「ミユ!」

その声にミユが顔を上げる。
よほど、泣いたのか、頬まで真っ赤に染まっていた。


ジュニアの声で、人買いの頭が顔を上げ、瞬時に嫌な顔をする。
ほんの数ヶ月前、酷い目に合った、オールブルーのレストラン、
そのオーナーの息子同然の少年だ。
見間違う筈もない。

「やあ、おはよう。」

この少年がここにいると言うことは、多分、あの乱暴なオーナーも
側にいる筈で、
人買いの男はなるべく、厄介を起こさない方がいい、と判断して、
機嫌を取るような笑みを浮かべてジュニアを見上げた。

ジュニアは怪訝な顔をして、答えない。

ミユは泣きはらした目で、ジュニアをすがるように見ていた。

あの、気の強いミユが泣いている。
はっきりと自分に太助を求めている、とジュニアは悟った。

「その子をどこに連れていくの?」

サンジが育てた割りに、ジュニアの言葉遣いは柔らかい。
多分、バラティエでの生活で身についたのだろう。

「坊やには関係のないところさ。」と人買いの頭はあくまで
低姿勢だった。

「ジュニア、助けて。」

ミユの唇が声にならない声でジュニアにそう言った。

ジュニアはふわりと船から港に飛び降り、人買いの頭に近づく。

チッ。
頭が舌打ちするのをジュニアは聞き逃さなかった。

「ミユをどこへ連れていくつもりですか。」
「この子はね、母親の借金のカタにオヤジさんから買ったんですよ。」
「浚うわけじゃないんです。」

人買いの頭は 少年とは言え、ジュニアの剣幕に押されて
しどろもどろに答えた。

「お母さん、すごく大人しい人だったんだって。」
「お父さん、一目で見て恋に落ちて、すぐに結婚を申し込んで、」
「お母さんも、断わることもなく、すんなり結婚したんだって。」

「いっつも、男から選ばれて、そのせいで何かを失っても判らない。」
「去年、そのお金持ちに捨てられて、お父さんのところに帰ってきた。」

「でも、また、今度は海賊に見初められて、出ていったの。」
「お父さん、倒れたって言ったでしょ。お母さんが出て行ったからショックでね。」

「男に頼るような、弱い女は結局、自分を傷つけない替わりに
周りを傷つけるのよ。私は自分が傷だらけになっても、しっかり一人で立てる女になるの。」


ミユは、ジュニアと初めてあった時、そんな事を言っていた。
海賊に見初められ、出ていった母親がどういう訳か、
多額の借金をして 行方不明に、
そしてその取り立てが 夫であるミユの父の所へ来て、
借金の返済などとても出来ない状況で、娘を売り飛ばした、と言う
事らしい。

けれど、ジュニア一人ではそんな現状を推し量ることは出来ない。

「おい、ジュニア?」

船べりで待っていた筈のジュニアが港に折りたち、見なれない男と
少女を挟んで 睨み合っているのを

支度を整えたウソップが見咎めた。

その声にジュニアが振り向く。

「げ!」人買いの顔色が変わった。

初めて、その船の海賊旗が目に入ったようで、
顔を覗かせた鼻の長い男が 「麦わらの一味」の狙撃手・ウソップだと
悟ったのだ。

「じゃあな、坊や!」

人買いの頭は慌ててミユの手首を掴んで走り出した。
事を構えるにはあまりにも相手が悪い。
けれど、ミユには 元手がかかっている。

ミユの母親の借金を取り立てに来た、ここまでの航行にかかった費用も
バカにはならない。損するだけでグランドラインを命がけで航海したと
判ったら、部下達の不満も募る。


