シャンクスは、すぐに海軍へ「ミルクって海兵をしばらく借りる。用事が済んで、
本人が帰ると言ったら返すから、騒ぐ必要はないのでよろしく」と言う
直筆の書見を送った。
「身代金だなんて、面倒臭エ。それで事足りるだろ」とシャンクス本人にそう言われたら、それこそ面倒臭くて、ライは何も言い返せない。
「ライ、あんたは怪我が治るまでは俺の客人って立場でいろ」
「S−1は?」「さて、それだ」ライの質問にシャンクスはふざけているとしか
思えない程、大袈裟な顰め面をし、「俺の客人って事にしても構わんが、客になるには、それなりの理由が要るだろう、あんたの連れってだけじゃ部下達が納得しない」
「納得させて欲しい」とライは食い下がったが、
「船長室に閉じ篭って、荒くれ海賊と接触しなないで、下世話な噂話が聞けると思うかい?」と逆に聞き返され、ライは黙り込む。
ライとS−1、と言う新しい仲間を乗せてシャンクスの船は碇を上げた。
S−1は雑用としてこき使われる。
それこそ、風呂、便所、台所、甲板、掃除だの、修理だの、仕事は山ほどあった。
「おい、スー!これもやっとけ!」
「おい、新入り!それが終ったら、甲板磨きだ!」
雑用同士の仕事の押しつけ合い、なすりつけあいに、S−1は全くを気づかず、全部、自分が抱え込んでいた。
それでも、手際良く、同じ失敗を繰り返す事もなく、与えられた仕事はキチンと
やりこなした。
「まだ、起きてたのか、スー?もうすぐ夜が明けるぜ」
厨房の鍋を全て磨け、とコックに言われて、S−1は一晩掛って、焦げだらけで
真っ黒になっていた鍋を全て磨きあげ、油まみれだった壁や床も綺麗に拭いていて、
もとあった場所へ鍋を戻していると、起きてきたコック長が驚いてS−1に
声を掛けた。
「頼まれたから・・・それに、俺、料理器具とか触るの好きだから平気だよ」と
言って、S−1はコック長に笑い返した。
焦げや油を落とすうちに、汗が頬や額を滴り落ちたのだろう、そしてそれを
油と焦げで汚れた手で何度も拭ったのだろう、S−1の頬には黒い汚れがこびり付いている。
「朝飯の支度、手伝ってもいい?コック長」
「そりゃ構わないが・・・あんまり最初から力み過ぎると体が持たないぞ」と
40がらみで、恰幅が良く、逞しい体躯のコック長はS−1に自分が手に下げていた
タオルを手渡してやる。「暖炉に顔を突っ込んだネズミみたいになってる、顔を拭きな」
「ありがとう」S−1は素直にコック長から長い海賊暮しですっかり汚れが
染みつき、茶色く薄汚れたタオルを受けとって顔をゴシゴシと擦った。
「まずはジャガイモを100個剥くんだよね」とそのタオルを首に引っ掛けたまま、
一つだけ灯しっぱなしだったランプの下を歩いて、ジャガイモの袋を指差した。
「すまんな。それが終ったら寝に行きな」「うん」
ジャガイモを剥き終ったら、武器庫の銃を磨かなくては。それが終ったら、
甲板を磨き、命綱が全て丈夫で安全かを確認して、もしも、切れそうなモノが
あれば交換しなければならない。それが済んだら・・・と仕事を数えたら本当に
キリがない。
「一体、あいつはいつ寝てるんだ?」と皆が不思議に思う程、S−1は良く
働いた。いつも、肩の上か、足元に灰色の子猫が寄り添っていて、働くのも、
食事を摂るのも、眠るのも、いつも子猫の「グレイ」がS−1の側にいる。
雑用だとあちこちに顔を出す。
「一流の雑用だな、飲み込みが早いし、ヘマはしない。思った以上に役に立つ」と
言う声がシャンクスの耳にも聞えてくるのに、たいして時間は掛らなかった。
「だが、ま、あいつとの喧嘩には役には立たたんだろ」
「気が利いて、器用でお利巧さんで、カワイイだけさ」とまだシャンクスは
S−1をそんな風にしか見ていなかった。
(それでいいんだ)とライは思っている。戦闘員として充分過ぎる、シャンクス自慢の
ヤソップに匹敵するか、(照準さえ合っていれば、S−1は銃を選ばない)と言う
意味で言うなら、ヤソップ以上の狙撃の腕をシャンクスに知られたら、
きっと、S−1も戦闘に狩り出される事になる。
(それだけはなんとしても避けなきゃ・・・)と思っていても、まだ自分は杖を
つかなければ歩けないし、断ち切られた腱が完全に治りきるまでは、剣を自在に
扱う事もままならない。
ライとS−1がシャンクスの船に乗って、瞬く間に2週間が過ぎた。
