは
  10月に民営化しても新規建設に関しては全く問題の解決になっていない。

  ・道路関係四公団の借金は44兆円。日本道路公団は30兆円
   (1996年末の日本道路公団の借金は22兆円)
  ・道路建設の方式
    公団方式:財政投融資、民間投資を財源として借金で建設。通行料金により
           返済・・・・従来の高速道路
    直轄方式:国や地方の予算で造る。(通行料は無料)・・・国道、県道
    新直轄方式:国が事業費の3/4、都道府県が1/4を負担
            ・・・民営化しても造れるように一部の高速道路を本方式に切替
  ・1952年 (旧)道路整備特別措置法・・・借り入れで建設、通行料で返済
                           (有料道路制度の始まり)
  ・1953年 道路整備の財源等に関する臨時措置法・・・特定財源確保
  ・1956年 道路整備特別措置法・・・日本道路公団発足、公団方式での建設
  ・1966年 国土開発幹線自動車道建設法・・・高速道路7600kmに決定
  ・1972年 プール制導入(通行料を別の路線の建設費用に使う)
  ・高速道路は国土交通省の命令で公団が建設。
   一般有料道路は、公団が国土交通省に申請すれば建設できる。
   このため、一般有料道路が、”隠れ高速”として建設された。
   ・・・政治家、地方首長、(旧)建設省が画策
  ・隠れ高速には「合併施行方式」(国と公団が建設費負担)
   →一般有料道路に税金が投入されている。
  ・隠れ高速は、全国19箇所。借金6100億円
   近いところでは、和歌山の湯浅御坊道路が隠れ高速
  ・一般有料道路の合併施行の3タイプ
    旗さお式:用地、土木工事の一部を国費負担
    薄皮式 :用地、土木工事を国費、舗装、施設だけを公団負担
    羊かん式:公団が作る一般有料道路の前後の道路を国が整備
  ・45の一般有料道路が合併施行方式。
    建設費用7兆円のうち、4兆3600億円(61%)が国費
  ・1987年 四全総(第4次全国総合開発計画)
    隠れ高速は全て取り込まれる。・・・画策した人たちの意向通り
    高速道路4000km拡大
    一般有料道路拡大と併せて、高規格道路と総称(1万4千km)
  ・現在建設中の第2東名道路の予算は、5兆6千億円。全く公金の意識なし


(41) △帝国の昭和 :講談社 日本の歴史23 (有馬学):2005.10.15 
   いつも歴史書を読むと自分の知識不足を痛感する。今回もいろいろ学ぶところが
   あった。本書は1945年までの昭和をあつかっているが、著者は1945年の敗戦に
   つなげて戦前を描くのではなく、同時代人の感じ方を描きたいと考えて書いたらし
   い。ただ、ある程度の知識を前提として書いてあるため、理解しにくいところが各
   所にあった。少し整理してから追記したい。
  


(40) ○黒い雨 (井伏鱒二):2005.10.8  
   敗戦から数年後、閑間重松、シゲ子夫妻は、姪の矢須子が原爆病患者であるとの
   噂を払拭するために、原爆投下から帰郷するまでの経緯の書かれた矢須子と重松の
   日記を清書する。この日記により、広島の原爆投下当日から8月15日までの広島中心部
   の様子を描いている。描いている情景は悲惨である。川面を流れる死体、死んだ子どもを
   袋に入れて汽車に乗る女性、死体の山に群がる大量の蝿。主に重松が見たものを抑えた
   表現で書いている。
   特定の人物をフィクションとして表現することは、原爆被害を個人レベルで捉えると いう意味
   において非常に重要な役割を果たす。

   原爆は普通に生活をしていた個人個人に被害を与えた。各人の人生はそれぞれ重みを持
   っている。それを一挙に破壊してしまう権利など誰にもない。
  

(39) △道路の経済学 (松下文洋):2005.10.7  
   道路の経済効果の簡単な評価方法が書かれており、参考になる。ただ、都市の
   道路に関する考えが中心で、地方の要望についての考えが書かれていなかった。
   ・社会資本の全体投資額に占める維持更新費の割合は、1995年は16%だが、
    2015年には67〜83%になると予想されている(内閣府)。
   ・
道路建設の経済効果は、建設中の効果(需要創出効果)と、完成後に利用することで
    発生する効果に分かれる。
    利用者の利益は、@燃料費 A移動時間 B事故費用(低減)
    それらを決める要素に「速度」がある。
   ・速度と交通量の関係式を「QV式」と呼び、道路の容量(車線数)と交通量がわかれば
    速度が予想できる。
   ・速度から燃費計算することで、@燃料費 の効果がわかる。また、A移動時間も速度
    から求まる。B事故費用は少し異なるが、渋滞から迂回するために生活道路を利用して
    いた場合に対して事故発生数が減少し、保険会社からの支払い金額が減ることなどを
    概算する。

  [本を読んだついでに、近くの南阪奈道路について調べてみました]
   ・南阪奈道路は、奈良県の葛城ICから大阪府の美原ICまでを結ぶ有料道路で、平成
    16年3月28日開通。
   ・先ほど知りましたが、葛城ICから羽曳野ICまでは、西日本高速道路(株)の管轄だが
    羽曳野ICから美原ICまでは大阪府道路公社の管轄になっている。民営化されてない
    で残っているところがある。
   ・2つに分かれているため、通行料金も2つに分かれている。葛城・羽曳野までは普通車
    450円、羽曳野・美原間は200円
   ・大阪府道路公社のHPによると、平成16年度の通行台数は501万台。計画は974万台
    半分ほどしか利用されていない。事業費は647億円。40年償還。
    通行量収入は書かれていないが、普通車200円、大型350円なので、平均250円と
    仮定すると、年間12.5億円。単純に40倍しても事業費に届かないし、利子も返せない
    のではないか。
   ・20分ほど調べただけで、民営化されていない公社や、計画からの乖離、収入不足という
    問題点が見えた。

(38) ○原爆災害 (原爆災害誌編集委員会編):2005.9.29  
   広島・長崎の原爆被害を記録として残すことを目的として1979年に「広島・長崎の
   原爆災害」という書物が出版されたそうである。本書はその普及版として1985年に
   出版され、今年、岩波現代文庫として再度出版された。 中身はさまざまなデータから
   成っている。建物の被害範囲地図や、黒い雨の降った範囲、被害者数と爆心地からの
   距離との関係、さまざまな原子爆弾症の症状などを含んでいる。途中に出てくる写真が
   非常に痛ましい。痛ましいがきちんと残し伝えていかなければならない記録だと思う。
    ・広島、長崎の原爆の爆発点はともに地上約500m。
    ・爆発点では瞬間に数百万度の高温を生ずる。それが熱線として広がる。爆心地の
     直下では3000から4000度になったと推定されている。
    ・熱線の次に空中爆発による衝撃波と爆風が襲ってくる。熱線、爆風、および発生した
     火災により、広島では爆心地から2km以内のほとんどの建物は全壊または全焼して
     いる。
    ・さらに放射線が大量に放出される。原爆により発生したキノコ雲が雨を降らせ、幅広い
     地域に黒い雨を降らせた、広島では、北西方向に20kmの領域が大雨になった。
    ・被爆後2〜4ヶ月以内の死亡者数は、広島では9から12万人、長崎では6から7万人と
     推定されている。


