「まったく、大人気ないったら・・・どうせどっかで迷子になってるだけよ」
「見つけて、ちゃんと連れて帰ってきてね、サンジ君」

「ログが書き換えられたら、困るでしょ。ゾロが帰ってきたらすぐに出航出来るように
準備しときたいから全員で探すのも時間が勿体無いし。じゃ、よろしく」
そうにこやかに言われたら、サンジには何も言い返せない。
例え、腹の中では、(・・・なんで俺が)と思っていても。

自分の用意した食事に文句をつけた上、ふて腐れて行方不明になった男など、
(・・・どうなろうと俺の知った事か)置き去りにしちまえ、とさえ思う。
それなのに、お人よしにもその男を一人で探さねばならない。
その理不尽さに何度もため息を吐きながらサンジは人ごみを掻き分けてゾロを探した。

ムカッ腹を抱えたまま、あまり真面目に探す気もなく歩き続け、サンジは
とうとう桜の林の最奥まで来てしまった。

人が騒いでいる場所では、酒だの、様々な食べ物の匂いが強くて、桜そのもの匂いは
あまり感じなかった。
だが、人の気配が薄れていくにつれ、徐々に桜の花の、ジン・・・と鼻の奥の方で微かに香る、桜の花粉のほのかに甘い、雅やかな匂いだけが柔かく温かい風の中で際立ってくる。

サンジはため息を吐いた分だけの空気を取り返すように、その香りを鼻から思い切り吸い込んだ。

(・・・ん?)

料理人として研ぎ澄まされた嗅覚が、桜の風の中から僅かに、異質な匂いを嗅ぎ取る。
殺気だった人間の気配よりも、人が人を傷つける騒音よりも先にサンジは、
「匂い」と言う感覚で、探しているモノを察知した。
(・・・嫌な匂いだ)

匂いを感知し、それから聴覚を研ぎ澄ます。
そして、目指す方向を思い決め、サンジはその方向へと向きを変え、駆け出した。

桜の林を抜けた場所に、不穏な藪がある。
その奥に数人の人影が見え、そして、棒などで人を殴るような音が断続的に聞こえてきた。
「こいつ、頑丈だな!」
「毒のメシ食らわしたってのに・・・そろそろ動けなくなるはずなんだが」
「これだけの人数でぶん殴ってるのに、まだ動けるのかっ・・・」

藪越しにサンジはその男達の動向を暫く、窺ってみる。
自分に背を向けている、その男達は手に手に武器を持ち、それで獲物をいたぶりながら、ジワジワと獲物を追込んでいるかの様に見えた。

何人かの男は、既に手傷を負っていて、その獲物は相当に手ごわいらしい。
だが、手こずっているとは言え、その凶暴な獲物も傷を負っている様で、男達の包囲が
少しづつ狭まってきている。

(・・・あれくらいの相手、片手で捻っちまえるだろうに・・・)
サンジは獲物が誰なのか、漏れ聞こえてくる男達の言葉から、もう察していた。
だが、助ける気は全くない。
刀だか、剣だか、ナタか、何か分らないが、大きな刃物を振り上げた男の背中めがけて、
足元の石を力いっぱい蹴り飛ばしたのは、ゾロを助ける為ではなかった。

「ぐへ!」
なんの注意もしていなかった背中に、凄まじい勢いで飛んできた拳大の石が命中し、
「兄貴」は奇怪な悲鳴を上げ、前のめりに地面にドウ!と倒れた。

「だ・・・誰だ!」と振り向き様怒鳴った「兄貴」の顔に、続けざま、サンジは
小石を蹴り飛ばした。グシャ、と何度か、とても気持ちの悪い音がしたから、
きっと右か、左の目にまともに当たり、鼻の骨にももろに命中したのかも知れない。
一際、大きく「うぎゃああ」と喚いたかと思うと、顔面を押さえて、その男はのた打ち回った。
残りの男達は突っ立ったまま、顔面蒼白になっている。

「・・・お前はっ・・・コックの」サンジ、と言おうとした男の横っ面をサンジは
モノも言わずに一切力加減もしないで蹴り抜いた。
「逃げろ!絶対敵いっこねえ!」と一番最初に逃げ出した男の足を払い、
倒れたところに、踵を振り下ろす。ボキリ、と首だか、背骨だかが折れる音がした。

どうしてこんなに急に腹が立ったのか、サンジは自分でも分からない。
ただ、一瞬、まばらに咲いた桜の若木に凭れて、顔中血まみれのゾロの姿が見えた。
そして、それを目で捉えた途端、サンジの頭にカっと血が昇った。

ゾロの肉を削ぎ、その体に打ち下ろされた棍棒を目で追う。
そして、その棍棒を握ったまま男の腕の骨を粉々になるよう、たった一蹴りで砕く。

どういうわけか、無性に腹が立って仕方がなかった。
自分の気持ちに説明がつけられないのに、体だけはその気持ちに正直に勝手に動く。

「・・・やめろ・・・っ!」
「勝負はついてる・・・なぶり殺しにするな・・・っ」

搾り出すようなゾロの声が、怒り、苛立ち、憤りで真っ赤に塗りつぶされた脳味噌の中に
直接響いてきた。

ふと我に返ると、やせこけた、15歳くらいの少年の頭の上に足を大きく振りかぶっている。
ゾロが止めなければ、この足は少年の頭蓋骨を脳天から蹴り砕いていただろう。

「・・・てめえに指図される覚えはねえよ」
そう言いながら、サンジはゆっくりと足を下ろした。
「こいつら、食い物に毒を盛ったって言いやがった」
「それが許せなかっただけで、・・・別にお前を助けた訳じゃねえからな」

