常人とかけ離れた運動能力を持つサンジと、女を肩に担いだまま走る男とでは、
最初から結果は目に見えている。あっという間にサンジは追い付き、そして、止まりきれずに追い越した。「待ちやがれ、なんのつもりだ、てめえ裏切り者!」と進行方向に
立ち塞がって、一気にサンジは捲くし立てる。
「退け!」男は額に青筋を立てて、サンジに怒鳴り返す。
ベスを担ぎ上げていない方の手には短銃が握られ、その銃口は真っ直ぐにサンジに
向けられている。「撃てるもんなら撃って見やがれ、鉄砲屋の仔倅が怖くて海賊やってられるか」足技が使えるなら、その銃を蹴り上げ、怯む隙にベスを奪い返せた。
だが、もう相手の船が着岸しているすぐ側で、海賊らしき男達の目がある。
戦闘要員ではなく、船を操舵する為の者達だが、今戦い、欺くべき男達である事には
変わりはなく、ここで足技を使うと、首尾良く捕まった後でも警戒は強くなる。
そうなると自由に動けない。サンジは咄嗟にそこまで考えていた。
「おい、そのベスお嬢さんをこっちに寄越せ!」と怒鳴って、大柄な男がドスドスと
近づいて来た。「ダメだ、俺が直接ヒュダインさんの前にベスお嬢さんを連れていく!」
そう言って、「鉄砲屋の仔倅」はサンジの足もとに向かって発泡する。
サンジの足もとの石畳が割れ、チュン、と鋭い音がした。
「幼馴染なんだろう!あっちに引き渡せばどんな目に合うかわからねえんだぞ!」と
サンジは言い返した。「お嬢さんを引き渡せばオヤジを助けてくれる約束なんだ」
「あんたは引っ込んでてもらおう!」「それ、本当なの?なんて卑怯な奴!」
男の肩の上でベスが大声で叫んだ。
「そうやって、皆を脅してるのね、だから言いなりになって私を浚おうとしたのね!」「大人しくしろ、ベスお嬢さん!」肩の上で暴れ始めたベスを持て余して、男はベスに
怒鳴ったが、ベスはなんとか逃げようともがき続ける。
「動くな!」サンジが隙をついて、ベスを助けよう、と足を僅かに動かした時、
大男が喚いた。手には大きな斧を持っている。そんな武器に怯えるサンジではないが、
平然としている風を読まれると(後がマズイ、)と怯えて竦む振りをする。
「いい加減にしろ、じゃじゃ馬!」と大男はサンジの動きを止めておいてから、ベスの
頬をパン!と音が出るほど強く引っ叩いた。「キャ!」と悲鳴をあげてベスは担がれていた肩から地面に転がり落ちる。(この野郎!レディに手を上げやがったな)サンジは
頭にカっと血が昇った。大男は体に似合わない、すばやい動きでベスを抱き上げ、
その頬に斧の刃先を突き付け、「動くな、お前も武器を捨てろ!」とまたサンジに向かって吠える。サンジはそう言われ、憮然としながらもさして役に立たない棍棒を
ガラリと地面に向かって放り投げた。「二人とも、人質になってもらう。大人しく、
船に乗れ」
(予定が、狂ったな)サンジは手首を縄で縛られ、大人しく船の底に放り込まれる。
ベスも同じ扱いだ。
船の底に放り込まれる前にチョッパーがどこかで耳を済ませている筈だから、
約束どおり、口笛も吹いて、予定通りの手筈が整った、と言う合図も忘れない。
「サンジさん、」他にも捕らえられてしまった島の者が側にいる。サンジはベスにそっと「し・・」と自分の正体を明かさない様に、と軽く人差し指を口元に持っていく仕草を示して見せる。ベスは頷いた。
狭い船室に閉じ込められ、寒さに身を丸めたままベスはサンジの隣ににじり寄ってきた。
「ごめんなさい、私がいたばっかりに捕まってしまって」「なに、予定の行動ですから
お気になさらず」と短い言葉を交わす。「予定の行動?」「俺はあっちで捕まってる人質の安全を確保する役なんです。いい具合に捕まったんで、むしろ好都合なんですよ」と
ベスを安心させる様にニッコリと笑った。
麦わらの一味がチョッパーの合図を皮きりに参戦し、海賊の船は撃退された形となり
ゆっくりと島を離れていく。
