「行くぞ、死ぬ気で走れ!」

相手が追撃の準備をする前に、港へ突っ走っていかねばならない。
なんの準備もなく、ただ、突撃して行くこの方法の中でそれを成功させる為には
とにかく、迷いなく、間違いなく、迅速に動く以外に方法はない。

城郭の中をサンジは後を一切振り向かずに走る。
途中、ハチ合わせになった海賊らしき男達は、驚き、だが、それ以外に為す術がなにも
なかった。武器を構える事はおろか、悲鳴や怒号をあげる暇さえサンジは与えない。

途中、拾える武器はたくさんあった。だが、サンジに追い縋る虜だった男達は
それを拾い上げる事すら出来ない。まるごしのまま、必死の形相でサンジを追う。

城郭の外まではただ、突っ走っていれば良かった。
だが、そこから港までは真冬の吹雪が吹き荒ぶ真っ暗闇を進んでいかねばならない。
道に迷えば、ヒュダインに殺されるまでもなく朝までに凍え死ぬだろう。
だが、誰もサンジを疑わなかった。
疑う時間がなかった。サンジを裏切り、自分の身の安泰を図ると言う打算すら、
彼らは出来ず、助かる為にはただただ、「麦わらの一味」の仲間だというサンジを
信じて走るしかない。

海から吹いてくる潮の匂いが混ざる寒風の中をサンジは雪を踏み散らして走った。
(自分達の根城にしてる島だ。船、1隻1隻に船番はいねえ筈)

そして、海賊達の船が停泊している港が近づいて来た。
ずっと走って来た男達は、もう寒さは感じない。

「船を奪う、だが、狙い撃ちされても大砲が打ち返せないんじゃ、すぐに沈められる」
「だから、」

男達は森の中に息を潜めた。
サンジは船番がいようが、いまいが、適当な船に目星をつけ、ズカズカと
正面から乗りこんで行く。

(あの男、一人で逃げる気じゃないか・・・)と仕立て屋だと言う男が
初老の男に小声で囁いた。
(逃げる気なら牢から出たところで俺達を見捨ててる筈だ)
(あの男の手筈通りにやれば必ず助かる)と初老の男はそう叱り付ける様に
答え、港の様子を固唾を飲んで見守る。
やがて、サンジが乗りこんで行った船から火の手と数人の男のわめき声が
あがった。

「こっちだ、急げ!」とサンジが森の中に向かって叫ぶ。

男達がその船に乗り込み、碇を上げた。
サンジはそれを見届けてから、隣の船へと飛び移った。

「あんたはどうするんだ!」男の一人がそう叫んだ。森の中から点々と赤い松明が
見え、怒りの罵声を喚く男達の声がだんだん近付いて来る。
追手が迫ってきていた。
「ベスお嬢さんを助けるッつっただろ、早く行け!」
サンジは船に積載されている大砲を次々と海に蹴り込んで行く。
破壊する事は出来なくても、これで逃走していく船を狙い撃ちされずにすむし、
漁で慣れた海、例え日が沈んで真っ暗でしかも荒れ狂っていようと、
自分達の島には灯台があり、また、戦闘に備えて、対岸のこの港からうっすらと見えるくらいにかがり火が灯っている。それを目印に進めば、必ず、彼らは無事に
目指す自分達の島に辿り着けるに違いない。

(さて・・・と)サンジは波に揉まれながらも、しっかりと進路を取って進んで行く
船を暫し眺めた後、港に目を移した。

武装した男達が既に自分に向けてそれぞれの武器を構えている。
その殆どが銃だ。

「人質の殆どは逃がしたぜ、どうする、チビ?」
大柄な男達に囲まれて、異様に目立つヒュダインを煽る様にサンジは目を細めて
そう尋ねた。
チビ、と言う言葉がヒュダインの勘に酷く障った様で、その形相が見る見るうちに
険しく、醜悪になる。

「どうせ、総攻撃は早くても明後日だ」
「それまでに首飾りさえ手には入れば俺達が負ける事はない」
(明後日?)サンジは不気味なほど落ち着き払った態度を装おうヒュダインの言葉に
耳を疑った。
ナミにはまだまだ及ばないが、サンジも海で育った男だ。海上の天候がどんな推移を
するかはおおよそ、見当がつく。
今夜これだけ海が荒れてはいるが、船は出せた。
明日には凪とは言えないにしても、これ以上、もう荒れない筈だ。
夜が明ければ逆にこの風と潮の流れに乗って一気にこちらの島になだれ込めば、
勝負はすぐに着く。
例え、ヒュダインの部下達がどれだけいて、どれだけ武装していようと、
ルフィやゾロの前でそれがどれほどの力になるか、考えるまでもない。

だが、「明後日」とまるで、リム達と戦線協定でもあるかのように、決戦の日を
確定しているかのような、ヒュダインの口振りがサンジには気に掛った。

「首飾りはどこへやった?」
「ベスお嬢さんの具合を見せてもらおう」サンジとヒュダインの言葉が
交互に交わされる。

「お嬢さんは無事だ。ただ、腹の中のモノまではわからんが」
「船医は産婆じゃあないんでね。切ったり縫ったりは出来ても」
「女の体なんて娼婦を抱く以外じゃあ触った事もない男だからどこまで治療できるか」

「ベスお嬢さんを見せるのが先だ」
船べりに足をかけ、腕を組み、港を見下ろして
サンジはヒュダインの言葉をそう高圧的な口調で遮った。
下らないゴタクや皮肉などには一切、興味がなく耳を貸さない。
サンジの冷静な顔付きがはっきりとそう物語っていた。
威圧でもなく、侮蔑でもない、積み重ねてきた経験と生き様が醸し出す
海賊としての風格、
グラインドラインの田舎島で海賊の下っ端をしていた男と、
賞金は掛っていないとはいえ、三億ベリーの賞金首である麦わらのルフィを
船長としている海賊団の戦闘員をしているサンジとでは、海賊としての格に
大きな開きがあった。
弱みを握られているのはサンジの方なのに、たったその一言で
ヒュダインは腹の底から得体の知れない恐怖を覚えて言葉を忘れる。

