ゾロは自分の、いや、自分の声とはとても思えないほどの大きなわめき声で
目が醒めた。

(今の、俺の声かっ。)と目が醒めて、見張り台の上に自分だけがいる事を
落ち着きなく確認して、愕然とした。

全身が脂汗でじっとりと濡れている。

(あいつは。)と今夜は側にいないサンジの姿を探した。
まだ、夢と現の区別が曖昧で、サンジの血の夢はゾロにとって
恐ろしい程に鮮明で、生々しかった。

夢を見たくらいで、こんなに動機が激しい筈がない。
自分がこんなに乱れる筈がない。

判っていても、ゾロがその夢を夢だと認識出来るまで、ほんの数分かかった。

見張り台の下から、ロープが軋む音が聞こえたからだ。
聞きなれたリズムでそれは軋む。
ゾロは、その音を聞いて、
全身の不快さを拒絶する為に興奮し、上昇した血の流れの速度が
ゆっくりとおだやかになるのを感じた。

「なにわめいてんだ。」と月明かりの下、銀色の光の逆光で表情は丸きり見えないが、
明らかに ゾロを迷惑がっているようにしか聞こえない、
けれど、どこか労わるような空気が混ざったサンジの声と翳がゾロの前に現れた。

「ああ。」と曖昧に返事を返している間に、サンジはすぐ側にやってきた。

「まだ、月が沈まねえな。」と暢気に月を見上げつつ、ゾロの隣に腰を下ろす。

「聞こえたか。」とゾロは自分の大声がどこで寝ていたか判らないが、
とにかく、サンジに聞こえたのかどうかを何気なく尋ねた。

自分が魘されているのをどこにいても察知してここへ来てくれたと言うのなら、
これほど嬉しい事はない。
「お前のわめき声か。」とサンジはあまり抑揚のない声で聞き返す、

半分だけ、ちょうど目が見えているほうだけが月の光に照らされていて、
その青い瞳に月の輝きが映っているのをゾロは眺めながら、サンジの答えを待つ。

「たまたま、甲板に出た時に聞こえたんで何事かと思ったぜ。」
「なんだ、たまたまか。」

サンジの言葉が終わるか、終わらないか、のうちにゾロは溜息をついた。
どうも、脳味噌と舌が直結しているようで思った事、感情がそのまま言葉に、
表情に、態度に出てしまって、どうしようもない。

(クソ、だらしねえ。)と思うものの、サンジが側にいると
ゆっくり眠れるような気がしてとにかく、どんなに高飛車だろうと、傲慢だろうと、
罵声を浴びせられようと、暴言を吐かれようと構わないから、

一緒にいて欲しい。

「実は俺も嫌な夢を見て、どうにも寝つけなくて風に当たりに出たんだ。」と
ゾロの気持ちを知ってか知らずか、サンジはゾロが羽織っている防寒具の中に
ごそごそと潜り込んできた。

「嫌な夢?」思わず、ゾロはサンジの言葉を聞き返す。
「お前に、」サンジは、自分の右腕のシャツをめくりあげ、
「ここを斬られる夢を見た。夢なのに、見ろよ。」とゾロにその腕を見せる。

蚯蚓腫れのように、赤い糸のような傷が一筋はっきりと残っている。
ゾロは全身の血が凍りつくような感覚を憶えて、絶句した。

「人間の身体って不思議なもんだよな。夢だって判ってんだが、」
「痛エ、と思うと本当に傷が出来るんだからよ。」

そういってサンジは、
「ジジイも、ない筈の足の指が痛むとかって言ってたし、」
「痛みってのも、そもそも人間の頭が痛いって判断してるだけらしいから」
「夢で痛みを感じたからこんな傷が」とゾロの不安な感情をなだめるように、
いつもよりもはるかに饒舌に、妙に優しい声音で話す。

「悪夢の後に、予知夢、それで今度はお前が俺と同じ夢を見たんだぞ。」
ゾロはまるでサンジの言葉を全部否定し、
拒絶するかのようにさえ聞こえるほどの途中で遮った。

が、サンジはニタリと笑って、
「いいじゃねえか。それだけツーカーだって事にしとけよ。」と全く動じない。

「お前の夢がバクにトドメを刺したのが原因なら、」
「それを捌いた俺にだって悪夢を見る権利はあるだろ。」
「それより、さっさと寝なおせよ。俺は明日も忙しいんだからな。」

