サンジ達と隔離されたベスは暗い石造りの長い廊下を歩かされた。
前も海賊、後は自分を浚った男がうな垂れてついて来る。

(最低だわ)とベスはこの男にもヒュダインのやり方にも腹を立て、
そして自分にも腹を立てていた。

(ここで大人しく捕まってるだけじゃリムの足手まといになるだけ)と
唇を噛む。

「何があっても、きっと助け出しますから、安心しててください」
その言葉にベスは縋らない。信じているけれど、縋らない。
サンジと言う、数日前に知り合ったばかりの海賊を信じているのではなく、
ベスは、リムが信じた、麦わらのルフィの仲間だから、サンジと言う海賊を
信じようとしていた。だが、その言葉に縋って何もせず、怯えて震えているだけでは
戦っているリムに対して、あまりにも無力だ。
共に戦う、と言う決意でヒュダインに挑もう。そう思い定めて、ベスは
顔をキっとあげて、真っ直ぐに前を見据えて足を竦ませる事もなく、男達の
歩調に合わせて寒い廊下を歩く。

「お頭、ベスお嬢さンをおつれしやした」先頭を歩いていた男が真っ黒な、いかにも
頑丈そうな扉の向こうにそう声を掛けた。

「入れ」中から聞こえた声は、中年の女の様だった。
扉が開き、温められている内部の空気が漏れでて、凍て付いた廊下の空気を
一瞬だけ和ませた。

「ようこそ、ベスお嬢様」
「久しぶりね、裏切り者のヒュダイン提督」ベスは皮肉たっぷりに目の前の
自分よりも目線の低い、大きな頭の、やたらと目がグリグリと大きな小男を見下ろした。

「悪魔の実を食べても背は伸びなかったのね」
「相変らず、気の強いお姫様だ」男とは思い難いほどの高い声でヒュダインは
ベスの皮肉を鼻でせせら笑った。

「ヒュダインさん、俺は約束通り、ベスを浚ってきた」
「オヤジを医者に見せてくれ!」とベスの後からついてきた男がベスとヒュダインの会話に割って入る。「オヤジ?・・」
ヒュダインは迷惑そうな顔でその男の顔をしばし眺め、やがて、大袈裟に驚く顔を
作り、「ああ、お前は鉄砲屋の息子だなあ、よくやってくれた」
「約束通り、オヤジさんは温かい部屋に移してあげよう」と酷薄な笑顔を浮べた。

その顔を側で見たベスはゾっと(悪寒がするわ)と思った。

「本当に温かい部屋に移していいだね?」
「その約束だった筈だ、オヤジは酷い熱を出していたんだ、早く手当てをしてやって・・」

「その前に、ベスお嬢さン」ヒュダインは鉄砲屋の倅の言葉を無視して、また
ベスに顔を向け、それから顔を曇らせた。

「おい、上着を脱がせろ」と口早に周りの部下達を急かす。
「何するのよ!」ヒュダインの命令に部下達はベスから上着を引き剥がそうと
一斉に手を伸ばして来たので、ベスは金切り声を上げ、最初に自分の体に
手をかけた海賊の頬を平手で力一杯引っ叩いた。
「大人しくしないと、素っ裸になってもらいますよ!」とヒュダインも
ベスに負けないほど、甲高い声でそう喚く。

「上着くらい、一人で脱げるわ!手を退けてちょうだい!」とベスも怒鳴り返す。
その気の強い様に海賊達は呆気に取られて、ベスから手を離した。

「外は随分寒いのに、この部屋だけは暖めてあるのね」
「あなたって、自分だけが可愛いんだって事がよくわかるわ」
そう言いながら、ベスは粗末な男物のブカブカな上着を脱いだ。

ヒュダインの目がベスの首もとに注がれる。
そしてその顔がみるみる険しくなった。

「悪夢除けの首飾りはどうした」
「あれは肌身離さず、身につけている筈だ」

険しい表情から一気に凶悪な表情へとヒュダインの形相が変わる。
体躯は小さくてもその形相は、今、裏切った者達ばかりとはいえ、彼らの頭に
収まっている海賊の狂暴な面がまえで、流石のベスも震え上がった。
だが。
(首飾りが必要なんだわ)とその形相の凄まじさの中から、ヒュダインの目的を
素早く察知する。

