「不思議な力」
話しは、少し前に遡る。
カラメルが海軍から狙われていて、ライの敵討ちに時間がない、と
麦わらの一味全員が知るところとなったある日の事。
詳しく言うなら、サンジとライが見張り台で 言葉を交わした夜よりも、
二日、遡った、昼下がりの事だ。
「これが、火薬星。こっちが煙星で、これがタバスコ星。」
ウソップは、甲板に座りこんで 同じ様に 剣の稽古の休憩中だった
ライの前に ひとつ、ひとつ、自分の武器である様々な"星玉"を並べた。
「これ、全部、一個づつやる。」
「?」
ライは、そのうちの一つ、火薬星を指で摘んで首を傾げた。
何故、これを自分にくれるのか、その意図が判らなかったのだ。
そのライの怪訝な顔を見て、ウソップは ぐい、とライの前に
身を乗り出した。
「いいか、自慢じゃないが、俺は多分、ずっと年下のお前なんかより、」
「ずっと 弱エ。」
「ついでに言うと、怪我をするのも痛いから嫌だし。」
「死ぬのはもっと嫌だ。」
ウソップは、この船の中で一番、人がいい、とライは思っていた。
自分がまだ、病床にあった時、いつも はっきりした言葉で気遣ってくれた。
「腹、減ってねえか?」
「どこか、痛むところはねえか?」
「具合はどうだ?」
ゾロや、サンジは 態度にも、言葉にも そんな顕著な気使いを
してはくれなかった。
ただ、黙って側にいる、見守っていてくれたけれど、
優しい言葉を掛けてくれたことは ゾロは特にない。
瀕死の重病だった時、気休めでも、ウソップの優しい言葉が、
ライは素直に嬉しく、素直に感謝の言葉を口にしやすかった。
どちらかと言うと物おじしない性格のライだから、無愛想なゾロでも、
口の悪いサンジでも 自分から話し掛ける事になんの 気詰まりもないけれど、
ウソップとの軽やかな言葉のやりとりは、今まで 殺伐とした賞金稼ぎ達との
会話しか知らないライにとって、とても 愉しいものだった。
そのウソップが 真剣な顔でライを見ている。
いつも 目じりに笑みを匂わせて、なんだか 顔を見るだけでホッとするような
顔付きなのに、今、目の前にいる 稀代の狙撃手は、
茶化す事など 出来ない真摯な眼差しで ライを見ていた。
「死ぬのが嫌なのは、命が一つしかないからだ。」
「死んじまったら、勝つの、負けるの、意地だの、夢だの、言えなくなる。」
「生きていてこそ、なんどでもやり直せる。」
剣士の生き方なんか、俺にはさっぱり理解出来ねエ、とウソップは言う。
「ヤバイ、と思ったら逃げろ。命を惜しむ事は恥ずかしい事じゃねえ。」
「お前を惜しんでくれる奴がいる事を忘れるな。」
議論しても 無駄 とウソップは 判っていた。
ゾロとサンジを足して 2で割って、さらに チョッパーの頑固さを
混ぜたような頭のライに それこそ、百万の言葉で
己の価値を教えても、
ライが生まれてから今日まで信じてきた価値感を覆す事は不可能だ。
命と誇りを天秤にかけた時、誇りを守るべきだという判断しか
出来ない環境で育ってきたライには ウソップの言葉も心も通じない。
ライは黙って、火薬星だけをポケットに入れた。
「剣士は敵に背中を見せられないんですよ。」と 一瞬の沈黙の後、
ニコリと 邪気のない笑みをウソップに向けた。
「じゃあ、後ずさって逃げればいいだろ。」とウソップは 溜息をつく。
「これは、俺が作った新薬なんだ。」
ウソップから火薬星を貰ったその夜。
男部屋の隅で チョッパーがライに小さなビンに入った水薬をくれた。
「どんな作用があるんです?」
「死なない作用だよ。」
間髪いれずに答えた、チョッパーの言葉にライは絶句した。