(37) △戦後和解 (小菅信子) :2005.9.22  
   日本がアジアに対して起こした戦争や植民地支配について、いまだに中国や韓国との
   和解が十分行われたといえない状況である。戦後60年が経過し、当事者が少なくなって
   いる状況下で、今から和解ができるのかということに基本的な疑問を感じてきた。日本政
   府が謝罪を述べたとしても、戦後生まれで当事者でない人が謝罪していることになり、どう
   しても言葉だけの問題になってしまう。(それを意味がないと言っているわけではない)
   しかし、それ以上の問題が謝罪を受け入れる側に生じる。それは、今を生きる世代が亡く
   なった多くの人々の代わりに和解する資格を持っているのか、という問題で、現在の世代が
   そのことを意識すると、さらに受け入れることができなくなってしまうだろう。このために、私は
   本質的な和解に関しては悲観的に考えてきた。と同時に、この考えを覆す考え方を探してい
   た。
   よく、「過去を忘れてはいけない」と言うが、本書によると、近代以前のヨーロッパでは戦争
   中の悪行は講和と同時に忘却するのが常であり、忘却こそが平和を強化する最善の策と
   考えられていた、というのである。それが変わっていった背景として3点指摘している。一つ
   目は講和条約締結にあたって神が占めていた地位を国際法が占めるようになり、神の前で
   宣言して終わるというわけにいかなくなったこと。2つ目は民衆の政治参加が進んだこと。
   3つ目は、2つ目と関連して兵士の役割が変わり、国家の目的のために戦い、国家のために
   命を捧げた戦死者を忘却することができなくなったこと。つまり、ナショナリズムと関連した理
   由である。過去を忘れないという考え方が正しいかどうかは著者は述べていない。現在は
   そういう時代だと述べているだけだ。日本人は時間が経てば解決するとどこかで感じている
   ところがあり、それが解決を困難にしている大きな原因であるように思う。
   本書は、英国との関係修復を、アジアの国との和解のモデルにしたい考えで書かれている。
   ただ、どうも深いレベルに至っていないように感じる。日中和解を、国家レベルで捉えている
   が、「忘却しない」というのは国民一人ひとりが関係する問題である。民衆レベルの話と、国
   家間どうしの話は区別して捉えないと、国家間の話は各国の事情により状況が変わってしま
   う。
   最近の京都ウトロ地区の強制撤去問題は、韓国との戦後和解を一層妨げ、日本人の冷たさ
   を示すことになってしまっている。なぜ、国家や自治体はもっと解決に向けて動けないのだろう。

(36) ○父と暮せば (井上ひさし) :2005.9.20  
   原爆によって身の回りの多くの人を失った女性が、「自分だけ生き残って申し訳ない。
   自分だけ幸せになるのはうしろめたい」と考えながら生きている。その女性が、勤め
   先の図書館を訪れるある男性に恋をし、「申し訳ない」という思いと恋心の間で揺れ
   動く。そこに原爆で亡くなった彼女の父親が何度も現れる。女性は原爆が落ちた後で、
   父親を残してその場を離れたことに一番罪の意識を抱いている。その父親が、
   「あよなむごい別れがもこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために(おまえは)
   いかされとるんじゃ」という死者の言葉を伝える。そして父親との会話により、うしろめ
   たさを振り切る。
   井上ひさし氏は前口上に次のように書いている。
   『ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。
   あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」という人たちがふえ
   てきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
   しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。あの2個の原子爆弾
   は、日本人の上に落とされたばかりでなく、人間の存在全体に落とされたものだと考える
   からである。(中略)あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまし
   て罪深いことだと考えるから書くのである。』
   原爆投下から60年が経過した。徐々に体験者が減り、記憶が薄れてきている。
   そういう中で、自分の周りに落とされたらどうなるか、家族・知人はどうなるか、を想像し
   同時に他の国に落とした場合に同じような状況が生じることに思いを馳せなくてはいけ
   ない。落とす側から見るのでなく、落とされる側の視点を忘れてはいけない。

(35) ○魂込め (目取真俊) :2005.9.19
  
「魂込め」を含む6編から成っており、どれもかなりの力作だ。アーマン(オオヤドカリ)に
  棲みつかれた男の魂を戻そうとする老女ウタを描いた「魂込め」の背景には日本兵による
  沖縄人の殺害がある。「ブラジルおじいの酒」のブラジルおじいは、沖縄からブラジルに渡り
  戦後沖縄に戻ってきた人物であり、沖縄に残っていた身内は戦争で無くなり一人暮らしを
  している。「赤い椰子の葉」では同級生Sの母親は米兵相手の飲み屋で働いていて、近くで
  米兵によるボクシングの試合が行われたりしている。
  ”沖縄”を描く必要性は感じつつも、文学として興味を持って読めるのかどうかに疑問を持って
  いたが、その心配は全くなかった。”沖縄”という特殊性を訴えながら、普遍性も兼ね備えて
  おり優れた作品だと思う。

(34) ×最後の瞬間のすごく大きな変化 (グレイス・ペイリー:村上春樹訳) :2005.9.2
  
村上春樹の翻訳本にハズレはないと信じていたので本書を読んだ。でも、この訳には
   無理がある。意味がわからないところが多すぎる。もう少し丁寧に時間をかけて読めば
   わかってくるのかもしれないと思ったけれども、その価値があるとは考えられなかった。
   「海辺のカフカ」を読んだ時に、村上春樹はもう僕には合わないと強く感じたけれど、それは
   小説だけでなく、翻訳についてもそうだったのかもしれない。

(33) △『悪霊』神になりたかった男 (亀山郁夫) :2005.8.21
  大学時代にドストエフスキーをいろいろ読んだ。
  「罪と罰」は読んでいる時に、精神状態が不安定になり、人を殺す夢を見たりしたことを
  覚えている。後にドストエフスキーに関する本を読んだ時に多くの人がこういう経験をし、
  これをドストエフスキー体験と呼んでいることを知った。
  本書が選んだ「悪霊」はスタヴローギンが主人公だが、印象に残っているのは、キリスト
  教を信ずるシャートフと自殺によって神の不在を証明しようとするキリーロフであった。この
  二人はスタヴローギンの中にある2つの思想を別々に体現している。終盤に、シャートフは
  殺され、キリーロフは自殺し、最後にスタヴローギンも自殺する。「罪と罰」において、ドスト
  エフスキーは殺人を犯したラスコーリニコフを死なせなかったのに、ここでは主要人物の多く
  が死んだことを意外に感じたことを覚えている。
  さて、本書についてだが、僕の印象に残っている場面でない箇所を中心に書かれているの
  で、訴えかけてくるものは少なかった。ドストエフスキーの作品の解説は、知識を提供する
  ことになり、作品を読んでいる時に受けるインパクトを再現させることはできない。このため、
  どうしても解説書はつまらなく感じてしまうのだろう。でも、ドストエフスキーはまた読みたく
  なってきた。
  
  
(32) ○沖縄「戦後」ゼロ年 (目取真俊) :2005.8.20
  今までほとんど考えてこなかった事柄がたくさんあるが、本書を読んでそのうちの
  一つが「沖縄」だと思った。戦後の日本は、講和条約において沖縄を切り離し、施
  政権返還後も米軍基地を沖縄に集中させた。著者が言うように、沖縄を見捨てるこ
  とで本土の平和維持や経済発展を優先させ、沖縄の状況を根本的に解決しようと
  することがなかった。沖縄以外の日本人は私も含めてその点について冷淡すぎる。
  本書に、戦争中の話として米軍が出てくるが、それは本当に戦争をしている米軍で
  あり、日本が降伏した後に本土に上陸した米軍とは全く異なる。米軍に占領された
  状態も戦争中の出来事である。その時期、沖縄住民で集団自決した人たちがいる。
  米軍が防空壕に向けて噴射した火炎放射器によって焼き殺された人たちがいる。
  日本軍に殺された沖縄住民もいるらしい。このような事実に目を向けて考えることに
  よって、戦争で被害を受けた日本以外のアジアの人々の視点にも立てるのではない
  かと思う。


(31)×ラッシュライフ (伊坂幸太郎) :2005.8.19
  複数の物語が並行して進行するという、実験的な小説である。しかし、その形式が
  どうかという以前に、各物語がどれも中途半端にしか描けていないため、つまらない
  小説を複数読んだのと同じにしか感じられなかった。
  

