「常識で考えろ。海水を産湯に生まれるってぐらいに海と関わりの深いオークノート市民が、たかだか上から頭押さえつけられたぐらいで、死ぬと思うか?」
「...」
イタラは、うつむいた。
「でも、あの人は死んだわ」
脳裏に声がよみがえる。
「事故でいい」 とぼやいたタカさん。
「自殺だけど、本当は他殺」 と呟いたメイ。
「でも、自殺なんだよ」
他殺...だけど――自殺。
「メイや警察は他殺だと割り切るんだろうが、俺はそういう風には思わない。
自殺には生きる気力を無くして、自分を殺そうとする意志に抵抗しないことも含まれる。
ヤナシは、抵抗するのをやめた。死から逃れることをあきらめた。
あんたが殺そうとしているんだと解ったときにな」
禁煙パイポを揺らす。
うつむきがちのイタラの瞳がつられるようにに揺れている。
何故、と言う瞳だった。
「決まってる。何故、ヤナシは自殺しようとしたのか...娘のためだ。
何故、生き残ろうとしたか...これも娘のためだ。
なら何故、殺されるのをよしとしたのか...」
殺されるのであれば、確実に保険金が入る。自殺を事故に見せかけるより遙かに完璧なシナリオだ。
娘が疑われる可能性はあるが...イタラ(あのこ)なら、きっと...
まったく、傍迷惑な話だ。どうせ死ぬのなら一人でこっそり死ねれば良かったのに。不運な「事故」
がそれを台無しにしてしまう。
...ヤナシが残した悔いは、いったい何だったのだろうか。
厳密にのみ自殺と呼べない事象の中で、一体何が心残りだったのだろうか。
パイプをしがみ、深く吸う。眠気を摘む刺激が夢見がちのイメージをかき乱す。
まあいい。結局、答えは出ない。死人に訊くのも野暮だろう。
イタラが、怪訝そうな顔でこちらを覗いた。
「...あなたは、なぜそれを私に話すの?」
「嫌いなんだよ」
タツマはパイプを銜えたまま器用に答えた。
「俺以外の人間が黙ってるのがな。俺がつまらない分、他の誰かが周りをにぎやかしてくれなきゃ困る」
そのタイミングで、食器を片付けたメイが帰ってきたので場はお開きとなった。
メイはガラスケースのプリンを指をくわえてみていたが、日も暮れかけていたので首根っこを引きずって帰宅した。
帰りしな、メイはずっと不機嫌だった。
よっぽどプリンが食べたかったらしい。
だが、荘に帰宅するとヒュリィがプリンタルトを作っていたので、彼女の不機嫌は一気にすっ飛んだ。
まあ、それはともかく。
「で、メイちゃん。デートは楽しかった?」
キッチンでコーヒーを淹れながら、ヒュリィが訊いた。
「ええ」 微笑むメイ。
メイは、小動物のように一心不乱にタルトを食べていた。
「ふ〜ん」
「なんだその目は...」
新聞を読んでタルトをかじっていたタツマは、妙に生暖かい視線に身じろぎをした。
「別に。その高校、例の怪談騒ぎの発信源だったんだって?
