湯田中温泉・よろづや (長野県)
所在地 : 下高井郡山ノ内町
温泉名 : (湯田中・渋温泉郷)湯田中温泉
施設名 : よろづや   (宿泊日:2005.7.6)
沢渡温泉から湯田中温泉へ
東京の実家から奈良へ帰る途中、かねてから泊まってみたかった「湯田中温泉・よろづや」に向けて練馬から関越自動車道に乗って出発した。途中、渋川・伊香保ICで降り、国道353号線に乗り換えて沢渡温泉に向かった。
沢渡温泉は、群馬県にあり、草津温泉の上がり湯と呼ばれる旅館10数軒の小さな温泉地。源泉掛け流しの共同浴場で入浴。
日光から上田に通じる「日本ロマンティック街道を通って草津温泉へ。
日本でも有数の山岳道路道路・志賀草津道路(国道292号線)で志賀高原へ。
途中、活火山の白根山(標高2,160m)の麓の弓池園地で高山植物を愛でる。白根山の頂上、コバルトブルーの水が溜まったお釜までは徒歩15分。
渋峠(右の写真)を越えて志賀高原へ。
いかにも志賀高原らしい風景。湯田中温泉までもう少し。
渋峠(標高2,172m)の愛犬アル。
国道の峠としては最も高い。因みに2番目は麦草峠、3番目は金精峠。
渋湯田中温泉郷遠望。手前が渋温泉、前方が湯田中温泉。
住 所 長野県下高井郡山ノ内町湯田中温泉
電 話 0269−33−2111
交通機関 上信越自動車道信州中野ICから約12km
J長野電鉄湯田中駅から徒歩6分
施 設(日帰り) ロビー、湯上り処、喫茶・軽食(アネックスで)、売店、駐車場(70台)
宿 泊 本館と登録有形文化財の松籟荘で38室(アネックスを除く)
宿泊料金:2名1室で‘15,900円〜(料金は年度・特定期間・曜日・宿泊人数・部屋によって大きく変動するので、下記よろづやHP参照のこと)
泉 質 ナトリウム-塩化物硫酸塩泉 源泉温度93℃ 湧出量253リットル/分
無色透明でさらりとした温泉
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間 14時〜17時(要予約)
定休日 無休
入浴料金 大人1,000円
入浴施設 女性が桃山風呂、男性が東雲風呂
浴室備品 シャンプー、ボデイシャンプー、ヘアドライヤー、ロッカー
観光スポット 志賀高原・奥志賀高原・小布施(北斎館・岩松院、中山晋平記念館など)・白根山(お釜)
地元:一茶・井泉水記念俳句資料館湯薫亭

善光寺、妙高高原、黒姫高原、戸隠高原
お土産・食事 旅館街に多数店舗あり。
近くの温泉 渋・新湯田中・安代・角間・穂波・上林・星川・地獄谷温泉
信州高山温泉郷、志賀高原の温泉、仙仁温泉、須坂温泉
山ノ内町HP
志賀高原観光協会HP
湯田中温泉旅館組合HP
よろづやHP
http://www.town.yamanouchi.nagano.jp/
http://www.shigakogen.gr.jp/
http://www.avis.ne.jp/~yudanaka/
http://www.avis.ne.jp/%7Eyorozuya/index2.html
雑記帳 大きな温泉地を避け、秘湯・素朴な一軒やどの温泉に憧れるが、年令を考えてとりあえず有名温泉地は制覇しておきたいという思いがどうしても強くなってしまう。
しかし、今回の「よろづや」は、、湯田中・渋温泉郷という大温泉地でも、老舗旅館の良さは格別なものということを体験した。
山ノ内町は長野県の北東部に位置し、上信越高原国立公園の中心にある。
西は高社山(1,351m)を境に中野市に接し、北は木島平村に接し、南に笠ケ岳(2,076m)を境として上高井郡高山村に接し、東は志賀高原をはさんで群馬県と県境をなしている。
町域の93%が山林原野であり、その内、志賀高原が7割余りを占めている。

志賀高原は日本を代表するスキーリゾートでるとともに、23のトレッキングコースを持つ高原リゾートでもある。
また長野県を代表する温泉地の一つ湯田中・渋温泉郷を持ち、まさに観光で生きる町である。
湯田中・渋温泉郷は志賀高原から流れ出る横湯川・夜間瀬川に沿って湯煙をあげる渋・新湯田中・湯田中・安代・角間・穂波・上林・星川・地獄谷の9つの温泉の総称である。

