「おい、いい加減にしろ。」

波が穏やかになり、指針も順調、けれど
夜になって、食事が済んで、サンジは ゾロに目も合わさない。

バカだ、バカだと知っているが。
ここまで バカだったとは、と ゾロは呆れた。

サニートは、アラバスタの見も知らない女とゾロの間の子供だと
勝手に思って、
勝手に腹を立てている。

ヤキモチなど 焼かれた事がないので、
それはそれで ゾロは 嬉しくない訳ではない。

が。

どこを突付けば そんな理屈が頭に浮かんで、
腹を立てているのか さっぱりわからない。

「浮気?やれるもんならやってみろよ。」といつもなら
平然としているのに、目の前にいるサニートが
ゾロに似ているから、動揺した様だ。

「なんの事だ。」

サンジはいつまでも キッチンから出ていかないゾロを苦々しい顔つきで
振り向く。

「いつまで 下らネエ事で 仏頂面してんだ、胸クソ悪イぜ。」

機嫌を取るつもりはない。
ゾロに後ろ暗いところは全くないのだから、毅然とした態度のまま、
サンジの態度の悪さを咎めた。

「生まれ付き、こういう面だ。」
そう答えて、また 背中を向ける。

「これだけは 言っとくぞ。」ゾロは 倒置法を使って
サンジの気を引く。

「あ?」サンジがもう一度、ゾロの方へ顔を向けた。

ゾロの眼が真っ直ぐに サンジに向けられている。
怯えることも、機嫌を取るために 浮ついている事もない、
真実だけを語る、真剣な眼差しだった。

「サニートは 俺の子供だ。」
「でも、お前に対して、後ろ暗エ気持ちはない。」
「俺は、一回もお前を裏切るようなことはしてねえ。」

サンジの全身が固まる。
強烈な驚きがサンジの思考を強制的に麻痺させた。


「やっぱり、お前の子供なのか。」
「そうだよな。お前ら、そっくりだからな。」

想像以上に ゾロの言葉はサンジに大きな衝撃を与えた。
そう言ったきり、息さえ忘れたように ゾロの顔をただ、見ている。

「良かったな。」

訳のわからない言葉を呟いて サンジは呆然としたまま、
シンクに向かった。

罵詈雑言が飛出してくるかと思ったら、不気味なほどの沈黙が
サンジの背中から染み出してくる。

ゾロは 言ってしまってすぐに後悔した。
まだ、早すぎた、と思った。

すぐに立ち上がって 後ろからサンジの体を引き寄せた。

「俺を信じてくれてるんだろ?」
「だったら、今の言葉の意味をもう一回、考えろよ。」

今は、ゾロが何を言っても、サンジの鈍く、軋みながら
動き出した 思考回路に情報を送りこめない。

「今なら、良かったんだ。」
「あの頃は、自分の事で精一杯だったから。」
「お前の赤ん坊、殺しちまった。」

振りかえり、ゾロの胸を乱暴に突き飛ばして、サンジは一気に
暴走し始めた脳味噌の中の言葉を 弾けさせた。

「後悔したさ。」
「あの時、バカなことしたって、ずっと後悔してたさ。」
「だから、ジュニアを必死で育てたんだ。」
「あの赤ん坊の生まれ変わり見たいな気がして、」

「その後悔からずっと逃げたかったんだ。」

「お前の事は信じてる、」
「明日になったら 気持ちも整理出来る。」
「今夜は俺の前に面を出すな。」


今度はゾロが 驚きで息を飲んだ。

まさか、サンジがずっと そんな気持ちを抱えていたなど、
今の今まで 気がつきもしなかった。

誰よりも、サンジを判っているつもりで、
サンジを理解し切っていると思っていた。

二人がもっと、言葉を上手く 操れたなら すれ違うこともなく、
落ちついて相手の言い分を聞き、理解しあう時間を短縮できたのに。

