「もう一回、トドメ刺してやる。動くなよ。」

ゾロがそう言って、鬼徹の切っ先をサンジに向けた時、
サンジの腕に紙一重で寸止めするべく、気合を込めたその瞬間、

「ップッ。」

音とも、感触とも、違う。その感覚をゾロは、うなじに感じた。
その違和感に、ゾロは気合を削がれる。
その途端、ゾロの首から、「海の雫」が小さく、涼やかな金属音を立てて、
床に転げ落ちた。

「「?!」」

床をまるで、サンジの側に吸い寄せられるように転がってきて、
サンジの膝に当たって止まる。
わずか数秒足らずのその現象に二人は絶句して、顔を見合わせた。
ゾロは慌てて、鬼徹を手から投げるように離す。
唐突に、「サンジの腕を切る夢」の事を思い出した。

そして、大きく、予想もしないほど大きく、船が傾ぐ。
二人はその勢いに絡まるようにして床を転がり、そのまま壁に激突する。

あのまま、サンジの腕に刃を向けていたら。
足場がこれほど不安定になっていれば、

「間違いなく、すっぱりイッてたか。」とサンジはゾロと絡まったまま、
当たり前のようにその手首に絡まっている鎖の先の「海の雫」を
ゾロの目の前に翳しながら、大仰に溜息をついた。

「ヤバかった。」とゾロも嫌な汗が背中に吹き出すのを感じながら、
安堵の溜息を漏らす。

もう、あの「闇」の気配は感じない。
その代わり、外では海王類の雄叫びが聞こえ、見張り台の上のウソップの悲鳴が
聞こえた。

何度サンジに戻っても、その度にサンジは自分の手でゾロの首に
「海の雫」を戻す。

「これはお前が持ってないと意味がねえんじゃねえか。」

同じような事がニ、三回も続けば、ゾロもロビンの話しのとおり、
この「海の雫」があくまでも、己が「主」と選んだ者だけを守る為に、
必ず、その手に戻る事を信じないではいられない。

それなのに、サンジは
「ラッキーが続いてるんだ。ツキがなくなるまで、このテで凌ぐ。」
「形のねえもんに、そう根性があるとは思えねえからな。」と
ゾロが拍子抜けするほど、楽観的だ。

「お前、案外図太いな。」と苦笑いしながら、サンジの為すがままに、
首かざりを身につける。

そうは言うものの、多分、サンジには感じないから、平気でいられるのだ。
あの蠢く「闇」の底知れない凄みを、サンジはまるきり
感じるどころか、見えてもいない。
ただ、ゾロの言動を信じ、だからその存在を信じているけれど、

「どうにかなるさ。」とでも言うように、飄々としている。

不自然で、不可思議ななりゆきが何度も重なり、
自分に何度刃を向けられても、全く警戒もしないし、怯えもしない。

(それに救われてる)と思うけれど、照れ臭くてとても言えそうにない。

その日は、ちょっとした岩礁にぶち当たり、
そこでたくさん、そこで拾った岩にへばりついていた貝を
サンジはゾロの目の前で剥いていた。

相変らず、どこからか霧が降って涌いた様に船に纏わりつくけれど、
その時は久しぶりに太陽が甲板に降り注ぎ、心地良い風も吹いていた。

昼食も済ませて、その岩礁近くに碇を下し、それぞれが暢気に過ごしている。

「難しい仕事じゃねえだろ。」
「手伝わせろ。」と、愛用の小さなナイフを器用に使って、
その貝をこじ開けては、中身を刳り貫く作業をしているサンジの
手元を見ながらゾロはそう声を掛けた。

サンジは驚いて、手を止めて露骨に驚いた表情をして顔をあげた。
が、すぐに皮肉っぽい笑顔を浮かべて、

「なんだあ?明日は、空からとんでもねえモンが降ってくるんじゃねえだろうな。」と
答えて、ヘヘ、とまるきり相手にしないとでも言うような
バカにしたように小さな笑い声を立てると作業を続行し始める。

「剥くだけだろ。」とゾロはサンジの真正面に座り、貝を手に取った。
力任せに握ると、殻がギシギシと鳴って、もう少しだけ力を込めると

「バキ。」と大きなヒビが入って、そこからゾロは中身を指で摘み出した。
「野蛮人」とサンジはゾロのその粗野な行動を嘲笑したけれど、
二人は次々とその貝を剥いて行く。

