日が沈んだ頃から、港は騒がしくなった。
潮と風の向きが変るのは、明日の朝、と言う予測だけれども、夜襲の可能性もある。
それに備えて、リムの指示のもと、海上からの攻撃を迎え撃つ準備と、
夜襲がなかった場合に備えての明日の出撃の準備が同時に行われている。

「俺達は俺達の好きな様に動くからな」
リムの指示は受けない、とルフィは言った。
「もちろんです」リムはきっぱりと短い言葉で力強くそう言いきる。
同じ海賊だからこそ、ルフィが尊敬すべき海賊だと信頼し、尊敬しているのが
その会話を側で見ていた、麦わらの一味もリム達の仲間も、そこにいた誰もがそう
思った。

戦闘がはじまるギリギリまで、帰艦した者達がどんな動きをするか、を見届ける為に
ゾロはナミと一緒にいる。港にはあちこちでかがり火が焚かれ、ゴロゴロと武器庫から
大砲が運び出されて、男も女も誰もが興奮した顔付きで忙しなく働いているのを
見ながら、ゾロは
「おい、ナミ。今夜、夜襲はあると思うか?」と尋ねた。

心の中には、口にも態度にも出せない不安がどんなに消そうとしても消せなくて、
どうにも落ち付かない。黙っているとその不安は結局、何か行動を起こさないと
どうやっても消せなくなる位に膨れ上がりそうで、ゾロは自分のそんな気持ちを
紛らわせようとナミにどうでも言い事だと判っていながら、話かけたのだった。

「ないわ」とナミは静かに答える。
「向こうの島からこっちの島の様子は見えてる筈よ」
「これだけ赤々と火を焚いてるって事は迎撃の準備は出来てるって事」
「来るなら来い!って言ってるのと同じよ」
「明日は晴れるし、風も潮もいいって判ってるなら朝、満潮の時刻を読んで」
「その時、一気に攻めこんで来ると思う」

ナミの目はじっとリムの父親の部下だったと言う初老の男に向けられている。
家族を人質に取られ戦闘の最中にきっと何か行動を起こす、とナミは思っているらしい。
それはサンジとチョッパーが見張っているリムの幼馴染みの男も、ロビンが
見張っている漁師も同じだろう。

(やっぱり、だ)チョッパーは火薬樽の中味がいくつか、ただの砂になっている事に
気づき、ロビンは戦闘に使う小舟の何隻かの底板にはっきりと人為的に傷が
入れられているのを見つけた。
戦闘が始まれば、もっと彼らは色々な細工をする可能性が高い。
戦力を削げ、そうすれば父親を、あるいは息子を返してやると脅されての事だろう。
嬉嬉として仲間を裏切る訳ではないのだから、彼らの心中はきっと苦しいに違いない。

そして、夜が更け、そしてやがて漆黒の空が紺色に変わり、徐々に白んできた。
それと共に、海には真っ白なモヤが掛って、気温もぐっと下がる。

ナミは港中に漲っている張り詰めた緊迫感を感じながら、
寒さに冷えた手を自分の吐息で温めて、今、自分が肌で感じている空気から
(これは間違いなく、天気が良くなるわ)と確信した。
ゾロとナミが港の倉庫の壁に寄りかかってしゃがみこみ、それとなく、見張っていた男は結局、朝まで不審な動きはしなかったが、それは彼がナミとゾロの気配を感じとっていたからか、それとも、彼がやるべき仕事は戦闘が始まってからなのか、
どちらかは判らない。いずれにしろ、油断は出来ない。

「あいつは、今どこにいるんだ」とゾロがまるで他人事のような口調でそう聞いてきた。
真っ白なモヤの中で隣にいても、その横顔は少しだけ霞んで見える。
「あいつって誰?」とナミは空惚けた。
「あの、でしゃばりコックだ」とゾロはナミの皮肉っぽい声を咎めず、ただ、
落ち着きのない様子で、馬鹿正直にそう答えた。
(あんたも心配性ね)とナミは吹き出しそうになりながら、昨夜のサンジの言葉を
頭の中で思い起こす。

「俺しかいねえだろ」
「ルフィとマリモ、ロビンちゃんは賞金首。チョッパーは目立ち過ぎる」
「ウソップは1度、ヤツらにバッチリ顔を見られてる」
「だったら、俺が行くしかねえだろ」
あのサンジの言葉には文句の付けようがなかった。
それに、サンジならさして多くもない、20人程度の人質を一人で守るぐらい、
そんなに危険な役割ではないだろう。人質を責めるのにわざわざ、
(ボスが手を下す事はない)と思うのが普通だ。ボスが悪魔の能力者であったとしても、
彼が最も集中して戦う相手は人質を守る為に潜入したサンジではなく、
敵の中で最も戦闘能力の高い相手、つまりルフィの筈でサンジとそのボスが戦う事に
なる確立は相当に低い、とナミは思っている。多分、サンジもそうだろう。