「知らないわ、乱暴に私を浚うからどこかに落としたのかも」と声が震えるのを
必死で堪えながら、ベスはそう言ってヒュダインの質問をはぐらかそうとした。
だが、それで大人しくヒュダインが納得する筈がない。
「それなら、もっとお前は慌てている」と即座に言い返された。
「お前達島の女は、あれを失えば悪夢が全て現実になる、と言う迷信を信じて」
「なによりもあれを大切にしている」
「俺だってあの島でヌルいお頭の下で長年海賊暮しをしていたんだ、」
「それくらいの風習は知ってる」
「しらばっくれてると、後悔する事になるぞ」とヒュダインはベスにそう詰め寄る。

「ヒュダインさん!」また、鍛冶屋の息子が大声を出してヒュダインを呼んだ。
ヒュダインは迷惑そうな顔でその男を睨みつける。
だが、男はその目にも臆さず、今まさにヒュダインが知りたいと思っている事を
自分が知っていて、その事を言えば父親が助かる、と言う希望を見出したのか、
必死な面持ちの中にも嬉しげな感情を滲ませながら、

「さっき、俺、見ました!なんでそいつがベスの首飾りをしてるのか、
気になってたんです!」
「ちょっと、」ベスは自分の顔色が変わるのをはっきりと感じながら男の言葉を
遮ろうと大声を上げた。だが、男はその声に負けまいと、さらに大声で
「牢屋に入れられてる、赤いターバンの男、あいつの首にぶら下がってました」

それが、サンジが牢番の男に聞いた、首飾りに関しての質問の答えだった。

「ベスお嬢さんがなんで首飾りを返してくれ、なんて言い出したか」
「誰が、ベスお嬢さんにそんな事を言わせてるのか、」
「誰が何故、その首飾りが必要なのか」

「ターバンの男は首飾りがありません」と牢番が報告して来た。
「どうやら、どこかに隠して来たのかも知れません」

「返してもらって来て下さい」と言うヒュダインの言葉にベスは首を縦には振らない。
「返して貰えるまで、そのターバンの男を説得しろ」と言う事で
ベスはサンジのいる牢屋に上着も着せらない薄着のまま、放り込まれた。

「良かった無事で」サンジはもちろん、牢屋の中の別の男達もベスが
折檻された様子もない事を安堵し、喜んでくれた。
「サンジさん、首飾りをどこに?」と人の前でなんの警戒もなくベスがサンジに
尋ねると、サンジは目を一瞬だけ逸らした。
その先にベスは目を走らせる。どこで誰に聞かれ、密告されるか判らない。
軽軽しく、秘密裏な事は口にしてはいけない、とサンジの目線の先に
自分とサンジをじっと伺う様な男達の目に気づいて、ベスは冷たい手で口を
そっと覆った。

寒くて、手が痛い。靴も奪われ、素足のままだ。
「お嬢さん、嫌じゃなかったらどうぞ」とサンジが血まで凍りそうな足の先や
指先を手で擦り、温めてくれる。白髪の混じった自分の父親と同じくらいの
年嵩の男は大きな掌でベスの背中を擦ってくれる。けれども、しんしんと床から
頭の上から冷気は確実にベスの体から体温を奪って行く。
ガチガチと歯が鳴り、頬も耳も痛い。

そのうち、下腹部が鈍く痛みだした。
その痛みは徐々に強くなってくる。
「ベスお嬢さん、どうしました?」「な、なんでもないです。ちょっと・・・」

サンジの声までが腹に響いてくる。久しく感じなかった、月の徴の時に感じる
あの痛みにそっくりだが、それよりももっと強烈だ。
「ベスお嬢さん、あんた、まさか、若頭の・・」初老の男に抱き起こされなければ、
ベスは自分の体を起こしていられない。太股の内側まで冷えきっているのに、自分の
体から生暖かく生臭いものがドロリと流れて行く感覚だけは激痛の中でも
はっきりと判った。