それぞれ特色があり、
・湯田中温泉・・草津街道の宿場町として栄え、松代藩の藩湯でもあった。
・渋温泉・・石畳の小道に9つの湯が点在する。
・角間温泉・・湯治場の雰囲気を今に残す。
・地獄谷温泉・・最深部にあり、猿が入浴するので知られている。

湯田中温泉は、東に志賀高原、南西に戸隠・妙高・黒姫山などの北信五岳を遠望する夜間瀬川右岸の高台にあり、20軒ほどの旅館・ホテルが点在する。

ここは、信州(長野県)と上州(群馬県)を結ぶ草津街道の宿場としてして早くから栄えた温泉場だけに、神社仏閣も多く、また江戸時代創業の旅館が10軒以上ある。
浮沈が激しい旅館業にあっては珍しいことだ。

湯田中温泉は、俳人・小林一茶がたびたび滞在し、多くの句を残したことでも知られる。
これに因んで温泉街には数多くの句碑が置かれていて、私が宿泊した「よろづや」の前には
「座敷から湯に飛び入るやはつ時雨」の句碑があった。

ここは、また江戸時代、農閑期になると近隣の農民たちが湯治に集まるなど庶民の温泉地でもあったようだ・

隣の渋温泉には宿泊客が入浴できる9つの外湯があるが、湯田中温泉の外湯は開放されていない。
しかし、私は幸運にも宿泊した旅館が、隣にある大湯の湯講のメンバーであるため、特に鍵を開けてもらって入浴できたのは望外の喜びだった。
「よろづや」は文化・文政時代の創業で、平成13年に創業200年を迎えた老舗旅館である。隣接する渋温泉の「歴史の宿金具屋」と並んで、消えつつある日本の伝統建築技術を駆使した旅館として人気があり、シルーバーエイジ向けにこの2つの旅館に宿泊するプランも売り出されている。

到着したのは午後4時過ぎ、目の前に聳える鉄筋8階建てのややクラシックなよろづや本館の建物を見て、一瞬、旅館選択を間違えたかなと思った。
私の旅館選択の基準の一つが、室数20室前後の小規模和風旅館だからだ。
しかし、玄関から中に入って驚いた。吹き抜けのロビーは2層になっていて、1階がフロント、2階がラウンジになっている。壁一面が障子、天井が数え切れない木材を格子状に組んだ見事なものだった(折り上げ格天井というらしい)。これが昭和40年代に建築されたとは信じがたい和風モダンな造りだ。
よろづやは、この本館と松籟荘、アネックスの3棟から構成され、部屋数は全部で78室だ。、
この内、道を挟んだ反対側にあるアネックスは低料金で宿泊でき、本館とは地下道で結ばれ、本館の名物風呂にも入浴できる。
松籟荘は、1939年に誕生した木造純和風・数寄屋造りの建物で、料金が最も高い。これに本館と合わせて部屋数は34室となる。
松籟荘は、去る2003年9月19日に、後述するここの桃山風呂とともに国登録有形文化財に指定された。
私たちが宿泊したのはこの松籟荘の中で最も安い部屋(@19.050円税込み)であったが、部屋は8畳、これに3畳ほどの踏み込みと広縁付きで、よく観察すると床の間、引き戸、欄間などに手の込んだ細工がなされ、ここの歴史を感じさせる造りだった。、
松籟荘に宿泊したためだろうか、浴衣が各人2枚ずつ用意されていた。
翌朝、戦時中に歌舞伎の15世市村羽左衛門が疎開していた「菊之間」を見学させてもらったが、今では滅多に見られない精緻な細工が施された書院造の部屋だった。
この松籟荘は本館とは廊下で繋がっていて、高級木材を使用した専用の内玄関やよく磨かれた趣ある廊下を渡るので、なるほど歴史ある老舗旅館であることが実感できる。
桃山風の2階ラウンジ
松籟荘の内玄関
松籟荘の廊下
宿泊した部屋
夕食は部屋食・食事処があるが、当日は部屋だった。
料理は、熱いものは熱く、冷たいものは冷たく一品づつサーブされる。山国の旅館らしく、地元の食材を使った素朴だが心のこもったものが出された。
料理を乗せている容器が、土の香りがする肉厚のものが多く、老舗の風格を感じさせた。
しかし、これを運ぶ仲居さんには、かなりの重量となり同情を覚えた。
 食 事
 風 呂
「よろづや」にはそれぞれ露天風呂が付属する2つの浴場がある。「桃山風呂」と「東雲(しののめ)風呂」である。

この内、全国的にも珍しい純木造伽藍建築で、桃山風呂と名づけられた荘厳な大浴場は、先述の通り2003年9月、国登録有形文化財に指定された。
宿のHPによると、ここは「日本の大浴場ベスト10」に選ばれたとある。
どこが選考したのか不明だが、いずれの評価付け付けでも、間違いなくランクインするだろう。

