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2002年9月の戯言
  忘れてしまったものを思い出すのにどれくらいの時間が必要なのだろうか。思い出す為には何をするのが最適なのか。じっと待つことには少しだけ飽きたのかも知れない。ということでとりあえずの始まりです。(2002.09.01)
2002年10月の戯言
  無意味に言葉を重ねることは、それなりに面白く、かつ退屈だったりする。そしてそれ以上に、その無意味さの虜になって行く自分が、何を期待しているのかを考えることが面白かったりする。(2002.10.01)
2002年11月の戯言
  はじめる才能と続ける才能。ある知人は僕にそう語ったが、今僕は終わらせる勇気の必要性を感じたりする。別に終わりが無いことに苛立ちを感じているわけでもないし、今すぐ終わらせたい何かがあるわけでもない。ただいつの間にか、必要以上に続けることや蓄えることに意味を見出そうとしていたような気がするだけ。(2002.11.01)
2002年12月の戯言
  気が付けばまた一年が終わろうとしている。もちろん気が付かなくても勝手に終わっていくのだが、12月になると気づいてしまい、無意味に一年を振り返ろうとしてしまう。振り向いて、そこにある意味を拾い、投げつける。それが一年の最後。(2002.12.01)
2003年1月の戯言
  平坦な時間の流れは、基本を確認する作業だけで過ぎてしまい、突然、違う時が来る。リセットによって何を何処から始めれるのか。(2003.01.01.)
2003年2月の戯言
  何か新しいことを始めようとする思いは、決して持続しない。温めて温めて結局腐っていくのも楽しいのだが、勢いしかない未完成もいいのかもしれない。どちらを選択するかはそのときの気分だ。(2003.02.01.)
2003年3月の戯言
  少しの刺激が新たな可能性を生むのなら、その偶然を心から支持しよう。自由であれと言う前にすでに自由であるから。(2003.03.01.)
2003年4月の戯言
  とりあえず言ってしまおう。そこから始まる可能性もあるだろうから、先ずは語ろう。何かが後からついてくることを期待しよう。(2003.04.01.)
2003年5月の戯言
  波の中に漂う。漂いつづけて行くところがなくなって、そろそろだと思って。おそらく愛のために生きて。(2003.05.03.)
2003年6月の戯言
  希望・願望。つぶやくことでなく、前に進むこと。整理すること以上に、歩きつづけること。(2003.06.02)
2003年7月の戯言
  人が出会う。別に出会いを求めたわけでもないのに。流されて巻き込まれて、再びここで美味しく酒を飲めれば幸せだ。(2003.07.01)
2003年8月の戯言
  あの頃のように走ろうという人、重たい身体。いや、今でも走りつづけているさ。走ることは可能だ。スピードじゃないから。(2003.08.03)
2003年9月の戯言
  積もった塵は掃いて捨てられないのだろうか。山に積もったものは、風で飛ばされはしないのだろうか。そこにあるものが、少なくとも今の自分。(2003.09.04)
2003年10月の戯言
  どこまでも怠惰であることに疲れた筈なのに、それでも怠惰は逃れなれない。原動力は何処に行けばみつかるのか未だに不明だ。(2003.10.08)
2003年11月の戯言
  人に求められたことに答えるまで、どれくらいの時間が必要だろうか。不可能なことではないことを、形にするまでの時間。その時間を言葉で埋め尽くせばいいのではと思う。(2003.11.02)
2003年12月の戯言
  熱にうなされながら、過ごすことが心地よかったりする。立ち上がることもイヤなぐらいにしんどい筈なのに、その瞬間を楽しむ。(2003.12.06)
2004年1月の戯言
  嫌になるほどきかされた言葉はどのように変化して発せられるのか。頑張るしかないらしい。少しだけ不思議な気がする。(2004.01.08)
2004年2月の戯言
  身近なことを見つめたいと思いながらも、いつも見落とすものがある。だから遠くを見て、また近くを見て。そしてもっとみるために新たなことが必要だ。(2004.02.04)
