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 しばらく待ってはみたが、挑戦者らしき人間は一人として現れなかった。
 さすがにああまで脅されて面とむかって追ってくるものはいないのだろう。
 武器破壊の出来る剣に対処できる者など、数が知れている。
 しかしまあ……
「これは船が来るまで街にも入れないかな」
 船に乗れるのも怪しいが、それは考えないで置く。
 ちょっとだけ離れた郊外の木陰で、ヘクトはのんびりと伸びをした。
 茶色の目を細め、眉まで伸びた黒髪をいじる。そろそろ散髪が必要だろう。
 断続的な道。木々や茂みをざわめかせる潮風のにおいも、懐かしさを含んでいて心地よい。
「ここで昼寝でもして船を待つかな」
 のんびりと――
「貴様ぁ! 戦う気が無いのか!」
(できないなあ……)
 例によって例の如く、旅用着物のサキが剣を構えて声を荒らげてくる。
「なぜ貴様は私と戦わない! 私と剣をかけて戦え!」
 目を血走らせて言う。先ほどの怯えは微塵も残っていない。
「ああもう!」
 ヘクトは心底うるさそうに、木に立てかけていたデュランダルを手に取って、
ザクッ――と、ヘクトはデュランダルの収められた鞘を地面に突き立てた。
 質素な白樫の柄をしばし見つめツカモリの少女は、
「は……?」
 と、口を開けたまま固まった。
「僕は君と戦えない。だから負けを認めよう」
 実のところ、初めからデュランダルは放棄するつもりだった。先ほどの会話もそのつもりでしていたのだ。
「旅人に魔剣の名声は重過ぎる。それに、なんだかんだで村人たちも心の拠り所にしていたはずだしね」
「ふ、ふざけるな」
「ふざけてなんかない」 それに、と続けて 「僕の国では女性との決闘を禁止しているんだ。勝負を挑まれたら速やかに逃げるか負けを宣言しないといけない」
 自らの胸に手を当てる。
「だから僕はここに敗北を宣言する。例えここが異国であろうとね」
 掟を引き合いに出されて、彼女は一瞬怯んだように見えた。
 理由はどうであれ、彼女の大儀はそこにあるのだから。
「それに……剣の奪い合いで戦うこと自体、僕はしたくない」
 旅人にとって戦いは手段でしかない。
 そして、同時に敗北でもある――戦いに巻き込まれるまでそれを予知できなかったのだから。
 だから旅人はいざ戦うとき、その負けを取り戻そうと必死であがく。
 そんな顔を彼女に見せたくはなかった。
「君の仕事や責任感を冒涜しているわけでもない」
 口をつむぎ何か言いたそうにしているサキの先を取る様に、ヘクトは続ける。
「お願いだ、素直に受け取って欲しい。でないと……」
 突然だった、
ヒュ――
 今まで両者の狭間に突き立てたままのデュランダルが、瞬時にして消え失せてしまった。
 それを目のあたりにして驚いたのはサキだけで、ヘクトは軽くため息をついて袖を振って、
「……でないとこういうことになるから」
「がっ!」 と、言う悲鳴が起こる。
 鈍い音と悲鳴。その後に近くの木から野戦服姿の男が落ちた。一緒にゴトッと石ころも落ちる。
 ヘクトが投擲した石ツブテが、鞭でデュランダルを放り上げた男の眉間に狙い違わず命中したのだ。ヘクトは最初からこぶし大もある石ころを握っていたのだった。
 予想道理の展開に半分目を閉じ、そして呟くように、
「出てくるんだね。あと4人いる事はわかっている。不意をつこうとしても無駄だよ」
 淡々と言う。
 あたりには茂みや木が点在している。人が隠れて近づく事も可能だろう。
 だがそんな事はもちろんヘクトにだってわかる事である。
 すぐそばの茂みから。
 ダガーを携えた野戦服姿の男が飛び出した。
 ヘクトはそれを無視した。
 鞭を拾いダガー男とは真逆の方向の茂みを撃ち据える。
 明確な手ごたえを感じてから鞭を捨てる。ダガー男がすぐそばまで来ていた。
 半身をそらし、ダガーを持つ手首を下から絡め捕り、勢いをつけて押し出してやる。
