時間の流れは、その時の気持ちや置かれた状況によって長く感じたり、
短く感じたりする。
囚われの身になりながらも、逃走経路や隠れ場所、捕虜の人数や、警備の仕組みなどを
一人で探っているサンジと、ゴーイングメリー号の修理をただ、待つしかないゾロと
比べれば、時間の過ぎていく速度が違う様に感じるのは当然だった。
船を修理している光景を眺めていても、その作業が速まる筈もない。
だが、ゾロはやるせない気持ちで船の作業風景を眺めていた。
吐く息はやはり白く、手袋をはめていなければものの数秒で手がかじかんでしまう。
人が多く立ち働く場所で地熱の高いこの島でこの寒さなのだから、きっと
サンジが乗り込んで行った島はもっと寒いに違いない。
(あのバカ)リムの恋人が連れ去られた、と聞いてからゾロは押し殺そうとしても
心の中に不安が滲んでくるのをどうしても消せないでいた。
男ばかりなら、例えば、怪我で動けなくなったりして、何十人かの、たった一人を
見殺しにしなければならないと言う状況になったとても、サンジなら
感情に流されずにその選択が出来るだろう。だが、その中に女が入ると話しは別だ。
サンジの判断力も行動力も全然違う方向へ働く。自分が犠牲になっても、その女を
助けようとする。他の何十人かの男がどうなろうと、たった一人の女が混ざった事で
サンジの頭脳は全て、その女を守る事だけに集中する。そうなるとやることなすこと
隙だらけになるに決っていて、その結果(なんだか、厄介な事に)なるような
嫌な予感がして、ゾロは落ち着いていられなかった。
「どのくらいで出航できるんだろうね・・」ゾロは溜息まじりのチョッパーの声に振りかえった。
「さあなあ」とゾロはなるべく、暢気そうな声を装って答える。
自分だけがサンジを案じているのは、まるで自分だけがサンジを信用していないと
思われるのはなんだか、悔しい様な気もするからだ。
「夜になって随分冷えてきたけど、サンジ、どうしてるかな」
「調子よくやってんだろ」心配そうなチョッパーの言葉を聞いて、
(俺だけじゃねえんだな)ゾロは僅かに安心出来た。信頼している、と言うのと
心配している、と言うのは矛盾している様だが、そうでもない、と思った。
信頼している仲間だからこそ、心配するのは当たり前だ。
「ゾロ」チョッパーはただ、サンジの事を心配しているからではなく、
なんとなく元気がない。と、言うよりなんとなく自信が無さそうな頼りない声音
でゾロに呼び掛けてから、隣に腰を下ろした。何か話しがありそうな雰囲気だったから、ゾロも腰を下ろす。
「怪我とかさ、病気なら医者は役に立てるんだけど、心が傷ついた時って俺みたいな医者はホントになんの役にも立たないね」とチョッパーは溜息をついた。
「なんだ、急に」とゾロは思わず、眉根を寄せた。何故、チョッパーがこんなに
自信喪失しているのか、まず、それに驚く。
だが、チョッパーは黙ってゴーイングメリー号が修理されていく様子を見つめているだけで何も答えない。
「あいつの事か」とゾロは気詰まりになって尋ねる。
チョッパーは黙ったまま小さく頷いた。
「なんにも気づかない振りをしてるだけで俺だって、なにか、があった事くらいは
判るよ」とチョッパーは呟く。「言いたくない事だから言わないって言うのも判る」
「でも、何かしてあげなきゃ、と思っても何をしていいのか判らない」
「俺は知らんぷりしてるだけで、サンジがその言いたくない事を忘れようとして
無茶をしようとしてるのを止められなかった」
「今になって、それを後悔したって遅いのに」
「それは俺も同じだ、チョッパー」
ゾロは同じやるせなさをチョッパーも共有していた事を知り、心配して凝り固まっていた気持ちが少しだけ温んだような気がして微笑んだ。
「何があったか、って事は今は言えねえ。これはお前が知ってどうなるモンじゃねえからな」とゾロは静かに言い、「でも、お前は見捨ててる訳でも見放してる訳でもねえ」
「ホントにどうにもならなくなって、あいつが手を伸ばして来たら助けてやる」
「それって、簡単な様で難しいと思わねえか?」
チョッパーに話しながらゾロはまるで、自分に言い聞かせている様な気がしてきた。
誰も自分の気持ちを宥めてくれはしない。それに、誰かに宥めて欲しいともゾロは
思わない。ゾロのこの気持ちを宥めるのはサンジしか出来ないのだから。
それでも、ずっと不安にざわめく心を抱えているとだんだん息が苦しくなる。