全部、剥き終わったところでサンジは、立ち上がり、
「俺は格納庫行かなきゃならねえ。悪いがそれ、後で持ってきてくれ。」と
当たり前のようにそう言い、キッチンの方へ歩いて行った。

キッチンへゾロがその貝を持って行くと、人の気配がする。

(格納庫に行くって行ってなかったか?)とゾロは訝しく思って、
ドアを開くと、

ロビンとサンジが、チェスの駒を挟んで向かい合って座り、
ロビンの後ろにはナミが、サンジの後には、ウソップが張り付いている。

「なにやってンだ。」とゾロは貝をシンクに置くと、ナミが
唇に人差し指を押し当てて、「シ!」とゾロの無遠慮な態度を窘めた。

「20万べりーが掛った勝負なのよ。気を散らさないで。」とナミは、
小声でゾロにそう言った。

駒の配置を見ると、よく判らないが、「勝負は中盤」に差しかかっているように
見えた。

「もう、負けられないのよ、1勝一敗なんだから、頑張って、ロビン!」
「思ったより、ずっと強いのよ、簡単に言わないで。」

「サンジ、お前の方が有利だ、頑張れ、俺達の小遣いの為に!」
「判ってる、さっきから相当頑張ってる、黙ってみてろ。」

(一勝一敗?)ゾロは4人の会話を聞いて、違和感を感じた。
「おい、いつからやってるんだ。」

「もう、2時間以上前からよ。」とロビンは盤を凝視したまま、
ゾロの質問に答える。

(え?)ゾロはロビンの答えに、耳を疑った。

「こいつと、ずっとここでこの勝負をしてたのか。」
「ええ、」とロビンは上の空で答える。

「おい、ウソップ。どうなんだよ。」と碌な答えを返して来ないロビンに焦れて、
ゾロはウソップに聞きなおした。

(そんな筈は)ない。ある訳がない。
数分前まで、自分はサンジと甲板で貝を剥いていたのだ。

「ああ、ずっとサンジはここにいたぜ。」と妙なゾロの質問に
ウソップは首を捻り、怪訝な顔をして答えた。

(貝は。)ゾロはシンクを振り返る。
確かにある。

目の前の、サンジは(なんだ、こいつ。)とゾロはそこに座っているサンジを
愕然として眺めた。

格納庫に行ったサンジは?

ゾロは黙ったまま、キッチンを出た。
格納庫に足が向く。

乱暴にドアを開く。

そこにいるべき者は、気配さえなかった。

愛用のナイフで、貝を剥き、自分の目の前にいたのは、一体何者なのか。
いや、それとも、今キッチンでチェスに興じているサンジこそが
あの「闇」の創り出した物の怪なのか、

ゾロは判断出来ない。
サンジのニセモノなら、一目で看破出来て当たり前だと言う自信があったのに、

どちらも、「サンジ」としか思えない。
ただ、霧が消えるように姿が見えなくなった、自分の目の前にいた
あのサンジがそのニセモノだったとしたら、

(俺は、それを見抜けなかった)事に愕然とした。

その時。
キッチンから、悲鳴があがった。

(次はなんだ)何があろうと、側にサンジがいるのだから、
そう慌てる事もないだろうが、ゾロはすぐに格納庫を飛出し、
キッチンへと走り出す。

甲板の向こうから、その声を聞きつけて、チョッパーとルフィが駈け付けてきたのと
鉢合わせた。

「なんで、シンクにそんなものがいるんだよ!」とサンジが喚いている声が
聞こえる。

「サンジ君、ゾロが持って来たんだから、捨ててきてよ、早く!」ナミの金切り声に
続いて、またサンジの弱りきった声が聞こえてくる。
「こんな気持ち悪いもの、俺ダメなんだよ、ウソップ、ぶっ殺せ」

「どうした、皆!」とルフィが勢いをつけてドアを開けると、
シンクには大きな、紫色と黒の縞模様の大きなヘビが鎌首を上げ、
真っ赤な舌をチロチロと覗かせて、怯えるナミ達を威嚇していた。


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