「嫌だ、離して!離して!」

ミユは足を踏ん張り、抵抗する。

「さっさと出航するぞ!」と言う人買いの頭の声と、
ウソップの大型火薬星が 人買いの船の腹で爆発するのとが
殆ど同時だった。

茫然と、傾き始めた船を見る、人買いの頭にウソップは、
毅然と、

「うちの倅の用が終ってから出航しろよ。」と言った。




「オヤジさんに売られた?」

ひとまず、ゴーイングメリー号にミユを連れて帰り、
キッチンでまだ怪我で動けないサニートと看病しているニアを除く
全員が ミユの話しを聞く。

ルフィも、ナミも、ゾロも、ミユは初対面で、
稀代の大海賊だと言われているとはとても思えない気さくさで
ミユは 安心したように事情を説明した。

それを聞いて、まず、サンジが驚いて、ミユの言葉を聞きかえしたのだ。

「この子は俺の子じゃないから、好きにしてくれって。」と
サンジと良く似た色の瞳から ポタポタと涙をこぼした。

「酷い話ね。」とナミは憤慨する。
こんなに可愛い娘を借金のカタに売り飛ばすなど、全く
信じられない。

「借金はいくらなんだ。」
ゾロも憮然としながら、ミユに尋ねる。

「3000万ベリーだそうです。」
「「そんなに?」」

聞いたゾロではなく、チョッパーとナミが同時に驚いた声を上げた。

ナミと、それ以外の全員も、ルフィを見た。
「ダメだ。この船には乗せられネエ。」とその眼差しを受けて
ルフィは首を振った。

理由は聞かなくても判る。
夢を追っている者だけがこの船に乗る権利がある。
今、生きている世界から逃げるような弱虫は 絶対に船に乗せないのが、
船長の言うところの、「ポリスー」だ。

それに、危険だ。
航海技術のないミユを乗せても、役に立たないし、
戦闘に参加出来る訳でもない。

リスクを背負ってまで、ミユを乗船させても、ただ、賞金首の海賊になるだけだ。

「とにかく、オヤジさんに会って来る。」

何故、サンジが?と
意を決したように口を開いたサンジに 全員の目が注がれる。

ジュニアの初恋の少女に関することだから、
口を出したくなるのも判るが、ウソップの前では、料理と蹴りの師匠と言うだけで
父親らしい小言など 一切言わなかったのだが、

ここへ来て、ウソップを差し置いてのサンジの言葉に
全員が違和感を感じた。

「なんでお前が行く?」
ゾロが恐らく 全員の頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。

「首尾良く事が進んだ後に言うよ。」とだけ答え、
サンジはミユの肩を抱き 彼女に涙を拭う為のハンカチを手渡した。

「出掛けてくる。」そう言うと、二人はキッチンを出て行った。

「何考えてると思う?」とナミは首を捻って ゾロに尋ねる。

「判らん」ゾロも首を捻りたいのを堪えて、腕を組んだまま、ぶっきらぼうに答えた。

サンジは、ミユと手を繋いで歩いて行く。

僅か、12歳の女の子の手がとても荒れていた。

親に売られた、と聞いて、実は後先考えずに
どうしても、ミユの父親に その真偽を確かめたくて
飛出してきたのだ。

ミユが言うのだから、わざわざ 確認しなくてもいいのに、
サンジは、赤ん坊から12年も育ててきた子供を

どんなに困窮したからと言って 売り飛ばしたりするだろうか、
それが信じられなかったのだ。

血の繋がった親子だ。
ミユの父親は、「お前など、俺の子供じゃない」と言ったらしいけれど、
父親など、自分で子供を産むわけではないのだから、
子供の成長と共に、「父親」として成長して、徐々に父親になっていくものだと
ウソップを見てサンジは知った。