その苦しさを薄める為に、自分自身を納得させる必要があった。
だが、自分自身の事を自分で説得するのは、自分を自分で騙している様な気もして
ゾロにはどうしても出来なかった。
けれど、ゾロは自分の口でチョッパーに話す事でその自分の言葉を自分の心で理解する。
「そうだね、ずっとサンジの事を見とかないと難しいね」とチョッパーはゾロが
期待していた通りの答えを出した。
「何もしてない訳じゃない。知らない振りをして気づかれない様に見守ってる」
「あれやこれや口を出すよりそっちの方が難しい」
「そんなやり方で十分なんじゃないか?」
ゾロはそう言って、チョッパーが眺めている方向へと視線を移した。
「うん」チョッパーは深く頷く。
一方、その頃。
サンジは目論み通り、牢屋に入れられた。
海賊の根城らしく、粗末な鉄格子がはまった、貧相な牢屋だが、隙間風が入り込んできて、思った以上に寒い。そして、その檻は昔からこの島にある大きな城砦の中にあり、
牢屋は古びていて貧相だが、その造りはやたら頑丈で2面が石の壁、残りの2面が鉄格子、天井も石、大きな石壁の部屋に4つに仕切られた牢があって、この石室に出入するには、分厚い鉄板で出来た扉を開閉して通るしかない。石を積み上げて造られた壁には灯り取りのためか、あるいは、空気が篭らない様にする為か、小さな隙間が
不規則に造られてはいるが、とても大人の体ではそこから擦り抜けて外へ脱出する事は
出来そうにないくらいに細く、小さい。そんな楼閣の中にある牢にそれぞれ
5、6人ほどが放り込まれている。だから、人質は30人たらずの男達、それと、ベスだ。
「ベスお嬢サンだけは、こちらに」とその城砦に入る前にやはりベスだけが
隔離された。その前にサンジはベスに耳打ちしている。
「ここからどこをどう通ってヒュダインって奴がいる場所に行けるか、しっかり
頭に叩き込んでおいてください」
「どうしてですか?」とベスは小声で誰にも聞えない様に注意を払い、そうサンジに
囁く。「念の為、ですよ。俺達の仲間の道案内をして貰う事になるかも知れないから」とサンジは短く答え、けれど、それ以上は何もいわず、口をつぐんだ。
あまり、色々とベスに言わない方がいい、と思ったからだ。秘密事を持てば持つほど、
厄介事に首を突っ込まずにはいられなくなる。
だが、そうなれば危険は増すし、これからベスがヒュダインとか言う奴に
たった一人で対決しなければならないのだから、なるべく、自分達がどう言う策で
どう動く予定かなどは知らない方が安全だ。
「何があっても、きっと助け出しますから、安心しててください」と引き離される前にサンジがそう言うと、ベスは泣きそうになりながらも必死に堪えてサンジを振りかえり、
無理に笑って見せた。
「あんた、島のモンじゃねえな」サンジが入れられた牢には既に先客がいた。
ちょうど、ゼフくらいの年嵩の男と、それよりもやや若い恰幅のいい男、
サンジよりも少しだけ年上だと思われる、気の弱そうな男、それから人の良さそうな
中年の男の4人、サンジの牢は全員で5人だ。
「そうだが、何か?」とサンジはあっさりと薄っぺらい態度で答える。
「外は、どうなってる?」「あんたがそれを聞いてどうする?」サンジはそう言って、
声を掛けて来た人の良さそうな中年男に聞き返した。
「あ、安心したいのさ、こんな寒いところでいつまで囚われてなきゃならないのか」
「皆目 見当もつかないし」「そりゃそうだな」とサンジは相槌を打つ。
細い窓は高い場所にあると言っても、そこから寒風と地吹雪で舞い上がった細かい雪が
吹き降ろしてきて、とても寒い。誰も体調を壊していないのは奇蹟的だった。
きっと、この島で育っていればこんな寒さくらいでは(割と平気なのかもな)などとサンジは考え、ふと砂漠の暑さを「私は大丈夫」と言っていたビビの事を思いだした。
(育つ環境でそんな風に寒さに強かったり暑さが平気だったりするモンか)
それとも、彼らが鈍いのか頑丈なのか。
「あんた、海賊だな?俺達を助けに来てくれた?」とさも嬉しそうにその男はサンジを
見つめる。尊敬と敬意が満面に浮べられている様にも見えるが、その表情が
あまりに露骨過ぎてサンジは(?)と訝しく思った。
「いや、俺は捕まっちまっただけだ」とサンジはあっさりと嘘をつく。
相手の素性がまだ定かでないうちに計画をバラす様なバカはしない。
「嘘だろ?あんた、なんだか腕が立ちそうだし」と男は尚も食い下がる。