夢を見たくらいでガタガタ言うなんて、本当に自分らしくない。
(よし、)ゾロはサンジに凭れて目を閉じた。

(今度、悪イ夢を見たら)逃げない。
意地でも目を醒まさずに、自分にこんな夢を見せている得体の知れない物の正体を
絶対に暴いてやろう、と心に決めた。

例え夢の中であろうと、何物であろうと負けて堪るか、と思えてきた。
サンジの鼓動が、温もりが
自分を包み、何も言わなくても、励まされているような気がした。


何かに追い駈けられている。
必死で逃げている息遣い。

足がなにかに囚われた。
その足は地面から生え出た人間の手にしっかりと握りこまれている。

その所為で身動き出来なくなった。

「肉だ、肉〜〜〜。」ルフィの狂喜する声がした。

「苦しませねえよ、安心しろ。」そう言った声は。
(俺だ。)
ゾロが見ているのは、刀を構えている自分自身の姿だ。

バクを追い立てたのはナミのウソップだ。
捕えたのはロビンで、トドメを刺したのは、ゾロだ。

自分の刀が自分の喉を切り裂く感触がした途端、夢は真っ黒な闇に包まれた。

(俺がトドメを刺したから、俺なのか。)

そのバクが寿命100歳のバクだったこと。
同じ種の最後の雄だったこと。
雌だけが生き残ってしまって、もうその種は絶滅するしかない、という事。

サンジに凭れて見た夢は、ゾロがトドメを刺したバクの意識と同化して、
様々な情報をゾロに突き付けた。

言葉ではなく、種としての怨念がゾロを縛る。

決してユルサナイ。

ゾロの意識にその声は低く、高く、遠く、近く、何千回も何万回も繰り返し
叫び、囁き、嘲笑い、呪う。

ただの動物ではなく、グランドラインに生息していた動物の中でも、
高度な知能と能力を持つ種だと今更判っても遅過ぎる。

彼らは、この世に存在したというなんの痕跡も残せないまま
絶滅して行くしかない、その恨みを全て、ゾロに向けた。

肉体のなくなった最後の雄の魂が、生き残った雌の魂を引き寄せて、
ゾロにとって
「最大の恐怖」を与えた上で、自分達と同じ運命を辿らせる為に、
「夢」と言う武器を使ってゾロを追い詰めている。

全ての情報を受けとめるとゾロは自然に目が醒めた。
目の前にはサンジの顔がある。
まだ、やっと水平線に朝日が昇り始めた頃だったから、

悪夢に魘されて、「大声で喚いて」から、まだ数時間しか経っていない。
けれど、ゾロは三日ほども夢の中に居続けたような疲労を感じた。

「そう言う事か。」と何も言わなくても、サンジはぽつりと呟いた。

「お前も」同じ夢を見たのか、と自然に重ねあった手に力をこめてゾロは
サンジに尋ねた。

「ああ、」サンジはまだ、訝しげな顔付きをしている。
「でも、動物だろ?信じらねえよ。」

肉体のある相手ならいくらでも戦える。
けれど、肉体のない、幽霊ような動物の意識とどうやって戦えばいいのか、
ゾロには考えつかなかった。

サンジまでがその夢を見る。
けれど、自分が感じるのとは全く鈍いサンジの反応は一体どう言う訳なのだろう。

「お前、怖エと思わないのか。」とゾロは自分よりもサンジの方が
精神的に強いのを見せつけられたような気がして、
ゾロはサンジの落ち着き払った態度が癪に障った。
その気持ちが露骨に言葉と険しい表情に出た。

「怖エ?なにを怖がるんだよ。」とサンジは八つあたりじみた事を言い出したゾロに眉を潜めた。

「バクの呪いなんか屁でもねえよ。」とフン、と鼻を鳴らした。

「俺はバクごときの思いどおりになんかならねえ。」
「呪いなんかより、もっと強いモンがあるって思い知らせた上で、
返り討ちにしてやるさ。」と言ってから、自分の言葉が急に照れ臭くなったのか、
唐突に立ち上がった。
大きく一つ背伸びをした時、水平線を裂いて顔を出した朝日から放たれる光が
サンジの体をゆっくりと包む。

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