(そろそろ、船の修理ができ上がった筈)と思い、その具合を見ようと
ウソップとナミが作業場に向かった。
そして、その光景を見て、愕然とする。
昨夜までは、大勢の船大工が勢力的に立ち働いていたその現場には、人っ子一人
いなくて、作業も中断されたまま、ゴーイングメリー号は放置されていた。

「どう言うこと?」そう言う以外、言葉が出なかった。

「船大工全員が酷い嘔吐と下痢で作業どころじゃなくなった」と言う事がすぐに
判った。チョッパーと島の医者の診立てでは「酷い食虫毒」。
「誰かが、船大工の食事に腐ったモノを混ぜたンだ。この寒い時期にあったかいモノを
食べて食中毒になる筈がないから」と言う推測が成り立つ。

(一体誰が)と言う詮索をする時間はない。
戦闘員の食事も含め、彼らの食事はこの島の女達が有志で賄っている。
彼女達の中にも、夫か、あるいは息子が敵に捕えられ、そしてその命を盾に
脅されている者がいるのだ。

「どこまでセコいのかしら」とナミは憤慨した。
「それにしても、自分勝手も甚だしいじゃないの、自分の家族だけが助かれば
それで良いワケ?」「俺に当たるな、文句があるなら、リムに言えよ」
ウソップの言うとおり、ナミはすぐにリムにその腹立ちをぶつける。

「一体、この島はどうなってるのよ!自分の家族だけが助かればそれでいいの?」
「でも、彼らだって裏切りたくて裏切ってるワケじゃない」とリムは沈痛な
面持ちでそう答えた。
「彼らを吊るし上げたら、この戦いに勝った時、彼らの居場所がなくなってしまう」
「未来永劫、ずっと裏切り者だと後ろ指をさされて生きていかなきゃならなくなる」
「この戦いの中で、まだ何も判らない子供さえ将来、必ずそんな批難を受ける」
裏切りを暴いて、その咎を責め、見せしめとして取り締まった方がずっと事は
簡単に進む。だが、リムは「それは権力者が戦争をする時にするべき手段だ」といい、
「俺達は自分の島を自分達で守る、その意義を自分で見出して欲しいから」
「何度裏切られても、何度でも信じる」
疑い、断罪するよりももっと忍耐力と犠牲を伴っても、平穏な未来を望むからこそ、
その辛さに耐える事をリムは選んでいた。
裏切り者がいる事を見過ごしているのではない。
「お前、そこまで考えてたのか」とウソップは絶句した。
「暴力と恐怖で人の心を縛ってもそれは一時の事です」
「もっと揺るぎないモノを望むならどんなに裏切られても仲間だと思える間は」
「信じ抜こうと思ってます」
そのリムをルフィは何も言わずにただ、じっと見つめている。

風が強く、気温は下がる。波も次第に荒れてきた。
小舟で敵の根城である島まで漕ぎ出すのはどう考えても自殺行為だ。

(船さえ直ればこんな海でも向こうに渡れるのに)とナミはまだ明けない夜の
海をじっと見据える。(サンジ君、大丈夫かしら)
これだけ、内通者を意のままに操れる相手なら、きっとサンジが捕えられている筈の
内部にもサンジの動向に目を光らせている者がいるだろう。
それも計算づくで動く、何も問題がなければサンジも冷静にそう立ち回るだろうが、
予想外にもベスまでが敵の手に落ちてしまった。

ナミだけではなく、ウソップもチョッパーもゾロもロビンも皆、全く同じ不安と、
動きの取れないもどかしさを抱いて海鳴りのする海と、その向こうの真っ暗な島陰を
見つめ、為す術もなく港に佇んでいた。

一方。

(くそ、手が痛エ・・)冷たさを通り越して、しびれ、指に激痛が走る。
背中にぴったりと密着した氷はサンジ自身の体温で少しづつ溶けるのだが、
その溶け出した水分が服に沁み込み、また凍りつく。
(なんとか、手を抜かねえとホントに凍傷になっちまう)と手首を無理に捻ったり、
体を氷にぶつけたりしたが、びくともしない。

他の者達もさっき、ヒュダインの部下達にズブヌレにされ、それが凍て付き、
体温を奪われ、ガチガチと震え、中にはとうとう床に倒れてうずくまり、
動かない者まで出始めた。

