「巫山戯てるわ。娘のために、あんな手の込んだ自殺まで考えておきながら、いざとなったら怖くて出来ませんでした? それが許されると思うの?」

 入り混じっている。

 様々な感情が。

 愛情、憎悪、羨望、嫉妬、そして羞恥。

 イタラにとって、ヤナシは親友のナガノを苦しめ、それでも慕われ、唯一救うことの出来る人物だったのだろう。
 だから、様々な感情が、彼女の中で渦巻き、結果一つの殺人行為へと行動をつなげた。

 たしかに、その動機は透き通るほどに綺麗ではない。
 だが、

「どんな理由であれ、あんたはヤナシを殺した」

「自白して罪を償え...て言うの?」

「言ったろ。あんたの偽証がばれたら、一番疑われるのはナガノだ。さすがに自白があれば警察はあんたを検挙するだろうがな。
 だが、世間はそうもいかないだろう」

 彼女は気づいていない。
いや、気づこうとしないだけか。

「娘をよろしくと頼まれたんだろ」

 殺した相手からの頼み事なんて、ある意味究極の罪滅ぼしだと思うのだが。
 しかし、此処まで来て、この状況にまで落ち込んでそれが出来るのであろうか。
 いっそのこと、何も伝えなかったときの方が、上手く征っていたのではないだろうか。

――ぞるるるる。

 沈黙が続く。

「ごちそうさまでした」

 いつの間にやらメイが最後の蕎麦を食べ終えていた。両手を合わせて、よくわからないことに祈りを捧げている。
 食器を片付けながら、メイが口を開いた、

「あのとき、ヤナシさんは生きようとしていました」
 いちおう聞いていたらしい。
「自殺は断念せざるを得なかったのです。
――ナガノさんが来てしまったから。
この状況で自殺してしまうと、真っ先に警察に疑われてしまいますから」

 イタラの椅子にかける手に、力がこもる。
目を見開くその表情は、静かに驚いている様にも見える。
 やはり、気づいていなかったか。

「あのとき生きながらえても、そう遠くない日に自殺を行ったかもしれません」

 それは、イタラの殺人動機の無意味さを示す言葉だった。

「ヤナシさんは、あの瞬間だけは生きようとしていて――だから、悔いを残しました」
 メイは立ち上がって、トレーを持ち上げる。
「あなたは、完璧な自殺を阻止してまで、不完全な犯罪を犯した。
だから、あなたはヤナシさんの代わりにナガノさんの将来を補償しなければならない」

「それが、君の理屈か」

「いえ、ヤナシさんの言葉の要約です。本当は、もう少しいろいろ仰っていたのですが」

 苦笑しながら踵を返し、こちらの反応も待たずに食器を調理場へ返しに行く。
 イタラはと言うと、無言のままだった。
 いろいろ、ね。きっと、いろいろなのだろう。

「死人に口がないのは美徳だな」

 そんなことをぼやく。

 イタラは無反応。

 間が持たないので、話を振ることにした。

「あれは、自殺だ。誰が、なんと言おうとな」

 振り向く、イタラ。おびえる動物が、それでも何かにすがろうとする、そんな目つきだった。
 初めて見たときの気丈さは、どこに行ったのだろうか。

 テーブルの下から、イタラの手にかけた椅子を蹴り飛ばす。
 引き出された椅子に座るように、指示すると、イタラはゆっくりとした動作で腰を落とそうとした。

「水に潜ったこともないメイにはわからんだろうけどな、俺らは解るだろ?」

 高校生用のプール、上から押さえつける手。

 それを、ヤナシの視点で見た、あの光景。

「あの状況で、上から押さえつけられたぐらいで溺死ぬわけがない」
 とたん、イタラは脱力したように椅子に落ちた。


BackstageDrifters.