第二話「回想」

「盗賊から足を洗うだと?」
「俺は、盗みはしたが、人を殺めてもいねえし、火付けもしてねえ」
「盗みに入った家は今だって傾きもせず、どこもみんな繁盛してる」
「これからは堅気になって、マジメに働こうって言ってるんだ。お目こぼししてくれても
バチは当たらねえだろう」

この町で料理屋を開く、と言う申し出をしに町役人の家を訪ねたら、その町役人、ゲンゾーは悪い事に、ゼフの事を知っていた。
元盗賊のゼフの罪を責めて、縄をかけて捕まえる、と言うので、ゼフは必死に弁明をしている最中だ。
だが、サンジはそんな退屈なやり取りよりも、もっと気になる事があった。

(…なんで、こんなビンボー役人の家に、こんな綺麗な人がいるんだろう?)
ゲンゾーの側に座っている、蜜柑色の髪をした美少女に目が奪われて、店が開店出来るかどうかとか、ゼフも自分も盗賊だと言う事で咎めを受けるかなど、全く気にならない。
それより、(まさか、妾?でも、そんな甲斐性も無さそうだ…娘にしちゃ、似てねえし…)
(お内儀じゃねえだろうな?いや、それじゃ年が離れすぎてる…。第一、このビンボー役人のオッサンにこんな美人が嫁に来るワケねえしな…)そんな事の方が気になって、
サンジはその美少女に見惚れていた。

「…ゲンさん、もういいじゃない。堅気になるって言ってるんだから」
「盗賊だったって事は秘密にしてあげるし、お目こぼしもしてあげる」
「その代わり、売り上げの…そうね、三割五分、毎月キッチリ納めてちょうだい」

それが、サンジが初めて聞いたナミの声だった。
ナミがゲンに取り成してくれたお陰で、元盗賊の頭ゼフは、罪を見逃して貰えたばかりでなく、
望みどおり、小さな料理屋を開く事が出来た。

けれど、ナミはサンジとゼフの店「腹茶恵」に毎月「三割五分、キッチリ」金を取り立てにやってきた。

「…ねえ、なんで、盗賊の足を洗った頭にいつまでも仕えてるの?」
「あんたも元盗賊でしょ?こんなはした金をチマチマ稼ぐより、盗賊してた方がいいんじゃない?」

梅が散り、桜が満開になった頃、サンジはナミにそう尋ねられた。

「俺は盗賊がしたくて、あのジジイの側にいるんじゃないから」
「…そうなの?」
「…それより、…えっと、おナミさんはなんであのゲンゾーと…」

自分の事を話すよりも、ナミの事をもっと知りたい。だが、なんだか複雑な事情がありそうだ、と言う事に途中で気がついてサンジは言葉を濁した。
だが、ナミはそんな事を気にも留めずに、

「ああ、ゲンさんとあたし?ゲンさんはね、あたしを身請けしてくれたの」と明るく、
サバサバとした口調で事情を話し始めた。

「あたしは廓育ちでね。最初についたお客さんが怖くて逃げたところをゲンさんに助けて貰ったの」
「それからすぐ、亡くなった奥さんにそっくりだからって、ゲンさんはあたしを身請けしてくれたの」
「だから、あたしは一回も客と寝た事ないわ。今も綺麗な体のまんまよ」
「でも、あたしを身請けした所為で、ゲンさんはあちこちにたくさん借金があるの」
「ここんとこ病気がちだし、楽させてあげたいから、あたしも何かお店を持ちたいのよね」
「だから、…悪いと思うけど、お金が欲しいのよ」
「あんたは?…ええと…サンジ君は?どうして?」

改めてナミにそう聞かれて、
「今まで、誰にも話した事もないし、話したいと思った相手もいなかったけど、」
「なんだか、ナミさんには…俺の事、聞いて欲しくなったよ、」とその時感じた事をそのまま言葉にした。
女性に相手に心を偽らず、飾らない言葉を話したのも初めてのような気がする。

「俺は…。そうだね、俺も恩返しかな」
「…俺…二年前にジジイに行き倒れていたトコを助けて貰ったんだ」

それから以前の記憶はサンジにはない。

「…盗賊って、色々役目があるんだよ」
「俺は、大店の料理人の中にもぐりこんで、そこのお嬢さんとか…おカミさんとか、
…衆道の番頭とかを引っ掛けて内情を探る役をしてた」
「でも、なんだか、…自分の料理を食って美味いって言ってくれるのが嬉しくなってきてさ」
「盗賊として生きて行く腕とか、料理人に化ける為に料理の修行してくれたのも、あのジジイだ」
「ジジイが足を洗って、一味を解散して料理人になるって聞いても、
俺はジジイから離れる気になんてさらさらなかった」
「ジジイに拾われた時は、まだガキだったから、世の中のどこにも自分の身の置き所がないって言う不安で、心細くてたまらなかったけど、…例え、盗賊の一味でも、俺の居場所を作ってくれたのはジジイだから」
「一味、皆がいなくなっても俺だけはジジイが死ぬまで側にいてやる。そう決めたんだ」

