サンジは何かを抱えている。
「俺を信じてくれ」と言う言葉がはっきりとゾロにそれを確信させた。

闇雲に何もかもを隠そうとはしない態度が、ゾロの不安に拍車をかける。
(こいつ・・・卑怯だ)と心の中になにかを隠し、それなのに、苦しいとだけ
素直に自分に体を預けて、鼓動を聞かせるサンジにゾロはそう思った。

信じてくれ、そう言われては何も言えなくなる。
何かを言い返せば、何か一言でもその言葉を口にした真意を尋ねれば、
サンジを信じられないと言ってしまう事になる。

だが、信じる、と言えば、サンジが何をしようと、何が起ころうと、
ただ、見守る事しか出来なくなる。そんな事が出来るくらいなら、
今、こんなに不安を感じてはいない。

「訳も聞いちゃいけねえか」いい様のない不安が苦しくて、ゾロはサンジの
背中に回した手にほんの少しだけ力を篭めた。
「どうして、一晩帰ってこなかったか」
「・・・・なんで、何も言わねえ癖に、信じてくれ、なんて言うのか」
サンジはゾロの腕の中で、大きく一つ深呼吸をする。
サンジは言葉を探している。それはゾロを欺く為の嘘ではない。
不安も労わりも、心の中にある感情全てを隠さず、傷付いた体をそっと抱き締めている、
その腕の中で嘘が吐ける程、サンジはずるくもないし、器用でもない。
そう信じ切って、ゾロは静かに、サンジの言葉を待った。
港に停泊している船が揺れ、船底にあたる波の音が聞える。その短調な音に少し、
飽きてくるくらいの間、サンジはずっと黙ったままだった。
だが、ゾロは決して急かさない。信じてくれ、と言うのなら、相手を信じさせるだけの
誠意が必要な事くらい、サンジは分かっている筈だ。

「いずれ、・・・・話す」サンジはそう言ってゾロから体を離した。
そして、本当に疲れた様に、ドサリと背中から寝床に倒れ込む。

「いずれ、か」
「それまで、お前はずっとそんな辛そうな面してるのか」
「それで、俺になにを信じろって言うんだ」

「・・・俺の選択する事が、今度こそ間違ってないって事をだ」
仰向けに寝転んだサンジは、どこか遠いところを見ている様な、
今目の前にはないけれど、それでもその見えない何かを必死に
目で追おうとするかの様な眼差しで天井を見上げている。
「お前の選択だと?」
「ゾロ」
サンジは横たわったまま、急にゾロの名前を呼び、そしてゾロの方へ顔を
向けた。
「どんな言葉を言えば、お前の不安が消える?」
「どうやれば、俺を信じてくれるか、教えてくれ」

そう言われてますますゾロの心は揺れる。
サンジの口から出る言葉の一つ一つ、瞳の揺らぎ、吐息、体の熱さ、
その全部が、ゾロを動揺させ、不安を募らせる。
どうして、サンジは、サンジだけは、自分をこんなに不安にさせるのか、と
ゾロの胸が痛くなる。
その痛みが苦しくて、ゾロは唇を噛んだ。
(・・・なんにも判らねえ方がずっとマシだ)

サンジの心の中にあるものを、全て見透かせたら。
あるいは逆に、サンジの心にどんなモノがあろうと、感じないでいられたら、
何も苦痛を感じなくて済むのに、とゾロは思った。

「なんで何も言わねえんだ」
「その訳が知りてえ」

愛しいと思う相手をなんの根拠もなく疑えない。
そして、サンジはゾロに対して、後ろ暗いから、何も言わずに隠そうとしているのでは
ないと言う事もゾロには分かる。だからこそ、聞かずにはいられない。

「・・・言いたくないからだ」
「虫が良過ぎる」

搾り出した様な声のサンジの言葉にゾロは間髪入れずに言い返した。
サンジはゾロから目を逸らさずにただ、唇を引き結ぶ。
いつも色々な感情が溢れている見なれた青い瞳が、とても、辛そうで、
ゾロには、今、その青色が酷く悲しい色に見えた。

サンジは何も悪くない。責めている、自分が悪い。
ゾロにそう思わせる程、サンジの眼差しにはその心の中を埋め尽くしている感情が
そのまま、くっきりと浮かんでいた。

頑固なまでに、意固地なまでに、サンジは何も言わない。どれだけ待っても、
言いそうにない。
こんなに自分は心を開いているのに、思い通りにならないもどかしさに、
ゾロは苛立った。
「どうして、何も言わねえっ・・・っ」
「そんなんで、俺になにをどう信じろって言うんだ、お前はっ」

ゾロの荒い言葉にサンジの口調も激しくなる。
「お前に言っても、無駄だからだっ」
「何イ?!」ゾロが言い返そうとした途端、
「俺を信じられねえんなら何も聞くなっ!!」とサンジは怒鳴り、
寝床からいきなり起き上がった。
「出ていけ!出ていかないなら、俺が出て行く!」