2004年3月の戯言
  言葉の無力さを感じる時は、敢えて、言葉を語りつづけたいと思う。(2004.03.08)
2004年4月の戯言
  たわごとがたわごとである間はまだいいような気がする。この言葉を語ることが出来なくなれば、あるいはこの言葉しか語ることしか出来なくなれば、すべてが変わってしまうのだろう。(2004.04.08)
2004年5月の戯言
  何かが変わる瞬間がどこにあるかを見極めるのは難しい。所詮、それは後からの理解。今、何が変わったと思うのは誤解かも知れない。後から確認をすればいいだけのことだ。(2004.05.05)
2004年6月の戯言
  おそらくどん底だ。身を静に鎮め、何かを待つ。もう少しだといいのだが。(2004.06.04)
2004年7月の戯言
  忙しいのは気のせいだ。たいして忙しくないから忙しいと思うのだ。あぁ、忙しい。なんだかんだと忙しい。(2004.07.08)
2004年8月の戯言
  どんどんと忘れていくことに不安を感じ、同時に先が見えなくなっていく。目はよくて体力もある筈だ。身体が不調なのだろうか。(2004.08.08)
2004年9月の戯言
  節目は少し太くなっているものだが、よくよく考えると、節目が切のいい長さである必要もない。それでも節目がないと、脆いのだろう。じゃぁ、気が向いたときに節目を作ろう。(2004.09.10)
2004年10月の戯言
  悲しくはないけれど、淋しかったりする。何かが存在しないということが。日常なのだろうか。それすらも判らないこともあるのだろう。(2004.10.09)
2004年11月の戯言
  何かに一歩踏み出したところで何も変わらない自分がいる。グラデーション。気がつげはいつもここにいたというのがパターンだ。(2004.11.10)
2004年12月の戯言
  部屋の整理をすれば、積み残されたものが顕在化する。年末はまでにどれだけ消費できるのだろうか。そしてまた次の年。(2004.12.08)
2005年1月の戯言
  今年は旧でと思い込みながらやり残したことをするのもいいだろう。こじつけは嫌いではない。(2005.01.07)
2005年2月の戯言
  ほんの少しの違いが大きく膨れ上がり、どうも思い通りにいかない。一からやり直すものなんなのでとりあえずできることを探す怠惰さ。(2005.02.10)
2005年3月の戯言
  突然何かが変わることがあるのだろうか。ふと変わるような気がして、多分何も変わらないで過ぎるのだろう。気づくのはもっと後というだけ。(2005.03.07)
2005年4月の戯言
  散りゆくサクラを見ていると、やはり散る必要があるのだなぁと思ってしまう。何のために散るのかはまだまだわからないが。(2005.04.08)
2005年5月の戯言
  新しい動きを見つめながら、そして何もせずに考え込んでしまう。いつものことだが、タイミングという言葉を知らないのだろう。(2005.05.09)
2005年6月の戯言
  力のある言葉と力のない言葉を考える。なにげない言葉と必死に考えた言葉。そんなところにも力があったのかと思うと、さらに解らなくなる。(2005.06.10)
2005年7月の戯言
  雨の音を聴いて憂鬱になることが、同時に何かの救いになるような気がするのは、何かを偽っているからなのだろう。(2005.07.10)
2005年8月の戯言
  暑さは何かを誤魔化す。でも誤魔化すことでかろうじて支えられるものがあるのだろう。頬を伝う汗は何処となく嫌な感じがする。夏は嫌いじゃない。(2005.08.05)
2005年9月の戯言
  バランスが悪すぎる。まぁ、少々バランスが崩れてもたっていられるならば、問題ないのだが、やはり倒れそうな不安が残る。(2005.09.07)
2005年10月の戯言
  何かが動き始めるとそれに伴って多くのものが変化する。それでも変わらないでいる。あるいは変わることを選択する。どちらも大変そうだ。(2005.10.10)
2005年11月の戯言
  思わずというまでの瞬間に、何を考えているのだろうか。何も考えていない筈はない。考えているのにそれを忘れてあるいは忘れたことにして、つぶやく一言。(2005.11.11)
