太田昌国講演会「拉致異論」 :2004.2.29
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 昨年読んだ本の中で一番良かった本が太田昌国氏の「拉致異論」だった。
 2月前半に、インターネットで偶然太田氏の講演会があることを知り、参加した。

《日時》 2月28日(日)15:30〜18:00(講演会)
             +19:00〜21:00(交流会)
《場所》 京都市左京区 法然院 /(交流会の場所?)
《参加者数》 約70名 

【講演会】
 開始15分前に着くつもりでいたが、渋滞でバスが遅れ、開始時間から20分
 経過した時刻からの参加となってしまった。
 講演内容のサブタイトルは、「歴史の中で拉致を捉える」となっており、周辺国との
 歴史的関係を中心に話をされた。

 ・ロシア
   ロシア革命時の日本のシベリア出兵を振り返る必要がある。
   (これは私も同意見です。)
 ・アメリカ
   ペリー来航から150年経過した。ペリー来航は砲艦外交の一環であり、
   当時から、アメリカにはこのような面があった。(当時、スペインから、テキサス等を
   奪っていた。)
 ・中国
   日本軍が残した毒ガスが、昨年問題になった。国家レベルでは1972年に
   話し合いが済んでいるが、個人レベルでは問題は継続している。
   靖国参拝問題もその一例。
 ・韓国
   1965年の条約で国家間での決着はついているが、当時の東西冷戦構造の
   なかで、謝罪もなかった。その後のソ連解体後、個人からの戦後補償請求が
   一気に増えた。
 ・北朝鮮
   1910年日韓併合以降植民地となったが、その前から介入を徐々に介入を
   強めていったので、実は約140年間くらい不正常な関係が続いている。
 ・悲劇を孤立させるのではなく、歴史的関係の中で位置付けることが大切。特に
  当事者でない人は、客観的に捉えることが重要。
  にもかかわらず、拉致の問題で、日本全体が被害者のようにふるまっている。
 ・オウム真理教のサリン事件は裁判で裁かれるが、日本軍が残した毒ガス
  (昨年被害が出た)のように、国家の名のもとで行われると裁かれていない。

【交流会】
 太田氏を囲む交流会があり、これにも参加した。18名参加していて、私は21時に
 帰宅したが、そこから2次会となったようで、2次会から参加した人もいたらしい。
 また、在日朝鮮人二世の方が参加されていて、話を聞く機会を初めて得た。

 私はこれまで国家を意識することなく生きてきた。しかし、今なお、国家を意識
 せざるをえない人々がいて、国内でも在日の方々がやはりそういう立場にあるのだろう。
 日本人が拉致の問題を口にする時、どこかで歴史を意識し、植民地にしていた責任を
 忘れてはいけないし、北朝鮮に住む民衆を無視した強硬論は慎むべきだと思う。
 北朝鮮国家ができたのは、戦後、朝鮮半島の分割統治の結果であり、その責任は
 当然日本にもある。それに、日本も同じように分裂させられる可能性があったことも
 忘れてはいけないことだろう。