「・・・イグアナの内臓?生で食べたのか?」
チョッパーは、サンジの異変の原因をそう断定した。
サンジだけが口にした食べ物といえば、それしかない。
だが、サンジはチョッパーのその言葉に、なかなか納得しなかった。
「充分、水洗いしたし・・・ルフィが生で食いたいって言ったから、食えるのか
食って美味いのか、試しにちょっとづつ、薄く切って齧っただけだ」
「いいや、どう見たって中毒だよ。早く毒素をなんとかしないと、内蔵全部に毒が回っちゃうよ」
チョッパーはすぐにサンジに飲ませる薬を調合してくれた。
「・・・それを飲めばすぐにサンジ、元気になるか?」
サンジがチョッパーから薬を受け取っている最中に、ルフィはそう尋ねて見る。
(・・・俺が思いつきで言ったから、サンジ、生の内臓食っちまったんだ)
(俺の所為だ・・・)
サンジの頭が痛いのも、
立っていられないくらい眩暈が酷いのも、
時々、腹がキリキリ痛いのも、全部、(俺がイグアナの内臓を生で食いたい、なんて言ったからだ)とルフィの胸は痛む。
だが、サンジはルフィのその横顔を、ちらりと見ただけで、一切、責めもしない。
まして恨み言など、一言も言わない。
むしろ、ルフィの表情が曇っているのを見ていると、余計に気が滅入る様で、
「・・・原因が分かったし、治る方法も分かったんだから、もうここに用はねえだろ」
「外、行っとけよ」と迷惑そうに言う。
「・・・サンジ、ごめん」そう言うと、ますますサンジは不機嫌になり、とうとう
「・・・鬱陶しいんだよ」とまで言って、「薬飲んで寝るって言ってるだろ」と顔を背けてしまった。
「男部屋で寝かせてとくよ。大丈夫、二、三日経てば元気になるから」
「出航はサンジの体調が治ってからにして欲しいって、ナミに伝えてきてくれ」
チョッパーは、どこかしら気まずい二人の雰囲気を察してか、いつもと変わりない、
気楽な口調でルフィにそう言った。
「・・・わかった。ナミにそう言ってくる」
鬱陶しい、と言われたけれど、いくらルフィでもサンジに悪い事をした、と言う気持ちが
全く消化出来ていないのに、急に明るく振舞えるわけもない。
どうしても、首がうな垂れて、いつもは見もしないキッチンの床ばかりが目に入る。
キッチンのドアを開けて、外へ出る時、サンジが溜息混じりに呟いた言葉がルフィの
背中を追い駆けてきた。
「・・・コックが食材の扱いを誤って、食中毒なんて・・・クソみっともねえ」
(そんな、サンジの所為じゃねえのに!)
ルフィはすぐに振り返って、そう言いたかった。
だが、「船長さん!」と呼ぶ、ロビンの声につい、ルフィは振り向き、とうとう
「サンジの所為じゃない、」と言う言葉を言いそびれてしまった。
「コックさんの具合はどう?」キッチンから出てきたルフィを見上げ、ロビンをはじめ、
ナミも、ゾロも皆、ルフィを見上げている。
仲間の誰もがサンジを心配していて、その原因も状態も知っているのだから、
船長のルフィには、何もかもを包み隠さず仲間に話して、安心させる責任がある。
「・・・中毒だってさ・・・イグアナの内臓の」
仲間に自分の不手際を知られた上に、労わられる事が、サンジにとってそれが
どれだけ屈辱的で、我慢ならない事か、ルフィには分からなかった。
そこに、ナミが追い討ちを駆ける。
「サンジ君の熱とか眩暈が治まるまで、出航は見合わせるわ」
「食事も、私とロビンが用意するから心配しないで」
「吐き気が治まったら、お腹に優しいモノ作ってあげるから、ゆっくり休んでね」
ナミが側に来ているのに愛想を言う気力どころか、起き上がる力もない様で、
サンジは力なくソファに体を預けたまま、「・・・ありがとう」とだけ答えていた。
ナミが出て行った後、サンジはルフィを敵意むき出しの目でキっと睨み、
「・・・余計な事をベラベラと・・・無神経なヤツだなっ・・・!」とさも
憎々しげにそう言った。
ルフィの我侭の所為で食中毒になった事など、サンジにはどうでもいい事で、
それよりも、自分の不手際を仲間に言い振らされた事に腹を立てている。
熱の所為で、濡れた青いガラス玉の様な瞳で睨まれて、ようやく、ルフィは
その時やっと、サンジの気持ちを理解できた。
「・・・そりゃ、皆、お前の事心配してたから・・・」とルフィがおずおずと答えても、
サンジは聞く耳を持とうとしない。
きっと、口を利くのも辛いぐらいに、腹も頭も痛くて、体に力など入れられない状態なのに、ルフィの事を詰らずにはいられないらしく、ヨロヨロと上半身だけ起き上がった。
「人の気も知らねえで・・・俺が・・・コックが食中毒になるって事が、どんなに
みっともない事か、お前に分かるか?」
「一体、なにがどうみっともねえのか、俺はコックじゃねえからわからねえよ」
「・・・だから、無神経だって言ってんだ・・・ってっ・・・」
今は、ルフィが何を言おうと、サンジにとっては言い訳にしか聞こえないのだろう。
