道後温泉・道後温泉本館 (愛媛県)
 夏目漱石(1867〜1916)
道後温泉がある松山市と縁(ゆかり)のある文学者が2人いる。東京帝国大学で同級であった近代俳句の父・正岡子規と文豪・夏目漱石である。正岡子規は青春時代の18歳まで松山市に在住し育った。
一方の夏目漱石は、大学卒業後、明治28年4月からたった1年余、愛媛県尋常中学校(松山中学校)の英語科教師として在住したに過ぎない。従がって、正岡子規の方が、遥かに松山市との関係が深い。
松山市としては、この点に敬意を表して、昭和56年、道後温泉の手前に「松山市立子規記念博物館」を建設している(見学しました)。しかし、こと観光・温泉(道後)に関しては、夏目漱石(名作「坊っちゃん」)の貢献度合いがはるかに強い。

・市内を走る蒸気機関車スタイルの路面電車は「坊ちゃん列車」
・駅前にある時計台は「坊っちゃんカラクリ時計」

道後温泉のシンボル道後温泉本館の3階奥に「坊っちゃんの間」がある。
多くの旅館で、「坊っちゃん」に登場する「マドンナ」に扮した女性が宿泊客を送迎する。
夏目漱石
このページを記述するために、岩波書店全14冊の分厚い「漱石全集」から「坊っちゃん」を引っ張り出して読み返してみた。文中で、道後温泉が初めて登場するのはこの件(くだり)である。
「・・・四日目の晩に住田(道後温泉)と云う所へ行って団子を食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり・・・」
「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行くことに極めている。他の所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。」

同じ松山生まれで正岡子規の後継者である俳人の高浜虚子は、1年余で熊本県第五高等学校に赴任してしまった夏目漱石が、松山を去るに当たって道後温泉だけは心残りだった、と語っているが、それほど漱石はこの温泉を愛していたのだ。
小説に登場する多くの人物(主人公以外に赤シャツ、マドンナ・うらなり・山嵐など)などの多くが蒸気機関車を利用したことから、「「坊っちゃん列車」の愛称がつけられて、市内を走っている。
都心のビル街ではなく、道後温泉の典型的な風景だ。
日本三古泉の一つ、道後温泉の歴史は古い。それも伝承でなく、日本書紀・万葉集・源氏物語などの古書にその名が登場している。時代が下って明治時代には、上記の通り夏目漱石がここを愛して止まなかった。
現代の道後温泉は、拡大した松山市の中心部に呑み込まれ、部屋数が100室前後の巨大旅館・ホテルが狭い地域に立ち並ぶ都市型大温泉地である。
ふだん宿泊する旅館は、山腹とか谷間(たにあい)の渓流沿い等、自然豊かな立地がほとんどだけに、両側2車線の交通量が多いビル街を通っての温泉地到着には戸惑った。しかし、松山市内では他の都市と違って心安らぐ風景に接することが出来る。
路面電車が市内を走っていることだ。我々の世代には郷愁を呼び起こし、今の時代、環境にやさしい交通機関を再認識させてくれる。
温泉街の入口にある松山市立子規記念博物館の地下に駐車し、館内を見学してからホテル古湧園にチェックインした。館内の風呂は差し置いて、さっそくシンボルの道後温泉本館に行くことになった。普通の温泉街なら浴衣に着替えて外湯に行くところだが、まだ日も高い午後4時過ぎの市内を浴衣姿で歩くのは気がひけたので、そのままの姿で旅館から徒歩5分の本館に向った。
所在地 : 松山市
道後温泉本館 (入浴日:2005.3.10)
道後温泉本館は、道後温泉のシンボルだ。明治27年に建設された3層楼の力強くどっしりとした入母屋造りの建築で、周囲の巨大な旅館・ホテルや商店街の中で、一際風格を誇っている。
ガイドブックなどには、必ず正面からの写真が掲載されているが、左手から仰ぎ見ると、正面とは違った日本建築の粋を集めた見事な様式美を見せている。

3階の屋根の上に乗る楼閣は振鷺閣(しんろかく)と呼ばれる赤いギヤマンを張り巡らせた太鼓櫓で、早朝・昼・夕に時を告げる刻太鼓の音が湯の町に響く。
この太鼓の鳴る時間は、朝の6時、12時それに夕方の6時。この時間を早く知っていれば、朝の6時に合わせて朝風呂に行っていたのに、と後で悔やんだ。

