「あいつを逃がした以上、1秒でも早くこの島を出よう」とライは決意し、
すぐに病院を出ると言い出した。
「でも、準備が」まだ何も整っていないのに、とS−1は唐突に性急な行動を
取りはじめたライに戸惑う。

「準備は私が整えています」とライの病室の床の上にひざまづいて、二人の身の回りの品を手早くまとめていたタキが笑顔でそう言った。
「どうしてタキさんが?」とS−1は驚いて、タキの側にしゃがんだ。
「どうしてって、ミルクさんに頼まれたから・・・」とチラりとライの方を上目遣いで見て、すぐに目を伏せ、語尾を濁した。

そのタキの視線をなぞって、S−1はライを振り返った。
ライは、と言うと腕組みをして壁の一点を凝視している。
どうやって、クロの目を欺き、無事にこの島から船を出すかを考えているのだろう。

「海軍の部下って休暇中のヤツの命令も聞かなきゃいけないのか?」とS−1は
不思議に思った。「休暇中の上官」と言う言葉が適当なのだが、海軍の肩書きや仕組みが
判っていないので、簡単に「休暇中のヤツ」と言う適当な言葉を使って、タキに
思った事を尋ねてみる。

「べ、別に命令じゃないですよ、私が好きで」と答えたタキの顔は何故だか真っ赤に
なっている。
「あの、あの、違うの、私、ミルクさんが好きって言うんじゃなくって、こういう
航海の準備とかの買い物をするのが好きって言うか、私も休みの日退屈だから
お手伝いしてただけって言うか、あの、ミルクさんのお手伝いをするのが好きなだけで、
私、別にミルクさんの事が好きって言うんじゃ、全然無いんです、尊敬はしてるけど、
そんなんじゃないんです」としどろもどろになって必死でS−1には理解し難い
言い訳をする。

S−1にはタキの気持ちも言葉も良く判らない。
(ライが好きなんじゃなくって、ライの手伝いをするのが好きってどういう意味だ)と
首を捻る。
「でも、それって側にいたいってこと?」と思ったままをタキに尋ねると、
ピンク色だった頬の色がますます赤くなり、まるでリンゴの様に真っ赤になった。
「ち、ち、違います、だから尊敬してるだけって」とタキは両手をブルブル振って
懸命に否定する。

「私、港へ行って船の準備を整えて来ますね!」言い訳が尽きたのか、S−1の
素直過ぎる尋問に根を上げたのか、タキはバタバタと二人の準備を整えて、
慌てて部屋の外へ飛出して行った。

(タキさんは、ライの事が好きなんだな、とっても)
何故、そう思ったのか、人、と言うモノとの接点が薄いS−1には説明がつけられない。
R−1以外、そして自分を庇ってクロに殺された男達以外は皆、S−1の心の中を
見ようともしない者達ばかりだった。心の中の感情が表情や言葉になって、
それを堰きとめようとすればするほど、それは絶え間無く噴き出る涌き水の様に
高く、強固な堰を超えて外へ溢れ出して行くもの、それをS−1は知らない。

けれども、理屈で説明は出来なくても、タキの心の中にある感情は理解出来た。
人をとてもとても好きだと想う気持ち、その人がいれば何も要らなくて、
その人と一緒にいれば、世の中の全ての事が皆、輝いて見え、
その人の為ならなんでも出来る。
その人の事を考えるだけで胸の中が温かくなり、その人が辛いと自分も辛い。
タキの心の中にはライに向けて、そんな想いが溢れている。

S−1ははっきりとそう感じた。

「ライ」「なんだい」

ライは知っているのだろうか。あんなに勇敢で、可憐で、一生懸命なタキを見て、
なんとも思わないのだろうか、(俺が気付いたくらいなんだからわからない筈ない)と
思って、S−1はライがタキの気持ちを知っているのか、いないのか、
聞いて見ることにした。

「ライはタキさんをどんな人だと思ってるんだ?」
「え?」ライは突飛なS−1の質問に一瞬、あ然となる。

「なんだい、いきなり」とライは微笑んでs−1の方に向き直る。
「航海の準備だなんて、船とか色々大変なのにそれを一人でやってくれるなんて」
「タキさんあ海軍の兵士だよ。それくらい、なんとも思って無いよ」

