「最初からそういや、痛い目を見ずに済んだのにな。」と薄く笑い、
チビナスの手から足を退けた男の顎に 体を回転させ、
遠心力を加えたチビナスの踵が打ちこまれた。

男が仰け反るようにしてぬかるみの中へ倒れこむ。
「誰がおまえらなんかの言いなりになるもんかっ。」
チビナスは思わず、そう怒鳴り、すぐに飛び起きた。

「このクソガキっ。」掴みかかってきた別の男の鳩尾に
地面を蹴って勢いをつけた頭突きを食らわせ、一緒になって
倒れこむ。

そこへ圧し掛かってきた別の男を 暴れ馬のような格好で蹴り上げ、
その勢いのまま 体を反転させ、地面の上にしっかりと足をつける。

その動きを見て、ただの子供ではない、とそのごろつき達は判断した。

「殺っちまえっ。」と誰かか怒鳴る。
けれど、チビナスは後ろも見ずに、走り出した。

「待て!」男達がその後を追いすがる。


さっき、蹴られた横っ腹がいたんで、思うように足が前に進まない。




「で、どうした。」

サンジがまた 口を閉ざしたので、ゾロはその先をしゃべるように促す。

「・・・俺もまだ 小さかったたしな。あの頃、人間の急所がどこか、なんて
知らなかったし、すぐに追いつかれて、ボコボコにされたよ。でも。」

サンジは腹ばいになっていた体勢から 仰向けになり、首飾りと自分の肌の間に
人差し指を入れ、自分の目の前までつるし上げた。

「これは、離さなかった。これを離せば、ジジイが助けられねえって、
馬鹿みたいにそれしか考えてなかったんだ。」

サンジの目の前には それと同じ色の宝石があるのに、
視線はまるで 遠い、遠い、所を見ている。
ゾロはただ、穏やかな眼差しでサンジのそんな表情を見ていた。



「てこずらせやがって。」と 泥まみれ、血まみれの男達が
ぬかるみの中で動かない チビナスを見下ろし、荒い息を吐いていた。

手には、棍棒、丸太など、折檻するためだけの野暮な道具を持っていた。

「おい、離せ。」一人の男がしっかりと握りこまれている、血まみれの
小さな掌を乱暴に開こうとした。
だが、そこは固く、男の指では開くことが出来ない。

「手首ごと、切り落としちまえ。」
チビナスが顎を蹴り飛ばした、熊のような男が 折れた歯から
血を滴らせた真っ赤な口を開けて、チビナスの手を開こうとした男に
鉄のオノを投げて寄越す。

(・・・冗談じゃねえ・・・・)
チビナスは、必死で体を起こした。
が、すぐに別の男達に体を押さえこまれ、腕を地面に押しつけられた。

「やめろ。」と声を上げた。
声変わり寸前のかすれ声で、チビナスは悲鳴のように叫んだ。

「もう、遅エ。ちょっと、暴れ過ぎだ、クソガキ。」と熊がせせら笑った。
「今更、その宝石を渡すっていっても、許さねえ。」
目で合図された男が 鉄の斧を頭上に振りかざす。


チビナスの瞳が 見開かれ、手を失ってしまうという恐怖に もう、声を上げることすら出来ない。

その時だった。

男の人数分と同じ数だけの銃声が響いた。


チビナスの目の前で、オノを持った男も、熊男も、何か見えないものに
殴り飛ばされたような衝撃を受け、一発の銃弾がなる度に
泥を勢い良く跳ねさせ、恐ろしいほどの地響きを立てて倒れこんでいった。


チビナスはその光景を見ながらも、何が起こったかわからなかった。

目の前が妙にボンヤリする。
ああ、手が、手が助かった、とチビナスは自分の握りこんだまま、
強張ってしまった掌を見て、気が弛んだ。


子猫ちゃん、しっかりしな、と声が聞こえ、
曇りガラス越しのような、赤い髪の男の歪んだ顔が見えた。


「・・・間に合うかな。」と呟いて、チビナスは体を起こした。
チビナスの頭には もう、ゼフのことしかなかった。

助けてくれて、有難う、と言うことさえ もどかしく 一刻も早く、
病院へと気持ちが急いた。

ふらふらと立ちあがり、歩き出そうと足を進めたが、
すぐに もう 微動だにしない 男達の屍に 足を取られて転倒した。

「虫の知らせって奴か、子猫ちゃんのことが気になって追いかけてきたんだが。」と
赤髪の男がチビナスを助け起こし、

「もっと早く 見つけてやりゃ、こんな怪我をせずにすんだのに。」と
本当に気の毒そうに言い、チビナスの頭を撫でた。

「怖かっただろう。」

赤髪の男は海賊なのに、チビナスは少しも怖くなかった。
温かくて、塩の匂いがする手が ゼフと同じで、それに触れられただけでチビナスの
気力が再び小さな体に篭る。

「大丈夫だよ。これくらい。」
自分でも驚くほど、しっかりした口調で チビナスはしゃべることが出来た。

「病院まで送るよ。なに、間に合うさ。」

赤い髪の男は 笑みを見せ、チビナスに自分のマントを頭から被せた。
そして、血にまみれた白い手を引くとゆっくりと雨の中を歩き出す。



「それから、俺の記憶があんまりはっきりしてねえんだけど。」
サンジはまだ 指先で 「オールブルーの雫」を弄んでいる。

「気がついたら、ジジイの手術が終ってて、例のババア医者が
俺を呼んでるからって、看護婦サンが俺を呼びに来て・・・。」

曖昧な記憶を手繰るようにサンジの言葉が切れ切れになる。



「金は出来たのかい」といきなり言うつもりだった医者は、
チビナスの姿を見て、息を飲んだ。

全身、泥と血で汚れ、自分の鼻先に突き出した手は、中指の爪が割れ、
血でべっとりと濡れている。


「おいはぎでもしたのかい。」と眉をひそめた。

顔色が白を通り越し、青くなっている。
その顔色で 相当の傷を体に負っている一目でわかった。

「みせな。」

その掌の中にある、目を惹き付ける煌きの宝石ではない。
その体の傷を「診せな。」と言ったのだ。
だが、そんな言葉がこの状況でチビナスに通じる筈がない。

「海の雫・・・。」チビナスが小さく 呟く、
けれど、瞳は まるで彼女に挑みかかっているような強い光りを孕んでいた。



これで、いいだろう。
これで、ジジイの命の代償になるだろう、ちゃんと受け取れ、と言っているかのような、
そんな目つきだった。

「あたしが助ける、と言ったんだ。あんたのジジイは助けるさ。それが約束だ。」
敏腕の医者である彼女が自信ありげに言う言葉に、チビナスの眼差しが一瞬、揺らいだ。


「ジジイ、死なないか・・・?」絶対に死なない、と信じるしか、
泣きたくなるのを堪える方法を知らないチビナスは、もう一度、
自分を奮い起こすために 彼女に尋ねた。

「死ぬさ。いつかはね。だが、この病気じゃ死なせないよ。」と
彼女は 不敵に口角を吊り上げ、笑みを見せた。

「これ、手術代・・・・。」
チビナスの掌から 「海の雫」が滑り落ちた。

張り詰めていたものが一気に弛んで、とうとう 
僅かに残っていた体力と気力が尽きてしまったのだ。

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