確かにベスは温かい部屋で手当てを受けていた。
だが、出血の所為で貧血が酷く、だが、寒い場所にいた所為で熱もある。
幸い、出血は止まった様だが、熱はまだ高い。
「腹の中の子供の生き死に関るから、滅多な解熱剤は使えない」と船医は
言った。
(どっちにしろ、このまま高熱が続けば腹の中の子も死ぬ・・)
ぐったりと眠ったままのベスを見て、サンジはそう思った。

(娼婦しか触った事がない)とヒュダインは言っていた船医だが、やはりそれも
ハッタリだった様で、腕も良く、知識も豊かだった。
彼はもともとリムの父親のもとで働いていた船医で、逃げられない様に、
足には重りが、両手には医療行為がどうにか出来るだけの鎖で繋いだ枷が
嵌められたままだ。
「若頭の子なら助けたいとは思うが、このままだとベスお嬢さんも助からない」
「熱を下げて状態が安定するまでどのくらい掛る?」
サンジはその船医にそう尋ねた。
「解熱剤を使えばすぐにでも・・・だが、それを使ったら子供が死ぬかもしれない」
「子供もベスお嬢さんも助かる解熱剤はねえのかよ」
サンジは優柔不断な事ばかり言う船医にイライラする。
「ここにはない、島に帰ってちゃんとした専門の医者に見せたら」
「対処の仕方はあるんだろうが」

「判った」サンジはそう頷いて、ベスの枕もとに顔を寄せた。

「お嬢さん、お腹の子供の為にどうか、あと2日、頑張ってください」

殺そう、と思った子供が流れるワケではなく、思いがけないとはいえ、授かった命だ。その命を失ったとしたら、それは女性にとってどれだけ心身の痛手になるか。
そんな経験をした事がなくても、高熱で唸りながらも頑なに解熱剤の投与を拒む
ベスの姿を見ていれば、例え男でも胸が痛む。
今、目の前に姿はなくても、ベスの中にはもう一人、守らなければならない人間がいるのと同じだとサンジは思う。

(首飾りの事をバラしたとたんに、あのチビ野郎、俺とベスお嬢さんを殺すかもな)

サンジはヒュダインが呼びに来る間にどうすべきかを考えた。
時間を稼ぐか、自分でヒュダインを始末するか。

「隠し場所、口では説明しにくいから、案内してやる」
「明日でも構わねえだろ」
「こう夜も更けてりゃ、探し出せるモノも探せねえだろうしな」

「首飾りはどこだ」と執拗に尋ねるヒュダインにサンジはそう言ってまず、
一晩の時間を稼ぐ。

そして、夜が明けた。

空はまだ雪雲に覆われて、相変らず風は強い。
その所為で視界は地吹雪に舞う雪に遮られて良くなかった。

昨夜のうちに降り積もった雪はサンジには不利だ。
足が新雪にズブズブと嵌り込んだら、蹴り技のスピードがどうしても落ちる。
だが、それならそれなりの戦い方をして、ヒュダインの本当の底力を思い知る前に
蹴り伏せてやろうとサンジは考えていた。

距離を取れば、足場を氷で固められる。
なら、近付いて不釣合いなほど大きな頭を蹴り潰せば簡単にカタがつく、と
サンジは嵩を括っていた。
(能力さえ発動させなければ、チビで頭の大きなただの雑魚だ)

「お前は、麦わらのルフィのところのサンジだそうだな」
翌朝、ベスの部屋にいたサンジのところへやってきたヒュダインが
心底嬉しそうに、サンジに向かってそう言い、
卑怯者まるだしの顔付きでニヤニヤと笑った。
「牢番が教えてくれた、お前が麦わらの仲間なら首飾りの場所はまた
後でゆっくりと聞こう」
ヒュダインの側にいる大柄な男は既に銃を構えている。その照準はサンジではなく、
ベッドに横たわっているベスの頭を狙っていた。
「麦わらのルフィに手紙を書いてもらおうか」
「殺されそうだから、この件から手を引け、あるいはヒュダインに味方してくれ、とね」

「ああ?そう言われて大人しく俺がそんなモン書くと思ってるのかよ」
サンジがそう言った途端、ベスの枕がまるで爆発した様に弾けて、
部屋中に真っ白な羽毛が舞い上がった。ヒュダインの腹心の男がサンジを威嚇する為に
ベスの顔ギリギリを狙って銃を撃ったのだ。

「指1本動かしてみろ、ベスお嬢さんの足を吹っ飛ばすぞ」

殺す、と言わずに足を撃つ、と言う言葉は凄みがある。
首飾りの秘密について口を割らせるつもりならどうあってもベスは生かしておかねば
ならない。そこをサンジに弱みとして握られているヒュダインにしてみれば、
殺す、と言えば脅し以外の何者でもないとサンジに見破られるが、

足を撃つ、あるいは、顔に傷が残るような怪我を負わせる、と匂わせる方が
サンジを心理的に追い詰める真実味のある脅しだ、と計算づくの事だった。

その計算どおりにサンジを縛り上げ、そしてまた牢屋に放り込む。
ただし、今度はその強情そうな口を割らせる為に自分の能力を使っての
拷問の為の拉致だ。

「仲間に氷づけの死体を見せたくないなら、さっさと吐いてしまえ」と
前置きし、ヒュダインは能力者になってはじめて、文字通り、「冷酷な」拷問を
開始する。


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