(30) ○これが犯罪?「ビラ配りで逮捕」を考える (内田雅敏) :2005.8.18
  昨年2月に東京都立川市の防衛庁官舎に「イラク派兵反対」の内容のビラを配布した
  3名が「住居侵入罪」で逮捕・起訴された。起訴後も身柄が拘束され保釈までに75日
  を要した。また、昨年12月には東京葛飾区のマンションに共産党のビラを配布していた
  人が同じように逮捕・起訴された。この事件の報道は新聞で見ていたが、本書によると
  その他にも似た事件がいろいろ起こっている。単なる微罪逮捕の問題ではなく、その内
  容によって逮捕されていることが非常に重要だ。例えば、共産党のビラは逮捕対象にな
  るが、自民党のビラがその対象になることは今はありえない。イラク派兵反対のビラを防
  衛庁官舎に配ると逮捕対象になるが、自衛隊員募集のビラを配っても対象にはならない。
   著者は、このような公安警察の暴走は、オウム事件の時のオウム信者への微罪・別件
  逮捕を私たちが許してきたことが背景にあると指摘している。この指摘は非常に重要だ。
   オウム事件の時、サリン事件を起こすような集団だから、強引な捜査や逮捕が行われ
  ても仕方ないと多くの人が感じていた。もしかしたら、今も「逮捕されたのは共産党」だか
  ら自分たちと関係ないと考えているかもしれない。
   今、このような事件の多くは、東京都で起こっている。そして、本書でも触れられているが
  都教育委員会の関連しているものもある。個々について知事が指示しているわけではない
  にしても知事の影響を受けてのものだろう。知事の再選を選択した東京都民の責任は非
  常に重い。また、こんな状況を放置する日本政府も変える必要があるだろう。


(29) △古道具 中野商店 (川上弘美) :2005.8.17
  川上弘美の本は文庫化されてから買おうと決めていたつもりなのに、単行本発行から
  3ヶ月くらい経って買ってしまった。インターネットのいくつかの書評を見てほめてあった
  ことに刺激を受けてしまったのだ。
  本書に出てくる登場人物はどの人物も悪くない。中野商店の主人の中野さん、中野さ
  んの姉のマサヨさん、中野商店で働くわたしとタケオ、そして、この4人を取り巻くさまざ
  まな人たち。今まで読んだ本と同様にふんわかした雰囲気を保ちつつ、枠にはまらない
  ようにもしてあり違う一面も見せている。終わり方も結構良い。
  それにもかかわらず今回僕の評価は低かった。川上弘美の本を読んでいるといつも、
  こんなものを読んでいて良いのだろうかという後ろめたさがある。本書にはその後ろめ
  たさを打ち破るだけの力がなかったということだろう。

(28) ○特攻と日本人 (保阪正康) :2005.8.15
  今まで特攻隊員の遺稿をほとんど読んでこなかった。自分がその立場にいたら
  ということを考えようとしたこともなかった。それはおそらく特攻隊員を一人ひとりの
  人間として見てこなかったためだろう。本書に取り上げられた特攻隊員の遺稿は
  内容はさまざまだが、どれも自分の内面を見つめていて、理性を感じさせるものが
  多い。「国家」が前面に押し出されている内容の文章でも、生死を考えずに体当たり
  していったわけではないことがはっきりと読み取れる。それぞれの人にそれぞれの
  人生、そして感覚・考えがあり、それの一部が記録として残っている。
  なお、特攻による戦死者数は正確にはわからないが、海軍で約2400人、陸軍で約
  1400人と推定されており、そのうち7割が学徒兵らしい。特攻は1944年10月以降
  行われたが、すでに勝利の見込みは全くない状況だった。しかし、それ以前から
  「全員玉砕」が美談風に語られてきていて、その流れのなかに特攻は位置付け
  される。

(27)○ ベトナム 戦争と平和 (石川文洋) :2005.8.4
  著者は1965年から68年までサイゴンに住んで、米軍・南ヴェトナム軍に同行取材し
  その時の写真とともに取材内容を記している。また、それ以降、何度もヴェトナムを訪れ
  ており、本書には最近の写真も含まれている。
  先の「ヴェトナム戦争全史」を読んでいた時から、南ヴェトナム軍のヴェトナム人はどう
  いう思いで戦い、南北統一をどういう思いで迎えたのかが非常に気になっている。
  そして、今のヴェトナムに行ってみたいという気がしている。
  
  (米軍との戦争以降)
   米国はフランス敗北後も南ヴェトナム(サイゴン軍)への支援を続けていたが、サイゴン
  軍が解放軍を抑えることができない情勢が続き、1961年から徐々に米軍を派遣し、
  1964年以降本格化する。1968年、解放軍はサイゴンを含む各地の都市に一斉
  攻撃をかける(テト攻勢)。死者は解放軍が5万8千人。米軍3900、サイゴン軍5千と
  圧倒的に解放軍側が多く作戦自体は失敗だった。しかし、サイゴンのアメリカ大使館が
  20人の兵士によって6時間占拠されるなど、米国に与えた政治的影響は非常に大きか
  った。このテト攻勢により、米国はヴェトナム戦争での勝利を断念したと言われている。
  実際、68年5月以降、米国と北ヴェトナムとの会談が行われるようになる。空軍の激し
  い爆撃は続くが69年から段階的に米軍は撤退し、ついに1973年パリ和平条約が結
  ばれる。米軍の直接の支援がなくなった南ヴェトナムは北ヴェトナムの攻勢に敗れ、
  1975年南北統一が図られた。
   ヴェトナム戦争中、米軍は大量の枯葉剤を撒いた。目的は解放軍の拠点となっている
  森林を見えやすくすることと、解放軍の食料生産地にダメージを与えることだった。この
  影響と思われる障害児がたくさんいる。米国では枯葉剤の影響を受けたヴェトナム帰
  還兵の訴えで、枯葉剤メーカが補償金を支払った。しかし、ヴェトナム人に対しては全く
  補償されていない。米国政府は、枯葉剤だけでなく、ヴェトナムのすべての破壊に対し
  て戦後補償は一切していない。


(26) ○ヴェトナム戦争全史 (小倉貞男) :2005.8.2
  ヴェトナム戦争を北ヴェトナム側で関わったいろいろな人の証言を基に振り返っている。
  ヴェトナム戦争に関する知識がほとんどなかった私にとって、ヴェトナム戦争の歴史を
  概観でき非常に役立つ本だった。ただ、証言をする人が偏っているので、ヴェトナム戦
  争の一面でしかない。戦争の結果としては、北ヴェトナムが勝って、南ヴェトナムが敗れ、
  米国は途中で撤退を余儀なくされた。しかし、死亡者を見ると、北ヴェトナム・南解放戦
  線 94万人、南部民間人43万人、南ヴェトナム政府軍25万人、米軍5万8千人、韓国
  等同盟軍5千人となっており、勝利者側が圧倒的に死亡者が多い。1975年に南北統一
  されたが、このようにたくさんの人が亡くなった後は、政治、社会ともに非常に不安定に
  なりそうな気がするが、現状はどうなのだろうか。

  (米国との戦争になるまでの歴史)
   インドシナはフランスの植民地だったが、1940年にフランス本土がドイツに占領された
  ことにより空白地帯となる。そこに日本が入り込み、日本軍が進駐する。このため、194
  5年3月まではフランスと日本の二重支配を受ける。日本の敗戦が確実な1945年3月に
  日本軍はインドシナ全土でクーデターを起こし、フランスから権力を奪う。この際、各国を独
  立させ、日本の傀儡政権を作った。このような状況の下、ヴェトナムでは、ホーチミン率いる
  ヴェトミン(越南独立同盟)が1941年に結成され、独立を目指して支持を広げていく。
   日本がポツダム宣言を受け入れた8月15日の翌日、ヴェトミンは総蜂起を指令する。しかし
  ここに、連合軍が乗り込んでくる。8月23日北緯16度線より北部を中国軍、南部を英印軍
  が分担して治めることが発表される。北部では、ヴェトミンが「ヴェトナム民主共和国」の独立
  を宣言したが、南部は、英印軍の支援を受けたフランス軍が攻撃を仕掛けてきて、革命勢力
  は制圧される。南部は再びフランスに支配され、1949年にはフランス傀儡政府の「ヴェトナ
  ム国(南ヴェトナム)」が樹立される。ヴェトミンは1950年ごろから中国からの支援が本格化。
  一方、米国は共産化防止のためにフランス援助を強める。
   1953年、ヴェトミンは北部で優勢になり、1954年5月要衝ディエンビエンフーの決戦を
  制し、フランス精強部隊1万3千人が降伏する。同年、インドシナ休戦協定が関係国によって
  調印されたが、米国と南ヴェトナムは参加しなかった。この協定には、「1956年までに南北
  統一のための総選挙を実施」することが含まれていたが、米国はホーチミンの人気が高いた
  め総選挙を約束する協定には参加できなかった。このあたりにも、米国のご都合主義が現れ
  ている。
  

