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土と、光と、水で生命を育み、
汚れた空気を清め、悠久の時を生きる。
種類によっては、何百年、何千年と生きる者もある。
命を紡ぐのに何千年かかっても、それを切り倒すのは一瞬だ。
この星で最も 自分勝手な生き物と
その神聖な生命体の生きる時間の流れが交差するのは、
ただ、命を奪われるその一瞬だけ。
ある時、グランドラインの高温多湿の島。
樹齢の嵩んだ巨大な樹木が鬱蒼とした森を形成していた。
海図にもなく、ログもない。
嵐で無理矢理引き寄せられなければ 誰もこの島の存在に気がつかなかっただろう。
かつて、この島に遭難し、そして朽ちていった少数の海賊がいた。
巨大な樹木の下で 飢えに衰弱して 全滅し、その体も持ちものも、
長い、長い年月をかけて風化し、土に帰って行く。
彼らの中に 悪魔の実を持っている者がいた。
人間にはなんの意味もないその実は
「ヒトヒトの実」
やがて、その実も熟し、腐敗し、土に還える。
そして、それは生まれた。
意志を持ち、自由に動き回る事の出きる、
「ヒトヒトの実」を栄養として生まれた樹木。
人間にすれば、それは 動く丸太の人形にしか見えないのだが、
それは 人間よりもはるかに 緩やかに流れる時間の中で生きた。
時折、嵐の後に海岸に打ち上げられる人間がある時、飢えに狂って
その樹木の皮を食べた。
仲間の全てが死に耐えても、木の皮を食んだ男だけが
驚くほど生きて、その記録を石に刻んで残した。
そして、長い長い年月が経った。
「不老長寿の樹液」が摂れる木の伝説がまことしやかにグランドラインで
囁かれるようになったが、その所在を知るものはいなかった。
「じゃましやがって。」
ヒトヒトの実を食べた樹木に名前をつけてくれた人間が
胸に鉄の小さな玉で穴を明けられ、血を流していた。
蒼い、空と似た色の瞳は見開いたままだった。
「ピノ」と、彼はその木を呼んだ。
「木で作った人形みたいだなあ。」
顔と髪と体の色が全然違う。
顔は夕焼けの色を映した白い雲の色に似ているし、
頭は夏に勝手に海岸に咲く、大ぶりの花の花びらの色だ。
体の色は、カアカアとやかましい声で鳴く くちばしの太い鳥の色と同じ。
自分以外に二本足で歩くモノを「ピノ」ははじめて見た。
彼は木の実や、動物を殺して歩く。
それを「ピノ」は止めようと 彼の行く手を阻んだ。
「ああ、お前は木だから飯は食わないんだよな。」
「お前、喋れるんじゃないのか?」
男は、俺の名前はサンジだ、お前は ピノキオみたいだから、
「ピノ」だ、と言って 口の端を上げ、目を細める。
「ピノ」はその顔を見て、彼が自分に対して全く 警戒も
畏怖も感じていなくて、むしろ 仲良くなりたいと言う気持ちを
自分に伝える為に、そんな風に表情を動かしたのだ、と理解した。
喋りたくても、「ピノ」には口がない。
「サンジ」は ポケットから光る鋭利な金属を出して、「ピノ」の
顔の下部分に横一文字に切り目を入れた。
「ピノ・・・」
「そう、お前はピノ、だ。」
不思議な事に、切り目を入れてもらっただけでピノは口が利けるようになった。
「どうして、動物と木の実を殺す?」
「俺達動物は 口から肉や野菜を食わないと死ぬからさ」
「サンジ」は食料がなくなったからこの島に立ち寄ったんだ、と言った。
ピノには判らない言葉ばかりだったけれど、
「サンジ」はピノの尋ねる言葉をいちいち 丁寧に答えてくれた。
「この島の木はすさまじく立派だな・・・。」
「不老長寿の木の島って、ここの事か?」
「サンジ」は回りを見渡し、その視線を聳え立つ樹木に移して、
やがて 視線は空を目指して行くかと思うほどの高さまで樹木の高さを測った。
視界の殆どは深緑の樹海。足もとの土が見えないほど 木の根が這っている。
樹齢を推し量れば、数百年どころではないだろう。
文字や、文化がこの地上に形を為す以前に 樹はすでにここにあったのだ。
「こりゃ、人が踏み入っちゃいけねえ場所だな。」と独り言を言う。
仲間は、嵐を乗りきるのに疲れきっているから、
その疲れを少しでも癒す為に、「サンジ」は栄養のあるもの、
美味な物を作ろうとしている。
「きっと、おまえ、船長のお気に入りになるぞ。」
「付いて来いよ。」
「サンジ」はピノの腕の先端を握って歩き出した。
はじめて、ピノは柔らかく、温かい物に触れ、その温もりがとても
好きになった。
行っては行けないよ。
お前は、ピノじゃない。
お前は、ただ、ここに在り、ここで朽ちて、ここの土に帰り、
ここを豊かな森にするためだけに生まれたのに。
ピノを何かの声が引き止める。
立ち止まったピノを「サンジ」は振りかえった。
ピノの体は、「サンジ」の腰あたりまでしかない。
「サンジ」はしゃがみこんで、「ピノ」の頭部をまじまじと見た。
「どこが顔なんだかよくわかんねえな。」
ちょっとだけ。
長い、長い時間、意志を持ちながらそれを通わせる相手の存在など
知らず、故に孤独さえ感じなかったピノにとって、
初めて 言葉を交わし、名前をくれて、触れてくれたその生き物と
同じ時間を過ごして見たいとピノは思った。
彼が去った後に ピノは初めて「孤独」の辛さを知るだろう。
けれど、そんな事を予測するほど、ピノは利口ではなかった。
引き止める何かの声、同じ地面から生を受けて伸びゆく
樹木達の聞こえない声を振りきり、ピノは 「サンジ」の手に触れて、
再び歩き出す。
「綺麗な森だ。」
「サンジ」は耳を ピノが芽吹いた樹の根元の幹に押しつける。
ピノもそれに習った。
地下水を吸い上げて行く ざわざわとした生命の音が耳に届いた。
サンジとピノの足音が 優しい静寂に包まれた森の中でリズムカルに響く。
鳴き交わす鳥か、獣の声までもが 清廉で、
「グランドラインを旅してきたけど、ここほど 綺麗な森は見たことがないな」と
「サンジ」は何度も ピノの生まれた森の美しさに溜息をつく。
ピノはそれを聞くたび、心がワクワクした。
それが、「嬉しい」と言う感情だ、と言う事もピノには判らない。
人が知らない、人を寄せつけなければ 自然はこんなに美しい。
それを目の当たりにして サンジはすぐにこの島を出よう、と
思った。
誰にも知られてはならない。ここは、地上で僅かに残った、どんな宝よりも
稀有で貴重な場所なのだ。
自分達とは違う、時間の流れを感じさせてくれる悠久の静けさに
いつまでも 抱かれているべき場所なのだ。
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