深い眠りから徐々に醒めて行くのをライは感じていた。
けれど、

目を覚ましてはいけない、このまま眠っていた方がいい、と
自分の中の声が覚醒に怯えて 混濁した意識に引きとめようとしている。

「こいつの稼いだ金を5割、寄越せ。」
「こいつは男娼になっても俺の部下だ。売った訳じゃないんだからな。」

耳に入って来るのはカラメルの強欲な相談事。
その商品は自分なのだ。

(仲間に裏切られた。)
ミルクに心酔し、ミルクの理念にしたがって、家族同然と思い、慕ってきた仲間達。

彼らの中で育ってきたライには、今、
体を欲望の熱にうなされた男に貫かれている事よりも、
その方がずっと悲しい事だった。

その衝撃があまりに強烈過ぎて、意識が戻って体の自由を取り戻しても、
ライは一言も口を利かず、ただ、男に体を開き、
物を考える気力も、生きる気力さえも失ったように見えた。

数日、「調教」とか言う行為を強いられ、自分がまるきり人間扱いされていない事に
ようやく気がつく。

もともと、賞金稼ぎになるべく育てられたのだから、一旦、本気で
暴れ出すと、色欲を晴らしに来た無防備な男など 一たまりもない。

けれど、それが却って良くなかった。

「お前のせいで、お客が怪我をしたんだ。お仕置きをしなきゃならん。」

まだ 15歳の、普通の性行為さえ経験のない少年に耐えがたい屈辱を
カラメルからライを預かっている男娼の元締めから 受け、
それからは、客の相手をする時は 妙な薬を無理矢理飲まされるようになった。

(カラメルがミルクを殺した。)
ここに連れて来られる前に、ライは確かに仲間の誰かがそう言ったのを
聞いた。

暴れる気力を奮い起こせたのは、カラメルに復讐してやる、と言う執念だった。
けれど、日々、薬物を飲まされ、男に体を傷つけられ、
折檻され、ここから逃げようと思う気力さえ 尽きるのに
一月かからなかった。

一体、何人の男にねじ込まれたのだろう。

眼を閉じて 薄汚い男の前に体を投げ出し、
なすがままになる時、唐突に 太陽の色の髪や蒼い瞳を思い出す。

あの人を汚す、と自分を叱ってみるけれど、
ミルクが残してくれた剣と、
闇の中で浮かび上がった金色の髪、そこから覗く、海の煌きがなければ、
とても正気を保ってはいられなかった。

ライの稼ぎを半分もカラメルに上納せねばならないので、
ライは 高額を払っても、常軌を逸した行為を希望する客の相手ばかり
させられていた。

そして、男の相手をするようになって、3ヶ月も過ぎた頃だろうか。


「おい、亭主!!」

ライの客だった、海軍の将校だと言う中年の恰幅のいい男が
主人を部屋に呼びつけた。

「なにか、粗相でも?」
慌てて、主人が部屋に入り、男の体の下で、酷い咳をしているライを覗きこむ。

顔を押し付けているシーツには、夥しい鮮血が飛び散り、
ライの顔も半分 血で濡れていた。

ドラムやアラバスタのように医学の発達した国ならば、
そう、怖れる事もない病だった。
けれど、この島は 医学に関しては全く発展途上であり、
ライが感染した病気は 不治の病だと信じられている。

「冗談じゃないっ。こんな役立たず、タダでもいらねえ、引き取ってくれ」
男娼の元締めはすぐにカラメルにライをつき返そうとした。

「俺も医者に見せる金が惜しいから、いらねえよ。」
「どっか、その辺に捨ててりゃ、そのうちくたばるだろうさ。」
カラメルは 電伝虫の向こうでせせら笑いながらそう言うだけだった。




「全く、うちの船長の気まぐれにも困ったもんだな。」
黒いスーツの男が雨に濡れながら、隣を歩く緑の髪の男に向かって
ぼやいていた。

「そのおかげで退屈しねえ、って昨夜言ってたじゃねえか。」と
呆れたような口調で 緑の髪の男、ロロノア・ゾロが
サンジの独り言に答える。

二人は、2ヶ月ぶりにこの島を訪れていた。
むぎわらの船長、モンキーD・ルフィが 急に 進路をドラム王国へ向ける、と
言い出した。
それにはそこへ向かう 永久指針か、ログホースを逆に辿るしか方法がない。

