「多分、サンジは誰にも会いたくないと思うから、」
「誰もこの部屋には俺が入れてあげられない。」とチョッパーはきっぱりと言い切った。

(誰にも会いたくない?)ゾロはチョッパーの言葉の意味をすぐには理解出来なかった。
「どんな怪我なんだ。」と頭で物事を考える先に言葉が出る。

「手と肩と両足。」とチョッパーは面倒臭そうに、と言っても、本心からではなく、
そんな態度をわざと装って、ゾロに自分の感情を示そうとしている様にゾロには
見えた。

(もっと早く帰ってこれば、しなくて済む怪我だった。)とチョッパーのその態度を見て、ゾロは胸が詰まる。

「どれくらい、酷いんだ。」それでも、ゾロはチョッパーに食い下がる。
どのくらいの怪我なのか、どんな状態なのか、自分の目で見ないと不安が拭えない。
「明後日には会えるから、それまでは誰にも会わせない。」とチョッパーは
頑としてゾロの前に座り込んだまま動かず、ゾロの質問にも禄に答えない。

「悪かったよ、オトナゲない事しないでせめて、怪我の具合くらい」
ちゃんと教えてくれ、と言い掛けたゾロをチョッパーは下から、厳しい視線で
見上げ、「謝る相手が違うんじゃないか。」とゾロの言葉を遮ってしまう。

相当に、怒っている様だ。

だが、逆にサンジの側にぴったりと付き添っていない事や、こうやって感情的になっている事から察すると、サンジの怪我はそう切羽詰まった状態ではないと思って良い。

だからと言って、チョッパーの意地悪に引き下がるゾロでもなかった。
「だから、謝るつもりで来たんだろ、通せよ。」とゾロが言えば、
「明後日まで待てって言ってるだろ。」とチョッパーも言い返す。

「なんで明後日まで待たなきゃならねんだ。」
「俺は、1秒でも早くあいつの顔を見てえっつってんだ。」とゾロは
チョッパーの真正面に仁王立ちになって威嚇する。
「サンジはね、今、麻酔をかけられなくて猛烈な痛さと戦っている最中なんだ。」
「きっと、物凄く辛い思いをしてる。」
「そんな時間が長く続けば、気が変になって言わなくてもいい暴言や弱音を吐いちゃうに決ってるんだ。」
「そんなサンジを俺は誰にも見せたくない。」
「サンジだって、誰にもそんな姿を見せたくないって思ってるよ。」
「ゾロだって例外じゃない。」

チョッパーはゾロの威嚇にも負けずに一息でそう怒鳴った。

「明後日までなんて待てねえ。」とゾロはチョッパーの前にしゃがみ込んだ。
脅しても効果がない、それなら、どれだけ自分が今、サンジの顔を見たいか、
サンジに何を言いたいかを全て伝えたら、きっとチョッパーは理解してくれるだろう。

「麻酔をかけたら、分断された神経がどれだけ再生しているか、判断出来ないんだ。」
「痛みを感じるって事は神経が壊死しないで生きてるって事だ。」
「サンジの手の神経のおおよそがちゃんと再生しはじめるのを確認するまで、」
「その時間が三日間だ。」とゾロの態度が柔らかくなったので、
チョッパーの方も理路整然とゾロにサンジの怪我の具合を説明し始めた。

「分断?」「掌を、」チョッパーはゾロの手を取って、肥爪でなぞる。
サンジの右手がすっぱりと切られたその傷の軌道。

「こんな風に。」とチョッパーの言葉を聞いて、ゾロは背筋に寒気が走った。
(どうして)「どうして、そんな怪我を」心の中に浮かんだ疑問がそのまま口に出る。

「盗賊から宝を盗んだんだって、コバトの目を治す為の金が欲しくて。」
「それで、盗賊に切られたんだ。」
チョッパーの説明を聞いて、ゾロは頭の中の血液の温度が急にカっと熱くなる。
「なんだと。」
けれど、そんなゾロの感情をチョッパーが淡々とした口調で話す声がすぐに宥める。

「盗賊に怒るのは、筋違いだよ、ゾロ。」とチョッパーはやっと腰を上げた。
「立派な人達だったよ、俺達が海軍に襲われてるところを助けてくれた。」
「それに、化膿しない様にって特別な薬をくれたし。」
お互いが少し、冷静になったのを数秒、黙って視線を交わして確認する。
そして、チョッパーはドアの中へ向かって声を掛けた。
「サンジ。」

「ゾロが帰ってきたよ。」

また、数秒、沈黙があった。
「入れてくれ。」と中からくぐもった声が返って来る。

離れていたのは二日とないのに、ゾロはその声を聞いた途端、猛烈な懐かしさを
感じた。

夜の海は月明かりで甲板にくっきりと影が出来るほど明るいが、
カーテンで窓も閉じきったナミの部屋にはなんの光源もなく、ゾロが開いたドアから僅かに月の明かりが入って行くがベッドまでは届かない。