ライはS−1の言葉を笑いながら遮った。
「でも、なんか・・気の毒だ」ただ、一方的に恋をして一縷の望みに賭けて健気に
ライに尽くしているタキの姿を見て、「気の毒」だ、と言う感情が自然に沸いて来ただけなのだが、それもS−1は言葉で上手く説明出来ない。
「判ってるんだけどね。どうにもならないんだ」とライはS−1から目を逸らした。
「何も気付かない振りをして、タキさんが他の人を好きになるのを待つ事しか」
「僕には出来ない」とライは静かに呟く。
「なんでだ?」とS−1はライの言葉の中にある意味や感情を汲み取る前に
疑問だと思った事を即座に尋ねた。
「僕には好きな人がいるから。判るだろ、S−1」とライは逸らしていた目を
S−1に戻して、にっこりを笑う。けれども、その笑顔はどこか哀しそうで、
寂しそうにS−1には見えた。ライは静かな口調で、
「好きになってくれって言われて、好きになった振りをする事は出来るかも知れない」
「でも、好きな人を好きだと思う感情は自分でどうにか出来るモノじゃないだろ」
「例え、その人から嫌われたとしても、」
「その人には別にとても大切な人がいて、その絆を断ち切る事なんか出来ないって」
「嫌って程知ってても、どうにもならない」
「その人を好きだって気持ちを消せないのは苦しいけど、その気持ちがあるから」
「僕は生きていける」と言い、そしてまた、寂しげに笑う。

「それが、サンジなのか」ライの灰色の目からは寂しさや辛さが滲んでいるのを
S−1は見て取り、ライを(可哀想だ)と思った。
「仕方ないよ」とライはS−1の同情をすぐに感じ取ったのか、急に明るい声で
そう答え、「S−1だってそうだろ?例えば僕が、じゃあ、サンジさんの替わりに
なってくれって言ったら困るだろ」と言ってS−1の隣に腰を下ろす。
「そんなの、困る」とS−1は思いがけないライの言葉に驚いて、短い言葉で
慌ててそう言った。
「もし、R−1じゃなく、ロロノア・ゾロと出会ったらR−1の替わりに出来るかい?」
「出来ないだろ?そう言う事だよ」とライは言って立ち上がった。
「タキさんがどんなに僕に好意を持ってくれてても、僕は彼女に特別な感情は持てない、
「なにもしてあげられない。だから知らんふりをしてるんだ」

「ミルクさん!」とさっき出掛けたばかりのタキがノックもせずにいきなり
病室のドアを開けた。

「なんですか」
「今、病院の前に子供が尋ねてきて、これをミルクに言付けろ、と言われたって」と
タキは小さな封筒をライに差し出した。
その封筒の裏にはキャプテン・クロの署名が記されている。

ライはその封筒を破き、中に入っていた紙片に目を走らせた。
顔中に、体中に緊張が漲って行くのを側にいるだけで見て取れる。

「ちょっと出掛けてきます」とライはジャケットを羽織った。
そして、「雷光」を帯剣する。

「ライ、クロはなんて?」とS−1はライに尋ねた。尋ねずにはいられない。
胸の中が息苦しくなる。また、誰かが傷つくのではないかと言う不安と恐怖が
S−1の心臓をギュっと縮ませた。

「心配しなくていいよ、大丈夫。君の事は何があっても守る」
「クロはなんて言って来たんだよ」と自分の質問にまともに答えてくれないライに
S−1は焦れた。

「君を返せ、さもなくば人質を殺すって」
「人質って?」と尋ねる自分の声が震えているのをS−1は止められない。

「僕の部下が数人」とライはS−1に背中を向けた。
隠しても聞き出すまでS−1は食い下がってくる。誤魔化したり取繕ったり
する時間が惜しい。そう思ってライは正直に話した。

「でも、君は何も心配しなくていい」
「ここでタキさんと待っててくれ。すぐにカタをつけてくる」

(ああ、まただ)とS−1は目の前が真っ暗な闇に閉ざされるような思いがして、
堪らなくなる。
また、誰かが自分の為に傷つく。何も罪など犯していないのに、何故、こんなに
苦しい思いを繰り返さなくてはならないのか、と拳を痛い程握り締めた。

「俺も行く」
「逃げてるだけじゃこれからも同じ事の繰り返しになる」
「もう、俺の為に誰かが傷ついたり、殺されるのは嫌だ」


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