 ダガー男は攻撃を受け流されて、逆方向にいたクロスボウを鞭の攻撃で取り落とした男とお見合いをするようにぶつかった。
 再度手近にあった石を拾って、二人の眉間を正確に狙う。
「あと二人」
「な」 そこでやっとサキが口を開いて「なんなんだこいつらは」
 半ば呆然と質問してくる。
「この辺一体の暴力団だよ。
 コレクターにものすごい値を付けられて、抗争の道具になってしまったからね」
「そんな事が……」
「でもまあ、どうやら。敵さんは殺し屋を雇う方向に変えたみたいだね」
 視線を倒れた男たちとは離れた茂みに移す。
 ざっ、とまとめて現れた剣士風の男二人をのんびり見据えてヘクトは呟く。
 こいつらだ。
 さっきからあからさまな殺気を放ちまくっていた奴らは。隠れるつもりがないのだろうか。
 あきらかに野戦姿の三人とは毛色が違う剣士達。見るからに血に飢えてそうではある。
「けっ、なるほどねぇ。コリャ誰も獲れねえわけだ」
 短刀とナイフの二刀を持つ逆毛の男。
「どうやらドラゴンを葬り去れたのは魔剣の力だけではないらしいな」
 こちらの長髪は長刀を斜に構えている。
 本物の傭兵らしい。今までとは比べ物にならないほどの威圧感を感じた。
(さすがに剣無しじゃやばいな……)
 冷静に判断して地面に落ちていたデュランダルを手に取る。
 引き抜くと、魔剣は柄から燃え広がるように青白い燐光を解き放って、獰猛に敵を威嚇しだした。こいつも血に飢えてるのだろうか。
ヒュウ――と逆毛の口笛。さらに、
「なるほど、それがあらゆるものを切り裂くという魔剣デュランダルの焔か……」
 と、長髪。実物を目の前にして畏怖しているようだ。
「んじゃあいきますよっと」
 下婢た笑みを浮かべ、先に飛び出してきたのは二刀流の男。長髪の方を背に隠し一列に重なるように襲い掛かる。
 振り下ろされる短刀をデュランダルが切り捨てる。
 だがその動作の隙を突いて、逆毛はナイフを喉に突きつけてきた。
 即座に後ろにスウェーするが、そのせいで体が伸びきってしまう。今追撃されるとさすがにかわすのが難しい。まあ敵の二人ともが追撃不可能な間合いにいるのだが。
(……ん?)
 男が突き刺すようにナイフの刃を向けて、薄ら笑いを浮かべていた。
 それを見てヘクトは、
(ああ、飛び出しナイフね……)
 たいしたことでもなさそうに心の中でぼやく。
 男のナイフは、刃をばね仕掛けで柄から飛ばすことの出来るものだった。普通は喉笛を狙うためのギミックなのだが、なぜかこいつは眉間を狙っている。馬鹿だ。
 意表をついたつもりでいる男には悪いが、ヘクトはこれまでに何度もそのナイフを見た事があった。
 だから、こうして首を振るだけで放たれた刃を難なく避けることもできる。
「な……!」
 と、驚愕に目を見開く逆毛。まさか避けられるとも思っていなかったのだろう。追撃を仕掛けようとしていた長髪もそれは同じのようだった。
 時が止まったかのように二人の動作が世界の連続から隔離される。
 のけぞっている状態のヘクトは、その動作のままぞんざいに逆毛のこめかみを、剣の腹でごんと叩いた。
「あと一人」
 のんびりとデュランダルを構えなおして長髪を見据える。
「まさか、アレをかわすとはな……」
「言っとくけど、あんなおもちゃ故郷じゃ普通に売っている。
 この国じゃあ珍しいかもしれないけど、あんなものを必勝のパターンにするなんて間抜けも良いところだよ」
 普通に売っているという事は、普通にヘクトは「そういう攻撃をしてくるかもしれない」 とあらかじめ想定しているという事である。使われて驚くこともなければ、もちろん避けられて驚く事もない。
 今の結果は、敵の慢心の結果が招いた自爆だった。
 避けられる覚悟もないまま使う方が悪い。
「なるほど、異邦人か」
長髪が水平に構え突きの体制を取る、刃が線から点へと姿を変化していく。
 刺突。突風のような速さだ。
 それはデュランダルに斬られずに長い刀のリーチを活かすには最上の手段だった。
