桜色の風



理解できない相手だと分っていたのに、いつの間にか目が離せなくなった。
目が離せないことが、心を奪われている事だと気づいた時、かけがえのない存在になっていた。

たくさんの試練を越えて、やっと向き合い、見詰め合える場所にいる。
それでも、まだその距離は歯痒いほど近く、もどかしいほど遠かった。

麦わらの一味の船は今、とある海域の、春爛漫と言った気候の島に寄り道をしている。

「いい時期に来たもんだね」島の中はどこもかしこも花見を楽しむ人々で一杯だ。
どこか見晴らしの良い、居心地が良くて見栄えのいい桜を眺められる場所はないかと
当て所なく歩きながら、サンジがナミに近づいて話しかけている。
「ログが書き換えられない間に出航しなきゃならないから忙しないけど、島中桜が
満開ってこの島を、この時期に素通りするのは勿体ないものね」と今日は、
ナミもサンジに優しい。

ちょうど満開、これ以上ないほど桜の花は今日、この日が最も美しい見頃だと自分で
誇る様に咲いて、そしてほんの弱い風に枝を揺らされる度に花びらをはらりはらりと
散らして見せている。

こんな風景を見せられたら、どうしたって心が浮き立つ。

人が大勢騒いでいるが、桜の林の中でちょうどいい広さの場所をようやく見つけて、
そこに腰を据えた。
「おい、さっさと荷物をおろせ、クソマリモ」だの、人に何かをさせる時、
ゾロ相手でなくても、とにかくサンジは横柄だ。
「うるせえ、こんな荷物、いつまでも担いでるワケねえだろ、偉そうに指図すんな」
ゾロも負けずに横柄に言い返す。
そんなやりとりも、以前ならそれがイチイチムカついたのだが、今は、
その悪態を聞かないと、なんとなく寂しいような、拍子抜けしてしまうような気さえする。

そして、サンジが作った弁当を開いた途端、仲間が一斉に歓声を上げた。
「うわ、美味そう!すっげ〜でっかい肉!」
「まあ、綺麗なお弁当、さすがね、コックさん」
「すご〜い、デザートまであるのね!」
「オモチャ箱みたいな弁当だ、俺、こんなのはじめて見た!」
「へえ〜凝ってんなあ。野菜をくりぬいて中に色々詰めてある・・・キノコは入ってねえよな?」
だが、ゾロだけはその弁当を見て、正直、興醒めした。
「・・・これが花見の弁当かよ」とつい、その気持ちを声にも出してしまった。

「なんだと?」
機嫌の良い接客上手なコックの顔つきをしていたサンジの顔が、ゾロの不用意なその一言で、瞬時に凶暴な海賊の顔に変わった。
その顔を見て、ゾロは正直、(しまった、)余計な事を言った、と思った。
だが、生憎、言い訳は出来ない性分だ。
惚れた相手に見え透いた言い訳をして機嫌を取るより、思ったままを口にしてぶつかった方がいい。

「こんなチャラチャラした弁当、花見に相応しくねえっつったんだ」
「大体、米の酒に合う肴がなんにも入ってねえじゃねえか」

そう言うと、サンジは額に青筋を立てたまま、ゾロが背負ってきた荷物をドン!とゾロの目の前に置き、
「米の酒なんか持ってきてねえんだよ」サンジはゾロの鼻先まで顔を寄せて、明らかに
けんか腰の低い声でそう言った。
相手がけんか腰に出てきたら、こちらも引いてはいられない。
「米の酒を持って来てねえ?バッカじゃねえか、てめえ」
「花見するのに、米の酒持って来てねえ?そんなんで花見なんか出来るか!」
ゾロがサンジの鼻先に唾が飛びそうな勢いでそう怒鳴ると、サンジが負けじと怒鳴り返してくる。
「ああ?米の酒なんか、ロビンちゃんもナミさんも飲まねえんだよ!」
「ワイン、ブランデー、ラム酒とか!そういうのに合う料理を考えて作ったんだ」
「文句タレてんのはてめえだけだろうが!」

どうして、こんな下らない事で、こうまでヘソを曲げる必要があるのか。
結局、ゾロは「米の酒」とそれに合う肴を探して、一旦、仲間の輪から離れ、
あちこちで露店を開いている店を物色する為に当て所なく歩くハメになってしまった。

(あいつのにくったらしい面みてると、引くに引けなくなるんだ)
本気で喧嘩をし始めると、その瞬間、サンジへ募らせてやっと実り始めた想いを忘れてしまう。相手をねじ込み、勝った、と思えるまでとことん攻めて攻めて、攻め抜きたくなる。

どんな時でも負けたくない。負けて堪るか。
同じ事を言い争っても、ウソップやルフィにはそこまで競争心を持つ事はないのに、
サンジ相手だと、何故かムキになってしまう。

守りたい、と思う相手を常に自分の懐の中に入れておきたい。
その為にはその相手よりも強くなければならない。そう強く思う余りの反動なのか。

歩き始めた時は頭に血が昇ってムカムカしていたが、人ごみに混ざって暫く歩くと、
だんだんと冷静を取り戻してくる。都合の悪い事に腹もかなり空いて来た。
脳裏にサンジが作ってきた、小洒落た弁当の映像が浮かぶ。
確かに、ゾロが思い描いたような、どことなく雅な地味な色あいの弁当ではなかったが、
きらびやかで美味そうなのは確かだった。
(別に・・・米の酒じゃなくても・・・)と一瞬思った。
だが、すぐにその考えを打ち消す。
(ここで折れたら俺の負けだ。花見には意地でも米の酒、米の酒に合う肴があうって事を
認めさせてやる)
一流の料理人相手に、露店の料理で、しかも安く量産された瓶詰めの酒で対抗しようとしている事自体、勝ち目など端からない事にゾロはまだ気付きもしない。

(・・・しかし、人相の悪イ奴らばっかりだな。同業者か?)