「お嬢さんはなんで港にいたんです?あの騒ぎになる事、判ってたでしょう」
サンジは心細げな顔をしているベスに暢気そうな声で話し掛ける。
「リムが大怪我をしたから、すぐに来るように、と言われて・・」
「良く考えたら、リムがあれくらいの小競り合いで大怪我なんかする筈無いのに」と
ベスは恥かしそうに苦笑した。「随分、信用してるんですね、恋人を」とサンジが
からかう様な口調で言うと、ベスは「だって、リムは海賊の若頭なんですもの」と
真顔で答える。
「へえ」
「その女房になるんだから、これくらいの事でビクビクしてちゃダメですよね」
相槌を打ったサンジにベスはまた苦笑してそう言う。
(このお嬢さんは、きっと可愛い奥さんになるんだろうなあ、)
サンジは少し、リムが羨ましい、と思った。
そして、数時間後、サンジ達人質を乗せた船は海賊の根城である小島に着く。
サンジが船を下りる時に何気なく振り返ってみたら、(ホントに近いんだな)と改めて驚くほど、リム達がいる島とこの島は近い。
わざわざ大きな船で移動しなくても、小舟で1日も休まず漕げばなんとか辿り着ける
くらいの距離ではあるが、(いずれにしても船がないと逃げられねえな)とサンジは
確信した。
人の出入がそう多くは無い様で、桟橋にも雪が積ったままだ。
そこから島の中心へと伸びている道も人が歩く幅だけ雪が除けられていて、そこ以外の地面は膝までほどの雪で覆われている。
「お嬢さん、これを」とベスに人質として捕えられた誰かが上着を貸していた。
(随分、慕われてるんだな)普段から人に高圧的な態度を取って来た島主の娘であれば、
こんな時、誰も労わったりしないだろう。だが、漁師だったり、リムの手下だったり、
海賊との戦闘に加わっている男達が寒い風からベスを守る様にそっとベスに寄り添っている様を見ていると、ベスが島の者達から慕われ、大事にされているのがありありと判る。「ありがとう」とベスも粗末なつぎはぎだらけでやたらと重そうな男物の上着にも嫌な顔一つしないで感謝を述べて羽織っている。
(いい島だ)とサンジは思い、ルフィの判断にやはり、間違いは無かったと
何故だか、誇らしい気分になる。勘だけで行動する様で、本当に大事なものを一瞬で
判断するルフィを今更ながら(凄エ奴だ)と思う。
ザクザク、と荒い氷の様になった雪を踏みしだいて、人質の列は島の中心へと向かう。
前にも、後にも武器を携えた「若頭を裏切った海賊ども」が不信な動きをしない様に
目を光らせている。
「こんな寒いトコロにベスお嬢さんを連れてきて、大丈夫かな」とサンジは何気なく、
隣を歩いている中年の男に話し掛けた。
「多分、ベスお嬢さんはヒュダインのところにすぐに連れて行かれる」と男は沈痛な
面持ちで声を顰めてサンジの質問に答える。「島主の娘だから?」とサンジは
答えをおおよそ、予測して尋ねてみる。「いや。ヒュダインは前からお嬢さんを
気に入ってたんだ」「それ、ホントか」サンジは寒さに首を竦めながらそう聞き返した。
「ああ、噂だがな。このいざこざも もとはと言えばベスお嬢さん欲しさにって言う話も最近聞いた」
「惚れた女に寒い思いはさせねえか」とサンジは相槌を打ちながら、(妙だな)となにか、が引っ掛かった。
(女欲しさの割りに大袈裟なやり口だ)
ベスと言う女が欲しいなら、リム一人を倒せばいい事だし、最初に聞いた話では
ヒュダインと言う男は島の温泉と財宝である「雪の真珠」とか言う財宝を狙っている、と言う事だった。
サンジは周りの景色や地形を頭に叩き込みながら、森を切り開いた道を歩きつつ、考える。
(島と財宝と・・ベスお嬢さん・・の全部が欲しいって事か)
欲張りな野郎だな、と思うのだが、それにしてもやる事が大袈裟過ぎる。
特にベスに関しては、浚いたければもっと早い段階でいくらでもチャンスがあった筈だ。
(まあ、あのお嬢さんを手中に収めておけば色々有利になる事は間違いねえしな)