豪壮な玄関の下に受付があって、入浴客はここで自分の入りたい風呂・コースを選んでから料金を支払う。初めて見ると複雑な料金・入浴体系がよく分からない。
後から後から続く入浴客の姿を見て、私は1階の神の湯は混んでいると推察し、2階の霊の湯を選んで一人当たり980円を支払って中に入った。
ここで第一回目の恥。霊の湯をなんの疑いもなく「れいのゆ」と言ったところ、相手の女性はキョトン。止むを得ず「980円のヤツ2枚」と言い直したところ「たまのゆ」ですねと念を押された。
後から考えて最もだと思った。伝統ある湯船の名前を幽霊・亡霊のれいと発音するわけはなく、木霊(こだま)・言霊(ことだま)の「たま」の呼び方があったことを思い出して、一人顔を赤らめた。

巨大な下駄箱に靴を納め1階の神の湯の前を通って、黒光りする階段を上り暖簾をくぐって浴室に入った。
そこのロッカーがとても小さい、30cm四方、奥行き40cmくらい。冬なのでたくさん着込んでいた衣服ぎゅうぎゅう押し込んでようやく納まりかけた。
そこへ、女性が慌しくやってきて、浴衣と赤いタオル渡してくれた。
聞くと、霊の湯・960円コースは、本来、最初に休憩所に行って浴衣に着替え、脱いだ衣服は座布団の前に置かれた長方形の箱に入れて風呂場に行くのだ。だからロッカーは浴衣と下着を入れるだけなので、この大きさで十分なわけだ。
ここに寄らないで直接浴室に向った私を目撃して、飛んできたらしい。(これが2回目の失敗)

ようやく風呂に入った霊の湯は、浴槽に庵治石や大島石、壁には大理石を使い、品格と伝統を感じるクラシックな造りで10人くらいがゆったり入れる大きさだ。
この日は、若いグループ客が入っていたので騒がしかったが、平日なら入浴客は少なくゆったりと浸かることが出来るのだろう。


湯はわずかにヌメリ感がある無色透明のアルカリ性の単純温泉、分析表を見ると沢山の源泉番号が書かれていたので混合泉だろう。共同湯にありがちな激熱でなく、私の許容範囲の湯温だった。
新聞・テレビで大きく報道され、温泉愛好家に非難されたが、ここは源泉かけ流しにも拘らず殺菌剤を投下している。

風呂から上って、浴衣に着替え衣服を手に持って休憩室に行った。座布団が何十も敷かれ、その前に置かれた木製の衣服箱にきちんとたたまれた服を入れて、何人かの人が浴衣姿で湯茶を飲みながら談笑していた。
なるほど、本来はここで浴衣に着替えてから浴室に向うのか、と納得した。
運ばれてきたお茶と菓子を頂いて、服に着替えるため、カーテンで区切られた奥の小部屋に行こうとしたら「そこは女性の方だけです」と注意された。(第三の失敗)
男性は女性客が部屋にいようが、片隅にでも行って(目隠し無し)脱衣・着衣をすることになる。
これは混浴の風呂ほどではないが、かなりの大らかさだ、と感じ入った。

帰ろうとしたら、皇室の部屋と風呂場を見学してください、と言われて、案内された場所に行くと年配のボランティアの男性がいた。
彼に連れられて、昭和天皇が使われた玉座や風呂場が備えられた「又新殿」を見学した。
それから3階に上って、「坊ちゃんの間」を見学、なんとも行き届いた道後温泉本館での入浴を終えた。
尚、外湯としては、ここ以外に地元の人が行く椿の湯がある。

区    分 おとな こども 営業時間 利用時間
霊の湯 3階個室 1,240円 620円 6:00〜22:00(札止20:40) 1時間20分以内
2階一般席 980円 490円 6:00〜22:00(札止21:00) 1時間以内
神の湯 2   階 620円 310円 6:00〜22:00(札止21:00) 1時間以内
階  下 300円 120円 6:00〜23:00(札止22:00) 1時間以内
又新殿観覧料 210円 100円 6:00〜21:00 案内時間内
料金体系
*風呂は
1階に「神の湯」(男性用は湯船が2つあって大きい)
2階に「霊(たま)の湯」
(湯船が小さい)
の2つがある。


*コースは4種類設けられている。
コースによっては浴衣・タオルが貸与され、茶菓子の接待が受けられる。

*皇族が利用された又新殿を見学出来る。有料だが、コースによっては入浴料に含まれている
基本知識
(1)道後温泉・道後温泉本館の歴史や夏目漱石・正岡子規、日露戦争で活躍した軍人・秋山兄弟など、松山・道後ゆかりの人物のプロフィールや業績。

これらを知っておくと、都会にある温泉でありながら、歴史を踏まえた温泉情緒が味わえ、温泉が日本人に根付いた文化であることを実感しながらより楽しい入浴が出来る。
一例を挙げる。

●「坊っちゃん」にはこんな一節がある。
「温泉は三階の新築上等な浴衣を貸して、流しをつけて八銭で済む。そのうえに女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつも上等へ入った。」

→・温泉道後本館の竣工は明治27年、夏目漱石が松山に着任したのは翌明治28年4月。
だから、「新築」と書かれているのは本当だ!