血の繋がらない、ゼフが心血を注いで自分を育ててくれたことを思い返しても、
ミユの父親のした事をサンジは全く理解できない。

「ミユちゃんは、将来、何になりたいんだい。」と道すがら、
ミユの緊張した心をほぐす為にサンジはにこやかに尋ねる。

「食べた人が思わず、ニコ、って笑うくらい美味しい料理を作れる
料理人になりたかったの。」

ミユは既に 自分の夢を過去形で語った。
父親の力になろうと、細い腕で働いて来たのに、それが裏切られ、
何もかもに 絶望したのか、
例え、この災難をどうにか 乗り切ったとしても、これから先、
今までのように 無邪気に 父を労わり、慕って暮らして行くことなど出来ない。

そう思い詰めている様子がありありと判る。

同じ年でも、男の子よりも女の子の方が 数段、大人だし、
それでなくても、ミユは 普通の女の子以上に 気丈者の様に見えるが、
それは早く大人になろうと背伸びして来て身に付いた
鎧に覆われたミユの姿なのかもしれない。

そんな風に見ると サンジはミユが痛々しくて、
憐れで、堪らなかった。

「俺はね、母親の顔も、父親の顔も知らないよ。」とサンジは
自分とゼフの事をミユに話して聞かせた。

ミユはサンジの顔を見上げてじっとその話しを聞いている。



「サニートの具合はどう?」とサンジが出掛けてから、しばらくしてから、
チョッパーがサニートの寝床に顔を出した。

側で様子を見ていたニアがその声に振り向く。

「熱がまだ あるのに 外の空気を吸いたいって仰って。」と
困惑している様子だった。

「ダメだよ。」
「大丈夫ですよ。もう。」とサニートは起きあがる。

「大丈夫?何が?つい さっき 口から血を吐いたの誰だっけ?」と
チョッパーは顔を顰める。

こういう、我侭を言うところ、どこかの誰か達にそっくりだ、と
呆れつつ、診察をはじめる。

「ニア、ちょっとまとめて寝ておいた方がいいよ。」
「俺達が油断したら 起きあがって動き回るから。」


チョッパーが昨夜、体を休めていたのは、今日、
もう一度 サニートの傷口を縫い直すための手術をする為に
疲労を取るためだった。

そのことは、ナミにも、ウソップにも伝えてあるから、
今ごろ、その準備をしてくれているだろう。

ニアに余計な心配をかけたくなくて、そのことは伏せてある。

怪我をした直後は、あまりに衰弱が激しく、これ以上の手術は
危険だと判断して、とりあえず、止血だけの手術をした。

が、このまま放置すれば、細かい血管が肺や胃の周りに癒着して
色々な弊害が出ることが懸念されるので、綺麗にそれらを
縫い直す。

正直、今回の手術の方が 応急処置だった前回の手術よりも
ずっと 複雑で難しい。

「ナミの部屋に行って休んできて。」と有無を言わせず
チョッパーに言われて、ニアは 素直に部屋を出て行った。

「なんです。」
わざわざニアを部屋から出した事で、
チョッパーが何か 自分に言いたい事があるらしい、と感じたサニートが
その顔色を伺うような目つきをして、媚び口調で尋ねる。

「俺の言う事聞かないと、ビビに手紙を書くよ。」
チョッパーは 威厳を持って サニートを脅す。

「俺の言う事ちっとも聞きません、引取りに来てくださいって。」
「ちゃんと聞きますから。そんな意地悪言わないでくださいよ。」と
サニートは へらりとした薄笑いを浮かべる。

全く。
どうせなら、ゾロに性格が似ているならもう少し、
王子様らしいだろうに、どうも、普段のサニートの態度は軽軽しくて、
これで アラバスタの王族とは思えない。

「今からする、手術の説明をするから良く聞いてなよ。」と
チョッパーは座り直して、サニートに説明をし始めた。



「お父さん。」
ミユが自分の家の扉を開け、中に向かって呼び掛けた。

「なんだ、お前。帰ってきたのか。」
外でとりあえず、中の様子を伺っているサンジに気が付かず、
暗い家の中から ぶっきらぼうな男の声が聞こえた。

「あの、違うの。お話ししたいって言う人を連れてきたの。」
「話し?お前の話しならどうだっていい。」
「お前は俺の娘じゃないんだから、わざわざ連れてくるな、面倒臭い。」