S−1はまだ一度も与えられたハンモックの中で眠った事がない。
夜中に甲板の隅っこにうずくまり、ジーの温もりだけを抱き締めてほんの数時間
まどろむ。普通の人間なら寝不足でとっくに倒れていてもおかしくない程の
短い睡眠時間でもS−1はまだ少しも疲れていなかった。
(早く次ぎの島に着けばいい)と船が進む先を見ては1日に何度も思う。
島にたくさん着けば着くほど、そしてたくさん人と話せば話すほど、R−1に
近付くような気がしていた。
(今度こそ、もうすぐに会えるよな)と自分に言い聞かせ、信じさせて、どうにか
不安な気持ちを忘れようと努力する。
それは新月の夜だった。
見張り役よりも早く、その日も甲板の隅でうずくまって眠ろうとしていたS−1は
空気の中に「殺気」が混じるのを感じて、ハっと顔を上げる。
ジーの背中の毛が逆立った。
「・・・姐さんのところに行っておいで、ジー」とそっとジーを甲板に
降ろしてやる。シャンクスと出会うキッカケになったジーと同じ色のメス猫は、
いつも厨房にいて、ネズミを獲る役目を担っている。海賊の飼う猫らしく、
愛玩用の猫と違って、いやに眼光がするどい。まさに「女海賊」と言う風貌の凄みの
ある猫なので、シャンクスの部下達は皆そのメス猫の事を「姐さん」だの、
「アバズレ猫」だのとヤクザな名前で好きに呼んでいる。
その猫の側、と言う事は厨房に行っていろ、とS−1はジーに言ったのだ。
厨房なら、船の奥の方に位置しているし、甲板にいるよりずっと安全な筈。
そう思って言ったのに、「ニャア」とジーはその場所に丸くなって甘える様にS−1を呼び、動こうとしない。
「ここは危ないから・・・」と少し眉を顰めて怒ったような顔を作ってそう言うと、
振りかえり、振りかえり、シブシブ・・と言った風でジーは厨房へと姿を消した。
「あの・・・誰か!」とS−1は見張り台を見上げて怒鳴る。
「なんだ、新入り!」と上から張りの有る若い男の声が返って来た。
「何か異常はないですか?!近くに船陰が見えるとか?!」とS−1はまた怒鳴った。
「ああ?そんなモン、見えねえ・・・よ!・・・あ!」見張り台の上で男が驚きの声を上げる。
「新月だからわからなかったが、真っ黒な船体の船がいやがる!」
「おい、皆をすぐに叩きおこ・・危ない、後ろだ、新入り!」
見張りの男の声にS−1がはっと振りかえる。
全身ズブヌレの男が数人、もう船べりに身を乗り上げていた。
(・・・泳いで近付いたのかっ・・・)どうやってこの船を音もなくよじのぼって来たのかは判らない。とにかく、この男達を乗り込ませたら、嫌も応もなく戦闘が始って
しまう。
「新入り、反対からも乗り込んできやがった!気をつけろ!」と言う声が響き、
緊急事態、戦闘準備、の警笛が甲板中に鳴り響いた。
海を泳いできた、と言う事は銃器や火器の類は持っていない可能性がある。
S−1は咄嗟にそう予測し、それなら(刃物が武器だ)と考えた。
だが、自分は武器など何も持っていない。だが、体が勝手に動いた。
甲板に乗り込んできた男の顎を高く蹴り上げる。「ぐわ!」と悲鳴を上げて、その
男が海に落ちる音がした。
「この野郎!」と次々と男が船の上に乗り込んでくるが、S−1に見向きもしないで
甲板を駆け出して行く者もあり、全てを海に蹴り落とす事が出来ない。
「船が近付いて来る!」
見張り台の上で誰かが叫び、甲板の数個所で大きな爆発が起こった。
「お頭に喧嘩を売るなんてどこのバカですかね」とシャンクスの身支度を手馴れた手つきで整えていたベンが鼻で小さく笑う。
「どこかの大バカが、小物を焚きつけてるんだろうさ」
「このシャンクスの首を獲ってきたら褒美をやる、とかなんとか言ってナ」
「面倒な話しだが、売られた喧嘩はどんなに小さくても買わずにはいられない性質だから、」そう言ってシャンクスはいつもどうりの身なりを整えて立ち上がり、
「買わせてもらうさ」とニタリと笑う。
(ライは・・・ライはどこだ?)S−1は激しい砲撃の撃ち合いになって大揺れに
揺れる甲板の上を必死にライを探す。
戦闘が怖くて、ライに庇ってもらうためではない。
まだ、杖をつかなければ歩けないライがもし、戦闘に巻き込まれていたらと思うと、
一刻も早く、無事な姿を見て安心したかったからだ。
「ライ!ライ!」と甲板での戦闘の視界を確保する為に迅速に焚かれた灯りを頼りに
S−1はライを呼ぶ。
