「あいつが待ってる筈なんだ、あそこで。」
ようやく、海軍を振りきって港の見える町にまで辿り着いた時、ゾロは
遠くに見える灯台を指差して、ルフィとウソップに言った。
「だから、先に船に。」
「何時間経ってると思ってんだ、ゾロ。」とウソップがゾロの「先に船に帰っててくれ」といい掛けた言葉を途中で、呆れた口調で遮った。
「あのサンジがお前をこんなに長い間、ボサっと待ってる訳ねえだろ。」
「ここからお前一人であの灯台まで行ったらまた、道に迷って余計に時間を食うぞ。」
「一旦、船まで戻って、サンジが船にいない様なら灯台に迎えに行けば良いじゃねえか。
これ以上、遅くなるとナミがやかましいぜ。」
その意見に異論を唱えている時間があれば、足を動かしてさっさと港へ帰ったほうがいい、とゾロは思った。だから、灯台には寄らずに直接、船に帰ってきてしまった。
だから、サンジの言葉が胸にグサリと突き刺さった。
「約束破って悪かった。」と、搾り出す様に言った言葉に息さえ詰まる。
「約束、」約束を破ったのは自分の方だと言った時、自分に向けられるだろう
サンジの攻撃的な感情を受けるのに怯えているのではなく、
ゾロは、自分自身がサンジとの約束を破ったことの罪の重さが胸を締め付けて、
言葉を、声を出すのが辛かった。それでも、サンジの素直過ぎ、残酷なほど
率直な言葉に黙って唇を噛んでいるだけではあまりに 恥知らずだ。
「破ったのは俺の方だ。」とゾロは自分の言葉で自分の胸の痛むのを堪えて
声を絞り出した。
「こんな事になるなんて、全然、頭になかった。」
自分の言葉の全てが言い訳に聞こえる。
コバトの我侭になど、耳を貸さなければ良かった。
サンジが船に帰る、と言った時、その理由にもっと関心を示していれば良かった。
後悔しなければならない事ばかりで、けれど、それを全て口に出しても、
サンジの怪我の痛みを僅かでも軽くしてやる事さえ出来ない上に、
「約束」と言う戒めをサンジに課しておいたくせに、それに対して、
自分のあまりに軽はずみだった行動が許される訳でもない。
「ゾロ、」サンジは辛そうに眉根を寄せて、顔を背けて、
「悪イが、もう出ていってくれねえか。」と言う。
そのサンジの態度は、
言い訳など、聞く気もない、聞きたくない、ゾロと話しをしたくない、と言う
意志表示にゾロには見えた。
いつもなら、もっと攻撃的な言い方、
例えば、「さっさと出ていきやがれ」などと怒鳴って暴れるだろう。
それが出来ない程、傷が痛み、体のダメージが大きい、その原因を作ったのは
コバトでも、その片棒を担いだのは間違いなく、自分だと改めて、ゾロは思い知る。
そして、胸がさらに重く、鈍く、痛くなる。
けれど、「出ていってくれ」と言われて、大人しく出て行く事など出来ない。
痛むなら、余計に側にいて、その苦しい思いを共有したい、しなくてはならない。
「ここにいさせてくれ。」
お前の指図なんか、受けねえ、と普段なら言えた。
だが、今はそんな傲慢な言葉が言えた立場ではないし、毛頭、今、ゾロには
サンジに対して、猛烈な後悔と心から詫びたい、償いをさせて欲しい、と言う
気持ちだけが向いている。その気持ちがなんのこだわりもなく、自然に口をついて出た。
ゾロの言葉にサンジはゆっくりと背けていた顔をゾロの方へ向けた。
目がどこか虚ろで、額にはしっとりと汗が浮いている。
少し湿った髪は恐らく、痛みに耐えている間にひっきりなしに体に滲む脂汗の
所為だろう。薄暗い中に少しはだけたシャツの間から白い包帯と細い鎖骨が
ゾロの目に飛び込んでくる。
かすれた声で、「俺が悪かった、」と言った声が頭の中で木霊する。
強い男だと知っているのに、目の前のサンジは痛々しくて、頼りなくて、
儚くて、自分との約束を必死で守ろうとして出来なかった事を苦しそうに、
悔しそうに謝る姿を見て、抱き締めたいと言う衝動に駆られた。
ここにいたい、と言う気持ちも、サンジを力一杯抱き締めた事もゾロの我侭だった。
「っう・・・あっ・・・っ。」
その衝動のままに、ゾロはサンジを抱き締める。途端、サンジの体は強張り、喉からは
切れ切れの悲鳴が上がった。
「・・・は、っ離せっ。」サンジはゾロの腕の中で身を捩る。
「離せ、痛エ、痛エ、痛エっ。」
サンジは身を捩りながら、必死の態で狂った様に「痛エ」と言う言葉を連呼した。
これほど、痛みをはっきりと口にするサンジに驚いて、ゾロは思わず、
腕の力を緩める。ぴったりと合わさっていた胸の間のわずかな隙間にサンジの素早く