2005年12月の戯言
  相変わらず世界は変わらないような気がしたから、すこしだけ自分の行動を変えてみた。事実だろうが気のせいだろうが、どちらでもいいが、世界の変化がすこし訪れたような刺激があった。(2005.12.10)
2006年1月の戯言
  誰かに対するメッセージの筈が誰に対するメッセージかわからなくなる。そして何を語りたいのかも。(2006.01.09)
2006年2月の戯言
  途切れたものをつなげるには何が必要なのか。あるいはつなげる必要があるのかとも問うてみる。(2006.02.07)
2006年3月の戯言
  もしも何かの変化があるとしたら、その空間とそこにいる人のせいなのだろう。変化することは決して恐れないから、もう少しここにいたい。(2006.03.06)
2006年4月の戯言
  暖かさとともに舞う光景を眺めると、何かが変わる気がする。暖かいことの意味はその程度。(2006.04.08)
2006年5月の戯言
  積み上げられたものを見ると不安になる場合と楽しくなる場合がある。どちらにしろ何もないときよりは落ち着きがないのは確かだ。(2006.05.07)
2006年6月の戯言
  どんなに冷静に考えているつもりでも、希望にすがりつこうとしている。所詮、論理とはその程度のものだ。(2006.06.01)
2006年7月の戯言
  ただひたすら何かのきっかけを待ち続けて、それでいて身動きが取れなくなる。いや、そんな繰り返しは少し飽きたとつぶやく方が、きっと楽しいだろう。(2006.07.08)
2006年8月の戯言
  暑い夏は日頃より少しだけ忙しく、そして十分な時間もある。でもやはりだらけてしまいそうで、暑いだけの夏になることに少し恐れを感じる。(2006.08.08)
2006年9月の戯言
  どんどんと小さくなって消えていきそうなものをわずかな一点でつなぎとめておく。可能性をほんの少しだけ残すことに何の意味があるのか解らないけど、ただそうしたいと思う瞬間があるのは仕方ない。(2006.09.15)
2006年10月の戯言
  追い詰められて最後の最後で、それでもまだ夢を見ることに飽きないのかと思う。もう限界はそこの筈。まただ。(2006.10.05)
2006年11月の戯言
  とりとめない言葉にとりとめのない返事を返して。この関係を加工されてしまうことを恐れていることに気がつく。(2006.11.05)
2006年12月の戯言
  何気ない冗談が少しずつ本気になっていくのが、少しおかしくて嬉しくて。きっとこの先は何かがあるのだと思える瞬間が幸せだ。(2006.12.08)
2007年1月の戯言
  客席から舞台を見つめるのが好きではあるが、ほんの少し舞台の上に立つことも面白そうだと思うのは、何かが変わったからなのだろうか。情熱の問題だと言い切ることが正当性があるのか少し不安にもなる。(2007.01.07)
2007年2月の戯言
  次の一歩のための我慢をしている間に、いろいろな変化が起こってしまう。変化は変化していくのかり少し気になる。(2007.02.09)
2007年3月の戯言
  人の生き方を見て凄いとだけ思う、そんな生き方に慣れてしまっている自分をほんの少しだけ考えてみた。(2007.03.15)
2007年4月の戯言
  桜を眺めながら思うことは毎年ほんの少しだけ同じ。でも、少しの違いもあることを舞う花びらの中で考えてみる。同じ桜でも違う桜。違う散り際。(2007.04.12)
2007年5月の戯言
  相も変わらず考えるだけの日々が続く。心地いいのやら心地悪いのやら。(2007.05.06)
2007年6月の戯言
  不運が続くことに若干の苛立ちを感じる。その程度の情熱ならば存在するのかと思考の反転。(2007.06.03)
2007年7月の戯言
  不運の連続は序章。突然の物語の展開に、日常が変化して。不可逆な反応が自分自身の変化を強いる。不安。(2007.07.10)
2007年8月の戯言
  不安であることが安定してしまって八方塞がり。無意味に楽観的になることを誰が、間違っていると指摘してくれるのだろうか。(2007.08.04)
2007年9月の戯言