「すまん。」

そんな後悔を引き摺っている事に全然 気がつかなかった事を
ゾロは詫びた。

そのつもりの言葉だった。

けれど、受け取った側のサンジは そうは解釈出来なかった。

他所で子供を作ったことを「すまん」と詫びた、と解釈した。


「今夜はてめえの声も聞きたくねえっつってんだ!!」


サンジはいきなり、シンクの中の洗浄中の皿を掴んで
床に叩きつける。
軽い金属で出来ているとは言え、男の力で思いきり 床に投げつけられて、
それは派手な音を立て、跳ねて、転がった。

食器を乱暴に扱った、サンジをゾロははじめて見た。

「失せろ。」と 眉根にくっきりと影を作って言い放つサンジに、

「お前こそ、いい加減にしねえと 洒落じゃ すまねえぞ。」と
自分の言葉が足りていないことを棚に上げたゾロの眉尻も釣り上がった。


そこへ、
キッチンのドアが開いた。


入ってきた途端、床に躓くようにして倒れたのは、

「「サニート!」」


揉め事の元凶の本人がいきなり 入ってきたので
ゾロとサンジの 重なった声は 露骨なほどの驚き様だった。

まだ、とても動けない筈の体で一体、・・と
二人は まだ 高熱を出しているサニートを 二人の手で抱き起こした。

聞いていないだろうな。と ゾロも、サンジも全く同じ事を考えて、
サニートの言動を待つ。

「水を飲みに来ました。」
ゼエゼエと肩で息をしながら サニートはサンジに自分が
キッチンまで 歩いてきた理由を言った。

「ニアちゃんは?チョッパーはどうしたんだ」
「一人で歩いてくるなんて、バカか、お前は!」

二人同時に サニートの耳元で怒鳴った。

「ニアは赤ん坊の所で、トニーさんは寝てます。」
「俺の看病で疲れてるんだな、って思って起こしちゃ悪いな・・・」
と、思って、

まだ サニートがしゃべり終わらない内に ゾロが
「起きてウロウロして傷が開く方が よっぽど迷惑だ!」
と 思い掛けないほど 真剣な口調で叱る。

その間にサンジは 水を用意した。

「夜中になにを揉めてたんです。」

そう言って、自分を見上げるサニートの瞳の色を見て、
サンジは ギョッとする。

判っていたけれど、こんなに間近で見たのははじめてだ。

砂漠のオアシスを潤す色だと思っていたけれど、違う。

サニートの瞳の色はもっと 蒼く、もっと透明だった。


こいつの目は、

俺の目だ。


「運んだ方がいいのか、チョッパーを呼んだ方がいいのか、」


水を飲みにキッチンまで歩いてきたサニートをゾロは抱き起こした。
返答がすぐには返って来ない。

サンジはサンジで石の様に固まってサニートを凝視している。
サニートは痛みと熱で朦朧とし始めてる。

「おい、お前ら!」

ゾロにそう怒鳴られて、サンジは ハっと顔を上げた。
サニートも僅かに眉を寄せながら 少し意識を取り戻す。


「ボケっとしねえで、チョッパー叩き起こして来い!」

ゾロの腕の中のサニートの口から妙な音が漏れる。
押さえた手から血が滴り落ちた。

「見ろ、内臓の傷が開いただろうが。」
苦々しげに呟くと、まだ、茫然としたままのサンジに 
もう一度、

「さっさと行けっつってるだろ!」と怒鳴った。


サンジは何も答えず、けれど、不満げな態度もとらずに
足早にキッチンを出て行く。



サンジは 格納庫で寝ている筈のチョッパーを起こす為に
そこへ向かって走りながら、サニートの瞳の色を思い出した。

鏡を見ているような気がした。


まさか。いや、有り得ない。
けれど、もしも、そうなら。

(そうなら。)

