「九条の会」講演会(大阪)参加 :2004.10.10
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大江健三郎達9名が立ち上げた「九条の会」が全国数ヶ所で講演をして回っている。
大阪で僕が参加した会では、井上ひさし、小田実、澤地久江の3氏が講演をした。
僕が会場近くに開演30分前に到着した時、かなり長い列ができていて、1500名くらい
入れる会場には入りきれずに、公会堂東側で、そこに設置されたスピーカを通して
講演を聴くことになった。僕と同じように外で聴いていた人は2500名くらいいたらしい。

(日時)9月18日(土)13時〜15時
(場所)中之島公会堂
(参加者) 約4千人

井上ひさし氏は、「憲法は国民が国家に対して出す命令である」、「押し付けられた
憲法というのは間違い」という2点について話をした。後者の根拠として、1929年の
パリ不戦条約をまとめた一人が、幣原喜重郎であり、当時の考え方に日本国憲法の
基本となる共通認識があったことを説明した。
澤地久江氏は、「歴史は勉強して、体験を補っていかないといけない」ことを強調し、
満州事変からの歴史について話をされた。

今回、僕が一番印象に残ったのは、小田実氏の話であったので、これについて
少し詳しく書く。
小田氏は1932年の生まれで、大阪で暮らしていた。大阪には大きな空襲が
3回あり、全てを経験した。その3回は1945年3月、6月、8月であり、最後の
8月は、終戦前日の14日だった。この8月14日の空襲に小田氏はこだわっている。
広島、長崎に原爆が投下された後、日本はスイス・スウェーデンを通して、ポツダム
宣言受諾の用意ありということを連合国に伝えた。その結果、8月12日、13日は
空襲がストップした。
米国の当時の新聞を見ると、8月11日には戦争終結と、天皇は残すことになりそうだと
書かれている。そして、翌12日には天皇は残すことに決まったと書かれている。
それにも関わらず、正式なポツダム宣言受け入れがなされないため、軍事的圧力を
加えるため、最後の空襲を大阪に加えた。この時、B29 600機が参加した。
この空襲により、多くの人が命を落とした。では、この人たちは何のために死んだのか。

小田氏のこの問いかけは非常に重要だ。このような事態を招いたのは、日本政府が
国民を守ろうとする意思を持っていなかったためでもあるし、米国が敵国の民衆の
命など何とも思っていなかったこともある。
そして、この事態は、イラクでも、アフガニスタンでも起こっているのではないか。
国民を守ろうとせず隠れていたフセイン大統領、イラク人の命を何とも思わない
ブッシュ大統領。イラクで死んでいる民衆はいったい何のために死んでいるのか。
米国側に付くのか、フセイン側に付くのか、というような単純な2元論ではない視点が
ここにはある。どちらをも批判するこの立場こそ、日本人が想像力を働かせて主張すべき
ものだと思う。