(25) △タンポポの雪が降ってた (香納諒一) :2005.7.22
  ハードボイルド作家が新たな一歩を踏み出した作品と書かれていたので興味を持って
  読んだ。内容としては興味深いものを含んでいるのだが、7つの短編どれも今ひとつの
  出来だった。例えば、最初の「タンポポの雪が降ってた」は、終わり方が安易すぎるし、
  「不良の樹」は子供の頃の事件を自分が起こしたものだと突然思い出すという不自然な
  話になっている。他の話もどこかに無理をしているところが感じられ、もっとすっきりさせ
  ないと小説として世に出すレベルにならないのではないかという気がした。

(24) △死にゆく妻との旅路 (清水久典) :2005.7.21

  50代の男性が自分の経営する会社が行き詰まり自己破産になりそうな時に、妻がガンの
  手術を受ける。この状態に追い込まれた夫婦は2人で車の旅に出る。当初は仕事を探すこ
  とが目的だったが、徐々に目的のない旅になっていく。半年が経過した頃、妻のガンが再発
  する。そして病院に行くこともなく、2ヶ月後、妻は亡くなる。
  こんな状態になる前に何とかならなかったのか、という疑問は沸いてくる。特に最初に旅に
  出ながら仕事を探すところで、本当に就ける仕事はなかったのか疑問である。でも、病院に
  入っていればもっと良かったかといえば、そうも言えない。自分が同じ立場になった場合に
  どうするかは予想がつかないが、病院で治療を受け続けるかどうかは、個人の生き方の問
  題で他人がどうこう言える問題ではないのだろう。

(23) △アジアンタムブルー (大崎善生) :2005.7.18
  昨年、大崎善生氏の「パイロットフィッシュ」を読み、なかなか良かったので次に文庫化される
  本を楽しみに待っていた。
  主人公の山崎はアダルト雑誌編集員33歳。水溜りを撮る写真家葉子と付き合っていたが
  葉子が末期がんに侵されていることがわかり、最後にニースに旅行に出る。そして、葉子を
  失った後、デパートの屋上で時間をつぶす生活を送り、その後普通の生活に戻ることを決意
  するまでを書いている。ただ、中学時代の万引きの話や、高校の時の先輩女性との関係の
  話が浮いてしまっている印象を受け、本作品全体でも前作品を読んだときに感じた不思議な
  共感を感じることはできなかった。

(22) ◎靖国問題 (高橋哲哉) :2005.7.16
  靖国問題を単にA級戦犯合祀問題や対中国・韓国問題と捉えずに、「戦死者の顕彰」の
  ための施設と考え、その場合の問題について鋭く指摘している。非常にお奨めの本だ。
  ・遺族感情には哀しみがあるが、それがお国のための死という意味付けによって喜びへと
   転換させられている。靖国信仰から逃れるには家族の死を悲しいのに嬉しいと言わない
   こと、国家により与えられる意味付けを受け入れないことが大切。
  ・靖国の歴史認識の問題をA級戦犯合祀問題にすりかえると問題を矮小化してしまう。東京
   裁判で裁かれたのは1928年以降であり、それ以前の日本の植民地支配責任を裁くことは
   米英仏蘭などの植民地宗主国では出来るはずがなかった。このことはよく認識しておく必要が
   ある。
  ・戦前、戦中に神社神道は「国家の祭祀」とされ、キリスト教や仏教などの「宗教」とは区別
   されていた。これを「祭教分離」というが、逆にこのことで「祭政一致」を図ったわけである。
   もちろん神道は宗教なのだが、キリスト教も仏教も「国民の公の義務」として受け入れ、
   戦争協力を一緒に進めていた。靖国を非宗教法人化するという考えや、非宗教の国家追
   悼施設を作る考えがあるが、この歴史を思い出す必要がある。
  ・靖国は死者を弔う伝統に基づいているという考えがあるが、日本に死者の遇し方の一貫した
   伝統などない。靖国神社の死者との関係は、日本国家の政治的意思によって選ばれた特殊な
   戦死者との関係だ。
  ・国立追悼施設を別に作った場合、今後、追悼対象になるのは、「日本の平和を守り国の安全を
   保つための活動や日本の係わる国際平和のための活動における死没者」となるだろう。
   例えば、イラクで自衛隊が武装勢力と交戦し、双方に死者が出た場合、自衛隊の死者は追悼
   対象になり、イラクの武装勢力は対象外だ。自衛隊の行為は常に正しい武力行使であり日本
   側の死者だけが追悼対象となることは「第2の靖国」となる危険性をはらんでいる。
   また、千鳥ヶ淵戦没者墓苑はすでに第2の靖国となる準備が整えられていることはよく実態を
   見て把握しておかなくてはいけない。
   問題は施設そのものでなく、施設を利用する政治である。
   

(21) △改憲という名のクーデタ (ピープルズ・プラン研究所) :2005.7.10
  従来の「護憲」でない改憲反対の立場を新たに築くことを目的で編集されたことが前書きに
  書かれており、そこに惹かれて読むことにした。
  7つの論点が書かれているが、かなり強引な意見も含まれており、ここに多数の人々を
  引き寄せるのは困難だと感じた。
  @現在の改憲に向けた動きは新憲法起草であり、憲法の改正手続きで行うことは誤り。
    →手続き論に話を持っていっても国民には問題と意識されない。
  A権力側の行動を制限するという立憲主義が憲法の役割であり、国民の自由を制限する
   方向を許してはいけない。→全面的に賛成。どんな政権ができても政府が踏み込むことが
   できない領域を設けておくことが重要だ。
  B「前文」は「他の条文を解釈する際の基準」になる。そこに「国柄」(国体と似た意味)が
    書き込まれようとしている。公権力が「歴史・伝統・文化」を持ち出すとろくな事がない
    →日本の「歴史・伝統・文化」は、天皇を存続させなくても成り立つのではないか。
  C天皇制は民主主義的価値観・人権感覚・平和主義をつぶすのでなく、摩滅させる機能を
    持つ。天皇の絶対化は国家の絶対化である。
    →天皇制を民主的になくすことができれば、それは世界に誇れることだろう。
  D国際協力、専守防衛という考えも排し、非軍事の思想を徹底させることが重要。
    →わかるのだが、ここに書かれていることで現状を変えることは到底できない。
  E改憲論は人権を制限しようとしている。権力との闘い自体が憲法を護る闘いだ。
  F自民党の憲法改正「論点整理」で、両性の平等は家族の価値を見直す観点から見直す
    べきとしている。権威的、性差別的な家族のあり方を容認してはいけない

(20) △李歐 (高村薫) :2005.6.25
  高村薫は、単行本が文庫化される際にかなり手を加えていることが以前新聞に載っていた。
  本書はタイトルまで変えている。(旧作タイトルは、「わが手に拳銃を」)
  さて、本書は、主人公の吉田一彰が阪大の大学生であるところから始まる。そして、過去に
  母親と暮らしていた隣の工場にいた中国人や朝鮮人の話が続き、濃厚な設定がされている。
  しかし、李歐が登場してから妙に話が浮わついてくる。それに伴って一彰の行動や感覚も
  はじめの憂鬱感と異なり現実味が失われてくる。さらに一彰の李歐に対する感情も理解でき
  ない。したがって、後半は不満が募る内容だった。


(19) ○テロリズム (チャールズ・タウンゼンド) :2005.6.24
  本書は、岩波書店の「1冊でわかる」シリーズの中の1冊だが、シリーズの軽薄な印象とは
  異なり、非常に充実した書物だった。テロリズムを政治的戦略と見た時に、効果があるのか
  どうかという観点から論じ、単なる暴力との区別を図っている。
  