サンジは、鎮痛剤を飲む事は出来ない。
飲めば、全身の痛みが薄れる。チョッパーが知りたい、掌の神経が順調に回復する時の
痛みという悲鳴が聞こえなくなってしまうからだ。

腹と肩の傷の痛みはどうしようもなく、けれど、これは慣れた痛みで耐えられない程ではない。
足の痛みだけはチョッパーが部分的な麻酔を施してくれたから
歩く事は出来ないが、痛みはない。

手には網の目の様に神経が張り巡らされ、それらの1本、1本が痛覚を感じる自分の
性能を自己主張かの様に、鮮烈な痛みの信号をサンジの脳へ伝えつづける。

息をする自分の胸の振動さえ、その痛みを増幅させる。
寝返りなどしようものなら、掌の上に岩を叩きつけられたと思う程の
重く、壮絶な痛みがサンジの体に走る。

やたらギシギシギシギシと音がすると思っていたら、自分が歯を噛み締めている音だった。

(痛エ、畜生)痛みに負けて気を失うか、疲弊しきって昏睡してしまうかになるまで、
痛みは絶え間なく、サンジを翻弄する。

なんでこんなメに遭うんだ。
畜生。

痛みしか感じない状態で理知的で理論的な思考など出来よう筈もない。

「そんな時間が長く続けば、」
「気が変になって言わなくてもいい暴言や弱音を吐いちゃうに決ってるんだ。」

と、チョッパーが言っていた通り、サンジの心の中はサンジらしくもない、
ヤツあたりで一杯になっている。

自分が冷静さを欠いた結果だと判っているだけに余計に腹が立つ。
こんな時に思い出さなくてもいいのに、ゾロとコバトが口付けていた光景が頭を過る。
手を繋いで、甲板を楽しげに歩いていた光景が瞼に映る。

あいつは俺のモンだ。
勝手に触るんじゃねえ。

普段なら絶対に思いもしない事までが勝手に頭の中に浮かんで暴言になり、
コバトに向かって悪態をつく。

しかし、すぐにそんな自分に嫌気がさす。
するとまた思考の中は「痛エ、痛エ」と不毛な言葉で一杯になってしまう。

どれくらいの時間が過ぎたのか判らなくて、ベッドの中でのたうち回っていると、
チョッパーの声が聞こえた。

「サンジ。」
「ゾロが帰ってきたよ。」

寒気がしたり、唐突に体が燃える様に熱くなったり、
ひっきりなしに体が痛かった所為で、サンジは自分の体がとても疲れているのを、
チョッパーの声を聞いて唐突に気がついた。

そして、「ゾロが帰って来た、」と聞いてカチンカチンに強張っていた感情が
一気に溶けて行くのを感じた。

帰って来るに決っている、と思っていたのに、痛みに錯乱しかけた頭の中でどこか、

自分との約束を守らなかった事がまるで、ゾロはコバトを選んでそのまま
どこかへ行ってしまうのではないかと言う不安を無意識に感じていたのだ。

そんな事は絶対に有り得ないのに、(バカか俺は。)とサンジは自分の錯乱していたとはいえ、あまりに馬鹿馬鹿しい妄想を自嘲する。
が、その溜息まじりの嘲笑の揺れはまた、激痛になってサンジの掌に爪を立てる。

その痛みを歯が軋むほど噛み締め、息を詰めて堪えた。
額から汗が滴り落ちる。その痛みに慣れ、息を整えて、サンジはようやく答えた。

「入れてくれ。」

そして、ゾロが入って来た。
暗くて、よく顔が見えないから、サンジは体を起こしたいと思ったが、
その時に感じる衝撃、痛みに怯えた体がサンジの意志に反抗して自由にならない。
それでも、どうにか、体を起こした。




(まず、そうだ。)謝るべきなのは、俺だった。

ゾロの気配を感じた途端、サンジの「痛みに錯乱して訳の判らない事をわめく」
自分をゾロに見せたくない、と言う意地が頭をもたげた。

約束の場所でゾロが来るまで待つ、と言ったのに、待っていなかった。
待つつもりだったのに、待てなかった。だから、謝らねばならない。

「約束を破って悪かった。」

自分が声を出すだけでこんなにも手が痛い。
それでもサンジはそれだけはなんとんしても言わずにはおれなかった。

ゾロが例え、何時間遅れようと帰って来る時には必ず、自分達が待ち合わせ場所に
決めたあの場所に立ち寄ってきた筈だとサンジは信じきっていた。
「あの灯台の下で待っている」事だけが約束だった。
それを先に破ったのは自分だから、そう思ったから、サンジは謝ったのだ。
ゾロは何も悪くない。今まで腹の中でヤツあたりした相手も
何故か、今回はゾロではない。
サンジは心底、ゾロが悪いなどと微塵も思っていないからだ。


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