「面倒かけてすまねえな、チョッパー。」
ゾロが背負って連れてきた少年の状態は酷かった。
船に連れて来る途中でも何度も吐血して、ゾロのシャツは肩口から
少年の口から吐き出された血でべっとりと濡れている。
「あと、一時間遅かったら確実に死んでたよ。」
乗組員でもない、重病人を拾ってきて、
船医の手を煩わせたことをサンジは詫びた。
が、人が良く、責任感の強い船医がそんな事を迷惑がる事はない。
手際良く、ライの体を拭き清めて さっそく診察にとりかかった。
そして、脈を取り、熱を測って 最初に口に出た言葉が
「あと、一時間遅かったら 死んでいた」と言うものだった。
「胸を病んでる上に肺炎を起こしてるし、内臓からも出血してる。」
「助かるのか?」
ゾロは服を脱いで、肩の血を拭いながら尋ねる。
「サンジが食べ物を食べさせた相手を死なせたくないからね。」
「出来るだけの事はするよ。」
あまり切羽詰まった様子ではないチョッパーの口調に、サンジとゾロは
僅かに表情を弛めて、眼を合わせ、小さく安堵の溜息をついた。
「でも、感染力の強い病気だから、この子の看病はサンジと俺でする。」
「それ以外の人間は ここに近づかないでくれ。」
チョッパーの薬と技術なら、ライが感染している病気も恐れることはないのだが、
薬もタダではない。
船員全員が感染してしまったら、莫大な薬代がかかる。
それに、何よりもその間に 海軍や賞金稼ぎなどの襲撃があった時に
全員が病人になっていたら それこそ 全滅する。
「ゾロも、暫くサンジと接触するな。」
可愛らしい外見からは あまり想像できないが、船医としてのチョッパーの言葉は、
船長の指示と同等の重さと厳しさがある。
それに逆らう事は、この船の乗組員である以上、決して許されない。
「判った。」
一見、ゾロは無表情のような顔で頷いた。
チョッパーの言う「接触」の意味は理解出来ている。
喋るな、側に近寄るな、と言っている訳ではない。
「肉体的接触はするな。」と言う意味だ。
が、チョッパーの言葉に異義を唱えたのは、ゾロではなく、サンジだった。
「皆の食事はどうするんだ?」
「今更、その心配をしても遅いよ。」
チョッパーは即座に答え、樋爪でサンジの口元を指差し、
「吐血した相手の血を口元にべったりつけてる。もう、感染したかもしれないよ?」
「そんな人間が作った食事を皆に食べさせるつもりか?」と
その無神経さを咎めた。
サンジが気管を詰らせたライの口を吸い上げ、嘔吐した血液を口に含んだ事を
チョッパーはすぐに気が付いて、その処置は確かに 間違ってはいないと思うが、
感染の可能性が皆無だと 判明するまでは
食事を作らせる事は出来ないと言う。
ライに然るべき薬を所用し、外傷の治療を施した後、
チョッパーはサンジの血液を採取した。
「感染してなかったら食事を作ってもいいよ。」
「でも、結果が出るのは明後日の朝ぐらいだから、それまではダメだからね。」
が部屋チョッパーを出ていった後、
・・・いつもどおり、格納庫に急ごしらえの寝床を
用意して、そこにライを休ませている。
とにかく、チョッパーがそこを出ていった後、サンジがゾロに 尋ねた。
連れて帰ろう、とサンジがライを抱かかえた時、ゾロは無造作にライを背負った。
その行動の不自然さの理由を、何故かとても気になったのだ。
「お前エ、なんでこのボウズを背負ったんだ?」
それでなくても、ゾロは刀を三振りも腰に挿している。
サンジは体その物が武器なので、身軽だった。
それに、サンジにはライを見殺しに出来ない理由がある。
一度、飯を食わせた人間に対して、そうでない人間とは格段に違う
深い情をサンジは抱く。
だから、目の前に ただ炙っただけの粗末な料理だったと言うのに、
夢中で食べて、そしてこれ以上ないほど 満ち足りた顔をして眠った少年が
生きながらゴミのように捨てられているのを見て、放って置ける筈がなかった。
けれど、ゾロには ライに対してなんの情もないはずだ。
それなのに、サンジの行動を咎める事も、その理由を聞く事もせず、
当たり前のような態度で 薄汚いライを背負った。
「お前が助けてえ奴を背負うのに理由がいるのかよ。」
ゾロは眼を逸らして答える。
今口に出した言葉は 嘘でも偽りでもない。
けれど、実際は口に出せないもう一つの理由があった。
「そうじゃねえけどよ。」サンジは ゾロが目を逸らした事で
自分に本心を隠していると 疑い、それが 自然と明確でない口調になる。
たった一度、食事を作ってやった、それだけで あそこまでするか?