「サンジ君なら、そろそろ準備を整えて、そこらへんうろうろしてるんじゃない?」
「おはよう、ナミさん」

ナミが適当に指さした時、日が昇り初めて、桃色に染まった光りを
吸いこんで、モヤまでが桃色に染まって見え、そのモヤの向こうからサンジの声がした。

「おはよう、サンジ君」とナミは明るく、返事を返しながら立ち上がった。
「朝飯、持ってきたよ」そう言ってモヤの中から現れたサンジはいつもとすっかり
いでたちが替わっている。
赤を基調にした派手なバンダナを頭に巻いて、服もこの島の海賊達が着ている
野暮ったいモノだ。
粗末だが、温かそうな素材で出来ている。真っ赤な布を頭に巻いている所為で、
いつもは目立つ派手は髪の色がさほど目立たなくて、いかにも海賊の下っ端、と言う風情が出ている。
「あら、誰にしてもらったの」
「この島の・・おネエ様方に、」とサンジは照れ臭そうに答えた。
その態度で、結構、年嵩のいった、賑やかな女達に弄られたのだとナミには判って、
少し可笑しくなり、小さくクスリと笑う。

そして、ナミにバスケットを手渡した。
「あたし、ちょっと冷えちゃった。ごめんあそばせ、」とニッコリ笑い、
ナミはゾロにバスケットを押しつけた。
「おお」とゾロは本気で(便所に行くのか)と思い、素直に差し出された朝食入りの
バスケットを受取る。
もちろん、(冷えたから便所に行く)為にナミはそこから一時、立ち退いたのではない。
ゾロがサンジを心配している、その様に同情しただけだ。

(あんたが心配するほど、サンジ君は弱くないってとこ、ちゃんと見てあげなさい)と
少し離れた場所で一度立ち止まって振り向いたが、まだ晴れないモヤは
二人の姿をナミに見せてはくれなかった。

「安っぽい海賊だな」とゾロはすぐにサンジに憎まれ口を叩く。
「それがいいんだってよ」とサンジは飄々と答える。多分、自分で選んだ格好ではないから、そんな風に平気な顔で答えたのだろう。
気を付けろよ、と言えば、少しはこの不安が消えるのか、とゾロは腹の中で自問自答する。(それこそ、無駄口だ)とすぐに答えが出た。
こいつは女を庇うとか、以外はそうヘマをする奴じゃない、と余計な気遣いめいた
言葉をぐっと堪えながらゾロはサンジの顔をマジマジと見る。
仲間の誰も側にいない場所にたった一人で、しかもなんの連絡手段もない所へ
行くのを心配するなんて、(俺ア、こいつを見くびっているのか、)と自分で自分を
叱り付けて、そんな事、全く気にもしない、と言う風を取り繕う。

ただ、「これ、取り換えろ」とだけ言って、無理矢理預かっていたベスの首飾りを
サンジの手に押し付けた。「なんだ、せわしない奴だな」とサンジは呆れている。
「これ、ちゃんとあの、お嬢さん、に返せよ」とゾロは途中の「お嬢さん」の部分を
サンジの口真似をしながら、手を伸ばして、サンジの首元から「海の雫」をもぎ取った。
「お前エに言われなくても返すつもりだよ、バカ」とサンジもいつもと同じ様な
調子で答えてくる。素直に首飾りの交換に応じたのは、
ベスに首飾りを返すまで、無事でいろ、そして、「海の雫」は離れていても、サンジが
無事かどうかをゾロになんらかの形で教えてくれるような気がして、ゾロは持っていたい、
そんな気持ちがサンジに伝わっている証しだった。

サンジは赤い首飾りを首にぶら下げてから、真っ直ぐにゾロを見る。





普段、見なれていない格好で、柔かな光りがとけたモヤに少し霞んだ姿を前にして
ゾロはなんだか、少し体が強張るような気がした。

「このケリが付いたら、1日だけ行方不明になってみねえか」とサンジはそんなゾロを見てニヤニヤ笑う。
「あ?」ゾロは突飛なサンジの言葉を理解出来ずに聞き返す。

「なんにもしねえでゴロゴロ出来る場所で、1日ゴロゴロするんだ」
「俺とお前だけで」
「この前、手を温めてもらっただけでぐっすり眠れたからな」
「手であれだけ寝れたんなら、足やら腹やら温くなったらもっと寝れそうだ」

