恥ずかしい、とか そんな生ぬるい感情ではない。
今、この場から消えて無くなってしまいたい、と烈しくライは思った。

離して下さい。

そう言うとサンジはライの体にまわしていた腕の力を緩めた。

一体、どんな顔をして自分を見ているのか、と考えると
ライは 顔を上げられない。
猛烈な情けなさに、灰色の瞳から 床へポタポタと 大粒に涙が
零れ落ちた。

体の回復は チョッパーの予想よりもずっと 順調だった。
けれど、心がそれに全く追いついていない。

「ライ。」

サンジは 名前を静かに呼んだ。
もう一度、声を殺して泣く、痩せた体に手を伸ばす。

が、ライはそのサンジの手を払いのけた。
「出て行って下さい」
「一人にして下さい。」

サンジに向けた瞳が 薄い光の中で 揺らいだ光を湛えている。
けれど、口調はしっかりしている、とは 言いがたい、
取り乱した叫び声のような物だった。

「男にヤられた事のない人に俺がどんな目にあってたか、
「その時、どんだけ 辛かったか、わかるもんか。」

ライが感情を 無意識に噴出すことが出来たのは、
サンジへの甘えだったのかもしれない。

まるで、サンジにその苦しみと悲しみと、
怒りと、どうしようもないやるせなさを ぶつけているようだった。

「判るさ。」

自慢にもならねえが、俺はお前以上に 悲惨だぜ、と言って
サンジは ライの手を握り、息がかかるほどの近さで引き寄せた。

「お前の辛さは 世界中の人間の中で多分、俺が一番
判ってやれる。」
「今、お前が辛エ理由を言ってやろうか。」

サンジは親指の腹で ライの涙を擦り取った。

「汚れてねえからだよ。」
「本当に汚れちまったら、涙なんか、出ねエ。」
「心が痛むなんて事も感じねえ。」

だから、大丈夫、とサンジは 乱暴にライの髪をグシャグシャと掻きながら
胸に抱き寄せた。

ライの耳にサンジの心臓の音が直接聞こえる。

「お前は、また 剣を握れるようになることだけ、考えてろ。」
「余計な事は考えるな。」

サンジのシャツがライの涙で濡れて行く。
背中と髪をサンジの掌が何度も 撫でて、ライの気持ちを少しづつ、
落ちつかせた。

「お前が吐き出したモン、全部飲みこんでやっから、」
「安心して吐き出せ。」

夢遊病のような状態から、一気に興奮して、
回復し始めているとは言え、病み上がりのライの体から力が抜けた。

いきなり、猛烈な眠気に襲われて、飲み込まれる。

この人は、俺の何もかもを 受けとめてくれる。
心の中に沸いた言葉で ライは さっき取り乱して 流した涙とは違う、
もっと 温度の高い涙が目じりから零れるのを感じた。

温かいものに包まれて、とても心地よい場所に 落ちて行くような気分で、
このまま、目が覚めなければいいのに、とボンヤリ考えたけれど、
頭の中で もう、言葉も紡げないほど 意識が薄れて、やがて、
ライは 綿毛で覆われたような夢の中へと落ちて行った。




ライが眠った後。
サンジは そっと甲板へ出た。
足は、不寝番がいる見張り台へと向き、縄を伝って上へ上がる。

泣き崩れたライを慰めたくせに、サンジは酷く、気が滅入っていた。

なんだか、少しもライの力になってやれていないような気がしたのだ。
ライの心があれほど 傷ついている事に 気がつかなかったし、
自分へ 並々ならぬ好意を持っている少年が 無意識にも、
あんな淫らな事をし、それを知られた衝撃が 如何に 深く、重いものかを
考えると 胸が詰る。

詰るだけで、解決策などなにも思い浮かばない。
ただ、傷を舐め合うくらいの事しか出来ない自分が とても情けなかった。

俺は、ジジイやゾロのようにはなれないのか。
どんな些細な事でも 負けたくない二人の人間に、到底 及ばないのか、と
考えて、気が重くなったのだ。


「どうした。」

無言で脇板をまたいで、起きていたゾロの真正面に 浮かない顔のまま、
粗野な仕草でサンジは腰を下ろした。
その いつもながらの不可解な行動の意味をゾロは 
これもまた、慣れた様子で、あまり 抑揚の無い、
端から聞くと サンジの行動になどあまり 興味がなさそうに聞こえる口調で
声を掛ける。

お前はどうやって、俺を癒した?と素直に聞けば言いのに、
サンジは ゾロに 物を聞くのは 無知と無力を曝け出すような気がして
嫌だった。

なら、何故、ここに来たんだろう。
自分でもよく判らない。
ただ、気が滅入っていたから気晴らしに来た、と言うのとは明らかに違う。

「ライがおかしい。」

サンジは それだけを言った。
ゾロの表情がわずかに曇ったように見える。

「そうか。」

そう、簡単に答えた後、ゾロは 先日、自分が経験したことを
サンジは言っているのだ、とすぐに察した。

あの青い髪の少年がどれほど傷ついたか。
そして、それを見たサンジの動揺も、サンジの短い言葉ですぐに感じ取る。

多分、サンジは ライに何をしてやればいいのか、判らないのだろう。

「お前は どうしたいんだ。」

ゾロは 多くは聞かず、サンジが何かを尋ねてくる前に
サンジの 意志を聞いて見た。

そうすれば、迷っているサンジ自身の心を、サンジ自身が見極めやすい筈だ。

「治してやりてえ。」
「自分を見てるようで辛エから。」

サンジは ゆっくりと言葉を考え、考え、答えた。

「じゃあ、そうしてやりゃ、いいだろ。」

ゾロはわざと面倒臭そうに答える。
バカか、そんな事もわからねえのか、と言わんばかりの態度で。

「判ってる。」

サンジは それに対して、ぶっきらぼうに答える。

言い争うように言葉を交わして、サンジの本音を引きずり出す方法を
ゾロは 完全に修得していた。

「判ってりゃ、やれよ。」
「どうやりゃいいか、わかんねえんだよ」

サンジの言葉を聞いて、なんだ、かんだ、言っても、
やはり こいつの事は俺が一番、良く知ってて、扱いも一番、慣れてるよな、と
ゾロは心の中でほくそ笑む。

「俺はあいつの傷の痛みは判る。」
「判るけど、その痛みを鎮めてやることは出来ねエ。」
「一緒に痛エ、痛エ、って言う事しか 出来ねえんだよ。」

ゾロの思惑どおり、サンジは心の中にあった 気分を重たくさせている
理由を まんまとゾロに晒してしまう。

「それでいいじゃねえか。」
この答えが正解なのか、そうでないのかは ゾロにも判らない。
けれど、サンジだから、サンジでしか出来ない方法で
ライを癒せる方法をゾロは 答えた。

「心を治す薬なんかねえんだから、一緒に痛がるしかできなくて当たり前だろ。」
「傷が自然に治るまでは 一緒に痛がってろよ。」

そう言って、ゾロは真顔で、サンジが何よりも大切だ、という気持ちを込めて
真っ直ぐにサンジを見た。

「お前が痛がる分には、俺がそこを撫でて傷を塞いでやる。」
「あのボウズの傷は、お前が一緒に痛がりながら
「お前が撫でて、治してやるしかねえだろ。」

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