そんな物を作れるなんて、凄い!とバカ正直に驚きの声を上げると
チョッパーは苦笑いを浮かべる。
「冗談に決まってるだろ。そんな薬が本当に作れたら医者なんかいらないじゃないか。」
チョッパーはそのビンを ライが細かい物を突っ込んでいる袋に
入れながら、
「これは鎮痛剤の一種だよ。どんな痛みでも絶対に感じない。」
「その状態で体は 普段と同じ動きが出来る。」
でも、とチョッパーは言葉を続けた。
「ライ、痛みは何故、存在するか知ってるか?」
「痛み?体の?」とライは聞きかえした。
チョッパーは 「心も、体も、だ。痛い、と感じる感覚がどうして必要なんだと
思う?」と重ねて ライに尋ねる。
「痛いのは嫌だよね。そんな感覚、本当は なければいい、と思うけど。」
心が痛い。
体が痛い。 その感覚がなければ、辛さも感じず、自由に動けるだろう。
ライはそう思ったけれど、今、チョッパーに聞かれているのは、
「痛みの必要性」についてだ。
「痛みを知らなかったら、人に同じ痛みを与えてもわからないから?」と
ライは抽象的な答えを口にした。
チョッパーはそれを聞いて、ニコリと笑って頷く。
が、
「それもあるよ。でも。」
「痛みがないと、どれだけのダメージが自分の体に懸かっているか、」
「わからないだろ。」
血が流れ過ぎると死ぬ。
皮膚が焦げると死ぬ。
内臓が潰れると死ぬ。
それを回避出来る状況を作れ、と脳が命じる、
それが痛みだ、とチョッパーは言った。
「血を止める事、焼けた皮膚から体温を失わない処置をする事、」
「痛みは、ダメージの深さと場所を教えてくれる。」
「だから、本当は戦闘中にそんな薬を飲んだらダメなんだ。」
命が燃え尽きる、その瞬間まで自分の受けた傷のダメージがわからない。
ロウソクの火が徐々に消えていく様な命の終わりではなく、
「その薬を飲んで戦えば、最期の最期まで剣を握って、立っていられる。」
赤々と燃える命の狼煙に いきなり水をぶっ掛けると唐突に火が消える。
そんな風に死ぬ。
チョッパーの渡した水薬を服用しての戦闘は、傷を負うことで
戦闘力が削がれる事は回避出来るけれど、
命に関わるダメージを受けたとしても、それに気がつかず、
手遅れになってしまう危険性を多く孕んでいる。
「だから、今まで誰にも飲ませなかったんだ。」
うちの戦闘員は バカばっかりだから、とチョッパーは言った。
「ライ、これは もう、ダメだ、と思ってから飲むんだ。」
「最初から飲んじゃダメだよ。」
チョッパーの真っ黒な瞳が濡れていた。
それをライが気が付いた途端、そこから大きな雫がボロリと落ちた。
「俺は、一回助けた患者を見殺しにするのは 嫌だ。」
「ライ、一緒に行こう。敵討ちなんか止めろよ。なあ。」
「生きてれば、また違う夢も見れる。」
「この船に乗って、夢を探せばイイじゃないか、なあ。」
チョッパーはライの袖を掴んでグイグイと揺さぶった。
あんなに衰弱していたのに、今はそれくらいの力ではライの顔色一つ、
変えられない。
「死なない薬だと思って飲むよ。」そう言って、掌でチョッパーの涙を拭った。
「だから、死なない。」と断言したのだった。
チョッパーを安心させる為ではなく、本当にライは 全く死ぬ気など
起きなかった。
勝てる、とも思えないのに。
死ぬことが怖くない。
そして、不思議な事に、負ける気もしなかった。
どこからか、心にも、体にも、力がいくらでも沸いてくるからかもしれない、と
思った。
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