時折、腸が捻られるように痛むのか、顔を顰め、腹を押さえて「・・・てっ・・・」と呻く癖に、痛みが引くとまた、顔を上げて、ルフィを睨む。
「・・・ごめん、悪かった。そんな事ぐらいで怒るなよ」
その、「そんな事」と言う言葉がまたサンジの癇に障る。けれど、頭ではいくらでも
ルフィに悪態を突きたいようだが、その体力は消耗するばかりで、だんだん、語気が弱くなってくる。
「・・・治ったら、覚えてろ、クソ・・・っ」と言うと、また眩暈がしたのか、
ギュ、ときつく目を閉じてしまった。
(俺がここにいたら、サンジ、ずっと怒ってるだろうな・・・)と
ルフィは、今すぐにサンジの機嫌を直すことを諦めて、一旦、男部屋を出る。
「なんだ、ゾロ。聞いてたのか」
「・・・まあな」
外に出た途端、ルフィとサンジの様子を窺っていたのか、ゾロがすぐ近くにいた。
「・・・全く、お前もナミも分かってねえな」
ゾロは、どこか呆れた様な、せせら笑うような口ぶりで
「風邪でも引いたって事にして、知らんぷりしてりゃいいのに」と言う。
「ゾロは、サンジの事心配じゃねえのか」とルフィが尋ねると、ゾロはルフィから
目を逸らして、「・・・原因がわかるまではまあ・・・な」
「色々と・・・俺も・・あいつが熱出すような事しでかしたって落ち度もあるし・・・」と口ごもりながらそう言った。
(ふ〜ん)一体、ゾロがサンジに何をしでかしたのか、ルフィには分からない。
特に興味も沸かない。それよりも、サンジと毎日のように喧嘩をしているのに、
サンジの事を誰よりも知っているゾロなら、一番手っ取り早い仲直りの仕方を
知っているかもしれない。そう思って、ルフィは尋ねた。
「・・・どうすりゃ、サンジの機嫌が治るか、ゾロ、わかるか?」
「ほっとけ。それが一番だ」ゾロはそう即答した。
だが、それではあまりに無責任のような気がする。
「それでダイジョブか?」と聞いても、ゾロは深く頷いて、「大丈夫だ」と答えた。
だが、「放っておく」事にするには、もう遅すぎた。
「知らんぷりして放っておく」のなら、最初からそうするべきだった。
そんなサンジの扱い方を心得ているゾロ以外の者が代わる代わるサンジを気遣う。
その状況が、よほど我慢できなかったのだろう。
穏やかな天気、凪いでいる海、のどかな時間。それぞれが思い思いに過ごしていた。
その平和な空気につい、気が緩んでいた所為か、男部屋に寝ているはずのサンジが
いない事に気付いたのは、昼を少し過ぎてからだった。
船内を、くまなく探しても、どこにも見当たらない。
「脱走だ!薬は持っていったみたいだけど・・・っ」チョッパーは、慌てる。
「だから言ったんだ。放っておけって」ゾロは憮然としている。
「今更言っても仕方ないでしょ。手分けして探さなきゃ」ナミは、気が立っている。
「脱走って・・・どうして?船医さん」ロビンは首をかしげる。
「皆に食中毒で熱出してるって知られて、それが居た堪れなかったんじゃねえか?」とウソップは、サンジの気持ちをズバリと言い当てる。
「腐ったものを食べたワケじゃないのに?」ナミがそう言ってため息をつくと、
「コックが食中毒なんて、体裁悪イとかって、きっと、養い親の・・・あの、片足の
料理人に教え込まれたんじゃねえか?」ウソップが答える。
「体裁悪いからって、仲間に心配掛けるなんて、相変わらず支離滅裂なんだから!」
ナミはそう言って怒ってはいるが、やはり、「放っておけ」とは言わなかった。
むろん、ルフィは最初から「放っておく」つもりはない。
「サンジが脱走したのは、俺の所為だ」
「俺が、イグアナの内臓食うって言ったからだし、皆に食中毒の事、言っちまったし」
「だから、サンジは俺が一人で探す。皆が、大騒ぎしたら、きっとサンジはもっと怒っちまう」
サンジは、昼過ぎに急に船からいなくなった。
ルフィは、それを「勘」だけで追い駆けて、そして夜になってサンジを見つけて、
とても古びた、静かで小さな宿にいる。
そして、困っていた。
言い争う事に疲れたのか、サンジは目を閉じて、力なく寝床に体を投げ出したきり、動かない。(困ったな・・・)
チョッパーが処方した薬は、間違いなく効いているのか。
熱は下がる様子がない。眠っていても、腹が痛むのか、時折、顔を顰めて、
小さく呻いている。
顔色も、少しも血の気が戻ってこないで、白いままだ。
どうしたものか・・・と、ルフィがまだ考えあぐねていると、薄いドアを隔てた廊下が
ギシ・・・ギシ・・・と軋む音が聞こえてきた。
その音が、空気を震わせ、その微かな振動がルフィに敵意と殺気を教える。
(・・・面倒くせえヤツらだな。サンジがやっと、眠ったトコなのに・・・)と
腹の底から、その敵意と殺気を忌々しく思い、ルフィは椅子から音を立てずに
立ち上がった。
サンジを起こす事無く、瞬時に片付けてやろう。
そう思って、ルフィはゆっくりと自分からドアに堂々と歩み寄っていく。
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