怖いわね〜。ミステリースポットって奴?」
「それは意味合いが違うぞ」
一応ツッコミを入れるが、妹はメイばかり気にかけて聞く気配がない。
「ええ、ヒュアリィさんから聞いたお話も参考になりましたよ」
「そう? ちょっと尾ひれとか付いてるんじゃないかなぁって心配してたんだけど」
「おまえらが率先して付けてるんだろうが」
「だって、なんか味気ないんだもの。水泳部の代表に選ばれたエースが、代表を外されて嫉妬に駆られた二番手に溺死させられた、なんて話。なんか間抜けすぎ」
まあ、それは確かに間抜けではある。
オークノートにおいて溺死は、かなり不名誉な死に方なのだ。
「だからね、わたし考えたのよ」
「...尾ひれの上からウロコを付けるな」
「兄キは黙ってて」 えへん。と、咳払い。「ええっとね」
ヒュリィは頭の中でページを開いてるかのように、とうとうと、
「まずね、実はエースは病弱で余命1ヶ月ぐらいだったのよ」
「ぐらいって。だいたい、余命一ヶ月の奴が入るか、プール?」
「そこはおいおい詰めていくわ」
臆面もなく言う。
都市伝説はこうやって創られていくのだろうな、とそんなことを思う。
「でもって、エースは犯人の自分に対する嫉妬に気づいていた。
そして、二番手がその殺意を自分に向けたとき、こう思った。
どうせ余命幾ばくもないし、なら殺されてもいいか、って」
「...」 どうでもいいが、タルトの甘味がきつくて舌に残る。
「エースはその部員が自分に勝るとも劣らない才能を持ってたことに気づいてたのね。代表に選ばれたら、きっと彼にも才能の芽が開く。そう思った。
だから今際の際に、彼に自分の未来を託すことにしたのよ」
それは、迷惑きわまりない話だ。
「いい話ですね」 メイはタルトを食べた口で、そうコメントする。
「うん、ありがと」 微笑むヒュリィ。
「でもこの話には続きがあるのよ。だって、エースは化けて出ちゃうんだから」
「ああ、そういえば」 怪談だったか。
ふと興味がわいたので、訪ねた。
「その次点の奴の才能が開かなかったのか?」
「ううん。彼はそこそこ有名になったし、後に自分の行いを悔いて国教徒に帰依したって話よ」
「いや、今創作(つく)った話をさも本物みたいに言われても」
「そうじゃなくってね、」 スルーされた。
「エースは、自分の未来を他人に託してしまったことを後悔したのよ。本当は、たとえあと一月で死のうと、代表入りして最後まで自分の才能を磨くべきだったんじゃないか、って。
――だから化けて出るのよ。その答えを求めるかのように飛びこみ続けるの」
ヒュアリィはタツマとメイの目の前にブラックコーヒーを置いて、席に着いた。
苦いコーヒーを啜ると、口の甘ったるさが中和される。
コーヒーをもう一口飲んで苦みを残し、今度はタルトを囓った。
「それって、おいしいの?」
「ああ、単品じゃちょっと甘すぎてな。これぐらいがちょうどいい」
「へぇ」
テーブルの向こうで、メイが真似しようとしているのが目に入った。
ブラックを口に付けた時点で、あえなく撃沈していたが。
「で、話の続きだけど...ね、メイちゃん。どう思う?」
「...に、苦いです」
舌を押さえ涙目で答えるメイ。
ヒュリィは目を丸くしてから、
「メイちゃんにブラックはまだ早いかもね」 苦笑した。
「で、兄キは?」
「俺は、飲めさえすりゃ何でもいい」
そうコメントすると、今度は眉をつり上げて、
「そうじゃないでしょ」
さすがに俺はごまかせないか。
タルトを囓る。
「まぁ、そんな理由で化けて出られたら、確かにはた迷惑だよな」
「ロマンがないわね」
「そんなもんいらん」
コーヒーを一口飲み込んで、短く息を漏らす。
もう一個、タルトに手を伸ばそうとしたが、ヒュリィがタルトのバケットを持ってメイにすり寄っていったので、手が届かなくなった。
「砂糖でも食べてなさい」
代わりにメイの手から角砂糖の入った壺を奪って、投げつける。
タツマはあきれて、角砂糖を一個口に含んでコーヒーを流し込んでみた。
溶けた砂糖は、苦くて甘く、どろどろでじゃりじゃりだった。
悔しいので美味しそうに飲み込んでやると、メイが手にしていた角砂糖を口に放り込もうとしたので兄妹してあわてて止めに入ったのだった「。
翌週になって、ナガノ・ウィルストンがなみはや荘を訪ねてきた。
彼女はメイと、日常どおりに受験勉強に来ていたヒュリィと小一時間ほど話をしたらしい。
勤務中のタツマはその場にいなかったので、どんな話をしたのかは詳しくは知るべくもないが、彼女の持ってきたおみやげは美味しく食べた。
蕎麦だった。
続く。
BackstageDrifters.