「明るかったらもう少し、暴れられるだろ、子猫ちゃん。」

赤い髪の男はまるで 無邪気に遊びを楽しむようにチビナスに微笑んだ。

オレンジ色のほのかな光りは却って深い 陰影をその男の体に纏わせた。
チビナスはじっと、その男の姿を睨みつけるような目つきで見つめた。

朝焼けの空のような髪の色。
不精髭だらけの顔。

チビナスは、視線を引力に逆らわずに下へと流した。

(っ!!!!!)

声にならない衝撃がチビナスの顔から表情を奪う。
蒼い目線はただ、その場所に釘づけになった。



「どうした、もう、暴れないのかい?」


赤髪の男は 突然、顔を強張らせ 立ち尽くした少年に優しく声をかけた。
少年の目は自分の失った左腕に注がれている。

「隻腕が珍しいか?」


初対面の人間なら、誰でも一瞬 驚きの表情を浮かべるが、
目の前の少年は その驚きを隠そうとも 誤魔化そうともせず、
明らかに 怯え、動揺し、その態度は 赤髪の男の目から見ても
奇異でさえあった。

片手で口を押さえ、震え始めた体を壁に凭れることで 必死に押さえこもうとしている。


なぜ、そんなに動揺するんだ?

自分の隻腕を見た瞬間から、この少年からは、
さっきまでの牙を剥いた野生動物のような攻撃性は消えうせている。

赤髪の男は少年のその反応の訳を知りたくなった。

「どうして、この船に勝手に入りこんだんだ、ン?」
一歩、一歩と少年に近づく。

少年は足が竦んでしまったように、逃げる素振りも見せず、
まだ、もう ない 腕を凝視していた。

「この船が海賊船だと知って、なんで、勝手に入りこんだ。」
「泥棒でもするつもりだったのか。」

顔の高さを少年に合わせて 穏やかに尋ねてみる。

「・・・あんたに関係ない。俺は ただ、1000万ベリー、どうしても」
「欲しかったんだ。」

思い掛けない少年の応えに赤髪の男は 驚いた。

「1000万ベリーだと?」と大仰に驚いた声を上げて、少年の緊張をほぐそうと試みる。

「海賊を狩れば、手に入ると思ったんだ。」
少年は、消え入りそうな声で首をうな垂れた。

「・・・その腕は・・・。」

どんな理由で片腕になってしまったかは 判らない。
けれど、チビナスにとっては、己の体の一部分でも欠けている人間を見ると、
どうしても、自分を助けるために 自ら足を食んだゼフと重なる。


「この腕か?大事な友達の命と引き換えだった。安いもんさ。」

何気なく呟いた チビナスの声に赤髪の男はいとも簡単に
残酷な答えを明るい声で返してきた。


大事な友達の命と引き換えに。
自分の腕を無くして。
それでも、にこやかに笑っている。


(・・・ダメだ。この人を海軍に突き出すなんて、絶対しちゃダメだ。)

まず、勝てないだろうに、チビナスはそんな風に思った。
目の前の男の仲間だって、同じだ。

自分の腕を投げ出して 友達を守ろうとした男の仲間を
例え たった一人でも 海軍に突き出すようなことは
とても出来そうにない。

今、この港に停泊している海賊船は、この船しかなかった。

海賊を狩って、1000万ベリー手に入れる、というチビナスの目論みは
 頓挫せざるをえない。

「海賊の船に勝手に入って、船長を蹴り殺そうとしたんだ。」
「その落とし前はどうつける?」

赤髪の男は きつい言葉とは相反する 穏やかな口ぶりでチビナスに語りかける。

その声音に、チビナスの張り詰めた気がふっと、緩んだ。


「・・・俺の、」
「一番大事な人を助けるのに どうしてもいるんだ。でも。」

身も知らない他人に話してどうなるものでもない、とチビナスは気を取り直した。
俯いていた顔を上げ、まっすぐに 自分の顔を覗きこんでいた赤髪の男を
見返した。

「・・・もう、いい。」

あの医者について行けば、ジジイは助かる。
最初からそうすれば良かったんだ。

俺が自分勝手だった。
海賊が海軍に掴まれば 賞金の高低に関わらず 縛り首だ。
自分の我侭を通すために そんなことが許されるわけがない。

チビナスは心の中で 自分自身を納得させる理屈をこねた。

「もう、いい?」
赤髪の男は チビナスの言葉を鸚鵡返しに聞き返してきた。

「お前さんみたいな子供が 海賊を狩ろうなんて無茶をしてまで
手に入れたかった 1000万ベリーなんだろう?諦めて後悔しないのか?」


赤髪の男は この少年に興味をそそられた。
理解不能なことが多過ぎる。
自分が腕と引き換えに助けた、黒い髪の元気な少年も 理解不能な 愛しい存在だったが、
目の前の少年は その少年と同じような年恰好なのに、
なにかを背負っているような、どうしようもない悲壮感を漂わせている。


「・・・でも、仕方ない。あんたも、あんたの仲間もきっといい海賊だから。」
そう言って、力なく 無理に笑おうとした表情が痛々しい。

例え 下っ端でも、この少年に蹴り倒されるような 
脆弱な男など部下にはしていないつもりだが、
丸腰なら 或いは一人、二人くらいは餌食になっていたかもしれない、と
赤髪の男は少しだけ 背筋が寒くなった。

「おまえさんの蹴り技は、伝説の海賊を思い出させたな。」
「赫足のゼフって聞いたことないか。」


最初の一撃から、連続攻撃に移る身のこなしの鮮やかさ。
片腕で受けとめた、恐ろしいほどの重さの足技。

とても、その辺で修得したとは思えないほど 鋭利な物だった。

「・・・赫足のゼフを知ってるのか?」

少年の方から、赤髪の男へ向かって疑問が投げられる。
「知ってるも何も、赫足のゼフを知らない海賊なんか、いねえだろうよ。」




少年はその言葉にまるで、花がほころぶように微笑んだ。

「そっか、ジジイってそんなにすげえ海賊だったんだ。」


無意識に漏らしたその微笑に赤髪の男は この少年が言った、
「一番大事な人」が 「赫足のゼフ」のことだ、と推察した。

「・・・1000万ベリーか、この船には今そんなに高価な宝は積んでネエし・・。」と
赤髪の男は困惑したように頬を掻いた。

「・・・いいんだ。もう。」少年は 何か 吹っ切れたような表情を浮かべている。
というより、何かを諦めた、薄い絶望を感じさせるような、複雑な表情だった。
一体、どうしてこの少年は この幼さでこんな顔をしなければならないのか、と
赤髪の男は 憐憫の情を押さえきれない。

「勝手に船に入りこんで悪かったです。」
「ごめんなさい。」
と 殊勝な口ぶりでペコリ、と頭を下げて見せた。


トップページ    次のページ