 だが、
「旅人と呼んで欲しいな」
 と、デュランダルを無造作に投げながら言う。
 これでリーチがチャラになる。
 非常な手段に、「な!」 長髪は予想通り剣にぶち当たって立ちすくんだ。
「ラスト」
 ごかっ。石が眉間に直撃。さっきから何度もしてるのに警戒しないとは、馬鹿だ。
 デュランダルを取りに歩きながら、
「残念だけど、魔剣で戦う理由は僕にはないんだよ」
 コメントする。
 剣はしょせん剣だ。戦いにおいては一つの戦術に過ぎない。魔剣を持っても魔剣を手段の一つとして捕らえてしかいない者と、魔剣だけが全てと思うものとでは考えられる戦闘パターンは歴然の差だった。
 過ぎた武器は慢心を生むという訳だ。飛び出しナイフにしろ、デュランダルにしろ。
 デュランダルを回収する。ついでだから長刀ももらっておいた。

 念を入れてもう一発ずつ殺し屋たちを殴っておいてから、ヘクトは一息ついて旅支度を整えた。
 日の傾きを見てヘクトは頷く。そろそろ船の時間だった。
 俯いていたサキに向き直り、
「これでわかっただろ。ろくでもない奴らがこの剣を狙っているんだ。
 僕はそんな奴に手渡したくはない。
 だから、君がまたあの塚にひっそりと戻しておいて欲しい」
 デュランダルを手渡そうとしたが、うつむいて黙ったままのサキ。殺し合いを見て萎縮したのかもしれない。
(あーあ、何度怖がらせてしまえばいいんだ……)
 歯噛みして苦い顔を作る。だから戦うのは嫌いなんだ。
 ところが――
「なぜだ……」
サキは俯いたまま訊いた。
「え?」
「なぜ貴様は私と戦ってくれない」
 喉が詰まったような、今にも泣き出しそうな声で彼女はそう漏らす。
 ……どうやら、勘違いをしていたらしい。
 彼女は怒り、憤っていたのだ。
 一度も自分と戦おうとしない魔剣の主に。
 そして、そいつが竜や5人の殺し屋をも平気で叩き伏せるだけの実力――本当に戦えば彼女にあっさりと勝利する実力があるということに。
 それはひどい侮辱だろうな……と、ヘクトは思った。思いはしたが、
「ごめん、やっぱり戦えない」 拒絶にも等しい宣言「僕には理由がないから……。旅人は理由がないことは絶対にしちゃいけない」
 それは、自分に課した唯一のルール。
 ツカモリの使命にも負けない……とは思うんだけど、その辺の決断を上手く言いきれるかどうかは難しい。
「理由ならある!」 喉が搾り出すような声で、サキは目を真っ赤にして刀を抜いた。「私は! 貴様が憎い。代々のツカモリが、村人たちが得られなかった魔剣の主の称号を持つ貴様が! だから私は貴様を……」
「……好きで主になったわけじゃないよ」
 極力、軽薄に言おうとしたがだめだった。
 サキは何かを言おうと口を開いて……結局口をつぐんだ。
 己の命まで賭して竜に挑んだ者にどんな反論をしようと無意味だと悟ったのだ。
 刀を構えるサキに歩み寄る。
 手を取り、震える指を一本一本引き剥がして、デュランダルを両手でしっかりと握らせる。
「これでいい」
苦笑交じりに微笑む。
「こんな、こんな決着で……納得できると思っているのか」
 途切れ途切れの声。悔しさに顔をゆがませている少女。
 ヘクトは無言で背を向けて、今度こそ船着場へと歩き出す。
 数十歩歩いて立ち止まり、ヘクトは呟いた。
「ありがとう……楽しかったよ。たまには一期一会じゃない旅も良いものだった。
 可笑しな話だけど、相棒とかいたらこんな感じなのかなって思ったよ」
その呟きは、とても聞こえるとは思えない小声で、遠い。
 ツカモリの少女は止めようとはしなかった。
 駆け出すと、潮風の匂いと抵抗が体を押し戻してくる。
――まるでこれから港へ行くのを止めようとしているみたいに。
 だが、かまわずにヘクトは石畳の道を突っ切ってていった。
(さて、後始末が残っているな……)
 そんな事を考えながら。



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