「何も言わねえ方がいいよ、海賊のニイちゃん」とゼフと同じくらいの年嵩の男が
低く笑いながらサンジにそう言った。
「うっかり、本音でここから俺達を助け出す為に来た、なんて言ってみろ、」
「牢番に密告されて拷問にあうぜ」
「そうやって、怪しい奴がいるって牢番に密告したら島に帰してもらえる、なんて事を
その仕立て屋は信じてやがるのさ」
「だって、鉄砲屋はそうやって牢屋を出ていったじゃないか!」と仕立て屋、と呼ばれた男は大声を上げた。
「あれはベスお嬢サンを浚って来る替わりに親父を牢屋から出して温かな部屋で
看病してくれって言う条件を出したからさ」
「出たいなら、リムの首を取ってくる、くらいの事言わなきゃ出してくれるもんか」
「ふーん」サンジはその言葉を聞いて興味なさそうにその話しをしっかりと
頭にいれて、そこからの罵詈雑言の応酬の中から必要な情報を掴み出そうと
二人の言い争いを巧みに煽った。
(ここから一旦出ようと思ったら、その手があるのか)
拷問を受けるとなったらこの牢屋から一度は引きずり出される。その時に
牢番を蹴り倒し、鍵を奪い、ここにいる全員を逃がせばいい。
案外、簡単な仕事だ。
問題は、ルフィ達がいつ、この城砦に攻め行って来るか。いざ、その時になったら
捕虜の拷問どころではないから、ルフィ達が攻めて来てからその策を実行しようと
しても無理だろう。ルフィ達が攻めてくる前に捕虜達をこの牢屋から出し、
安全を確保しておかねばサンジがここに来た意味がない。だが、そのタイミングが
難しいし、それにこのむさ苦しい男達だけではなく、一人、どこにいるのかわからないベスも迅速に助け出さねばならないから、まだまだサンジが動くには機が早い。
暫く雑談をしながら、色々と策を練っていると
「おい、そのバンダナ野郎」と牢番がサンジを呼んだ。
「あ?」
サンジが小馬鹿にした様に返事をすると、高飛車に
「お前、ベスお嬢サンから首飾りを貸してもらったそうだな」と牢番は言い、
「それを返して欲しい、とベスお嬢さんが言ってる。返せ」と鉄格子ごしにヌっと手を
突き出した。
「確かに借りたが・・」(なんだ、唐突に)サンジは意表を突く、その牢番の言葉に
警戒を抱いたが、それも尾首にも出さずに飄々と
「俺は借りたモノは貸してくれた人に返すのが流儀なんでね」
「ベスお嬢さんに直接、返すよ」と答えた。
「返せ、と言ってるんだ」「証拠は?」とサンジは鉄格子に歩み寄ってニっと笑って
牢番を威嚇する。
「直接返しますって伝えてくれりゃいいだろ、それともなにか?」
「ホントはベスお嬢さんはそんな事言ってなくて、」
「お前がベスお嬢さんが身につけてるモノが欲しいって言う変態か?」
サンジが目を細め、軽蔑しきった目つきをしてそう言うと、牢番の顔に苛立ちが
走った。
「大人しく渡せ、さもないと痛い目に合わせるぞ!」
「牢屋の外からどうやって?」とサンジは牢番の怒鳴り声にも一向に怯みもせずに
まだ馬鹿にしたような顔で牢番に近付き、フンと小さく鼻を鳴らした。
「この野郎!」と牢番は抜刀し、牢の外から鉄格子ごしにサンジの体に剣を突き立てる。
サンジは咄嗟にその刃を僅かに体を横にずらして避ける、
一直線に突いて来たその切っ先はサンジの右脇の下の服の布を僅かに切り裂いた。
だが、次の瞬間、サンジはその刃を脇腹と肘で押えつけ、左腕で牢番の胸倉を掴み、
強引に鉄格子へと凄い勢いで引寄せる。「ガチャン!」と鉄が鳴る音がしたが、
余りに素早い動きに牢番が声もあげられずにいるとサンジの膝がその鳩尾に
食い込んだ。「ゲフ!」
牢番が苦しげに顔を歪め、聞き苦しい呻き声を上げるとサンジは小声で低く
「内臓、潰されたくなかった言え」
「ベスお嬢さんがなんで首飾りを返してくれ、なんて言い出したか」
「誰が、ベスお嬢さんにそんな事を言わせてるのか、」
「誰が何故、その首飾りが必要なのか」
あの赤い首飾りになぜ、こんなにこだわったのか、サンジにはあまり明確な理由がない。
ただ、どんな些細な情報でも知らないよりは知っていたほうがいい、と思っただけの
事だ。
「お、俺もわからん、ただ、ヒュダインさんが・・・ヒュダインの頭がそう言うから」と牢番は苦しげにそう答えた。
「首飾りが欲しいのはそいつか」とサンジは確認してから牢番を離してやる。
(隠してきて、正解だったな)と思わず、深く溜息をついた。
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