「おい・・・」牢番の一人がそっと牢に近付いて来て、サンジに話し掛けてきた。
いかにも、気の小さそうな、何年、何10年海賊をやっていても、
絶対にうだつのあがらなさそうな、若い男だった。

「この前の戦闘で効いた噂なんだが、麦わらのルフィが噛んでるってホントか」
「だったら、どうした」サンジは寒さで震えながらそう答えた。
「俺、」とその男は名前を名乗り、「万が一、俺達が負けても俺は助けてくれる様に
麦わらのルフィに言ってくれねえか」と牢屋の鉄格子を握り、真剣な面持ちで
そう言った。
「俺、もともとハイエナのベラミーの下で雑用やってたんだ」
「そこで、あいつの強さを見てる。ヒュダインも絶対あいつにぶっとばされる」
(判ってるじゃねえか、この雑用)サンジはルフィの強さに怖れを抱くその男の言葉を
聞いて、顔を伏せ、表情を隠しながらも思わずほくそ笑んでむほど、腹の底から
嬉しさが込み上げてくる。

「で?」とサンジは自分からは何も言わずに相手の出方を伺う。
「湯を一杯だけやる。これで手を温めろ」と男は僅か、一杯のコップに入った湯を
サンジに掲げて見せた。「それだけで恩を売るつもりか」とサンジは呆れたような声音と表情を装い、そう言って男を牢ごしに見上げる。
まだ、余裕がある、と思わせたほうがこう言う取引は優位に立てるから、
実は相当切羽詰まっているが、敢えてサンジはそんな態度を装ったのだ。

「嫌ならいいんだ。俺はお前ら人質に紛れて逃げればいいんだから」と向こうも
なんとか優位に立とうとする。「そう出来ると思ってるならこんな取引持ちかけるなよ」とサンジは突っぱねる。
「そう出来ねえと思うから、湯を持ってきたんだろ?」と言ってニヤリと勝ちを
決めたといわんばかりに強気で不敵な笑みを無理に凍てついた頬に浮べて見せた。
「こっちこそ、そんなたかが湯一杯をあり難くもらわなくても、
このオッサン達から小便でもかけてもらえばなんとかなるんだぜ」

「もっとも、そんな事になったらてめえの頭を最初に蹴り潰すけどな」
低い声で薄ら笑いを浮べながらサンジがそう言うと、男は唇を僅かに戦慄かせ、
その威嚇に怯えた様に目を逸らした。
「おい、オッサン、湯を貰って来てくれ」と若い男が考えあぐねているのを急かす様に
側にいた初老の男をサンジは呼び、そう言った。
「あ、ああ」男は海賊同士のせめぎあいに固唾を飲んでいた初老の男はノロノロと
立ち上がり、牢屋の鉄格子ごしに、コップに入った湯を受取った。

(なんとか、時間稼ぎしないと)なんとか、手は無事だが、やはり真っ赤に腫れて
感覚が鈍い。慌てて頭の布を解いて温め、その上から息を吐いて夢中で擦った。
「おい、寝るンじゃねえ、起きろ!」その最中に、サンジは床に倒れた男と言わず、
無言のままで震えている男達を次々に蹴り飛ばす。
「なにしやがる、この海賊!」当然、朦朧としているところを蹴り飛ばされたら、
そう言って食って掛るモノも出てくる。
「死にたくなかったら立って動け!」とサンジは怒鳴った。
「ここから逃げる時、体が動かねえヤツは遠慮なく置いていくからな」
その言葉で牢の中の男達がヨロヨロと懸命に立ち上がる。
「隣のヤツの横っ面を思いっきり殴れ、殴られたやつは殴り返せ」
サンジの言葉に気力を取り戻したのか、男達は「殴る」と言うにはあまりに弱々しい打撃とは言え、どうにか体を動かし始めた。

「お前、あの島の者じゃないな」とさっき、サンジに湯を与えた男の顔が蒼ざめる。
その顔付きを見て、サンジはまたその男が震え上がるような凄みのある目をし、
微笑んで息が掛る程近くに顔を寄せて低く囁く。
「チビ親分に伝えろ、首飾りの場所を教えてやる、そのかわり」
「ベスお嬢さんに会わせろってバンダナの海賊が言ってるってな」

