ゾロに渡されたメモを頼りに、チョッパーは一人でサーシャの家を訪れた。

いつ、どこで誰に銃で狙われ、爆薬を投げつけられるかわからない。
この島では、誰もが愚かな闘争本能に飲み込まれてしまっている。
安全な場所などどこにもない。そんな場所を一人で歩くのだから、チョッパーは、
一時も気を抜けなかった。

それでもどうにか一度も危険な目に遭う事無く、目的地に辿り着く。
そして、訪ねた家の中へとサンジに招き入れられ、チョッパーは一人の女性を診察した。

(…誰だろう)初対面の女性を見、チョッパーは当然、そう思う。
何故、サンジは「寄り道」をしたい、とまで言って、彼女と関わろうとしているのだろう。
チョッパーもゾロ同様、疑問に思った。が、それは、医者として知るべき最重要事項ではない。

チョッパーは、疲れ切った青い顔をしてぐったりとベットに横たわる女性の体をくまなく診察する。

「…彼女、…どんな具合だ?」
ようやく診察を終えると、その頃合を見計った様に、
サンジは少し離れた場所からチョッパーにそう尋ねて来た。

「…この人、名前は?」
チョッパーはサンジを振り返ってそう聞き返した。
「サーシャ…って言うらしい」サンジは、少しだけ口ごもってからそう答える。
「…北の海の人なんだよね?ゾロから…少しだけ事情は聞いてるけど」
チョッパーは、どう説明するかを考えながら、質問を重ねる。

仲間として知りたい事、医者として伝えなければならない事が頭の中で交差する。
だが、チョッパーはサンジの心配そうな顔を真正面に見据えて、医者としての言葉を優先した。
もう一度、ベットの上の患者、サーシャを見やり、まだ深く眠っているのを確認してから、
「…すぐにもっと詳しく体中を調べた方がいい。これ以上、手遅れにならないうちに」と宣告した。

「…え…?」
チョッパーの言葉が聞き取れなかった所為ではなく、その意味が咄嗟に理解出来なかったのだろう。
サンジは呆然とした顔で立ち竦んでいる。

「…サンジ。この女の人、…誰だ?」

サンジにとって、サーシャが何がしかの縁のある人間なら、その病状をサンジは知る必要がある。
だが、いつもの様に彼女に惚れた、恋に落ちた、と言う浮ついた、それだけの縁なら、
サンジは彼女にとって赤の他人だ。どんな病気であれ、上っ面の心配をしたいだけなら、
関わらない方がいい。

医者として、チョッパーは彼女の病状を彼女の家族にこそ その真実を話すべきで、
家族がいないのなら、彼女にのみそれを伝えなければならない。
病状が深刻であるなら、尚更だ。
だから、チョッパーは仲間としてサーシャが何者かを知りたかったのではなく、
医者としてサンジとサーシャの関りについて尋ねたつもりだった。

「…だから、彼女は、サーシャって名前で、北の海の出で…」
「サンジとこの人はこの島で偶然出会っただけで、…何の関りもないんだね?」

チョッパーは、なるべく素っ気無く、特にサンジの胸の内を探ろうともしない風を装って、
サンジの言葉を遮る。
余計な言葉をたくさん並べ立てられては、何が嘘で何が本当なのか、何が必要で何が不必要な情報なのかが分かり辛くなる。
チョッパーは出来る限り端的に、真実だけを見極めたかった。

「…ない」サンジは一瞬、躊躇う様に沈黙し、それからこれ以上ない程シンプルに答える。
そして、その答えに対し、チョッパーもこれ以上ない程、素っ気無く答えた。
「じゃあ、彼女の病状をサンジが知る必要ない」

彼女とは関わりがない、とサンジは言う。(…嘘だ)とチョッパーは思った。
仲間として聞くなら、その言葉はとても疑わしい。
だが、医者としてその言葉の意味を捉えるなら、サンジの「彼女とはこの島で出会っただけで、
なんの関りもない」と言う答えを疑い、伏せられている真実を躍起になって掘り返そうとは思わない。
そんな事は、どうでもいい事だ。大事なのは、如何に病巣を治療し、如何に回復させるか、
彼女にどれだけ生きようとする気力があるか。
それらを考え、実行する事をチョッパーは何よりも優先しなければならない。

だが、医者としてのチョッパーの決断に、サンジはすぐに不満を示した。
「ちょっと待てよ。彼女を診てくれって、俺が頼んだんだぞ」
「少しぐらい説明ぐらいしてくれてもいいだろう。どんな具合なのか、聞く権利が俺にはある筈だ」
「…こんなに具合が悪そうなのに…」
毅然としたチョッパーの態度に気圧されたのか、らしくない歯切れの悪い口調で、サンジはそう言う。
が、チョッパーは自分の意見を曲げる気はない。

「サンジが、この人の病状を知ったところでどうするんだよ」
「サンジが俺に頼んで、俺が医者として責任持って診た以上、この人を放り出す事はしないよ。だけど、サンジは、この人となんの関りもないんだろ?だったら、この人の病状を知らなくていいよ」