  ・テロリズムの定義付けがなぜ難しいか?それは、テロリズムがラベリング(レッテル貼り)
   だからだ。・・・・「拉致をテロと認識するか」という「救う会」のアンケートを思い出す。
      「拉致をテロと認識するか」という問いに対する違和感 :2003.10.4
  ・テロリズムを、国家テロと反体制テロに分ける考え方がある。
  ・非戦闘員への無差別攻撃は戦争法違反とされる。ただし、非戦闘員は必ずしも「無関係の人
   (イノセント)」ではない。例えば、第2次大戦におけるドイツ市民。
  ・テロの実行において、女性が目立つ。例えば19世紀のロシアテロリストの4分の1が女性。
  ・テロリストの性格として、同情の欠如、あるいは邪悪さがあげられるが、実際にはそれらは
   特別なものでなく、一般人と変わらない。
  ・自由の戦士が暴君・抑圧者を倒す方法として、テロリズムがその手段となりうるか?
   現代テロリズムの手法は、一見すると何でも実現できるかに思わせるテクノロジーの開発と
   ともに発展してきた。アナーキストの活動家は法廷で「ダイナマイトはすべての人間を平等にし、
   自由にする」と主張した。
   しかし、テロリズムだけで成功した闘争はない。
   テロの結果は、国家転覆どころではなく、国家と治安の強化、そして自由の低下をもたらした。
  ・レーニンは大衆行動と対比させて、テロリズムを「たった一人の戦い」と定義し、人民と関係のない
   無意味なものと考えた。
  ・19世紀後半のロシアでのテロ行動では、「政府で最も有害な人物たちを消すこと」に重点が置かれ
   無意味な暴力は抑制された。しかし、皇帝を暗殺しても新しい皇帝が後を次ぎ、警察長官を消しても
   次の候補者はすぐに現れた。
  ・19世紀末のアナーキストによるテロでは標的を慎重に選択する自己抑制はなくなった。
  ・20世紀初頭にピークを迎えた後、しばらくテロは下火になる。1960年代後半に地下グループに
   よる西側に対するテロリズムが復活。しかし、政治的な弱さ、社会の隅に追いやられた結果、
   テロリズムにすがったわけで、政治的には彼らのもたらした脅威は小さかった。革命運動という
   大きな枠組みから離れてしまえば、テロリズムは自己敗北にすぎない。
  ・現代のテロ行為の多くは、ナショナリズムの枠組みに収まる。
  ・ナショナリズム運動は、客観的にみれば失敗しそうであっても闘争が放棄されることはない。
  ・国家を持たない民族の場合、特に過去の出来事(虐殺等)が民族の物語として重要になり、
   「われわれは何をすべきかわかっている」という考えになる。
  ・ユダヤ人国家をつくるためのシオニストによるテロリズムは成功した。・・・イギリスに対するテロ
   により、チャーチルは1948年にパレスチナを放棄した。
  ・それに対し、PLO,PFLPによるテロは長続きしているが成功の度合いははるかに劣る。
   それは1969年にテロを開始したときより状況が悪化しているから。
  ・他方で、1968年のPFLPによるハイジャック事件、1972年のミュンヘンオリンピックでの
   事件は世間の注目を集める効果があった。・・・それまでパレスチナ問題は無視された
   

(18) ○センセイの鞄 (川上弘美) :2005.5.21
  川上弘美の本を読むのは、「蛇を踏む」「神様」に続いて3冊目だ。先に読んだ2冊と同じく”うそ話”
  だろうと思って読んでみると、そうでもなかった。前半は”うそ話”ではないものの、現実離れした雰
  囲気が先の2作と同じだった。しかし、途中から全く予想外なことに人間の直接的な感情が顔を出し
  始めたのだ。
  私の知る川上弘美の世界は、くまと散歩したり人魚を飼ったりという特別な状況下にあった。しかし、
  この本には、くまも人魚も蛇も出てこない。人間だけが出てくるのだ。しかも恋愛小説なのだ。そして、
  その恋愛感情はゆったりとしてせつない。今まで読んだ作品から彼女と恋愛とが直接には結びつか
  なかったけれど、読み終わってみると、川上弘美らしい作品になっていた。
  僕はこの作品の大部分を寝る前に少しずつ読んだのだが、この約1週間、寝る前の楽しみになっていた。
  ただ、「神様」と違って、誰かとこの作品について話をしたい気にはならない。読んでいて少し気恥ずか
  しかったからだ。読んでいてそのように感じた訳だから、小説を書くとは非常に恥ずかしいことなのでは
  ないかという気がした。


(17) ◎反定義 (辺見庸、坂本龍一) :2005.5.12
  対談する人が優秀な人の場合でも、ほとんどの対談本は退屈でおもしろくない。それは、対談者
  通しの会話によって主張が薄められ、踏み込みが足りないと感じてしまうからだ。しかし、この本は
  僕が読んだ本の中でもっとも刺激的で興味深い。批判したいと漠然と考えていたけれど僕の中では
  明確な言葉になっていなかったキリスト教批判を、そこまで言うのかというくらい思い切った言葉で
  3年以上前に話しあっていた。

  ・(辺見)「(アフガンで)みんな解放されてブルカを脱いだとかいっているけれど、(中略)大抵は脱い
   じゃいないんです。」・・・・昨年聞いたペシャワル会 中村哲氏の講演でも同じことを言っていた。
  ・文化的に地ならししていこうとする発想は、アメリカだけでなく、ぼくらも持っている。自分の地
   域の文化は普遍的だと錯覚し、他の地域の営み・表現方法を異様なもの・劣ったものと断じてしまう。
  ・アメリカで起きたつまらないことが自国のことのように日本で報道される一方で、エチアピアや
   シエラレオネで起きている深刻なことは報じられない。・・・・情報の非対称
  ・報道こそが、率先して人間の生命に、人種別・国籍別の値段を付けている。一例:バング
   ラデシュでの数十人の死亡事故は報道されず、テムズ川での10人の事故は大騒ぎになる。
  ・戦争犯罪の告発を抜きにした(アフガンなどでの)復興計画など、国際社会がアメリカの尻拭いを
   しているようなものだ。NGOの不発弾処理も、不発弾を投下する者たちへの激しい抗議がなければ
   戦争協力も同じだ。・・・ この視点を主張しにくい状況になってしまっている。
  ・「世界同時反動」が起こっている。
  ・(坂本)「ぼくが嫌いなのは”祈り”です。祈れば平和がくるみたいなことをいう人がいるけど、そんな
   ものは何にもならないです。」 ・・・ その通りだと思う
  ・ソ連がなくなった時に、世界中が資本主義に対抗するという考え・思想を諦めてしまった。
    ・・・ソ連がなくなっただけで、なぜそうなったのかいまだに不思議だ。
  ・(辺見)「国家に吸収されたり、収斂していくような言説、物語、音楽など、いっさい否定したい。」
  ・(テロリストかアメリカのどちらの味方かとアメリカが迫ったことに対し、)Aでもあり、Bでもあるのが
   人間だし、そういうことを積極的に認めることが対抗価値であり、対抗思想だ。
  ・(坂本)「教会で祈ってから空爆して人を殺すような命令をするのはおかしいじゃないかという人が
   なぜいないのか。(中略)宗教も完全に形骸化してしまっている。」
  ・ローマ法皇がアフガン空爆前にアフガンに入るべきだった。世界平和にとって絶好のチャンスだった
   のに、宗教家の本気の行動が全くなかった。宗教の耐用年数が過ぎてしまった。


(16) ○知識人とは何か (エドワード・W・サイード) :2005.5.10
  題名の通り、知識人について書かれた本であるが、知識人だけでなく、物事を考えようとする人
  にとって重要な視点を提供する内容になっている。

  ・(普遍性の意識)「もし敵による不当な侵略行為を非難するならば、自国の政府が弱小国家を
   侵略した場合にも、ひるまず非難の声をあげられるようになっていなければならない」
  ・「紋切り型の表現、手垢のついた隠喩、惰性で書いているような文章、こうしたものすべては、
   オーウェルにいわせれば、《言語の堕落》の実例である。いきおい、精神は弛緩し活力を失うが
   それにひきかえ言語のほうは、・・・意識を洗脳し、お仕着せの観念や意見を鵜呑みにするよう
   そそのかすのである。」
  ・湾岸戦争の時、ニューヨーク・タイムズの記事に、『われわれ』という言葉が多かった。例えば、
   「われわれはいつ地上戦に突入するのか」というふうに。ここで、『われわれ』という言葉は、
   国家的共同体の存在を示唆しており、危機的状況をめぐる公的議論の場で、国民的な『われ
   われ』が前提とされている。
  ・亡命者は新しい環境にすっかり溶け込むわけでもなく、故国からまったく切り離されているわけ
   でもない。このことから、亡命者は後に残してきたものと現実にここにあるものという二つの視
   点から眺めることになる。
  ・亡命者とは、知識人にとってのモデルである。
  ・「冷笑家とは、すべてのものの値段は知っていても、どんなものの価値も知らない人間のこと」
  ・「知識人のありようをとくに脅かすのは、・・・わたしが専門主義と呼ぶものなのだ。」
  ・知識人にかかる圧力:@専門分化 A資格を持つエキスパート崇拝 B政府機関への直接雇
   用というご褒美 
  ・現代の知識人はアマチュアたるべき。アマチュアとは、社会の中で思考し憂慮する人間のこと。
  ・例えば、基本的人権に基づく正義を主張したいなら、それを万人に等しく適用すべきで、自分の
   側や、自分の文化や、自国の同盟国の民族の罪を酌量してはならない。
   