→「浴衣を貸してくれたり、茶を出してくたり、上等・下等の区分がある」のは、少なくとも今から110年前の明治28年からの伝統なのだ!
でも、「流し=三助の背中洗い」は、もうない。

●こんな一節もある。
「行くときは必ず大きな西洋手拭(てぬぐい)の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭は湯に染まった上へ、赤い縞が流れ出したので一寸見ると紅色に見える。」
→コースによって、浴衣と赤いタオルが貸与される。タオルが赤いのは、坊っちゃんのこの一節に由来しているのだ!
「又新殿」は撮影禁止。これは、宿泊した旅館に貼られていた写真を撮影。
道後温泉本館入浴を楽し為のアドバイス
2005年5月中旬に温泉仲間と道後温泉を再訪します。そのときは、1階の「神の湯」に入浴するので、あらためてご紹介します。
(男性浴室は、東西2つの湯船があって、霊の湯よりかなり広いようです。)

次のことを予習してから道後温泉本館に行こう!
横から見ると繊細な本館。
(2)道後温泉本館の基本知識と料金システム
●霊の湯・3階個室
*休憩場所が個室なので、ゆったりとした気持ちで道後の湯をぞんぶんに楽しめる。
*浴室は霊の湯・2階席の客様と同じ浴室になる。
*貸しタオル・浴衣・お茶・お菓子
(坊ちゃん団子)がつく。

●霊の湯・2階一般席(今回・管理者が選択したコース)
*休憩場所は2階の大広間
*浴室は霊の湯・三階席の客と同じ浴室になる。
*貸しタオル・浴衣・お茶・お菓子
(坊ちゃん団子)がつく。

●神の湯・2階
*休憩場所は霊の湯2階席とは別の大広間になる。
*浴室は神の湯・階下の客と同じ浴室になる。
*浴衣・お茶・お菓子
坊ちゃん団子)がつく。貸しタオルは有料で50円

●神の湯・階下
入浴のみで休憩・浴衣・貸しタオル・茶菓子なし。
住 所 愛媛県松山市道後湯之町5−6
電 話 089−921−5141
交通機関 松山自動車道松山ICから約10km
JR松山駅から伊予鉄道城南線道後温泉行きで約25分道後温泉駅下車
施 設(日帰り) 休憩室(神の湯・階下は無し)
駐車場は無いので、少し離れたホテル椿館の奥にある温泉組合の無料駐車場を利用。
宿 泊 無し
泉 質 アルカリ性単純温泉
適応症 不記載(理由は「温泉の基礎知識ー温泉の効能」参照)
入浴時間(外来) 6時〜21時、22時、23時(風呂区分により変わる。上記参照)
定休日 無休
入浴料金 大人210円〜1,240円(上記参照)
入浴施設 内風呂男女各2
浴室備品 シャンプー、ボデイソープ、ドライヤー、ロッカー選択コースによって浴衣・タオル貸与(上記参照)
観光スポット 松山城・愛媛県美術館・松山市立子規記念博物館・子規堂・道後温泉散策
お土産・食事 道後温泉本館周囲に土産物屋・食事処多数
近くの温泉 道後温泉旅館立ち寄り湯・椿の湯・奥道後温泉・権現温泉・たかの子温泉
松山市HP
旅館協同組合HP
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/
http://www.dogo.or.jp/
雑記帳 松山ゆかりの文人、夏目漱石と正岡子規の名前を初めて知ったのは小学6年生のとき。
収集していた文化人切手にこの2人の肖像が描かれていた。当時、最も効果だった文化人切手は西周(にし あなめ)だったが、今もそうだろうか?
日本三古泉の一つ、道後温泉のシンボルはこの道後温泉本館だ。
重要文化財・豪壮な入母屋造りの道後温泉本館正面。
「霊の湯・二階一般席(980円の休憩室)
二階にある霊の湯
坊ちゃんの間
データは変更されている可能性もあります。事前にご確認ください。
但し薬剤投与
温泉名 : 道後温泉