S−1を引き渡さなければ、貴様の部下を殺す。
そう、手紙を送った後、返事も待たずにクロはその行動を実行した。

ミルクは敵に対して冷静な男だ。
だが、時として敵を殲滅させる事よりも部下の安全を優先させる、と言う噂も
聞いた。自分が矢面に立つ事で部下の犠牲を極力少なくする方法を知っている。
クロが得た、それらの情報からミルクの弱点をクロは嗅ぎ取った。

(刀を交える前に、頭の中を沸騰させてやる)クロは自分が猫の手で八裂きにし、
殺した海兵達の死体を眺めながら薄く笑っている。

自分の独断で海賊の捕虜を匿い、その結果、自分の部下が目の前で骸になって
転がっているのを見たら、絶対に動揺する筈だ。
確かに太刀筋もスピードも自分と互角に渡り合える男はグランドラインでも
そうは多く無い。だが、それも精神的に冷静でいて、全神経を目の前の敵を倒す事だけに集中していたら、の話だ。

S−1が生きている。
そう知った時、血が沸き立つかと思う程嬉しかった。
そして、その気違い地味た喜びは同時にミルクへの憎しみに変わった。

S-1が死んだ、おまけにお前が殺したと言わんばかりの態度で、クロを欺こうとし、
その虚言に乗って打ちひしがれた自分を見、
(さぞかし、滑稽だったろうな)とクロはミルクに強烈な逆恨みを抱いた。

自分の艦隊を殲滅に追い込んだのも、その所為でS−1と引き裂かれたのも、
全て、ミルクの所為だ。殺しても殺し足りない。

S−1に対して、悲しい想いをさせたくない、と言う気持ちを抱いたのは本当だが、
クロにはそれがたった一つの例外だっただけで、今までの残虐で冷酷な性格が
変わった訳ではなく、S−1が傷つくのが判っていても、今はとにかく、
S−1を取り返す事しか頭に無かった。
こうして、必死になる事で自分の想いがS−1に確実に伝わればいい、とさえ
思っていた。

体中を撃ち抜かれて、どんなに痛かっただろう。辛かっただろう。
可哀想に。取り戻したら、2度とそんな思いはさせない。
いつもS−1が満たされるモノを溢れるほど用意して、誰からも傷つけられない様に
S−1が誰も見ないように大事に大事に、自分の船の中に一生、閉じ込めておく。

そんな夢のような想像をしながら、クロはミルクを待っている。
自分が切刻んだ海兵達へは一切、S−1へ向ける傷の痛みを哀れむような感情は向けられない。動物の骸を見るよりももっと興味無さそうにクロはただ、
「ミルクを動揺させる為に」だけ殺した海兵達の前に佇んでいるだけだ。

場所は島のはずれにある小さな漁村だった。

既にいつでも出航出来るように船の準備は整っている。
ミルクが現れたら、まず、S−1の居場所を聞き出し、それが終ったら
八裂きに切刻んで、それからS−1を取り戻す。

(R−1、とか言うやつの事なんか諦めさせてやる)とクロは腹を括っていた。
ミルクの船に殲滅させられる少し前まで、S−1の為になるなら、と鎖を解いて
自由にしてやろう、と言う気にはなったが、1度失ったと思った時、
ミルクに「S−1は死んだ」と聞かされ、永遠に会えないと知った時、
身を切られるような猛烈な哀しみで心がどうにかなってしまった。

1度枯れた植物にいくら水を与えても、腐るだけだ。
クロの心はまさにそうなっていた。S−1が死んだときいて、心が枯れた。
だが、生きている、と知って、枯れた心に喜びと言う水が沸いたけれども、
その水を枯れた心は吸収出来ずに腐ったままになった。

S−1が一番哀しむ事はなにかを忘れた。
大事だと思う相手を苦しめないこそ、一番大事な事なのに、
それに気づき掛けた時の気持ちは腐った心の中には残らなかった。

S−1がやっと、クロの気持ちに気づいてくれた時の言葉をクロは
間違い無く思い出せる。自分でもそれが不思議なほどだった。
何かに書きつけた事でもないし、繰り返し交わした言葉でもないのに、
そして、その言葉を思い出す度にS−1への愛しさが持て余すほど強くなる。

「もっと前にそれに気がついてたら、嫌な思いをしなくて良かったんだよ。きっと。」
「好きな相手に嫌われてるなんて、辛いに決ってる。」
「俺、ずっとクロが大嫌いだった。」
「死ねばいいって思うくらい、大嫌いだった。」
「動物みたいに俺を扱って、辛くて、憎くて、ここから逃げる事とクロを憎む事しか頭
になかった」
「好きな相手にそんな風に思われてるなんて、辛いよ。」
「せめて、優しくされたいって思うよ。」
「それなのに、俺、ちっともクロに優しくしなかった。」
「だから、今、クロは辛いんだろ。」
「クロは俺に優しい顔を見せてるけど、」
「例え、それが俺を騙すつもりのモノだとしても、」
「クロの辛いって気持ちだけは俺、信じてもいい気がする。」
「どうやって、人に優しくすればいいのか、判らないけど、」
「俺の所為でクロが辛いんなら、どうやったらそれが無くなるのか、教えてくれ。」