「S−1来るな!」とマストの影からライの声がして、その声の制止も聞かずに
S−1はマストの裏側へ回り込む。
マストを背にして、真っ黒な服に身を包んだ男が斧を振りかざしてライの雷光を
上からグイグイ押さえつけている。いつもなら片手で跳ねのけられるだろうに、
足も腕も肩も痛めていて、手足が自由にならない今のライは明らかに力負けしていた。
「ライ!」S−1は瞬時に甲板に体を伏せ、足を床スレスレに走らせ、大男のくるぶしを掬う様に蹴り弾く。「うお!」ガクン、と足元が揺らいだ瞬間、ライは一際
大きく顔を歪め、渾身の力を振り絞って、大男の斧を雷光で弾き飛ばした。
その刀を返し様、男の頚動脈に雷光の切っ先をプスリと突き刺した。
「ライ!」「分かってるよ・・・でも、」S−1の前で殺せない、と分かっていても、
今の自分ではこの男を完全に叩き伏せ、戦闘不能に追い込む程の打撃を与えられない。
S−1を守る為には、この男にトドメをささねばと思うけれども、それをライは躊躇った。
S−1はライの躊躇いの意味を瞬時に読み取り、口をキっと引き結ぶ。
(俺がやらなきゃ、こいつはライを殺そうとする)そう思うと、怯えて竦んでいる
場合ではない、と勇気を奮い立たせる。そして、思いきり、その男の背中の中心に
飛びつくようにして、強く膝頭をのめり込ませた。
「ゲホ!」前のめりに倒れた男の背中に馬乗りになり、すぐに自分が身につけていた
ベルトと抜きとって、ギュウギュウと後ろ手にその男を縛り上げる。
「ライ、大丈夫か?」とS−1は慌ててライに近付く。マストに背中を押しつけ、
ライは左肩が一番痛むのか、顔をゆがめ、その左肩を庇う様に雷光を握ったままの右手を添え、ズルズルと甲板に崩れ落ちた。
「ライ!肩が痛む?」「僕は大丈夫、それより・・君は安全な場所へ・・」
「ミルクさん、スー、危ない!」とS−1に雑用の仕事の押し付けていた、
誰からも「あいつはドジでなんの役にも立たない」と言われていた、太った青年の
声が背中から聞えた。
振りかえるまもなく。砲弾が着弾し、破裂する。
その破片からS−1とライを守る様に、その青年が爆風の前に立ち塞がった。
S−1が血まみれでぶっ倒れた青年の名前を叫ぶ。
「お、お前が死んだら・・・俺がまた・・・一番下っ端になっちまうから・・へへ・・」「お前のおかげで随分、楽出来た・・・ありがとうな」とその青年はS−1に抱き起こされ、目を開いてそう言ったが、すぐに動かなくなった。
無意識に、S−1はその青年が腰に差していた銃を手に取った。
(ヤソップさんにはお前には勿体無エ銃だって言うけど、これは俺の自慢の品なんだ)
(いつか、狙撃手になれたら、こいつで大暴れしてやる)と言って、S−1に
見せてくれた、銃身の長い短銃。
「S−1!」ライが慌てて、銃を握っていたS−1の手を掴んだ。
また、自我が失せ、無意識に、無自覚に人を無造作に殺す「スイッチ」が入ったのかと
思ったのだ。「・・・違うんだ、」S−1は目の前の風景がユラユラゆれて、
見えている筈の色が点滅するかの様に、鮮明さと、灰色とが交互に見える。
「酷いよ・・・何も悪い事してないのに・・・どうして、こんな死に方しなきゃ
ならないのさ!」と腹立ち紛れに叫んでライの手を振り払い、思いきり突き飛ばした。
「S−1ダメだ!君は・・・人を殺しちゃいけない!」と言うライの言葉も
頭に血の登ったS−1には聞えない。
殺すつもりはない、でも、自分の力に飲み込まれるのが怖くて、怯えて竦んでいる内に、
たくさんの人が傷付いて死んで行くのを黙って見ていられない。
だから、自我はあった。
(ほう、コイビトを探してるのか、どんな風貌なんだ?)と皆、真剣にR−1の事を
気に掛けてくれた。その彼らがこれ以上、傷付くのは嫌だ。
出来る事があるなら、やらなければ。
機械の様に人を殺す機能と憤りが直結してしまったのか、
S−1は躊躇いもなく、一番船の戦闘状況がわかる見張り台に登った。
見張り台には、S−1が持っていた銃よりも更に性能のいい、距離も威力も
高い銃がある。
「新入り、ここから銃で狙って撃っても、味方に当っちまうぞ!」と言われたが、
S−1は構う事無く、銃眼を覗く。
そして、間違いなく、敵だけを、敵の足、肩、手などを狙って撃ち抜いた。
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