サンジの頭の中でナミの言葉が蘇る。

「こちらが本格的に攻め込んだ時、人質になってる人達の安全を確実に」
「守れる人を」

安全に、確実に。
ベスお嬢さんは首飾りさえ盾に取ればなんとかなる。
後のヤツら、船を1隻、ぶんどればどうにかなるかもしれない。

「おい、これだけの人数がいりゃ、船扱えるヤツいるんだろうな」と
殴り合いをしている男達にサンジはそう尋ねた。

「お、俺は漁師だから大丈夫だ」「俺も」そう言う男が5人ほどいる。
(よし、それなら大丈夫)サンジは自分の目論みがうまく運びそうな頭数に
満足し、深く頷いた。
そして、体に纏わりついていた氷が体温で溶け、そしてそれが湯気になるほど、
程よく体を温めた男達を一同に集める。

「なんとか船をぶん取る。俺は遅れてくるヤツに構ってる暇はねえ」
「取り残されたくなかったら、死ぬ気で港まで走れ」
「ちょっと、バンダナの人」初老の男はサンジの言葉を遮った。「ベスお嬢さんは・・・」
不安げな顔付きで尋ねる。「もちろん、助ける」サンジは初老の男にやんわりと
微笑んだ。白髪の色、輪郭、歳嵩がどうしてもゼフを思い出させる。
こんな不安げな顔は一度だって見た事がないが、他の連中はともかく、この男だけは
怪我一つさせずになんの不安もなく逃がしてやりたいと何故か、そう思った。

「おまえらが逃げた後、もう一度捕まってチャンスを待つ」
「あんたは、麦わらのルフィの仲間なんだな」と誰かがそう呟いた。
「やっぱり俺達を助けに来てくれたんだ」
安堵の溜息が漏れる中、サンジはそれでもキッパリと男達に
「ここまで話したからにはもう裏切りは許さねえ」と言い切った。
「大手を振って島に帰れるか、帰れないか、良く考えて行動するんだな」
「もし、それでも我が身可愛さにあのチビ海賊に尻尾を振る奴は」
誰が、とサンジは視線を定めず、そこにいる一人一人に敵意にも似た視線を投げ、
そして、全ての男達の心にしっかりと楔を打ち込むように
「俺が蹴り殺す」と言い放つ。
島の男達はサンジが脅しでもなんでもなく、本当にその気でいる事を悟って、
静かに頷いた。

「バンダナの奴だけ、出ろ」とさっきの牢番が戻ってきて、サンジにそう言った。
サンジを警戒したのか、後には銃などの武器を持った、いかにも屈強そうな
体躯の大きな男が三人、控えている。

「おい、そのバンダナの男を縛り上げろ」とまた、1本のロープが牢の中に
投げ込まれた。
「縛り上げた奴は・・」「牢から出してくれるんじゃなかったのか?」とサンジは
牢番の男の言葉を鼻でせせら笑う。「さっき、氷で固められた時もそう言ったが」
「誰も出して貰えてねえようだ。もう誰もお前らの言う事、信用出来ねえみたいだぜ」
「さあ、誰が俺をロープで縛るんだ?」そう言ってサンジは後の男達を振り返る。
男達は座り込んで、身動きせず、牢の外の海賊達を恨めしそうに見ているだけだ。

「チッ」サンジよりも背丈も背幅も大きな男が忌々しげに舌打する。
「気を付けて、くださいね、」と牢番がおずおずとその男に声を掛けながら、
牢屋の扉を「ギ・・・」と開いた。

その瞬間を待っていたサンジは、その男が一歩、牢屋に踏み込んできた時にはもう、
その男の懐深く飛び込んでいる。
片足は凍て付いた床を蹴って、片足はその大男の顎の骨を蹴り上げ、その力はサンジの
体を縦に凄まじい早さで回転させ、そして、その圧力を殺さないまま着地し、
踵で砕かれた氷は、牢屋の外にいる男達が目の前の事態を理解した時、
殺気漲る氷の弾丸となって、飛散した。

「うわ!痛!」「ぎゃあ、目が目が!」と海賊達が怯む中、牢屋の中から次々と
男達が走り出る。
牢屋から出た男達が、誰一人、取り残されていないかと確認しようと、
振りかえる。瓦礫が砕かれるような地下牢の中に響いた。
全ての海賊達が床に倒れ込んでいるのが目に飛び込んでくる。

「ボケっとするな、走れ!」そう言い様、サンジは男達を押し退け、先頭に立ち、
一切、振り向かずにそのまま突っ走る。

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