(余計な心配しなくていい)
サンジはそう言いたいのだ、とその言葉の裏の気持ちをゾロはすぐに判った。
ゾロが自分を心配している、と言うのをサンジは知っている。
普段なら「ナメてんじゃねえぞ」と怒るトコロだろうが、前の島での出来事の所為で
気持ちの反発力がない。怒る、と言うのはエネルギーが必要で、サンジは今、
そのエネルギーを傷ついた心を治す為に必要としていて、ゾロに向かって
怒るエネルギーを出せない。ゾロはそう勝手に解釈していた。
(やっぱり、こいつは変な奴だ)とゾロは思った。
傷ついた心を自分で癒している最中の癖に、怒るよりもいつも以上に
無意識に優しい言葉を口にして、そしてその裏にほんの少しの憤りを滲ませるサンジの
複雑さが可笑しくなる。

「その言葉、あとで嘘だったとか、ナシだとか言うなよ」ゾロが半笑いしながら
そう言うと、サンジは大袈裟なほど真顔になって、
「言わねえよ、」「約束する」と答えた。

そして、その2時間後。
ナミが予想したとおり、空は晴れ上がった。風も向かい風、船団がまっすぐに
こちらへ進んでくるのが見える。

「来るぞ、大砲用意!」リムの声が港に響いた。

「大砲用意!」リムの号令は次々と伝達されて行く。
迎え撃つ、船の碇が凄まじい勢いで巻き上げられる音、おのおのの船の上で
志気を高める為の雄叫びがあがる。

リムは陸の指揮をゾロとナミが見張っていた男に委ね、自らも船に乗り込んだ。

相手の船は、全て同じ装備の船だ。
なんらかの陣形を取るでもなく、ただ、波を切って、先陣争いをするかのように
無秩序に進んでくる事から、(まだ、相手の船長は出て来てない)とロビンは
相手の船団の装備を双眼鏡で見て、そう判断した。
総力戦のつもりはない、と見ていい。

(それなら、それで好都合ね)
今回は、相手の島の人質の安全を確保する為にサンジを送り込む、という目的が
達成されたらそれでいい、と麦わらの一味は思っている。

サンジが人質となった、と言う合図はチョッパーとサンジで決めた口笛の旋律だ。
これなら、戦闘中でもチョッパーは聞き取れるし、誰にもそれが合図だとは
わからない。それが聞こえたら、麦わらの一味は戦闘に加わり、敵の船団を追い払う。

そして、いよいよ、敵船は目前に迫る。
迎え撃つ船は三隻、攻め込んで来た海賊船は5隻。どうしても、二隻の接岸を
許してしまう事になる。

サンジは陸にいて、二隻、上陸してくる海賊との一戦に備え、待ち構えている。
足技を極力使わずに戦うつもりだった。
港に備えつけられている大砲の4門のうち、不備なく動くのはその半分の2門。
それも火薬がじきに底を着く筈だ。
そうなるタイミングを見計らって、海賊達は一斉に上陸してくるに違いない。

サンジは久しぶりに血が沸き立つのを感じた。
ケイの事など、その時は頭に霞めもしない。

やがて、サンジが予測したとおりの状況になった。
港は白兵戦の様相を呈する。
使いなれない棍棒を振り回す振りをしながら、巧みに足を使って、
サンジは島の戦闘慣れしていない男達を何人か助けながら、どうやって
自然に人質になってやろうか、と考えていた。
体の奥から沸き上がってくる興奮に顔が勝手にほころぶのを堪えるのが
辛いと思った程、楽しい。

(さて、そろそろ捕まってやるか)と思った時だった。
「助けて、誰か助けて!」と女の悲鳴が聞こえて、サンジはその声のした方に
顔を向ける。

「ベスお嬢さん?!」サンジは驚いて声をあげた。
昨日からずっとサンジとチョッパーが見張っていた男が、ベスを肩に担ぎ上げ、
戦闘の真っ只中を必死に走っている。
それも、敵船が船を着けた桟橋に向かって、だ。

(あいつ、ベスお嬢さんを浚うつもりか!)なんて卑怯な、とサンジは
頭に血が昇る。

「待ちやがれ、裏切りモノ!」と喚いて、そのすぐ後を追い駆ける。


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