桃山風呂

桃山風呂は、戦後からいくらも経たない昭和28年(1953年)、当時の館主が所有していた文化財を売却してまで得た資金により建設したものだ。

伽藍建築と言われるように、建物の外観から脱衣所・浴室に至るまで
太い柱や梁がふんだんに使われ、寺院そのものの雰囲気だ。

まず脱衣所に入って驚かされる。
広く高い荘厳な空間に、太い柱と梁が縦横に組まれ、見事な欄間が掛けられている。木材で組んだ無骨な脱衣棚も見事だ。、驚いたことに、あちらこちらに寺院で見かける千社札が貼られている。ここを寺の内部と見なして宗教的な畏敬を感じたためだろうか。


浴場に入るための扉がまたすごい。これまた太い柱と梁の間に重々しい木製の2間扉が組み込まれている。ガラス張りだが、豪商の門構えのようだ。

浴室中に入ると、まるで東大寺の回廊のような木枠の窓に囲まれ、左側には大野天風呂(旅館側の呼称)に通じる3本柱の出入口がある。

無骨な石材の床を踏んで、楕円形、大きなタイル張りの風呂に入る。
芒硝泉(ナトリウム-塩化物硫酸塩泉の湯は無色透明、肌に優しくサラサラしている。源泉温度が93℃なので、どのようにして温度を下げているのだろうか。

浸かりながら首を回して周囲をゆっくり見回すと、あらためて寺院の中で入浴している気分になる。
桃山風呂には、これまたクラシックな蒸し風呂が設けられているので、サウナ派は、日本古来の入浴方法で汗を流すことができる。

桃山風呂は,もう一つある東雲風呂と男女交代制で、
女性は14時〜21時30分
男性は22時〜9時30分
となっている。

見事な欄間と千社札が貼られた脱衣所。
前菜:笹寿し・鯉花揚
吸物:冷とろろ汁
造り:(幻の魚)イトウ・紅ます花作り・岩茸/茗荷
鉢肴:岩魚酒塩焼き(
熱いままで出される)
お凌ぎ:信州手打ちそば汁張
台の物:牛焼き・火野菜
なす田楽
朝食
大野天風呂
露天風呂には風呂の大小の他に、眺望がよかったり、磯辺にあったり、渓流沿いにあったり、さまざまなタイプがある。
大野天風呂と名づけられたここの露天風呂は「庭園露天風呂」と名づければピッタリだろう。

湯気が目立たない夏に、この露天風呂を先入観の無い人に見せたら、10人中8人は「(随分金をかけた)見事な庭ですね!」と言うのではないか。
現物でなく、ここの写真を見せたら10人中10人が夢にも露天風呂と思わないだろう。
現に、自分もガイドブックで初めてこの風呂を見たとき、大きな石を配置した見事な庭園があるな、と思った。
多分、この風呂は、昔から庭園に取り入れられている「心の字の池」をコンセプトに造られたのではないだろうか。一度に50人は入れるだろう大きくて複雑な造形の風呂の周囲には、建設当時の技術でどうして運んだのだろうかと思うたくさんの巨岩、高さ11mの五重塔や灯篭などが配置されている。
風呂の一番奥まで行って正面を向くと、桃山時代の建築様式である向唐破風(多分)の寺院が見える、いや桃山風呂の大きな浴舎が見える。
あくまでも推測だが、この浴舎には他にも桃山建築様式が取り入れられているのではないか。風呂の名前がこれで納得できる。
この露天風呂の湯は、源泉が75%・地下水が25%の混合湯との表示があった。
東雲風呂
東雲風呂の大浴場。床・2槽の風呂はすべて石材で造られており、ゆうに30人がゆったり入れる大きさ。湯が惜しげもなく流れ出ている。
中規模の岩風呂、奥にかなり年季の入った円形の檜風呂があり、落ち着けてとても気持ちいい。
男性は14時〜21時30分 女性は22時〜9時30分
データは変更されている可能性もあります。お出かけ前にご確認ください。
国登録有形文化財の数寄屋造りの離れ・大浴場・桃山風呂を持つ「よろづや」に宿泊した。
平日・2人1室(松籟荘)@19,050円
浴室への入口
奥から入口を見る。
向かって左側、大野天風呂への出入り口。
正面の木造の窓。
桃山時代様式の唐破風の浴舎
この湯口がなければ池にしか見えない。
風呂は奥まで伸び、その右手は洞窟風呂の趣。
宿泊料金の@19,050円は私にとっては贅沢の部類だったが、これをはるかに上回る満足感が得られた。
温泉街風景
大湯