「ミルクさんはまだ、こちらの病院におられますか?」
それはやっと、ライの傷もS−1の体もほぼ、回復してニ、三日中には病院から
出て、R−1を探す為の旅を始める準備を整えようと具体的に相談を重ねていた
頃だった。
背が高く、身のこなしに一切の隙が無く、海軍の帽子を被った男が忙しなく歩いていた看護婦を申し訳なさそうに呼びとめてそう尋ねた。
「ええ、おられますが、」と看護婦は怪訝な顔をしてその男の正体を
眼差しだけで尋ねる。若く、気の強い彼女のその目つきは怪我をしている
海兵相手へ向ける優しいものではなく、警戒心とわずかな敵意が篭っていた。
「雑用時代の同期なんです。」と男はニッコリと人の良さそうな笑みを浮かべ、
自分の今の所属している海軍の部隊の名称とどこにでもいそうな名前を
口にした。
「大怪我をした、と聞いて。」とその男はまた、看護婦の警戒を解すように微笑んだ。
(フン)看護婦を饒舌に騙して、その男はライの病室を知り、最初は警戒した癖に
少し、本当の事を話すような顔をしてでたらめを並べただけで簡単に
自分を信じた、自分ではきっと有能だと信じきっているだろう、小賢しくも間抜けな看護婦を鼻で笑って、歩き出す。
余計な殺生は、本当の目的を果たすのに邪魔だから、その男はライの居場所を
その看護婦に尋ねたのだった。殺せば死体の始末に困る。脅せば後で騒ぎ出す。だから
殺さなかった。それだけの事だ。
「骸でも構わない。S−1の死体を取り返してこれば」
好きなだけ、金はくれてやる。
そう、あの悪名高いキャプテン・クロが大勢の賞金稼ぎや海賊に呼び掛けている。
男はそれに答えようと海軍の病院に単身で乗り込んで来たのだ。
男は一匹狼の賞金稼ぎだ。情報を入手し、それを分析して自分なりに推測する。
この病院に海軍の兵士に身をやつして潜入する前に、この病院から海軍の兵士以外の
死体が搬出されたかどうか既に調べてあった。
(もしかしたら、S−1って奴はまだ生きているかも知れない)と男は
考えた。骸を持って返れば好きなだけ金をやる、と言うくらいに大事な玩具なら、
生きて連れて帰えり、上手く取引すれば、一生遊んで暮らせるくらいの金をクロから
ぶん取る事が出来るかもしれないと、胸算用している。
「S−1は死んだ、とミルクが言った」とクロは言っていた。
その情報から考えると、ミルクの身辺を探れば必ず、S−1の生存の有無が
わかる筈。
クロが海軍の牢屋から大暴れして脱走した癖に、自分で海軍の病院へとS−1を奪還しに来れないのは、それだけ、病院の周りの警備が厳しくなっているからか、
あるいは、(ホントに死んでるのが判ったら正気でいられなくなるからか)と
男はそんな風に思った。
(海軍のミルクか・・・まさか、病院の中じゃ武器を携帯しちゃいないだろう)
賞金の掛った海賊の顔なら覚えているだろうが、賞金稼ぎの顔までライが
覚えているとは思えないが、万が一、サシで勝負になった事を予想すると
とても勝ち目はない。
でかい図体で信じられないほど素早く動き、痛ささえ感じさせずに腕でも足でも頭でも
ぶった切るくらいは簡単にやってのける男だと聞いている。
男は賞金稼ぎであっても、腕っぷしにはさほど自信がない。だが、その分、
駆け引きと、情報を探り出り、分析し、勝利を弾き出す算術には長けている。
気配を殺し、そっとライがいる、と教えられた病室に近付いた。
ドアごしに声が聞こえる。会話をしている様だか、内容までは聞き取れない。
(誰と話しているんだ?)ライには部下もいれば、従軍している専用の軍医もいる。
病室で二人で会話しているからといって、それが即、「S−1」だと言う根拠は
一切ない。
聞き耳を立てようとドアの側に近寄った。
途端、部屋の中の会話がプッツリと途切れる。
(!しまった)
気配は殺したつもりだったのに、悟られたか、と男は姿勢を正した。
幸い、今、自分は海軍の兵士と同じ格好をしている。上手く取繕えば、なんとかなる、
いや、なんとかしなければ、と男はドアの外で直立不動の姿勢でドアが開くのを待つ。
ドアノブが回って、少しドアが開いた。
青い髪、灰色の目の男が訝しげな目で僅かに開いた隙間から、賞金稼ぎを
見下ろしている。一目見て、これが「ミルク」だと判った。
「ここで何をしてるんです」
ライは自分の病室にS−1のベッドを運びこませ、ここ数日、寝起きを共にしていた。
よほど、R−1の事が心に引っ掛かっているのか、あまり食事も摂らないし、
一人で放っておくとどんどん悪い方へ、悪い方へと考え込んで行くようなので、
出来るだけ側に置いて、サンジとゾロの話を聞かせて、一生懸命にライは
S−1を励ます事に心を砕いていた。
ライはどんな船に乗り、どんな荷物を積み、どこをどうやってR−1を探すか、など
極力明るい口調と表情でS−1に話していた時、ドアの外で不信な気配を
感じて、警戒しながらドアを開いた。
後ろ手に、つい、習慣で愛刀の「雷光」を隠し持って。
「ご報告を、と命令されて伺いました」と海軍の帽子を深く被った男は緊張している
口調ながら、そうはっきりと言った。
「休暇中ですから伺う義務はありません。」とライは答える。
「キャプテン・クロが病院の外へ現れたそうです。」
「なんだって」ライは思わず、声を荒げた。