(15) ○僕のなかの壊れていない部分 (白石一文) :2005.4.30
  白石一文氏の本を読むのは、「不自由な心」「一瞬の光」に続いて3冊目になる。本作品の
  主人公は出版社に勤める29歳の男性「僕」である。「僕」は小さい頃、母親に棄てられかけた
  経験を持ち、その時以来、驚異的な記憶力を持つようになった。現在は、枝里子、朋美、大西
  昭子(あまり登場しない)の3人の女性と付き合っている。また、ほのか、雷太という2人の若
  者が「僕」の部屋に出入りしている。この人たちとの接触によって、「僕」はかろうじてこの世の
  中に繋ぎとめられている。「僕」はそれがわかっていながら、そこに安住できないし、安住しよう
  としない。したがって、今まで読んだ作品の主人公と同様に、心の奥の不安定な部分が頻繁に
  顔を出し、作品の最後でもその部分はそのままである。
  著者の小説家としての実力は高いものがあるように感じる。今後、この不安定な部分がどうな
  っていくのか、どのように解決しようとするのか、非常に気になる。


(14) ○ハルモニからの宿題 (石川康宏ゼミナール) :2005.4.29
  京都自由大学で最初の講義で担当されたのが、神戸女学院大学の石川康宏教授
  だった。講義の感想と意見をメールで送ったところ、丁寧でたくさんの量の返信をもらった。
  そういう縁もあったところで本屋でこの本を見つけたので、すぐさま購入した。
  本書は、石川先生の3年生のゼミで従軍慰安婦を取り上げ、元慰安婦が住む韓国の
  ナヌムの家に実際に行った体験やゼミで学習したことをまとめたものである。文章を書いて
  まとめたのは大学3年生のゼミの方たちが中心だ。
  従軍慰安婦問題は日本による植民地化問題の一部でありそこに特化した取り上げ方は、
  全体の問題を把握しづらくしてしまうのではないか、と今まで考えていた。しかし、それは
  間違った考え方で、むしろ、この問題を考える中で、戦争全体・植民地化全体を見通して
  いくことが必要なのだろうと考えるようになった。教科書からも除かれるようになった従軍
  慰安婦問題を、今からでも調べていこうと思う。


(13) ◎神様 (川上弘美) :2005.4.19
  昨年11月に川上弘美の「蛇を踏む」を読んだが、何が何だかさっぱりわからなかった。
  ただ、あとがきがおもしろかったので、また何かを読むことになりそうな予感はしていた。
  そうは言っても、この本を読んでもきっとさっぱりわからないだろうと思っていた。しかし、
  予想がはずれた。面白い話が多かったのだ。
  評価を◎にすると、自分の人間性を疑われるかな という不安はあったけれど、やっぱり
  これはお奨めだ。この本を読んだ人と、この本について気楽に話がしてみたい。そんな風に
  思わせる本だった。
  なお、この本は短編9つから成っている。特にお奨めは、「離さない」。

  [昨年、「蛇を踏む」を読んでの感想  2004.11.15]
      川上ワールドというのがどこかに載っていて、おもしろいのかなと思って読んで
     みたけれど、さっぱり何のことかわからりませんでした。人間が動物になったり
     植物になったり物になったりといろいろ移っていくのですが、何かを象徴したりして
     いる訳でもなさそうで、かといって、理屈ぬきに入っていくにはあまりにも突拍子も
     なくついていけません。この小説についていける人はすごい想像力の持ち主だと
     思うけれど、ちょっと変わった人でしょうね。

(12) △海辺のカフカ (村上春樹) :2005.4.2
  今年は小説を読むのを少し抑えようと思っていたが、気分転換もしたくなって読みやすそうな
  本書を読むことにした。村上春樹の本はかなり読んでいて、おそらく10冊くらいは持っている
  はずだ。でも、2000年に「神の子どもたちはみな踊る」以降、遠ざかっていた。(翻訳は別)
  いくら読んでも後に何も残らないからというのが遠ざかった理由だ。
  本書は、2002年に発行された。この年、僕は小説家1人あたり3冊ずつ読もうと考えて、読
  んでいた。その最初に選んだのが「カフカ」だった。カフカの小説も、「城」や「審判」はいったい
  何が言いたいのかさっぱりわからないと直後は思ったが、何となく後に残っているものがあった。
  そのカフカの名前を題名に含んでいるので気になっていたのだが、単行本で買う程にはテンション
  が上がらず、今年文庫本化されてようやく読むことにしたわけである。
  読んだ結果、村上春樹は僕の全く興味を引かないところに行ってしまったんだということを5年ぶり
  に確認してしまった。昔は、羊男なんかもそれなりに受け入れられたようにも思うのだが、最近
  書かれたものはすごく距離を感じる。「佐伯さん」「ナカタさん」それぞれの存在感は感じられるが
  小説全体との関係が受け入れがたい。彼の翻訳は今なお良いのに、小説は僕にとってもう駄目
  だという結論に至った。


(11) ◎あたらしい憲法のはなし/日本国憲法 (童話屋) :2005.4.2
  「あたらしい憲法のはなし」は、昭和22年8月に文部省が発行した中学1年用社会科の教科書で
  ある。憲法は昭和22年5月3日施行なので、施行直後ということになる。
  天皇についての記述に少し疑問を感じるところがあるものの、憲法の理念を学校でも教え、理解
  させようとする意欲が感じられ、新鮮だ。今回、この本を読みながら日本国憲法も併せて読んでみた。
  憲法は今までも見たことはあったが、全文を比較的丁寧に読んだのはかなり久しぶりのように思う。
  前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が
  国民に存することを宣言し」や「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
  等、こういう文章が入っているんだと再確認した。
  なお、童話屋の「日本国憲法」には、教育基本法も載っている。最近、教育基本法の見直し論議が
  ある。現行では、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する・・」
  と書かれている。ここに、「愛国心」などが入ったら如何におかしいことになるかは、先の文章と関連
  付けるとよくわかる。しばらく憲法や教育基本法から離れていた人には読んでみて欲しい。(各300円)


(10) △自分で調べる技術 (宮内泰介) :2005.3.5
  この本のサブタイトルは「市民のための調査入門」となっており、本やインターネットで何かを調べる
  際に役立つこともあるだろうと考え、お金を出して買うのは少しもったいないようにも思ったが買って
  読んでみた。
  いろいろ参考になることは書いてあった。例えば、国会図書館から論文を取り寄せることができるこ
  とは知っていたが、個人で利用するという発想を持っていなかった。もちろん有料なので利用しづらい
  けれど利用できないほどの金額ではないことを再確認した。また、書籍を探すサイトや統計数字のサ
  イトの紹介も役立つことが書かれていた。さらに、調査内容をまとめる手法として紹介されていたKJ法
  は一回使ってみようと思っている。
  このように役立つことが書かれいるにもかかわらず、評価を△にしたのは、フィールドワークの章に魅
  力がなかったからだ。ここに書かれていることをきっかけにして聞き取り調査等のフィールドワークをし
  てみようという気になる人は非常に少ないだろうと思う。いろいろなネット上のサイト紹介の本なら、お
  そらく他に良い本や雑誌があるはずなので、ネットに限定しない総合的な調査方法の本としては物足
  りないように感じた。