「わからず屋が・・・・」ゾロは思わず、サンジを殴りつけたいとさえ思った。
だが、そんな激情をぐっと噛み殺す。

(ダメだ、お互い頭に血が昇っちまった)こうなったら、時間を置く以外に
冷静に事態を見据える事は難しい。
「勝手にしろ」とだけ言い捨てて、ゾロは甲板に出た。

サンジは一体何を、あんなに頑なに隠そうとしているのか、
頭を冷やしてもどうしてもゾロは気に掛る。

正しい選択をする、という事はどういう事なのか、想像さえ出来ない。
サンジは何を正しいと思っているのか、をゾロは甲板の隅に座り込んで
じっと考えて見た。

顔を見、声を聞いていると、どうしても感情が揺さぶられてしまう。
静かに、ただ、頭の中でさっきのサンジの眼差しや言葉をつぶさに思い出しながら、
ゾロは
(「正しい選択」って一体、なんなんだ)と、その答えを出そうと思った。

まず、何故何も言わないのかを考えてみる。
後ろ暗いのでないのなら、仲間には言えなくても、自分にだけはそれを吐き出して
欲しい。そう思うのに、サンジは「お前に言っても無駄だ」とまで言った。
その言葉を思い出すと、サンジが感じる、痛みや重さを受け止められるのは、自分だけだと言う自信が、急に心もとなく思える。

だが、本当にそう思うのなら、サンジは何故苦しさや辛さを隠し切らないのだろう。
(くそ、)辛い。何も出来ない、何もしてやれない、させてもらえない。
それが辛い、とゾロは心の底から思った。

その感情を自覚した時、まるで、何かの啓示を受けたかの様に、ゾロは
サンジが必死に隠そうとしていた答えに気付く。

サンジが抱えている辛さが、今、それがなんなのか判らないと言うのに、
「辛い、もどかしい」と言う感情だけは、確かにゾロの心の中に住みついた。

辛さや痛みを、自覚もせずに吸い取ってしまったかの様に。
そうしたところで、サンジの辛さが半減する訳でもないのに、側にいて、
言葉を交わしただけで、サンジの苦しみを判ってしまうからこそ、
何も判らない状況なのに、息が苦しい。
そんなゾロだから、サンジは思ったのだ。

同じ、苦しみを背負わせたくない、と。

さっき体を寄せ合うように分かち合ったサンジの体の温もりが、まだ
移り香のように、ゾロの胸辺りに残っている。それが、サンジの本当の気持ちを
ゾロに教えた。
だから、サンジは頑なに口を閉ざした、そうとしかゾロは思えなかった。

(だったら、・・・尚更)
サンジの気持ちが判った所で、ゾロの苦しさは消えない。
何も知らず、もどかしさとやるせなさを感じる事しか出来なくても、
こんなに辛いと感じているのに、それでも、サンジは「正しい選択」をしたと
言うのだろうか。
考えれば、考えるほど、ゾロの心の中の不安は膨れ上がって行く。

「おい、起きてるか」
大声で怒鳴った事を謝る気はなかった。だが、これ以上不安が募れば、
力づくでもサンジに真実を問い詰めたくなる気持ちを押さえられなくなる。
気がつけば、さっき飛出した男部屋に戻って来ていた。

「ああ」
頭を冷やしたのは、どうやらお互い様だったらしく、ゾロの声に答えた
サンジの声ももう落ち着いている。

「さっきお前が聞いた事、答えに来た」とゾロは横たわっているサンジの側に歩み寄り、
そう言った。
「さっき?俺が聞いた事・・・?」そっぽを向いていたサンジがゾロの方に
寝返りを打つ。

「どうやれば、俺がお前を信じるか、俺に教えてくれって言っただろ」
「ああ、・・・言ったな」
ゾロは側に腰を下して、サンジの目を覗きこむ。
もう無理にサンジが隠そうとしている何かを覗き見ようと思うのではなく、
その心の中が今、穏やかかどうかだけを知る為だ。
静かだけれども、苦しさも切なさも苦しさも、少しも薄れずにその瞳の中に
息づいているのがゾロには見える。
「何を背負うつもりなのか知らねえが・・・お前、一人で、それを背負うのか?」
「背負うんじゃない、ただの寄り道だ」

ゾロの質問にそう答えて、サンジは か細く笑った。
その少し無理をしている様な綺麗な笑顔に、ゾロの胸が軋む。
無意識に、本当の気持ち、真実の言葉を強請る様に、サンジの頬に手が触れていた。

「どこにも行かないって・・・約束してくれ」
「そうすれば、信じられる」
「・・・安心出来る」
そう言うと、サンジは深く、ゆっくりと頷く。
「約束する・・・、絶対にどこにも行かねえよ」
「今度こそ、お前を傷付けたり悲しませたりするような真似はしない」
それがサンジの言う、「正しい選択」の意味だ。
それが分かった時、ゾロの心の中にあれほど充満していた不安が
化学変化を起こしたように、サンジへの愛しさに変わる。

「分かった。信じる」
抱き締めたい、と言う感情がお互いの体を引寄せる。

ゾロがサンジの言葉に答えた時にはもう、ゾロの腕の中にはサンジがいて、
そのしなやかで優しい腕は、しっかりとゾロの背中を抱き締めていた。


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