「寄り道をしたいって?なんだそりゃ」

もうすぐ、ログが貯まる。そうすれば、船はログが示す次の島へと舳先を向け、
碇を上げ、この島を後にする。

「・・・この島にやり残した事があるんだ」
サンジは、ルフィにそう言った。
寄り道をしたいから、自分はこの島に残る、と。

意味深な言葉を使うのは、仲間に詳しい事情を説明する気がない証拠だとも言える。
それを根掘り葉掘り聞いても、時間の無駄だ。
そして、きっと決して言わないサンジに事情を説明しろと詰め寄ったとしても、
サンジが抱えた荷物の重さを軽くしてやる事は出来ない。

仲間の誰もがそう思った。
サンジをこの島に置いて行くのか、それとも、サンジの我侭になど耳を貸さずに、
サンジを乗せて船を出すのか。

ゴーイングメリー号の甲板で、皆、固唾を飲んでサンジとルフィを見詰めている。

「楽しいのか、その寄り道」とルフィはあっけらかんとサンジに尋ねた。
「・・・さあな。楽しくなる様にするつもりだが」とサンジは相変らず、
具体的な事は何もいわない。
「寄り道ってのは、目的地があって、その途中でちょっとだけ、余所見をする事だろ」
「その寄り道をずっと、一人でつき進んでく気はねえんだな?」
「寄り道は寄り道で、必ず、ホントの道に帰って来れるんだな?」

そうルフィに尋ねられ、サンジはしっかりと深く頷いた。
「わかった」ルフィも、深く、しっかりと頷く。
「お前が好き勝手に寄り道するなら、俺もそうする」
「俺も俺の気の向いた時に船を出す」
「サンジ、」ルフィは真っ直ぐにサンジを見ている。
サンジの気持ち、サンジの抱えてしまったものの正体を見抜こうと言う眼差しではなく、
それを抱えたサンジごと、信じ切り、信じ抜く、力の篭った眼差しに、サンジは
名前を呼ばれたのに、返事さえ出来ない。
完全に、気圧された形でルフィを見つめ返すのが精一杯だった。

「お前エを待つか、待ちきれずに置いてッちまうかは、気分で決めるからな」
「もし、この港に船が無くなってたとしても、それは俺がこの島に退屈しただけだ」
「気が済んだら、根性で追い付いて来い」

そのルフィの言葉で、サンジの気持ちは完全に固まった。

きっと、皆、詳しい事情が聞きたいに決っている。逆の立場なら必死に聞き出そうとしているだろう。
それでも、誰も今、サンジにそれをしないのは決して薄情だからではない。
ゾロに対して想った事と同じ事だ。

誰にも、この不運な巡りあわせの枷の痛さと重さを味あわせたく無い。
だから、何も言えない。そんなサンジの気持ちを仲間の誰もが知っている。
お互いに、深く、大切に想い合うからこそ、聞けなかった。
その仲間の気持ちも、サンジにはしっかりと伝わっている。

(俺はなんて幸せなんだろう)と胸が痛くなる。
サーシャの孤独と荒んだ心を知っているからこそ、胸は痛い。

「絶対にどこにもいかない」とゾロと交わした約束は、まだ守られている。
船がこの島を離れようと、寄り道の目的が果たされたら、サンジは
まっしぐらに仲間と、ゾロがいる船へ帰る積もりだ。

サンジは、瓦礫の町を歩いて、サーシャの家に向かった。
何をどうすればいいのかなど、考えていても、そのとおりになどなる訳が無い。
ただ、一つだけ、サンジが彼女に与えられるとしたら、それは
穏やかな眠りだけだと思えた。

命の危険に怯える事無く、また、飢えで目を冴えさせる
事も無く、見ず知らずの男の汗に濡れた体で疲れ切って眠るのではなく、
心も体も満たされて、温かな温もりの中で静かに眠る。

たったそれだけの事が、どれほど幸せかサンジもゼフと出会うまで知らなかった。

ゼフが自分を愛してくれたように。
ゼフなら、きっとこうするだろう、と思う事をやろう。

体温を分かち合うような愛は、この世でたった一人の相手としか交わせない。
「あなたは僕の大切な人」だと、言葉で何万回言ったとしても、サーシャの
心には届かない。だったら、その気持ちを篭めて側にいればいい。
温めて、優しく包んで、労わって、穏やかに眠り、目覚めた朝の美しさを知り、
そんな朝を重ね続けて、いつか、もう一度、誰かを愛せる瑞々しい心を取り戻して欲しい。

(・・・俺に出来るだろうか)
同情なのか、責務なのか、自分でもよく判らない。
そんな気持ちのままで、あれほどゾロへの憎しみだけで今日まで生きて来た
サーシャの心を解すことが出来るのか。
サーシャの住む、朽ち掛けた家が見えてきた時、瓦礫を踏み締めてサンジの足が止まった。

今、引き返せば、サーシャを見捨てて、何事もなかった顔をして仲間と旅立てる。
そして、このまま足を進ませてサーシャと向き合えば、きっと、凄まじい感情の
ぶつかり合いになり、見捨てる以上に辛い想いをしなくてはならないだろう。

