何故、自分は助けられたのだろう。
ライは、泣き疲れて眠りに入る ぼんやりとした意識の中で
考えた。
また、けだるい熱さが体を覆って、息苦しさに喘いでいても、
心の中に巣食っていた恐ろしい闇の中に飲まれるような怖さは
感じず、
体はとても 辛いけれど、心はとても静かだった。
「なんで、俺を助けてくれたんですか。」
ライは次に目を覚ました時、サンジに尋ねた。
酷いかすれ声だったが、もう 泣かないで いつもの口調よりも
僅かに弱い程度の声にサンジは 安心する。
「俺の飯を食ったからだ。」とサンジは 当然だろ、と言わんばかりに
堂々と答える。
ライが聞きたかったのは そういう理由ではない。
生きて、一体これからどうしろ、と言うのだろう。
帰る場所もない。
体もボロボロだ。こんな自分を拾ってきて、麦わらの一味は
足止めされて、薬代がかさんで、得になることなど何もないというのに。
ライは もう一度そう尋ねようと 適当な言葉を捜す。
なかなか 簡素な言葉が見つからないので、自然、二人の会話は
滞った。
一言喋ったきり、黙りこんだライの顔をサンジは覗きこむ。
そして、目だけで微笑んだ。
「今日はすげえいい天気だ。」
「温かいし、ちょっとくらい、お天道さんを拝むか。」
「こんな暗いところにいたんじゃ、暗い事しか考えナイだろ。」
チョッパーの許可なくそんな事をしていいのかどうか、
よく判らなかったが、しおれた草花のようなライの様子を見て、
サンジは 何故かライに太陽を見せてやりたくなった。
(ベソベソ泣くんじゃねえっ。てめえの悩み事なんて、
お天道さんの下に出りゃ、そんなのちっちゃくて ハナクソぐらいのもんだ。)
小さな頃、大人のコックに背の低さとか、肌の白さ、
容姿を女の子のようだとからかわれ、それに腹を立てて 泣いた時、
そう言ってゼフに甲板に引きずり出された。
サンジはライを抱え上げ、格納庫を出る時にその事を思い出す。
サンジに横抱きにされて、ライは ただ、ただ、恥かしかった。
荷物のように運ばれた方がずっといい。
けれど、サンジは なるべく振動がライの体に伝わらないように
そっと、足を運んで、蜜柑畑まで連れて上がった。
「う・・・。」
一体、どれくらい太陽を見ていなかったのだろう。
ライは明るくて温かい太陽の光に目が眩んだ。
目の回りを影で覆うように手を翳す。
頬や髪に当る風が どこか香ばしい薫りを孕んでいるように感じる。
眩しさに一瞬、目を閉じたが、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
空が抜けるように青い。
海がおだやかな波音を立てて、太陽の光を受け、星屑をばら撒いたように
輝いていた。
ミルクが生きていた頃、見飽きるほど見てきた光景なのに、
ライは その当たり前の風景がとても清廉で 夢を見ているような気がした。
「おう!目が醒めたのか、蒼いボウズ!」
見張り台の上からルフィの溌剌とした声が降ってくる。
綺麗なオレンジ色の髪が風に優しく揺れている航海士も、
サンジの後から蜜柑畑に上ってきて、
ライを覗き込み、華やかな笑顔を零れさせた。
「顔色もいいわ。私はナミって言うの。よろしくね。」と親しげに話し掛けてくれる。
船医のチョッパーと、ウソップがルフィの声を聞きつけて、やはり
蜜柑畑に上がって来た。
「サンジ、勝手に外に連れ出しちゃダメだよ!」とやっぱりサンジは
チョッパーに怒られていた。
ナミと同じようにウソップもライを覗きこむ。
「お前、変わった髪の色してたんだな〜。」と暢気そうに言われ、
ライは あなたの鼻ほどじゃないけどな、と一瞬思った。
最後に
「おい、誰が指針を見てるんだよ!」と文句を言いながら ゾロも
蜜柑畑に上がって来た。
そして、ライを覗き込み、そして すぐに目線が
ライの様子に目を配っているサンジの横顔に注がれ、それもすぐに
無関心を装ったような、不自然な無表情を浮かべて
「風向きが変わったぞ、ナミ!どうすりゃ言いか、さっさと教えろ。」と
憮然と言う。
ライに関心があるのに、そこに全員の意識が集中するのは
あまり 心地よい事ではないらしい。
ライは、サンジとゾロが特別な間柄というのを 朦朧としていた意識の中で
緩やかな接吻を交わしていた二人を見て 知った。
嫉妬されている、とゾロの言動を見て ライはほのかにそう感じる。
これが、麦わらの一味。
一緒にいると、なんとも言えない明るい気分になる。
その分、ライは逆に悔しさが込み上げてきた。
彼らに優しく扱われれば扱われるほど、
自分が仲間だと信じて来た男達との絆が いかに 脆い物だったかを
痛感する。
チョッパーは ライの脈と熱を測り、少し太陽に当ててもいい、と
言った。
それぞれが持ち場に戻り、蜜柑畑にはライとサンジだけになる。
サンジはライを床に下した。
寝転んで空を見上げると白い雲が風に千切れながら 船の進路とは逆の方へと
流れて行く。
「目的も、夢もないまま、ただ、生きている奴なんて」
「世の中、腐るほどいる。」
サンジはライの隣に腰を下ろし、煙草を口に咥えた。
格納子の中ではサンジは ライの体に触るので 煙草を吸っていなかった。
数時間ぶりに煙草の先に火をつけて、ライが吸い込まない方へ顔を向けて
大きく煙を吐き出しながら つぶやくようにそう言った。
「夢の為だけに命を投げ出すバカもたまにはいるけどな。」
「この船はそんなバカばっかりが乗ってるんだよ。」
それぞれがバラバラの夢を持っているけれど、その夢を追いかける情熱を
それぞれが理解しあっている。
それぞれの夢の大切さは、自分の夢の大切さと同等だ。
だから、俺達の繋がりは どこの海賊よりも強い、とサンジは言った。
「だから、今のお前は俺達の仲間にはなれねえ。」
突き放すような事を言われても、ライはそれを肯定するしかない。
体が弱っている、役に立たない、そんな理由で仲間になれないと言われた方が
ずっとましだと思ったけれど、
サンジの言っている事は紛れもない事実だ。
それなら。
「だったら、どうして俺を助けたんです。」
仲間を恨み、カラメルを憎み、自尊心をズタズタにされ、
例え体が治っても、この先、誰かを信じて 生きて行くことは
もう出来ない。
裏切られる事の怖さを たった15歳で知って、
麦わらの一味に受け入れられなかったら、ライは生涯、
たった一人で生きて行くほどの強さも
もてないまま、果てしない孤独を抱えなければならない。
そんな苦しさを感じながら 生きていく意味がライには判らない。
「死なせたくなかったからだ。」
「それ以上の理由なんかねえ。」
サンジの声の方へライは顔を向けた。
長い前髪が邪魔をして、どんな顔をしているのか見えない。
口調は静かで穏やかだった。
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