曲げた足がさしこまれたのがゾロの目に入ったと思ったら、
凄まじい勢いで壁に向かって蹴り飛ばされた。
「っああっ・・・っつう・・・ううう・・・」
壁にゾロが叩き付けられる音とサンジの大きな呻き声が上がったのは殆ど同時。
サンジはベッドの上でのたうち回っている。
ゾロは慌てて立ち上がり、すぐにベッドに駆寄った。
「大丈夫か、」と声を掛けるなり、サンジはうつむいたまま、目だけで
キッと敵意をゾロに剥き出しにし、
「出て行け、」
語気は荒いが、サンジの罵声は掠れた息の中の小さな声だった。
金色の細い髪の間から覗いている、その鋭い目つきにゾロはたじろぐ。
どんなに凶悪な海賊だろうが、賞金稼ぎだろうが、かつては、七武海の鷹の目のミホークにさえ、たじろいだ事などない、「たじろぐ」と言う感情をゾロは今、この瞬間、
初めて体験した。
その所為で抱き起こそうと添えるつもりだった手が行場を失って宙に浮く。
「頼む、出て行ってくれ、俺。」
「今何を言い出すか、自分でもワケわからねえんだ。」
何時の間にか、サンジの獰猛だった目つきが和らいで、また、虚ろな眼差しに
変化している。そして、ゾロがそれを確認した途端、サンジは痛みに強張っていた
全身の力をゆるゆると抜いて、ゆっくりとシーツの上に体を伏せた。
ベッドに倒れ込む、その衝撃さえ手の神経は敏感に感じ取って激痛のシグナルを
脳へ伝送する、それを少しでも緩和するには自分の体に極力衝撃を与えず、
安静にする他はない。
「みっともねえトコみせたくねえ。」
「てめえが俺の首締めて、オトせるって言うなら、ここにいさせてやるよ。」
「それが出来ねえんなら、出ていってくれ。」
サンジはゾロへ背を向けたままでそう言った。
その背中は、まだ、痛みに耐えて小さく、上下している。
「サンジ、」ゾロがサンジの名前を呼んで、悪かった、と唇が動く寸前、
サンジは追い討ちを駈ける様に、静かに「出ていってくれ。」と繰り返す。
どうすればいいのか。
言われるままに、ドアの外に出たゾロには判らない。
出口を塞がれた迷路に放り込まれたような気分だった。
「命に別状はないよ。」と言うチョッパーの言葉に安心はする。
だが、その言葉さえゾロが迷い込んだ迷路の地図の一片にもならない。
約束を破った事に対して、自分に対して、もっと罵声を浴びせて欲しい。
その方がきっと、ずっと、楽でいられる。
痛みの間隙を縫って、投げつけられたサンジの言葉はゾロの心に罵声よりももっと、
鋭い後悔の楔を打つ。
「どうすりゃいいんだ。」とゾロは誰に言うともなく、呟いた。
サンジの言葉が頭の中をぐるぐると回るだけで答えが出ない。
「頼む、出て行ってくれ、俺。」
「今何を言い出すか、自分でもワケわからねえんだ。」
都合の良い解釈などではない。サンジの事を誰よりも知っているゾロだから、
その言葉の中にあるサンジの本当の気持ちが判り過ぎるほど判る。
(俺を責める気なんて全然ねえんだ、あいつ。)
それどころか、自分の暴言がゾロを傷つける事を恐れて、サンジはゾロを近付けない。
みっともないところを見せてはこれから先、侮られちまう、と言ういつもの
下らない意地から出た言葉じゃない、とゾロには判っている。
判るからこそ、余計に辛い。
「痛みが引いたら、きっと落ちついて話せるから、それまで辛抱しなよ。」
「サンジの方がずっと辛いんだから。」とドアを背にして、突っ立ったまま
腕組みをして考えこんでいるゾロのシャツをチョッパーがそう言って引っ張った。
「三日もこのままなんて、たまらねえ。」とゾロは溜息をつく。
サンジはサンジ自身の意地やプライドが邪魔をして、素直に嫉妬の感情が出せなくて、
その感情のやり場をコバトの目を治療する為の金を工面する事に奔走する事で
自分自身を誤魔化そうとした。
だから、冷静さに欠き、結果、この有様だ。
チョッパーはゾロの同意も否定もせず、黙ったままじっとゾロを見上げている。
愚痴を吐くつもりはないが、ゾロは思ったままの事を溜息混じりに呟く。
「謝って、許してもらえないより辛エよ。」
「謝らせても もらえねえ、それなのに許されるってのは。」
悪いのは自分だと自分が思っているうちは、誰が許してくれてもその咎が軽くなる事はない。
「てめえのバカさにてめえで嫌気が差すぜ。」と最後に大きな溜息ととともにそう言ってゾロはチョッパーの隣に腰を下ろした。「ここにいる分には、かまわねえだろ。」
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