(9) ◎他者の苦痛へのまなざし (スーザン・ソンタグ) :2005.3.4
  この本を読むことになったのは、「DAYS」という写真月刊誌を5ヶ月前から定期購読していることが
  影響している。「DAYS」は刊行後1年になり、当初戦争中心だったようだが、この数ヶ月は在日・人
  身売買・エイズ等も中心的に扱っている。こういう写真誌を続けて読んでいると、自分も含めて人々は
  何を期待して写真を見ているのだろうと考えざるを得なくなる。つまり、無自覚的に悲惨な写真を見た
  がっていて、写真のインパクトが弱いと満足できないのではないか、という疑問である。
  インパクトの強い写真によって問題を知り、もっと詳しく知ろうという問題意識に繋がることはありうる
  ことだし、それであれば、その写真の意味も強まるだろう。そうでありながら、上記の疑問が気になる。
  
  本書は戦争写真に対する著者の考えをまとめた本である。先の疑問に関連して、参考になることが
  書かれている。著者の考えは固定化されたわけではなく、例えば戦争写真が戦争に対する反対の
  意思に繋がるかどうかについて著者の考えもその時々で揺れているようだ。
  ・(写真を見た時に)「戦争反対の主張は、誰がいつ、どこで、という情報に依存せず、無慈悲で恣意
   的な殺戮が充分な根拠となる。それとは対照的に、一方の側には正義、他方には抑圧と不正があ
   り、ゆえに戦闘は続けられねばならない、と信じるものにとって重要なのは、まさに誰によって誰が
   殺されるかということである。」
  ・戦争の恐怖が生々しく伝えられれば戦争はなくなるように信じる人々もいた。しかし、戦争写真が撮
   られるようになっても、戦争はなくならなかった。
  ・奇妙なのは、過去の映像の多くが演出されたものあると知ってわれわれが常に失望すること。
  ・「同国人の死者に関しては、むきだしの顔を出してはいけないとする強い禁止が常に存在した。(中略)
   遠い異国的な土地であればあるほど、われわれは死者や死の間際にある人々をあますところなく真正
   面から捉える傾向がある。(中略)一般的に、むごたらしく傷つけられた死体の公開写真は、アジアまた
   はアフリカから来るものである。ジャーナリズムは、異国的な土地つまり植民地の人間を展示するという
   幾世紀も続いた慣習を継承している。」
  ・(ホロコースト博物館等の犠牲を出した民族の記念館が増えていることについて)「人口が圧倒的にアフ
   リカ系アメリカ人であるこの首都(ワシントン)に、奴隷制の歴史記念館がないのはなぜだろうか。(中略)
   思うにこれは社会にとって、活性化し創造するには危険すぎる記憶なのである。(中略)アメリカがアフリ
   カ人を奴隷にしたという大きな犯罪を記録する博物館を持つことは、悪がこの国に存在したことを認める
   ことになるだろう。」


(8) △心は転がる石のように (四方田犬彦) :2005.2.27
  本の帯にはよくだまされる。この本の帯には「続報のないニュースも解決したわけではない」と書か
  れていた。さらに前書きに「全体を通して書物の縦糸となっているのは、暴力と無感動がしだいに圧
  倒的となろうとしている世界に対する抗議であり、・・・」とあったため、非常に期待して買った。
  けれど、内容は希薄だった。3〜4ページくらいの短いエッセイが数多く載っているのだが、読むに
  値しない内容も多く、本を分厚くするために内容を薄めて膨張させたように感じてしまった。中には
  非常に的確な指摘もあっただけに残念な本だった。これは、著者の責任であると同時に出版社の
  編集者にも問題があるのだろう。
  ・(以前話題になった白装束グループに関連して)「とにかく自分たちのところに一歩でも来てしまうと
   困るの一点張りなのだ。これは逆に読み直すと、自分たちのところ以外の場所ならば、どこへ行っ
   てくれてもかまわないという論理だ。」
  ・傷痍軍人は、敗戦後、日本人でなくなった障害の残った元日本兵が、自分たちの状況を社会に
   理解してもらおうとして生まれたもの。
  ・狂牛病は牛に羊の脳味噌を食べさせたことから起こっている。しかし、草食動物である牛に、羊の
   脳味噌を餌として与えるというのは自然の摂理に反する行為を強要したことになる


(7) ○暴力の哲学 (酒井隆史) :2005.2.26
  戦車でパレスチナ人をひき殺す強力なイスラエル軍の暴力と、パレスチナ人の子どもが握りしめた
  石を戦車に投げつける暴力、あるいは手榴弾を身体に巻いて警察の前で自爆する暴力が、同じ暴力
  という言葉で語られてしまう「暴力の圧倒的な非対称性」の中に、ぼくたちはいる。そして、暴力は
  いけないという漠然とした「正しい」モラルこそが、暴力の容認と暴力の圧倒的な非対称性への無
  感覚を肥大化させている動力だ、と筆者は書いている。そして、キング牧師、マルコムX、ファノン、
  ガンディー等のさまざまな人の行動・思想に触れながら、暴力をめぐる議論を進めており、多くのこと
  を考えさせてくれる本だと思う。十分には理解できていないが、時々見直す価値のある本として二重
  丸の評価とした。
  ・キング牧師の非暴力直接行動は、潜在的に潜伏させられている敵対性を暴露する手段。
   (例えば、労働条件が悪化しても何も起こらない日本の状況と対比して考えてみると、わかりやすい)
  ・マルコムXは、黒人の自己憎悪こそが、ブラックコミュニティの無力の原因で抑圧者に隷属させる
   源泉と考え、憎悪を怒りに変えた。
  ・憎しみは特定の人間や集団に向かいがちで、怒りは憎しみを生み出す条件に向かう生産性を持つ。
   (アメリカと日本は死刑制度を持つ数少ない先進国であることを指摘)
  ・ファノンは、闘争は暴力的でなければならなかったという。それは、武装闘争を経ない独立では、
   植民地政府、傀儡政府のもとでのエリートと独立後のエリートの連続性が維持されてしまい、社会は
   本質的には変わらないから。
  ・奴隷たちは慎ましさこそ理想であるとのルールを作ってしまい、貴族たちの快活で自由な振る舞いを
   望むべきものでないようにした。そこに道徳やキリスト教の卑しい由来があると二ーチェは批判した。
  ・圧倒的な強者に属する者が、弱者に属する側によって圧倒的な力で包囲されているかのように恐怖
   する、という心理。(アメリカの人種差別や、日本でのホームレスに対する恐怖心)
  ・何度やっても失敗するテロリズムとの戦争によって、アメリカは「統治形態としての恐怖」を一つの戦
   略的要素として活用できる。(権力は失敗して成功する、という言葉があるらしい)
  ・郷土を防御的土着的に護るというパルチザン(相対的敵対関係)と、世界攻撃的革命的に活動する
   パルチザン(絶対的敵対関係)
  ・非暴力社会とは、たんに暴力がない状態ではなく、非暴力状態をみずからで具現すること。たんなる
   暴力がない状態というのは、僕たちの無力と引き換えに、国家による暴力と支配を独占させる状態と
   共存することになる。(ホッブスのリヴァイアサンを思い出すといい)


(6) ○ポストコロニアリズム (本橋哲也) :2005.2.19
  最近、植民地主義に関心を持っていて、今後の世界を考えるうえで非常に重要になってくる
  テーマだと考えている。そう考えている時に、本題の岩波新書が発行されたのでさっそく読んで
  みた。
  ファノンやスピヴァクの紹介は私にとって役立つものだったが、特に前半部に関して少し捉える
  べき視点が違うのではないかと思った。例えば本書の序には次のように書かれている。
  『植民地主義と戦争暴力による被害と加害の溝、それを埋めることはどのようにして可能なの
  だろうか。そもそもこの圧倒的な力の差による溝を「埋める」ことなどできるのか。敵と味方に、
  支配者と被支配者に、生者と死者に引き裂かれた者たちが、つまり、いったん同じ人間として
  出会いそこねてしまった者たちが、その後の何十年、あるいは何百年にわたる暴力と搾取の
  年月を経て、ふたたび人間として出会う道はあるのか。』
  支配者と被支配者を同等の位置に並べ再び出会う道を探るという考え方は理解できるのだが
  それは支配者側の論理ではないのだろうか。被支配者側は、そのように考えるだろうか。
  被支配者側の論理はもっと激しいと同時に、現実的な補償を求めるものではないだろうか。
  このテーマについて先進国の立場は整合が取れているわけではなく、自国の都合で立場を使
  い分けているようだ。
  このことを強く批判した言葉が、季刊「前夜」第2号の冒頭に菊地恵介氏から紹介されている。
  ユネスコ主催の国際人道法のシンポジウムに参加するために乗っている列車に、同じシンポジ
  ウムで報告する黒人女性が乗ってきて話をする。その中で彼女が次のように言う。「旧日本軍の
  国際法違反を訴えるあなたの報告は、おそらく明日の会議で歓迎されるでしょう。しかし次に私た
  ちが奴隷制に対する補償をもとめて壇上にあがると、彼らは牙をむいて反撃してくるに違いないわ」
  他の国も植民地主義を取っていたから、日本も植民地主義を取っただけだという理屈では、被支
  配者側には全く通用しないのだ。
  