ベスに危害を与えないと言うのなら、人質の安全の事だけを考えればいいのだが、
サンジにしてみれば、野郎20人を守るよりもベス一人を守る方が
ずっと気乗りはするし、やる気も出る。
(おっと、そうだ)サンジはベスの事を色々と考えて歩くうち、首飾りの事を思い出した。
(どうなるかわからねえから、どっかに隠しておいた方がいいな)
これからどんな状況になるか判らない。うっかり無くした、では余りに申し訳が無い。
とても大切なお守りのような形見の首飾りなのだから。
「おおい、ちょっと待ってくれ」とサンジは先頭を歩いている海賊を大声で呼びとめる。
「なんだ!」とその海賊は不機嫌丸出しの顔で返事をした。
「冷えたから腹が・・・」と腹を押えて、サンジは顔を顰める。
「もうすぐ、着く、辛抱しろ」と言われたが、サンジは構わず、
「出来ねえから言ってるんだ!」と言い返した。
「どっちにしたって船が無きゃ逃げられねえのは判ってんだ、クソくらいさせろ!」
「チッ・・」海賊の男は舌打してサンジに顎で「森へいけ」と指図する。
サンジは卑屈な笑みを浮かべて見せ、頭を少しペコリと下げた。
サンジは誰も踏んでいない雪の上を歩いて、森の中に入っていく。
(11・・・12・・・13・・・14・・・)歩きながら、自分が何歩歩いたかを数えた。
振り返って、周りの風景を確かめる。頭に巻いている布を歯で噛み切った。
(クソ、やりにくい・・)縛られたままの両手ではなかなか手早く出来なかったが、それでも細い布切れをどうにか枝に結びつける。
そして、その木の枝の延長線上に5歩歩いた先にある、木の幹の窪みにその首飾りを突っ込んだ。(これでよし)
何食わぬ顔をしてサンジは列に戻る。
「サンジ君が無事に人質になってくれたからこちらは自由に動けるわね」
(変な言葉だな)ウソップはナミの言葉を聞いてそう思った。
仲間が人質になって、喜んでいる。他人が聞いたらなんて薄情なんだろうと思うに
違い無いが、それだけナミがサンジを信用している、という事だ。
「明日でも総攻撃をかけるように、リムに言わなきゃ」
「明日は無理だと思うよ」とチョッパーがナミの言葉に口を挟んだ。
「どうして?」とナミが尋ねると
「負傷者が多いから」とチョッパーは答える。が、
「そんなの、問題ねえよ」と今度はゾロが意見を述べる。
「別にこの島の奴らに手を借りなくったって俺とルフィだけで十分だ」
出きる限り早く、行動を起こしたい、と言う気持ちがきっぱりと言いきった口調に
現れている。だが、また
「誰が船を漕ぐんだよ?」とチョッパーは慎重に事実を言って、口を尖らせた。
「そりゃ、ルフィとゾロとロビンが行けばすぐにカタがつくだろうけど」
「船を操舵できる人、皆怪我をしてすぐには動けないよ」
「小舟で漕いで行ったとしても、大砲で狙い撃ちされるでしょうし」とロビンも
チョッパーの意見に賛同する。
「じゃあ、ゴーイングメリー号で行けばいいじゃねえか」とウソップが提案する。
「そうね。急いで修理して貰えば、あたし達だけであっちの島に上陸出来るし」
「船を修理出来る人なら、戦闘に参加してない筈だもの」
だが、船の修理は早くても明後日の朝になる、とリムは言った。
「出来る限り、急がします。向こうに行かれる時は俺も一緒に」
「ダメだ。お前エはこの島の皆をまとめておかなきゃ」とルフィは切羽詰まった顔つきのリムをそう言って宥める。
「お前エ、頭に血が昇ってンぞ。そんな事じゃ仲間を皆助けるなんて無理だ」
「俺達を信じてくれてるんだろ?なら、最後まで信じろ」ルフィはそう言ってニカっと歯を見せてリムに笑顔を見せる。
「信じてくれネエ奴の為には戦えねえ」
「判った。信じる」ルフィの力強い言葉にリムもしっかりと頷く。
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