あいつ。
俺が殺そうとしたあの赤ん坊なのか。


翠の髪に、薄蒼の瞳。

自分とゾロの特徴を併せ持つ、そのくせ、
ビビにもコーザにもすこしも似ていない、サニートの容姿。


深く考えれば、答えに行きつきそうで、
サンジは考えるのを止めた。

ちょうど、目の前に格納庫の扉が有る。
夢中でチョッパーを叩き起こすだけに集中する。



サニートの容態が落ちつくまで、ゾロもサンジも起きていた。
もう、サニートの出生についてなにも話さなかった。

肯定されるのも、否定されるのも、
怖くて、サンジは これ以上 ゾロに聞くことが出来ない。

そうだ、と言われても、

そうじゃなく、やはり ゾロが見も知らない女と作った子供だと
知らされても、どちらにしても、

サンジにとって 喜ばしい話しではない。

自分の中に生じた、可能性に夢を見るだけにしておいた方が
楽だった。


自分が捨てた 肉片のような命が生きている。
その罪の重さと後悔を、ただ、消す為だけにその可能性に縋る。

それで充分だと思った。
サニートは ビビの息子だ。
これまでも、これからも。

その命の発生がどこにあるかなど、今はどうでもいいほど、
両親に、その祖国の民に愛されているのだから、

(もう、余計な詮索は必要ねえ)


俺には


ゾロがいればいい、それで。


サンジは サニートの看病を言葉少ないまま、
二人でしながら、改めて そう思った。

未来に繋げる命を望むのは あまりにも 我侭で傲慢だと気がついた。



翌朝。


サニートの容態も落ちついたし、例の赤ん坊騒ぎも
海軍に保護を要請すると言う事で カタがつきそうだった。

明日には、出航する、と言うのでジュニアはミユに別れを告げる為に
出掛ける準備をしている。


「おい、ジュニア。」


そのジュニアにウソップが声をかける。

「何、父さん?」と船べりに足をかけながら振り向いた。

「その・・・お前、その子に世話になったんだろ?」
「オヤジとして、挨拶に行くから連れていけ。」

普段、父親らしい事など何もしていないから、せめて、
こう言う時くらい、父親らしいことがしたくて、
ウソップは どこか気恥ずかしげで、それでいて 父親の威厳を損なわないよう、
どこか威圧的だった。

ジュニアは そんなウソップの気持ちをすぐに察する。

「いいよ」と断ってしまうのは簡単だ。
けれど、ジュニアも 普段会えない 本当の父親から、
父親らしい心遣いを見せてもらえて、それが嬉しかった。

「うん。ありがとう、父さん」

そう答えて、ウソップが着替えてくるまで船べりに腰掛け、
港を眺めていた。


(あれ?)



昨夜はなかった船が隣に停泊している。
見たことのある、船の佇まい。
全体的に潮に洗われ、古びているけれど、メインマストや
船首に近い個所の板が真新しい。

(あの船は、人売りの船だ。)


奴隷船ではない。
その船は、バラティエが海の上のレストランなら、
さしずめ、船の上の売春宿だ。


彼らがオールブルーにやってきた時、その主人の、女性に対する
扱いが余りに酷く、それにキレたサンジが、
メインマストを一撃でへし折って、その主人だけを叩き出し、

働かされている女性たちには、せめて、
極上の一時を、と 最高級のワインと、料理、最高のサービスで
もてなした。

(やっかいなところで会うなあ)とその船を眺めてジュニアが 眉を顰める。

「おい、そろそろ、お頭が帰って来るぞ!」など、その船の中から
声が漏れ聞こえてくるのを聞きながら、

ジュニアはなんとなく、足をぶらつかせながら港を見下ろしていた。

が、その黒い目は朝靄に煙る港に、見知った少女を伴った男の姿を捉えて
大きく見開かれた。

「ミユ!」

その声にミユが顔を上げる。
よほど、泣いたのか、頬まで真っ赤に染まっていた。


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