  
(5) ○茶色の朝 (フランク・パヴロフ) :2005.2.3

  先日読んだ「平和と平等をあきらめるな」で内容を紹介しており、他にもこの本について触れて
  いる記事をどこかで読み、読んでおくべき本だろうと思って読んでみた。
  最初、茶色以外の猫を飼うことが禁止される。次に茶色以外の犬を飼うことが禁止される。人々
  はすっきりしないものを感じながらも自分の猫や犬を処分し、まあ茶色の猫や犬もいいものだと
  自分を納得させ、自分の生活の快適さを前にしてそのままの生活を続けている。その次に批判
  的な新聞が発禁になり、茶色新報という名の新聞だけが残っていく。そのうちに友人が過去に
  茶色以外の犬を飼っていたということで逮捕される。そして今までのことを後悔している朝に、自
  分の家のドアを誰かがたたいている、というところで話は終わる。
  日本でも、イラク戦争反対のビラを防衛庁官舎に配っていて逮捕され75日間も拘留されたり、共
  産党のビラをマンションに配って逮捕されたりという事件が起こっているが、国民の反応はすこぶる
  鈍い。もちろん私も例外ではない。先日講演で聞いたシェーンベルグの言葉 「誰も見ない薄暗い
  路地の小さな告示板に自分の良心を掲げていたところで何になるのか。」を再度思い出した。
  本書の寓話のレベルはジョージ・オーウェルの「動物農場」には到底及ぶべくもないが、多くの人が
  共有しておくべき内容だと思う。 
  (なお本書の価格は1000円だけど、1時間もかからずに解説も含めて読むことができる。)


(4) ○憲法九条、いまこそ旬 (井上ひさし他) :2005.1.29
  昨年6月に、井上ひさし、大江健三郎、小田実など9名が「九条の会」を発足させた。本書は
  7月に行われた「九条の会発足記念講演会」の9人の講演記録をベースに編集されており、
  各人がポイントを絞って話をしているので、わかりやすい。この中の井上ひさし、小田実、澤地
  久枝の3氏については、昨年9月に大阪での講演会を聴きに行ったので、私にとっては、その
  時に学んだことを補充することになった(「九条の会」講演会参照)。
  @井上ひさし :憲法は国民が政府に対して発している命令であり、法律は政府が国民に対し
            て発する命令だ。そして常に憲法が法律に優越する。
  A梅原猛   :平和憲法には新しい人類の理想が盛られているので守っていこう。
  B大江健三郎:憲法と教育基本法の中の「希求する」という言葉には、さまざまな戦禍を経た後
            新しい国家の民主主義と平和主義の秩序を作り上げることを願っていた思いが
            表れている。
  C奥平康弘  :平和主義を戦力の不保持と交戦権の否認という制度化した形で宣言したところに
            日本国憲法の持っている意味がある。
  D小田実   :アメリカの民主主義と自由は平和主義との結合を持たないが、我々は民主主義と
            平和主義を結合させた。これによって日本独自の民主主義が出来上がった。
  E加藤周一  :将来第九条がなくなったらどうなるだろうと考えてみることが大切
  F澤地久枝  :憲法の理念に反することに異議を唱えると、冷笑されるような雰囲気があり、不幸
            なところまで来てしまっているが、絶望するには早すぎる。
  G鶴見俊輔  :軍艦に乗っている時、隣の部屋の軍属が捕虜を殺す役割が与えられた。命令が
            自分に下ったら殺していたかもしれない。戦後何年もかかって達した結論は、「私
            は殺した、だが、殺すことはよくない」と一息で言える人間になりたいということ。
  H三木睦子  :自衛隊は災害から守るために動かしたい。武器を持って海外に行かないですむ
            ようにしたい。


(3) △平和と平等をあきらめない (高橋哲哉・斎藤貴男) :2005.1.21
  昨年から、平和主義には平等という考え方が必要と考えるようになった。それは、イラクの
  様子を見ると、イスラム社会の人間は爆撃されても仕方のない人間だという漠然たる意識
  が私たちにあり、日本の人々の命が大切であるならイラクの人々の命も大切なはずだという
  基本的な考えが薄れているように感じるからだ。そのように感じているところに、この題名の
  本があったので、1回本屋で見送った後、2回目に見たときに購入した。
  内容はいろいろ示唆するところはあるけれど、考えの違う人を説得できるレベルにはなって
  いない。それは、この本が全編対談から成り、すぐに理解できる言葉だけで話しているために
  さらっと読めてしまい、考えが深まっていかないことが理由に挙げられると思う。
  本としてはあまり評価できないが重要な点を含んでいることも確かなので、文中から重要な
  点を以下に少し引用する。
  ・ラッセルの言葉: 「自分とまったく同じ他人を殺傷することは文明人にとってやりきれない
   ものであるため、同じであるということを否定して、傷つけたい相手の側を邪悪なものと決
   めつけるのだ。」
  ・大学の価値観が企業に呑みこまれてしまった。
  ・日本国内で日本の軍国主義に抵抗した人たちを公の場で評価し、讃えたことがあるでしょ
   うか。
  ・フランク・パヴロフの「茶色の朝」(大月書店、2003年)


(2) ○中学生からの作文技術 (本多勝一) :2005.1.9
  文章を書く基本的な訓練ができていないので、どこか良くないことはわかっても具体的に
 直すことができず、そのままにしてしまっていることがよくある。少しでも原則を身に付け、
 わかりやすい文章を書きたいと思い、この本を読んでみた。
  ポイントが数点に絞られていて、僕にとって非常に役立つとともに考えさせられる内容を
 含んでいた。特にテンの打ち方を3つに限定しているところを今後活かしたいと思った。
 その3つとは、「長いかかる言葉が2つ以上あるとき」と「語順が逆順のとき」、「筆者の
 考えをテンに託すとき」である。また、漢字も習ったものは出来るだけ使うのが当然だと
 思っていたのに、読みやすさを考えてカナか漢字かを使い分けると書かれていて、大事
 なのは読みやすさだというあたりまえの事を学んだ。


(1) ○「国家と戦争」異説 (太田昌国) :2005.1.1
  一昨年に、太田昌国氏が書いた「拉致異論」という本を読み、現在の状況に対する見方や
 違和感に共感し、昨年は、彼の講演会も聴きに行った(講演会概要)。
  著者が新しい本を昨年7月に出し、直ぐに買ったのだが、なかなか一気に読むことができず、
 だらだらと読んでいると年を越してしまった。一気に読むことができなかった理由には、
 この本が他のところに発表した比較的短い文章を集めた構成になっているため、断片的に
 感じられたこともある。けれど一番の理由は、書いてあることはそれなりに共感できるのだが、
 世の中が望んでいる方向と違う方向に進んでいることが強く感じられ、読むことが少し
 虚しく感じたことがあったように思う。おそらく、僕と同じように感じている人々がたくさんいて、
 そのことが今の状況を作り出している大きな原因だろう。
  (以下、2点を、この本から抜粋)
 ・現状追認に陥って、ずるずると言論と行動の軸足をずらすこと−私たちが自戒すべきは、
  その点に尽きる。
 ・(私が考えたかったことというのは)個人なり小集団なりが行う「テロ」行為なるものと、
  国家の名のもとに行う戦争を最頂点とする「テロ」行為とを、いったいどういうふうに区別して、
  あるいは総合して、捉えるのかという問題でした。(中略)
  「テロ」行為・殺人行為を個人なり小集団なりが行った場合には、もうあらかじめ非難の
  言葉が予約されており、逮捕・裁判・服役、場合によっては死刑が待っている。(中略)
  なぜ、個人や小集団には許されないことが、国家であれば許されるのか。

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