  ものごとの最後を見るのはやはり悲しい。振り返ることしか出来なくて、この先にあるべきことを、考えれないのが、悲しみの一番の原因。(2007.09.14)
2007年10月の戯言
  無駄な時間が過ぎていくことを止めることが出来ないことは、経験則からよく知っているけども、止めたところで何が出来るのかも考えられない愚かさはどうしようもない。(2007.10.03)
2007年11月の戯言
  固まってしまって動けない自分がいる柔らかくするために何処から始めればいいのだろうか。思考だけが回転をする。(2007.11.10)
2007年12月の戯言
  整理が必要だと思いながらもやはり時間だけがたつ。完全に綺麗に整理するなどやっぱりできないだろうけど、もっと走らないとだめなのも事実か。(2007.12.12)
2008年1月の戯言
  あらたな決意が何を生みだすかもわからずにとりあえずひとつを決めてスタート。たぶん強引なスタート。(2008.01.08)
2008年2月の戯言
  降り積もる雪を眺めるのは無駄に楽しい。いつもじゃない自分が何処からか沸き起こってくる感覚が、その白さに映し出されるようなおもい。(2008.02.13)
2008年3月の戯言
  封印していたものは少しだけ出してみると何が変わるのだろうか。目に見えない変化があるのかも知れないが、今のところはなんとも言えない。そんなものだろう。(2008.03.03)
2008年4月の戯言
  春は心地よすぎる。それがいいことか悪いことかは誰が判断できるのだろうか。(2008.04.13)
2008年5月の戯言
  ひとつの言葉に縛られてしまって何もできなくなることの不幸。あるいは幸福。(2008.05.06)
2008年6月の戯言
  定期的に巡り来るものに対して、どうあるべきなのかとふと思ってはみるものの、何も変わらない現実が楽しみなのだろう。(2008.06.01)
2008年7月の戯言
  祭りのあとは、当たり前のように淋しさと疲れ。それもまた当たり前の日常でしかない。(2008.07.02)
2008年8月の戯言
  ふと語り合える場がどれだけあるだろうかと思う。あの頃ああして語り合い続けたように、いま、語り合うことを誰が許してくれるのだろうか。(2008.08.09)
2008年9月の戯言
  曖昧な感じで物事が進んでいき、どうしたらいいのかわからなくなる。何を求められているのか。そもそも期待に答えるべきなのかすら、よく判らない。(2008.09.10)
2008年10月の戯言
  ふとしゃがみこんで見て、見上げたら何かが違っていた。何かとしか言えなかったのが、自分の衰えであるような気がして、そのまま時間が流れていった。(2008.10.15)
2008年11月の戯言
  気が付けば、今年も残された時間があまりなくってしまって、せめてあと2ヶ月、何が出来るのだろうかと考えることしかできない。(2008.11.03)
2008年12月の戯言
  仕事が山積みになっていくのを見ていると、楽しくなるのは明らかな間違い。まぁ、年末とはそういったものなのだろうと、やはり諦める。(2008.12.06)
2009年1月の戯言
  多分、もう一つ何か必要なのだ。慌てずにそのもう一つが見つかればいいなと暢気にスタート。(2009.01.08)
2009年2月の戯言
 一つと最初に語ってその一つがわからなかったので、それを知りたいと語った。果たして何が変わるのか。その次は何かを行う必要があるのかも知れない。(2009.02.11)
2009年3月の戯言
  もうギリギリだと思いながら、いつものようになかなか動けないでいる。結局、極限が好きというだけなんだろう。(2009.03.05)
2009年4月の戯言
  不安定な日々。さて、何をすればいいのかと立ち止まってしまう。考えることしかはじめれないのは、相変わらずだ。(2009.04.04)
2009年5月の戯言
  あっさりとすべてが終わり、バタバタとする。立ち止まって少し考えたころには、あぁとため息をつくことしかできない。(2009.05.07)
2009年6月の戯言
  何もする気のないときに、最低限することの線引きを何処に設けるべきなのか。無駄なことが頭を巡る。(2009.06.10)