(引き返しても、進んでも後悔するなら、進む方がいい)
サンジは自分で自分を励まして、また歩き出した。

サンジは煤けたドアをノックした。
「・・・今日は休業よ」中から、力の無いサーシャの声が返って来る。

「俺だよ。・・・サンジ」
そういいながら、サンジはドアノブを回してみる。
ガチャリ、と音がしてそれは回った。

ベッドだけがやたら目立つ、粗末な部屋だった。
薄暗くて、なんとも言い難い、湿った嫌な匂いが充満している。

サーシャはベッドに腰掛けて、そこに横たえてある人形を覗き込んでいた。
「・・・あっ・・・・っ?!」
サンジは生まれたての赤ん坊にそっくりな人形を見て、思わず声を上げる。
(人形じゃねえ・・・ホンモノだ・・・)
だが、その赤ん坊の肌の色はもう、生きている赤ん坊の艶やかなものではない。
蝋人形の様に固まって、その所為で、人形に見えたのだ。

「何しに来たの?なんのお節介を焼きに来たの?」
抑揚の無い声でサーシャは言って、大事そうに横たえている赤ん坊の骸を、
優しくあやす様に掌で撫でた。
後ろ姿しか見えないサーシャの声は、感情を押し殺しているけれど、
それでも少し、震えている。

「その子は一体・・・・」サンジは玄関から入ったなり、棒立ちになったままだ。
「2ブロック先に、病院があったのよ」
「赤ん坊を産む為の病院よ。私、・・・その病院に通ってたの」
「時々、お腹が痛くて死にそうになるのよ。その薬をもらいにね」

眠っている子を起こさない様に、声を顰めて話す母親と変わりない声で
サーシャは淡々と話す。

「昨日もその病院に行ったわ。そしたら、その病院が燃えてた」
「瓦礫の下で、この子のお母さん、血まみれだったわ」

どうして、そんな病院までをも爆破しなければならないのか、サーシャには
分からなかった。そして、燃え盛るその瓦礫の下で、悲鳴を聞いた。

「誰か、・・・誰か助けてください」
動ける人間は、サーシャだけで、瓦礫の下から這い出てきて、どうにか
生き残っていたのも、その母子だけだった。

「しっかりするのよっ。」サーシャが差し出した手に、瀕死の母親は、
布に包んだ赤ん坊を手渡した。
「私よりも、この子を・・・今朝、生まれたばかりなんです・・・」
サーシャがその赤ん坊を抱き取った途端、安心したのか、その若い母親は
そう言ったきり、もう呼んでも、揺すっても、動かなくなった。

「食糧不足で、食べ物も手に入らないのよ」
「全身を火傷した、生まれて1日も経ってない赤ん坊を私にどうしろって
言うのよ」

そう言って、サーシャは泣いていた。
「君が悪いんじゃない」
「生まれて来た理由も意味も何にもない人間だっているのよっ」

サンジの言葉にサーシャは急に振り返った。
まるで、その赤ん坊を殺した、その罪が全てサンジにあるかの様に
激しい憎悪と悲しみだけが篭った視線をサンジにぶつけている。

「誰も怨むこともなく、夢を見ることだって出来ないままこの子は死んだわ」
「私とこの子、どっちが不幸か分かる?分かるなら、教えてちょうだい」

サンジはようやく、サーシャの側に歩み寄る。
激しいサーシャの問い掛けに、どう答えていいのか、分からなかった。
サーシャの吐き出した悲しみも、やるせなさも、この部屋の湿った空気に溶けて、
サンジはその中にいる。
呼吸をするだけで、サーシャの気持ちが体の中に沁み込んでくるような気がした。

名前も知らない赤ん坊の死が、とてつもなく悲しい。
自分の無力さがとてつもなくやるせない。
それよりも、その自分の気持ちを誰も拾ってくれはしないと言う孤独が、
一番、辛い。
そんなサーシャの気持ちをサンジは飲み込む。
胸がとても痛んだ。

「弔って上げなきゃ・・・可哀想だよ」
「その辺の土を掘って埋めとけばいいわ」
サンジの言葉をサーシャはバカにした様にそう言い吐く。

「・・・埋めて来てよ。もう触りたくないの」そう言ってサーシャは
ベッドから立ち上がり、サンジの横を忙しない足取りで擦り抜けた。
「一緒に行こう」サンジはサーシャを呼びとめる。
「こんな町でも、少しくらいは見晴らしのいい場所がある筈だ」
「一緒にこの子の為に泣いてあげるよ。俺にはそれくらいの事しか出来ないけど」
「余計なお世話だわ」サーシャはまた、サンジにきつい目を向け、
「同情のつもりで側にいるんなら、私はあなたを利用するわよ」
「ロロノア・ゾロを殺す為にね」と低い声で搾り出す様にそう言った。

(覚悟の上で、俺はここに来たんだ)サーシャの、ゾロへ向けている憎悪の
感情がそのまま、今自分に向けられている。そう感じながらも、
サンジは柔らかく微笑みを浮べて見せた。

「この子の弔いが終ったら、その話しはたっぷり聞くよ」
「それまでは、この子が天国に行ける事だけを祈ろう」そう言って、
サンジは硬直しきった、赤ん坊の亡骸をそっと抱き上げた。


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