「お前が人生の最期に見るのは、多分、俺の死に顔だぜ。」
サンジは、ゾロの胸に耳を当てて、恐ろしいほど早く打つ、
狂った心臓の音を聞いた。
この鼓動が止まる、その数秒前、
ゾロの魂が体から抜け出てしまう前に、
ゾロの命が尽きるのを見届ける前に、
我の手で、我の命を断つ、とサンジは言った。
「お前が命を張って助けた男は、お前の目の前で、」
「お前の刀で、喉掻っ捌いて、死ぬんだよ。」
何故、こんな酷い言葉しか思い浮かばないのだろう。
素直に、
死ぬな。
生きてくれ、死なないでくれ、と何故、言えないのだろう。
この期に及んでも、ゾロを傷つけるような、ゾロの行動を蔑み、否定するような
言葉しか口に出せないのか、
サンジは、そんな自分の性根を恨む。
けれど、今更 どうしようもない事だった。
どうして、こんな辛辣な言葉が溢れて来るのか判らない。
心のどこかで、ゾロの生命力を掻きたてる為に、煽っているつもりなのかも
知れないけれど、そんな自己分析など今は、無用で、無意味な事だった。
耳を胸から離して、サンジは、覆い被さるように、
自分の胸をゾロの胸に乗せて、熱の所為で、やけに熱い息を吐く
ゾロの顔を見上げた。
一体、体のどこに水分が残っていたのだろう、
瞳からは後から、後から、一筋づつ、ゆっくりと涙が零れて頬を伝い流れて落ちる。
泣き顔を隠す事も、誤魔化す事も、もう出来ない。
そんな虚勢を張る余裕も、サンジにはない。
ゾロの表情は固く、動かない。
必死で持ち上げている瞼から覗く翡翠色の瞳が
じっと 自分を見ている事で、
ゾロがサンジの言葉を聞き漏らすまいとしているのだ、とサンジには
判る。
お前が その日まで生きて来た事の全てを
全部、握りつぶしてやる。
お前の目の前で。
お前が俺にした事を、俺は許さない。
お前の人生なんか、何もかもが無駄だったと後悔させてやる。
俺を見くびった、その罪の重さを思い知れ。
ゾロの命を背負う事など、出来ない。
それなのに、ゾロの命を食い尽くして尚、生きて行く程の
価値など、自分にはない。
そんな勇気もないし、強くもない。
幸せになれないのなら、
夢を追う権利さえ失うのなら、
罪だけを背負って、苦しみながら生きて行くくらいなら、
ここで、死んだ方が楽だと思った。
それが誰かに、例え、ゾロ自身に 臆病者、卑怯者、腰抜けだと、蔑まれても、
構わない。
自分の人生だから、自分で決める。
サンジの辛辣過ぎる言葉の裏にはそんな気持ちが篭められていた。
が、そんな事はゾロに伝わろうと、伝わらなかろうと
サンジには、どうでもいい事で、
どこまで行っても、サンジはゾロに 耳ざわりの良い、
熱い命乞いのような言葉は思い浮かびもしなかった。
「約束を破った事は一回もねえだろ。」
サンジの言葉を聞き終わって、ゾロはやっと、搾り出すように声を出した。
表情は僅かに緩み、微笑み、とまではいかないほどの
微妙な笑みを浮かべて、サンジを見ていた。
その顔を見た瞬間、サンジは自分の愚かさに急に気がつかされた。
(こいつ、これっぽっちも死ぬなんて思ってねえんだ。)
ゾロの強い意志を見せ付けられ、一気に最悪の結末へと流れ始めていた
思考の流れが堰き止められた。
サンジの言葉を聞いて、ゾロも動揺しなかった訳ではない。
もしも、自分ではない誰かとなら、
サンジの好きな女性、優しく、美しい女性とか、
サンジに やけに纏わりつく、クリークの部下だという男となら、
泣き顔などさせずに、いつも笑っていられたかもしれない、と
思いながら、サンジの言葉を聞いていた。
それでも、泣かせる為に、苦しませる為に欲しかった訳ではなく、
一緒に夢を追い駆ける為の道連れとして、サンジが必要だった。
理由など、たくさんあり過ぎて、いちいち思い浮かべられない。
けれど、とにかく、ゾロにとって、サンジは何よりも、大事な存在なのだ。
大事だから、傷つけたくないし、
涙を流されると、きっと、泣いているサンジよりも、自分の方が
倍辛い、とあまり複雑な事を考えられない、熱で蕩けた脳味噌の中で
ゾロは考え、また、サンジを励ます。
辛い想いをさせねえ。
涙なんか、流させねえ。
想いを心に留めておく事すら出来ずに、ゾロはうわ言のようにそう言った。
「ゾロ。」
サンジは、何度も、呼び掛けた。
「すまねえ、」
酷い言葉ばかりを口にしたのに、ゾロはまだ、サンジを労わっている。
意地も、皮肉も言えない状態だからこそ、ゾロはなんの隔たりもなく、
心の全てをサンジに晒せる。
そして、そんな状態でさえ、まだ、思い遣り、包みこむゾロの想いを受けて、
サンジは、自分の愚をはっきりと涙が混じった声で詫びた。
「死ぬな。」
「死なないでくれ。」
「頼む。」
望みや、祈り、熱望、希望、欲求、およそ、
人間の欲するどんな想いよりも、もっと、強烈な感情でサンジはそれだけを思った。
死ぬな。
死ぬな。
シヌナ。
シヌナ。
ゾロは薄く、目を開いて、サンジを見た。
心筋炎の為か、胸が酷く痛かったのにサンジに触れている部分だけが
自分の体温よりもずっと熱くなっている事に違和感を感じたのだ。
(なんだ、光って見える)
高熱で、目までどうにかなってきたのか、とゾロは何度か瞬きをして、
そのうち、目を見開くつもりだったのに、そのまま、意識を失った。
薄暗い石造りの牢屋の中で、サンジの体が薄い黄色の光を纏っているように
見えたのだ。
その夢の中で、
ゾロは、自分が一体誰なのか、判らなくなる夢をみた。
温かく、優しい存在がゆっくりと夢の中の空間を支配して、
ゾロの意識を包みこむ。
包みこまれて、一つになって、違う存在になったような気がした。
死ぬな、死ぬな、とそれは言う。
いや、自分も同じ言葉を何度も繰り返し思っていて、気がつけば、
目の前に、自分がいて、
自分がサンジになっていて、手を伸ばし、抱きあった途端、
蝋のように溶けて、一つの塊になった。
(おかしな夢だ。)
発病してから、初めて見る、鮮明で、心地良い感覚の夢だと思った。
そう思った次の瞬間には、もう、元の姿に戻っていて、
そこで、目が醒めた。
(なんだ、やっぱり光ってやがる。)
ゾロの胸に頭を乗せたまま、サンジは微動だにしない。
髪の毛だけがゾロには見えていて、合わせた胸には規則正しい鼓動を
感じる。が、体全体がやっぱり、薄く、光りを放っているようにゾロには見えた。
(寝てるのか?)と
ゾロは自分の体からゆっくりと、
まるで、良く効く鎮痛剤が効き始めた時のように、痛みが薄れて行くのを
まだ、自覚せずに、
じっと、サンジの体から出る光りをぼんやりと眺めていた。
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