2009年7月の戯言
  困ってばかりいるわけではないが、困ったものだとやはり思ってします。先のほうを見ながら、堂々巡りをする。(2009.07.10)
2009年8月の戯言
  何処に行けば何が変わるのか。何処まで行けばいいのだろうか。あるいは、場所は問題でないのだろうか。(2009.08.08)
2009年9月の戯言
  場所が変われば、少しは変化がある。少しの変化を大切にして、さらに前に進んでみようかと思ってみる。(2009.09.08)
2009年10月の戯言
  少しずつ変化しているような気がするのは気のせい。でも気のせいが大切なのだろう。わからないけど。(2009.10.10)
2009年11月の戯言
  何処まで走り続けれるのだろうかと思う。あるいは、走り続けるには何が必要なのか。とりあえず、考えることしか出来ないので、考えようと思う。(2009.11.08)
2009年12月の戯言
  少し大きな変化に向かってバタバタとして、どうでもいいことが気にかかる。何とかなるさと思うしかないのだろう。(2009.12.05)
2010年1月の戯言
  どうなるんだろうと不安に思ってもなにも始まらないから、とりあえず、足を前に出す。それしかとりあえずすることがないのが、少しもどかしかったりする。(2010.01.09)
2010年2月の戯言
  予想が当たらないことはよくある話で、それはそれで仕方ない。まぁ、予想しなければいいのだが、そういうわけにもいかないので、外れる事を予想して誤魔化す。馬鹿な話だ。(2010.02.03)
2010年3月の戯言
  五里霧中。最初の一歩を踏み外さずに進むことがおそらくセンスなのだろうが、それがあるのかはよくわからない。(2010.03.05)
2010年4月の戯言
  我慢する時期が続く。ぐっと屈み込んで次のことを考える。果たしてどうなるのか。ため息が出てしまう。(2010.04.12)
2010年5月の戯言
  少しずつでも仕方ないから、とりあえず、先に進むことしか出来ないのだろう。振り返るのが好きなものとしては、無理に前に進むことは少ししんどいのだが。(2010.05.09)
2010年6月の戯言
  準備をする間もなく、お祭りに突入。何とかなるのかは、全く未知数だが、とにかく大変なことには間違いがない。(2010.06.10)
2010年7月の戯言
  とりあえず、詰め込んでは見たものの、本当にこれで何とかなるのか不安が募る。詰め込まざる得ないもの事実でどんどんと追い込まれていく感覚が、大きくなる一方だ。(2010.07.15)
2010年8月の戯言
  なるようにしかならないのだとは思うが、そのなるようになった先が最悪ならば、その先の選択肢はどうあるのだろうか。(2010.08.14)
2010年9月の戯言
  なかなか好転しない事態にいらだってもしかたないのは良くわかっているが、平静でいることの難しさを教えてくれるだけに、やはりいらだつ。(2010.09.16)
2010年10月の戯言
  おも終わりが近いのかと思ってしまうことが、何をもたらすのかが、少し恐ろしい。ここに立ち止まり続けることの意味をやはり知りたい。(2010.09.29)
2010年11月の戯言
  ふと、情熱がどこかにあるような気がした。気のせいだろうか。忘れ去られたものとして処理をしてしまうことが、いまの現状にどれくらい妥当なものか。(2010.11.11)
2010年12月の戯言
  妥当性を欠くものを考えてみたけれど、それはそれで大丈夫な気がする。齟齬が発生するまで突っ走ってみること価値がどれぐらいあるかは、やってみないとわからないのだろう。結局、今のままでは価値がないのか。(2010.12.09)
2011年1月の戯言
  変化というものを考え見て、知らないうちに変化することと、意図的に変化することのどちらにこそ、今価値があるのか思ってみたが、知らないうちに変わるのなら、今、どうこうする問題ではないので、考えても仕方ないかと当たり前の結論に行き着く。(2011.01.16)
 
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