警備はこれ以上ない程強化しているし、こんな真昼間から自ら虎穴へ頭から
突っ込んでくる様な真似をする程、クロは愚かではない。
「我々だけでは応戦出来ません。早く、指揮を」と言う男にライは
「判りました、すぐに行きます」と答えた。
「ライ!」S−1は帯剣して身支度を整えているライの腕を掴んで、
「クロが生きてるんだね?」と真っ直ぐにライの目を見てそう尋ねた。
「生きてる、逃がしてしまったんだ。君をとり返しに来たに違いない」とライは
口早に答えて、そっとS−1の手を握ってその腕を柔らかく振り解く。
「俺、クロと話したい。きっと判ってくれる。俺も行く」
「バカ言うんじゃないよ、S−1」とライは手袋を嵌めながらS−1に向かって
はじめて、厳しい口調で
「クロは君を傷つける事しか考えてない。君を檻の中に閉じ込めて、一生繋いで置くことしか頭にないんだ。そんな奴に話なんかするだけ無駄だ」
「クロは俺を殺さなかった、俺が今、生きてるのはクロが俺を生かしてくれたからだ」
「違う、それは君がR−1のところへ帰る為に頑張ったからだ」
「ライ!」理屈では絶対にライに勝てない、と思ったのかS−1はライの腕をまた
掴んで名前を呼んだ。
「クロを殺すのか?」
ライは真っ直ぐに自分を見る紫色の瞳の中の感情を理解出来ない。
何故、クロの命を惜しいと思えるのか、S−1の目はライに懇願している。
クロの命を奪わないで欲しい、と切実に縋っている。
初めて見る、S−1のS−1だけの表情にライは言葉を一瞬、失った。
サンジと同じ目の形、鼻の形、唇の形、眉毛の形、肌の色なのに、S−1は
サンジとは全く違う、とこれほどはっきりと判る表情は見た事がなかった。
「ダメだよ、S−1」ライはまたS−1の腕を振り解いて、懸命に自分を
見つめているS−1の視線に負けないように自分の信念を篭めて
見つめ返した。
「僕は君をR−1のところへ無事に送り届ける約束をした」
「その約束を果たす為に必要なら」
一瞬、ライはその言葉を口にするのを躊躇ったが、
「クロを斬る。」ときっぱりと言い切った。
「何もかもに同情してたら大事な物がどんどん遠くなるだけだ。」
「君にとって必要なのは、クロじゃなく、R−1だろ」
「誰ですか、あなた!」とライとS−1が言い争っている間、見慣れない男を
ライの病室の前で見掛けたタキが大声を上げた。
「所属部隊と名前をおっしゃい!」と短銃を男の背中に突き付け、引き金に指をかけて怒鳴った。
「お、俺は・・」男はゆっくりと両手を上げながら、さっき、看護婦を騙したのと同じ名前を言うと、「そんな名前の者はその部隊にはいない、何者ですか!」とタキは
また怒鳴った。
「え?」ライは驚いてタキを見る。
「本当ですか、タキさん」とドアの側にいる男を挟んで向こうにいるタキに
尋ねると、タキは「知りません」と言うように首を振った。
「ッチ」男は小さく舌打ちし、瞬間しゃがんで即座に立ち上がった。
タキの銃口がぶれる。それを狙いすまして、男はタキの腕を両手で絡みとって
あっという間に銃を持ったままのタキのを締め上げる。
「「タキさん!」」とライとS−1が同時に男の暴挙に思わず、声が大きくなる。
「・・くっ・・」とタキは苦しげな顔をしたが、唇を噛み締め、
「えい!」と気合の入った声を出すと同時に背中からドウっと床に男ごと倒れ込む。
男の拘束が緩んで、タキはすぐに跳ね起きた。
男はどう足掻いても、不利だと見て、一目散に廊下を走り出す。
「タキさん、S−1を頼みます」と言いおき、ライはその男を追うつもりで
走り出した。が、また「ライ、待ってくれ!」とS−1の声に呼び止められた。
「あれはなんだ、誰だ?なんで追い駆けなきゃいけないんだ、あいつも殺すのか?!」
(S−1、)ライはそのS−1の必死な様子を見て急に息が苦しくなるほど胸が
痛くなった。
クロを殺さないで欲しい、というのはクロへの同情ではない、とわかった。
たくさんの人を目の前で殺されて、あまりにもたくさんの死を見過ぎて、
S−1は人が死ぬ事、殺される事が恐ろしくて堪らないのだ。
誰かが誰かを殺したり、殺されたりする、それが自分の側で起こる事に
過剰なほど怯えているだけなのだ。
「S−1さん、そんな顔しないで」とタキは泣きそうな顔のS−1に
ニッコリと笑いかけて、首元までキッチリと閉めていた上着のジッパーを
ゆっくりと下した。
「私、一生懸命探したの、港の回りとか・・で、やっと見つけたの」
タキの胸のあたりがもぞもぞと動いた。
「あ・・・」S−1の目がそこに釘付けになる。
「ニャア」とタキの胸元から顔を覗かせたのは、灰色の子猫だった。
キョロキョロと周りを見ていたが、すぐにS−1の顔を見つけて、一際高く
「ニャアア」と鳴いて、S−1の胸の中へ飛び込んできた。
「生きてたのか、良かった、ずっとホントに心配してたんだ」と
言うS−1の頬に子猫は顔を擦り付け、肩に乗り、S−1の頭に体ごと擦り付ける様にして甘えて喉をゴロゴロと鳴らす。
ライとタキはS−1が本当に嬉しそうに笑った顔を初めて見、暫く
黙ったままただ、微笑んでその様子を眺めていた。
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