(まずい、)ベスのスカートの裾にじわじわと真っ赤な染みが広がって行くのを見て、サンジの頭の血が一気に足もとへと流れ落ちる。
「おおい!」
大声で牢番を呼んだ。勢い良く息を吸うと凍えた空気が肺に入って、
サンジは一度、大きくせき込む。
だが、牢番がやってくるまで何度もサンジは牢番を呼び続けた。
呼びながら、最善策を考える。

(どうすれば時間を稼げる)
(ベスお嬢さんを安全な場所で治療させるにはどうすればいい)

「ヒュダインと交渉したい」
「今すぐ、ベスお嬢さんを治療すれば、すぐにでも首飾りの隠し場所を教える」

ヒュダインはサンジのその交渉に応じて、牢屋までやってきた。
想像していた男とはあまりに違う容姿にサンジは驚いたが、それに動じている暇はない。
すぐに鉄格子ごしに交渉を開始する。

「首飾りが先だ」
「いや、ベスお嬢さんの治療が先だ」
「ベスお嬢さんの容態が落ちついたら、話す」

どっちにしても、相手に有利な交渉だとサンジは覚悟している。
嘘でもハッタリでも、とにかく、今はベスと、ベスの腹の中にいる命の安全を
確保する事が最優先だ。

「首飾りとベスお嬢さん、」
「ワンセットじゃねえとあんたの欲しいモノは手に入らないぜ」

「なんだと」サンジの言葉にヒュダインは疑わしい目をしながらも関心を示した。
「それはどう言う訳だ」

「それを聞きたきゃ、まず、ベスお嬢さんの治療だ」
さも、自分が首飾りの秘密、しかもベスが自分だけに秘密を話し、それは
自分とベスしか知らないと言うハッタリをヒュダインに引っ掛けたら、
まんまとヒュダインはそれに乗った。

「よかろう」
「だが、お前が本当に間違いなく、首飾りの隠し場所を言うかどうかは」
「信用出来ない」

てんで、見当違いの場所を言って時間つぶしをさせ、その間にリム達に攻め込まれたら困る、とヒュダインは言った。

「おい、お前ら!」ヒュダインはベスを牢屋から運び出させ、
捕えていた人質達を一つの牢屋に押し込めた。もちろん、サンジもだ。

「そいつを縛り上げろ」と1本のロープをその牢屋の中に放り込む。
「上手く縛り上げられたヤツはここから出してやろう」とヒュダインは牢屋の中の
人質達を煽る。
一斉に凍えて飢え、憔悴している男達のギラギラした目がサンジにむいた。

(ッチ)サンジは腹がたった。
俺はお前らを助けに来てやったんだぞ!と喉まで出掛かった。
だが、今それを喚いても無駄だ。ここにいる、殆どの者が異常な精神状態に陥っている。
まして、自分は元々島の者ではない。行きずりの海賊なのだ。
彼らが自分が助かりたいばかりにサンジを縛りあげようとするのは
無理からぬ事なのかも知れない。

サンジは後ろ手に縛られ、壁に押し付けられた。
ヒュダインの部下達が牢屋の中に向かって、水を撒き散らす。
「うわ!」「やめろ、死んじまう!」「冷たい、止めろ!」と男達の悲鳴が
牢屋の中に響き渡った。

壁中が水浸しになるまでヒュダインの部下達は水を撒き続ける。
「つい最近、能力者になったばかりで力加減をまだ覚えてないんだが」と
ヒュダインはニタリと気味悪く笑った。

牢屋の中の男達は皆、ずぶ濡れで体から少しでも体温が逃げない様にとうずくまり、
ガチガチ震えながら、命請いの懇願をする様な眼差しでヒュダインを見上げる。
濡れた体の表面の水はあっという間に霜へと凍て付く。

サンジが押し付けられていた、ずぶ濡れの石壁が軋んだ。
牢屋の中の温度が急降下していく。サンジの手は括られたまま、
滴り落ちる水が凍て付いた氷の壁の中に閉じ込められた。
(嘘だろ)凍傷になったら、指が腐り落ちる。サンジは慌てて体を氷の壁に
ぶつけ、割ろうとしたがその氷はまるで、流氷の固まりの様にとてつもなく固い。




「指が腐る前に吐け。その気になったらいつでも聞いてやる」
そう言ってヒュダインは女の高笑いのような声を残し、牢屋を出て行った。


トップページ    次のページ