「…やれやれ…。雨だって言うのに、今日も忙しかったわね…」
ナミはそう言って襷を外し、まだ客の温もりが残る椅子に腰を降ろす。
「はい、ナミさん」
サンジは温かな茶を注いだ茶碗と、小奇麗に盛り付けた昼食をナミの前に並べた。
「今日も美味しそうね。頂きます」
ナミは嬉しそうに箸を取り、それから、「…サンジ君も少し一息入れたら?」と、
立ったままのサンジを見上げる。
「うん、器を全部洗って、夜の仕込みを終わらせてから食うよ」
それだけ言って、サンジは厨房に戻った。
本当は、客に出した料理の残り物でも、
自分の作った料理を美味しそうに食べるナミを間近で見ていたい。
ゆっくりと二人で向き合って他愛ない話をしながら食事をしてみたい。
一人の男としてナミと差し向かいで食事をしてみたい。
けれど、サンジは忙しいからと言い訳をして、そうする事を避けている。
「今日は来ないのかしら…」
まだ湯気の立つ具沢山の汁物を啜りながら、ナミは静かにそう呟いて外へと目をやった。
いつもは遊ぶ子供の賑やかな声や、物売りの声がひっきり無しに聞こえるのに、
今日は、夜半から降り出した雨の所為で、人っ子一人通らない。
ナミには想い合っている相手がいる。
もうこの界隈では殆どの者が知っている事だ。
まして、その相手と来月には所帯を持ち、人妻になろうというナミと、
一人身のサンジが顔をつき合わせて食事など出来よう筈もない。
(…今更、俺がナミさんに本気で惚れてる、ルフィのあのバカ親分と夫婦になんかならねえでくれ、
なんて言ったって、本気にされねえか、困らせるだけだからな…)
憂いと寂しさを含んだナミの美しい横顔を盗み見しながら、サンジはそう思った。
本気で好きだからこそ、幸せになるのを邪魔する様な真似は絶対に出来ない。
(…俺じゃ、ナミさんを幸せには出来ねえもんな…)
祝言を挙げて、所帯を持っても、ナミはこの「風車屋」を畳むつもりはないのだから、
今と代わりなく、側にいられる。むしろ、夫になるルフィよりもサンジといる時間の方が長いくらいだ。
この状況のまま、何も変わらない。
今のままなら、自分の気持ちに歯止めをかけられる。
けれど、ナミに惹かれる気持ちに逆らわずに距離を縮めようとし続けたら、
いつか歯止めが利かなくなるかも知れない。
それが怖くて、サンジはナミと差し向かいで食事をする事を避けていた。
食事を食べ終わったのを見計らい、サンジが新しい茶を注ぎに行くと、
ナミがふと何かを思い出したように微笑む。
「…ねえ、サンジ君」
「はい?」
「あの日も、こんな雨の日だったわよね」
「もう何年前になるかしら…?冬が終わって、梅が咲き始めて…温かい雨が降ってたっけ…」
ナミにそう言われ、サンジは自分の指を折りつつ、記憶を思い起こす。
「…もう、2年、…ううん、3年前か」
ナミの言ったとおり、サンジにとって、初めてナミを特別な存在として想い始めたその日は確かに春の足音の様な温かい雨が降っていた。
その事をもっと詳しく、たくさん思い出したくて、咥えていたキセルに火を着ける。
戻る
★ 次へ
★