「おい、邪魔するぜ。」
そこまで聞いて、サンジは腹が煮え繰り返った。
我慢できずにミユの家に踏み込む。

「なんだ、あんた。」不躾な来客にミユの父が驚き、
座っていた椅子から腰を僅かに浮かした。

「あんたがミユちゃんのパパか。」
「誰だ、あんた。」

サンジは、自分がオールブルーのレストランのオーナーだ、と
名乗った。
すると、ミユの父、いかにも病弱そうな、枯れ木のような
色の顔を卑しげに綻ばせた。


「あんたがこいつを買ってくれるのかい?」
「ロロノア・ゾロとじゃ、子供、作れないから 俺の娘を買いあげて」
「父親ごっこでもするのか。」

サンジの見えていないほうの眉尻がピク、と僅かに動く。
が、平然とした態度を崩しはしなかった。

そのまま、静かな足取りで ツカツカとミユの父親の側に
歩みより、

無言で 彼が腰掛けている椅子の足だけを蹴り折った。
当然、ミユの父親は床にみっともなく転がされる。

「お父さんっ。」ミユは思わず、声を上げ、父親に駆寄ろうとする、
けれど、父から絆を断ち切られた衝撃は ミユの足を床に縫い止めてしまった。


「この子の父親は 誰がなんと言おうとあんただけだ。」
「ミユちゃんがあんたをお父さん、と呼ぶ限りはな。」

サンジは 少しでも、本当の父親の姿をミユの父親に見出したかった。
自分の言葉に 僅かでも同意して欲しくて、そんな言葉を口にしたのに。

「カッコつけなくてもいいぜ、赫足のサンジさんよ。」
ミユの父親はサンジに 嘲笑するような眼差しを向けた。

「そいつは、俺がそいつの母親と結婚した時、既に腹の中にいたんだ。」
「どこの誰の子か、わかりゃしねえ。」
「俺はそいつの母親に惚れたから、そいつを今日まで育てたやったが、」
「もう、あんな女に苦しめられるのは真っ平ご免なんでな。」
「顔も見たくねえ、声も聞きたくねえ、だんだん、あの女に似てくるそいつを見てると」
「イライラしてくるんだ。」
「あんたが連れて行って、ロロノアと存分に可愛がってやってくれ。」

理解しようと思って来たつもりだったけれど、
サンジはミユの父親を 少しも理解できなかった。

「ごめんな、ミユちゃん。」
サンジはミユと来た道をまた 手を繋いで戻っていた。

普通の親と子として過ごしてきた家族を こんなに近くで見たのは、
サンジは初めてだった。

12年、積み重ねてきた親子の絆がこれほど脆いとは。

ただ、それを思い知っただけだった。
ミユもサンジも 言葉を失って歩くだけだ。

「ミユちゃん、オールブルーにおいで。」
「ゴーイングメリー号には乗せてやれないけど、海軍に君を預けて行くから、」

サンジはゴーイングメリー号に辿りついて、ようやく
行きついた答えをミユに提案した。

「私をサンジさんのレストランに?」ミユの顔に光明が差した。
「頑張れるかい?女の子でも特別扱いしないけど、」
それを見て、サンジも微笑む。

「良く知ってる海兵がいるから、そいつに君を送ってもらえるように今から海軍に頼みに行こう。」と
サンジはそのまま、ミユの手を引いて、
人買いの船の前を通り過ぎる。

「あの・・・赫足のダンナ。」と船の上から じっと
ミユを待っていた人買いの頭が恐々と サンジとミユに声をかける。

「あ?」とサンジは彼を振り仰ぐ。

「その子の借金は」揉み手をしながら尋ねると、
「オールブルーに取りに来い」とサンジは答えて、頭の背筋が凍るような笑みを浮かべた。

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