「そんなに信頼してるなら、もっと仲良くすればいいのに」
「いつ会っても喧嘩してるじゃない」そう言ってナミは可笑しそうに笑った。

「でも、…ああやって喧嘩出来るのも、ホントに信頼しあってるからよね」
「何を行っても最後は許しちゃうし、許せちゃうんだものね」

(そうなんだ、ホントに)
ナミは自分の気持ちを分かってくれる。それが嬉しく、そして、その日を境に、自分の心の内を分かってくれるナミにますますサンジは惹かれていく様になった。

***

それから、二年ほどあっと間に過ぎた。幸せな時間ほど、駆け足で過ぎていく。

「…今日な、ゲンゾーに会って来た」
その夜、最後の客を送り出して、ゼフと二人で遅い賄い飯を食べている時だった。
ゼフはどことなく重い口調で話を切り出す。

「なんだよ、あのオッサンに用があったんなら俺が使いに行ったのに」
「そしたら、ナミさんに…」

ゼフの様子はいつもよりもずっと重々しかったのに、サンジはそんな事に少しも気付きもせず、
いつもと変りない調子で言い返す。

「…チビナス」「…あ?」
「お前は、この店を出て、一人立ちしろ」
「…何?」

余りにも思いがけないゼフの言葉にサンジは思わず箸を止めた。
今朝、「半人前が偉そうにヌかすな!」と空の漬物樽を投げつけられたばかりだ。

「…へ、何を言い出すかと思ったら…何を寝惚けた事言ってやがる」
「今朝、半人前だって喚いて暴れ回ったの忘れたのかよ」
「それに、てめえがゲンゾーさんと会った事と、俺が一人立ちするのとどう関係があるんだよ」

「…ゲンゾーのとこの…おナミの事をお前、どう思ってるんだ」
「はア?」

(全く話が見えねえぞ…)
ゼフが何を言いたいのか、サンジにはさっぱり分からず、少しイラついてきた。

「言いたい事があるなら、はっきり言えよ」
「もうガキじゃねえんだから、てめえが無茶苦茶いわねえ限り、落ち着いて聞けるからよ」

そう言うと、ゼフは観念した様に大きなため息をつく。

何をどう伝えればサンジが傷つかないか、穏便に事を済ませられるか、
きっとそれを必死に考えていたに違いない。だが、結局包み隠さず話すしかない、と腹を括ったようで、
ゼフは身を乗り出した。

「ゲンゾーが、ナミを嫁に貰って欲しい、と言って来た」
「俺に?」
ゼフはサンジの言葉に頷く。

サンジの胸が大きく高鳴った。その鼓動の音で一瞬、息が詰まる。
思いもしなかったゼフの言葉に、手から箸が落ちた。

本当なら、躍り上がって喜んでいい事なのに、サンジの胸の鼓動は歓喜ではない。
今まで忘れていた傷口を思い出す様な、そんな鈍い痛みで胸が疼いた。

「…俺は…嫁なんか貰える体じゃねえ」
「…分かってる。だから、…断った」

ナミの事は本気で好きだ。夫婦になれるものならなりたい。
そんなサンジの気持ちを、きっとゼフは知っている。

だが、それは絶対に出来ない理由も、それ故に二年も思いを募らせながらも、
サンジがナミに手を出せなかった事も、ゼフは知っている。

だから、サンジになんの理もなく断ってきたのだし、サンジの辛い気持ちも分かっている分、まるで自分が縁談を断られた様に辛そうな顔をしているのだろう。

「…その縁談、俺の方から断ったって事、…ナミさんには?」
「黙っててくれるそうだ。もともと、勝手にゲンゾーが言い出した事だから、ナミは
知らない話だ。…安心しろ」

それを聞いて、サンジは少しだけ安堵する。
このまま、ナミの顔を見たい時に見て、ナミに会いたい時にいつでも会えて、他愛ない話が出来る間柄でいられればそれだけでいい。

「…交わった相手の体を毒で腐らせちまうなんて…。てめえがそんな体質でなけりゃ…」
ゼフがそう言って深い、深いため息をつく。

酷く気落ちしている様に見えるゼフを励ますように、サンジは取り落とした箸を手に取り、
何事もなかった素振りを見せようと、一口だけ、食事を口に含んだ。
けれど、心が乱れているのを押し隠すのが精一杯で、さっきまで美味いと思ったゼフの料理の味が、
全く分からない。

「…実際、それで色に狂った変態野郎を二人も殺しちまったんだ」
「そんな体なのに、誰かと夫婦になんかなれっこねえ…そんなの、とっくに諦めてるよ」
「…俺は、このままでいいから…。例え、ナミさんが他所へ嫁に行っても、
それでナミさんが幸せなら平気だ」
「余計な気を回すんじゃねえよ。慣れねえ事すると、早死にするぜ、ジジイ」

サンジは強がっている事を見透かされると分かっていながら、
やっぱり強がらずにはいられずにそう言って笑って見せる。

その僅か10日後に、突然ゼフが急逝してしまう事など、その時のサンジは考えもしなかった。


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