行った事のある島を逆周りするのは 面倒なので、二人は
ドラムの永久指針を持っている海賊を探しているのだ。

そして、昼頃から その指針を持っている海賊の航海士を見つけて
追い駆けまわしていた。


「逃げ足の早い野郎だな・・・。」
サンジは雨の所為で煙草がつかず、イラついている。

「こう、ずぶぬれになってまで追い掛けてるのに捕まえられネエってのも、
ムカツクぜ。」

「同感だ。戻るか?」
ゾロは周りを見渡し、自分達が追っている人間など、
とても見つかりそうにない場所へ出てきた事を確認して、
これ以上の深追いは面倒だ、と顔にも態度にも口も出した。

逃げ足の速い相手を追い掛けている内に、
ゾロとサンジは どうやら 歓楽街のごみを集積して積み上げている場所に
たどり着いたのだ。

山の如くに積み上げられたゴミを見て、雨の湿気の中でも臭う
悪臭に二人は顔を顰める。

「もともと、小さな子供が遊ぶ公園だったみてえだな。」
サンジは火のついていないタバコを指で挟んで ゴミの影に隠れそうになっている
小さなブランコを指差した。

そして、ブランコに向かってゴミをどうにか避けながら歩いて行く。


それは、その麻袋が動いたような気がしたからだった。


ブランコの側に無造作に転がされた麻袋が不自然に動いたようにサンジには見えた。

「まさか、人間を捨ててるんじゃねえだろうな。」と口の中で呟いて、その麻袋に近づく。




雨に打たれ、ボロ雑巾のような姿になっているけれど、
握りこんでいる刀と、特徴的な青い髪には 二人とも見覚えがあった。


「ゾロ、」
こいつに見覚えがあるか、とサンジは後から付いて来たゾロに尋ねる。

「いや・・・。」とゾロは首を捻った。

無理もない。
賞金稼ぎだったライは 鍛え上げられた体つきをしていて、
背もサンジよりも僅かに低いくらいで、立派な男の体をしていた。

だが、サンジが抱き起こしている少年には 仲間にしてくれ、と懇願しに来た
少年とは思えないほど やつれ、肉も削げ落ち、骨と皮だけで、
眼を背けたくなるほど 面変わりしている。

だから、サンジも一瞬、自分の考えに自信が持てなかったのだ。

名乗りあった覚えはないが、何故かサンジは ライの名前を呼んだ。
身の上話をする時にでも、聞きかじっていたのかもしれない。

「本当にあいつか?」だが、ゾロはまだ信じられなかった。
まるで、一年以上病み疲れた屍骸のようなライを見てどうしても
頭の中で 真っ直ぐにルフィを見ていた 少年とは思えなかった。

「ああ、間違いない。見ろ。」
サンジは、意識のないライの手に握られた刀剣をゾロに示した。

「柄に細工がある。この武器を使ってる奴はそうはいねえ筈だ。」
「意識がない状態でまだしっかり大事そうに握りこんでる。」

その時、ライは顔を酷く苦しげに歪めた。

数回、耳障りなほどの雑音が混じった咳をした。
そして、口からまるで 噴出すように鮮血を吐き出す。

「っ・・・っ・・・・・っ。」

粘り気のある血液がライの気管を塞いだらしく、ライはサンジの腕の中で、
声にならない呻き声を上げた。


息が出来ない。
苦しい。
熱い。寒い。体が痛い。

死ぬ。
嫌だ、死にたくない。

そんな言葉がライの頭の中に渦巻く。


口中一杯に感じた鉄の味が去り、気管を塞いだ嘔吐物が何かに吸いこまれ、口の中から消えて行く。



大きく息を吸いこんだ。
雨の粒も一緒に口の中に入ってくるが、高熱の体にはその水分さえ美味だった。
体中に空気が回り、とりあえず 死ななかったことに安堵した。

ライは薄く眼を開く。

口の周りを血に染めた太陽が目の前にあった。

今、俺は太陽に抱かれてるんだ、きっとこれは夢だ、と思った。


そう長く意識を保つ事が出来ず、ライはサンジの腕の中でぐったりと体を預けるようにして、再び意識を失った。

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