知らず知らずの間に、呼吸さえ制御出来ないくらい早く動いていたようで、
その時初めて、自分の呼吸が荒くなっている事にようやく気付く。

乱れた呼吸を整える為にサンジは煙草を銜えなおし、ゆっくりと火を着けた。
足元には、倒れ付した男達で足の踏み場もない。命拾いした少年も、腰が抜けたのか
たって逃げることもせず、真っ青な顔をしてサンジを見上げている。

「・・・なんでここが分った?」

サンジは煙草に火を着けたのと同じくらいの緩慢な動きでゾロの声に向き直った。
額から血が流れ、普段から薄汚いシャツが真っ赤になるほど滴り落ちている。
腹も腕もトゲ付きの棍棒で強かに殴られたのだろう、どこもかしこも血まみれだった。
そう言いながら、ゾロはズルズル・・・と木に凭れたまま、地面にドサリと腰を下ろす。
そして、鞘を握ったまま、杖の様に刀を土へ突き立てた。
・・・ガチャ・・・と鞘が不満げな音を立てる。
ゾロはサンジの方を見もせず、バツが悪そうに目を伏せていた。
突っ立ったまま、サンジはゾロを見下ろす。




「・・・まだ、話のカタがついてねえ」
ゾロの言葉にサンジは憮然とした口調を装って答える。
そう答えた時は、腹の中には、まだイラつきが残っていた。
だが、血だらけのゾロを見ているうち、そのイラつきが別の感情に変化してゆく。

(・・・内臓や骨は大丈夫なんだろうな)
ふと、そんな心配がサンジの頭に過ぎった。途端、胸の中が急に不安で重くなる。
もしも、あの棍棒の先に毒が塗ってあったら?
もしも、内臓の打ち所が悪くて、体の中で内臓が潰れていたら?
一度吹き出た不安は、ブクブクといくらでも、サンジの胸の内で膨んでいきそうだ。

だが、そんな不安をサンジは強引に小さく押し込める。
(これぐらいの怪我で動揺するなんて・・・おかしい)
今まで、もっともっと酷い怪我を負った様を何度も見て来た筈だ。
それと比べれば、これくらいの傷、かすり傷だと言っていい。
それなのに、以前と違って、以前は考えもしなかったなんの根拠もない不安が
押さえようとしても胸の中に染み出してくるのは、一体何故なのだろう。

それを考えるのが億劫で、サンジはただ、目の前の傷ついたゾロをしっかりと見据えた。
きっと、言いたいことを言ってしまえば胸の中の不安もムカつきも、綺麗サッパリなくなるに違いない。

「てめえが俺に頭を下げるまで、どこまでだって追い駆けてやる」
「だから、追い駆けてきた。その執念だけだ」

そう言うと、ゾロは伏せていた目を上げた。
それと同時に温かな春風が二人の間を吹きぬける。
風が運んできたうす桃色の花びらがくるくると舞いながら、ゾロの肩や髪の上に振り落ちて行く。

「・・・見損なったか」
ゾロはそう言って、自嘲しているのか、強がっているのかよく分らない顔つきで
薄く笑ってそう言った。
ゾロの翡翠色の目に自分の不機嫌そうな顔が映っている。
ただ、それだけが映っていて、ゾロの目にはちゃんと命の光が宿っている。
(なんだ、体が痺れてるだけか・・・大した毒じゃなさそうだな)

そう思ったら、不安や腹立ちといった、嫌な色の感情が静かに消えていく。
代わりに、髪に、頬に、感じる春の優しい温度の綺麗な風が、心の中に吹き込んできたかの様に、どこか華やいだ、安心に似た気持ちがふわりと込み上げてきた。

ゾロはきっと、こんな気恥ずかしそうな顔を誰にも見せたりしない。
誰も、ゾロのこんな顔を知らない。
(俺だけが知ってる面だ)サンジはそう思った。

思った途端、確かにゾロを愛しいと心から思えた。
そう思ったら、血だらけでも今、ゾロが生きている事が嬉しい。
余計な不安など忘れるくらい、今感じている嬉しさを素直に自分で受け入れる事が出来た。

「俺のメシに文句をつけたバチが当たったんだ」
「ザマーミロ」

憎まれ口を叩きながら、サンジはただ、ゾロの瞳だけを見ていた。
ゾロの目の中に映っている自分は、どこかはにかんだ様なガキ臭い顔で笑っている。
今、心の中にある想いをそのまま言葉に出したら、この翠色の瞳はどんな風に動くのか。
どんな風に輝くのか、それを見たいとサンジは思った。

「これくらいの事で見損なうくらいなら、最初からお前なんか相手にしねえよ」
「血まみれだろうと、クソまみれだろうと、・・・・」

そう言うと、ゾロの目が何度か、瞬きをする。
そして、本当にすまなそうに「・・・悪かった」と呟いた。
「何が?」わざと空惚け、敢えてサンジはゾロを追い詰める。
詫びてもらいたい事は一つだけだ。
格下の賞金稼ぎに追い詰められているところを助けた礼が欲しいワケでもないし、
その骨折りに対しての感謝が欲しいワケでもない。
何が「悪い」と思っているのか、それだけははっきりさせておきたかった。
「お前の・・・作った飯にケチをつけた事だ」そう言ってゾロは刀をきちんと鞘に収め、
堂々と、けれど深々とサンジに頭を下げた。
「すまん。もう二度と、あんな事言わねえ」


つづく