桜の下で、酒をかっくらって、大声で歌い、騒いでいる連中をなんとなくゾロは見るともなしに
見ていたが、身なりにしても、人相にしても、とても堅気の人間とは思えない。

この島にもいる、夜の商売をしている下品に肌を露出させた女を大勢侍らせ、赤黒く薄汚れた顔をして、腰に銃だのナイフだのを携え、顔に傷のある連中など、どう見ても船乗りではない。

「そこのおにいちゃん、米のお酒どうですか?焼いたイカもあるよ」
「あと、じっくり煮込んだ煮物もあるよ!」

その声にゾロは思わず足を止める。
(まだガキじゃねえか)
幼さの残る15、6歳くらいの少年と、その弟らしいまだ10にもならないくらいの小さな少年が
営むらしい一軒の露店がゾロの目に入った。

「なんで俺が米の酒を探してるって分った?」
酒と、焼いたイカ、茶色くなるまでしっかり煮込まれた煮物をいくつか買って、それを受け取る時、
なんとなくゾロは弟の方にそう尋ねた。
「さっき、喧嘩してるのを聞いてたから」そう言って弟はにっこりと無邪気に笑う。
弟の無作法を詫びるように、どことなく線の細い印象を受ける兄の方がおずおずと
「あの・・・花見に来て、仲間内で喧嘩している人珍しいから目立ったんですよ」と言い繕った。

それを持って、仲間のところへ帰ろうと思って歩いているのに、歩けど歩けど、どんどん見たことのない場所に迷い込んでしまう。

桜の林も大分奥までくると、だんだん人気も少なくなってくる。
その分、静寂が却ってさわやかで、花の色の美しさ、その花の切れ端から覗く、
抜けるような空の青さ、風の心地よさをもっとはっきり感じられた。

(・・ふん)
どうせ、戻ったところで、下らない意地の張り合いでまた、言い争うだけだ。
それで時間を費やし、折角の花景色を楽しめないのも勿体無い。

(一人で飲るのもオツだ)とゾロは桜の花びらが舞い落ちて、うっすらと赤土と薄紅色が水玉模様の様になった地面にどっかりと腰を下ろした。

酒を飲む。イカを食い千切る。酒を飲む。カラシをつけた大根をほお張る。
酒を飲む。イカを食い千切る。
ただ、それを繰り返すだけだ。少しも酔わないし、イカはイカの味以上の味はしない。

酒を飲みながら、桜を見ても、なんだか腹の中は少しも浮き立って来ない。

「・・・うっ・・・?」

指先にじわじわと、まるでかじかむ様な痛さ、痺れを感じた。それが瞬く間に広がっていく。
手に握っていたイカの串が、ゾロの意識と全く関係なく、ボロリと膝の上に落ちた。

手の指、足の指、そして、掌、手首、足首、膝・・・と体の先端から痺れと痛さは広がっていく。
痺れを感じたその部分には全く力が入らない。

遂に座っている事も出来なくなり、ゾロは無様にごろりと地面に倒れこんだ。
「・・・うっ・・・っ!」
その衝撃に、わき腹から肩へ、痺れが激痛に変わった、電流のような痛みが走る。
その痛みにゾロが思わず呻いた時だった。

「兄貴!あそこだ!あそこにいる!」
(あの声は・・・さっきの露店のガキっ・・・?!)

背後から誰かを呼ぶような声を聞いて、ゾロは首をもたげて振り返った。
そこには、さっき自分を呼び止めた兄弟の、か細い兄が立ち、片手は誰かを手招きし、
片手はゾロを指差している。

「よしよし、よくやったな。これでしばらく、楽に暮らせるからな」
そう言いながら、10人程の、人相の悪い男を引き連れた大柄な男がゾロにゆっくりと歩み寄ってきた。

「・・・ロロノア・ゾロだな。大物だぞ、」
「兄貴イ、大丈夫ですかい?こいつに手を出したら、麦わらの一味を敵に回す事になりますぜ?」
兄貴、と呼ばれる男を囲んで、数人の男がそう囁いている。
だが、その男は手下らしい男達の言葉を鼻でフフン、と一笑し、
「俺達がロロノア・ゾロを狩ったって誰も見てやしねえ」
「さっさと片付けて、こいつの首一つ、海軍に持って行けばいい」そう言って、その男は
背中に背負っていた大きな太刀をギラリと引き抜いた。

「俺が、首を落としてやる」
そう言って、男は大きくその太刀を振りかざした。

ブン、と空を切り、その太刀はゾロの首を狙って振り下ろされる。
けれど、その太刀がゾロの首を叩きっ斬る事は出来なかった。
咄嗟にゾロは腰の刀を居合いで抜き、ほんの僅かに鞘から抜いただけでの刀身で
いとも容易くその頑強そうな太刀を受け止めて見せた。
「・・・こんなヤボってえ刀で俺の首を斬れるつもりか」
そう言って、組み伏せられたような格好のまま、その図体だけがやたら大きな男を目だけで
せせら笑った。
が、体の痺れも痛みも時を追って増す一方だ。
動けなくなるのも時間の問題だろう。
余裕ぶっている場合ではなさそうだ。
ゾロは渾身の力を振り絞って立ち上がった。足には全く力が入らない。
とても三刀流では戦えない。両手で一振りを握るのが精一杯だ。
(立ち上がるだけで・・・こんなに骨が折れるとは・・・)
自分の油断が招いた窮地だけに、自分自身に腹が立つ。

「チっ痺れ薬を食わせたのに、まだ動けるのか、野郎ども、とにかく動けないように叩きのめせ!」


戻る     続く