そう言った時の真剣な眼差しも、胸が苦しくなる位に懐かしくて愛しくて、
(どうにかなりそうだ)とクロは眼を開いた。

ミルクは、絶対にここへS−1を連れて来るようなバカは絶対にしない。
冷静になり、あの姑息な男を出し抜かねばS−1を取り返す事など出来ない。

島の外れにある漁村のさらにその最も寂れた小さな桟橋。
その桟橋が掛っている小さな突堤がクロとライとの決闘の場所だった。

「遅かったな」

クロは自分の部下達の死体を見て、呆然と立ち竦むミルクを見て薄く笑った。
ミルクの、ライの顔に見る見るうちに憤怒の形相が浮かんでくる。
それがクロには快感だった。

「約束が違う」
「海軍の将校が海賊相手にそんな寝言をほざくな」

クロはライの言葉に横柄に答える。
「貴様こそ、S−1はどうした」
「言った筈だ。彼はお前が殺したって」ライは即座に言い返す。
「もっとマシな嘘をつけ、」と言いながら、クロはもう息をしないライの部下の
背中にブスリと猫の手の切っ先を突き刺して見せる。

「こいつらの死体を全員、バラバラにして海軍本部へ名札をつけて送ってやろうか」
「それとも、海賊みたいに腐るまでどこかに吊るしてやるか」
「どっちがいい」
「これ以上の侮辱はないだろう。それがイヤならS−1の居場所を言え」

ライは聞き終わる前に刀を抜いた。
「そんな脅しで彼を渡せるか」
「どっちみち、海軍に捕まったらお前は縛り首だ」
「だが、お前は縛り首にもならない、今、海軍将校に斬り殺されて死ぬんだからな」

クロは目を細めて、凄まじい殺意を込めた眼差しをライへ向ける。
「お前が俺の船を狙わなければS−1は撃たれずに済んだ」
「あいつは誰にも渡さん。俺のモノだ」

クロがそう喚いた時、ライは地面を蹴った。
クロも受けて立つ。
高い金属音が静まりかえったみすぼらしい港に響く。

脇腹を狙ったライの雷光が空を切る。
狙いながらもライは自分の頚動脈を狙うクロの刃を避ける。
避けて、撃ち、飛び退り、勢いを貯めて、再び、撃つ。

クロは全部で10の刃、対してライは1振り、だがライの刀には様々な仕掛がある。
小さな分銅のついた鎖、刀の柄には含み針さえも数本、潜ませてある。
鍔迫り合いになった時、密かに含んでいた針をライは「フッ」とクロの目をめがけて
吹きつける。目を狙ったのではなく、顔のどこにでも刺さればいい。
だが、クロはそれを紙一重で避ける。顔に刺さっていれば、そこから腫れて
視界を大きく塞ぐ事が出来たのに、とライは1度しか使えない奇襲が失敗して、
小さく舌打をする。

「下らねえ手だ」とクロはライのその技をあざ笑った。
「針の使い方としてはまだまだ甘い」

「その針に毒が仕込んであるならどこに刺さっても相手を殺せるだろうが」
「それなら口に含めないだろう。そんなもの、大した武器じゃない」
「毒を仕込むなら、もっと大きなモノに仕込むといい」

凌いでいたつもりだったが、ライは既に数個所、軽い切り傷を負わされていた。
そこが焼けつくように痛む。そして、クロはニヤリと笑っている。

「急だったからそれで死ぬって毒は手に入れられなかった」
「だが、貴様の動きを遅くするくらいは出来る」
「俺のスピードに付いて来れるか、これないか、それが俺に勝てるか」
「勝てないか、の差だ。わかるか、ミルク」

(息が・・・)
ライは呼吸し辛くなってくるのを感じて、顔を歪める。
体が重く、呼吸が整えられない。

クロは容赦無く、ライに襲いかかった。
動けないなりにもライは必死でクロの刃を避ける。

「S−1はどこだ」

ズタズタに体を斬られ、そして、毒の所為でライは遂にクロの前に膝をついた。
肩先を貫かれ、その刃を肉の中で掻き回され、血管も肉もグチャグチャに
破壊される音が聞こえる所為で、意識をどうにか保っていられる。
髪を鷲掴みにされてクロはライにそう尋ねた。

「返して、その後どうするんだ」とライは切れ切れにそう聞き返した。
S−1を守りきれない。敗北の悔しさ以上に自分の不甲斐なさが情けなくて、
ライは朦朧としながら泣きたくなる。





せめて、刺し違えても絶対にクロの思惑通りにはさせない、と最後の力を振り絞って
雷光を握り締めた。

「貴様の知った事か」とクロはせせら笑った。
クロはライの刀をあっさりと取り上げる。もう、自分で体の制御が出来ない程、
ライの体からはたくさんの血が流れ出ていた。
「お前を殺したらゆっくり探せばいいことだったな」
「お前が邪魔さえしなければ簡単に取り戻せるんだ」
「自分の刀で喉を掻っ切って死ぬって言うのはどうだ」

そういいながら、クロはライの喉に鋭利な光りを放つ雷光の切っ先を突き付ける。
プス・と皮膚が切れたその時。

パン、と渇いた銃声が響いた。
クロは肩先に被弾し、背中から地面に叩き付けられる。

「ライから離れろ、クロ!」

S−1がクロに向けてまだ硝煙の立ち昇る銃口を構えていた。


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