ゾロは その言葉を口に出す事がいかに無駄かを知っている。
だから、飲みこんで何も言わない。
もしかしたら、あの青い髪の少年に 格別の興味を惹かれているのでは、と
下らない猜疑心が サンジがライの口から血液を吸い出し、
それを吐き出させて、病んだ体を温めてやるように抱いていた姿を見てから
むくむくと心に涌いて出た。
町で若い女に見境なく声をかけ、自分を放り出してその尻を追い駆けて行っても、
呆れるだけで 腹は立たない。
そう言う馬鹿さ加減も 今は許せる。
けれど、その軽薄な態度とは全く違う、
ライへ向けた真剣なサンジの顔付きと行動を見て、
「これはいつもの気まぐれとは違う」と直感で感じた。
恐らく、サンジはゾロが背負わなければ、ライを腕に抱いて船へ向かっただろう。
その姿を 見たくなかった。
それが サンジには言えない、悟られたくない もう一つの理由だ。
「なら、いい。」
サンジはそれ以上、深い詮索はしない。ゾロがそう言うのなら、
特に 何も理由などないのだろう、と思う事にした。
「明後日の朝まで俺もここに監禁か。」
サンジは 格納庫を見まわした。
「お前エもさっさとここから出ろよ。伝染っちまうぞ。」
そう言ったのに、ゾロは飲みかけの酒の入った瓶を手に持って、
腰を降ろした。
そして、「今更慌てても仕方ねえだろ。もう少し、ここにいる。」
「暫く、その面見れねえんだから、じっくり拝んでやるよ。」と言うと
ゾロは照れ隠しなのか、口の端を歪めて笑った。
冷たくて、寒くて、そんな不快な場所にいた筈なのに、
今、温かく、柔らかい物に包まれ、体には 波の揺らぐ振動が感じる。
ここはどこだろう、とライは 重く、ひりひりと痛む瞳を開く。
ぼやけた視界が徐々に明確になり、視覚の照準が合うのと平行して、
聴覚も明確な感覚を取り戻して行く。
瞼が重く、半分しか開く事は出来ないが、ライは 寝床の正面、
ロープや交換用の帆、砲弾、火薬の箱などが置かれているのが見えた。
だが、それだけではここがどこなのか、さっぱり判らない。
サンジの腕に抱き留められていた夢も、もう、熱で呆けている頭では
すっかり忘れている。
半眼のまま、瞳だけを動かした。
そして、ハッと息を飲んだ。
それを見た時、嬉しさと混乱と、胸の疼きが同時に起こった。
ロロノア・ゾロとサンジの影が重なっている。
目を凝らすと、ロロノア・ゾロは 大事そうに、
これ以上、愛しいものはないと言うように、サンジの唇に触れていた。
綺麗だ、と初めてサンジを見た時に思ったのは、錯覚ではなかった。
ただ、ロロノア・ゾロの口付けに答えることなく、されるがままになっているだけの
サンジは やはり、ライの目に
かなり、ぼやけていたけれど、確かに 綺麗に見えたのだ。
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