そのチョッパーの言葉を聞き、サンジの顔にはっきりと戸惑いの色が浮かんだ。
チョッパーに、こんなに突き放された言い方をされるとは、恐らく夢にも思っていなかっただろう。
「…誰が怪我をしようと病気になろうと、いっつもちゃんと診立てを言ってくれるじゃねえか。なんで、今回は何も教えてくれないんだ」

取り縋る様なサンジの言葉を聞いて、チョッパーは即座に言い返す。
「…言っただろ。他人のサンジが知ったところで、それで、どうするんだって」
「中途半端に同情してるだけなら、聞かない方がいい」

「それとも、」

チョッパーの中にある可能性が首をもたげた。
それを目で確認する為に、サーシャを振り返る。
そうしながら、さらにチョッパーはサンジに尋ねた。

「…サンジは、この人を支えて上げられる?何よりも、この人を支えてあげる事を優先出来る?」
「…そのつもりだ」チョッパーの質問にサンジは一切、迷いのない様子で答える。
「…仲間でもない、つい最近会ったばかりの他人なのに?」

サンジから、どんな答えが聞きたくて、こんなに辛辣な言葉をぶつけているのだろう。
自分でもその理由が分からないまま、チョッパーはサンジに向き直る。

そして、サンジの顔をじっと見詰め、チョッパーはハっとある可能性に気付く。

向日葵色の髪、鼻筋、輪郭、肌の色合い。きっと、目を開ければ、その瞳の色も同じに違いない。
サンジと、ベットに横たわっている女性をチョッパーはもう一度、見比べてみた。

(…この二人…血の繋がりがある)
「…どうして、隠さなくていい事を隠そうとするんだよ、サンジ…?」
自分の中に突然、沸いた疑問の答えが知りたくて、サンジからなんの答えも返ってこないうちに、
チョッパーはそう詰め寄った。

ゾロから、サンジがこだわって、関わろうとしている女性の話を大よそは聞いてきた。
だが、その姿を見たのはチョッパーが初めてだ。
誰だって、サーシャとサンジをよくよく比べてみれば、血を分けた姉と弟である可能性に気が付く筈だ。
これほど、似ているのだから、気が付かない方がどうかしている。

それを何故、サンジは最初に言わないのか。
気付かれないで済むのならその方がいい、と言う事なのか。
何か理由があり、それがサンジの心を曇らせているのなら、その曇りを取り去りたい。
仲間が心悩ませているのなら、力になりたい。
チョッパーがそう思うのは当たり前の事だった。

「…この人の病状を知りたいんだろ?支えてあげたいと思ってるんだろ?」
「…それほど大事に思っている人なんだったら、…隠さないで教えてくれ」
「この人は誰だ」チョッパーはもう一度、同じ質問をし、サンジの答えを待つ。
「…俺もよく覚えてない」
これ以上、隠そうとするのは無意味だ。そう観念したのか、サンジは力なくそう言った。
「俺も、彼女も、物心ついた時には、それぞれ一人ぼっちで客船に乗ってたからな…」
「…お前が思った通り、多分、…俺達は、同じ親の血を引いてる」

サンジは、彼女との繋がりを、姉と弟だとも家族だとも言わなかった。
多分、その実感がない所為だろう。
「…そうか」チョッパーは小さく頷き、そして、考える。

サンジは、彼女を支える、と言った。
きっと、サンジがそう言うのなら、今は、彼女が最期の時を迎えるまで、
心穏やかにいられる様に最善を尽すだろう。

そこまでの覚悟があるのなら、(…サンジには、話そう)とチョッパーは決断する。
「わかった。じゃあ、俺の診立てを言うよ」

そう言って、チョッパーは真っ直ぐにサンジを見据える。

「…さっきも言ったけど、もっと詳しく体中を調べた方がいい」
「今、出血した場所だけを診たけど、悪性の腫瘍がある。それも相当、進行してる」
「一刻も早く、…腫瘍ごと、その周りの器官、全部を切除しなきゃ助からない」
「それでも、…もっと奥にも腫瘍はあるかも知れない…。全然違う場所に転移してる可能性もある」

自分の口から出る辛い言葉を聞く毎に、サンジの顔が強張っていく。
そして、そのサンジの胸の内を思えば、チョッパーの胸も苦しくなる。
だが、これは紛れもない真実であり、サンジが受け止めなければならない現実だった。

「このまま、放っておけば、余命は三ヶ月」
「もしも、他の臓器に転移してたら…、それよりもっと短くなるかも知れない」

最悪の結果だけを伝え、楽観的な事は何一つ言えなかった。
他の臓器に転移していなければ、子宮やその周辺ごと、病巣をごっそり摘出すれば助かる可能性もある。

だが、皮肉にもサーシャは若く、それだけに病巣が子宮周辺だけで留まっているとは考えにくい。

チョッパーの言葉に動揺したのだろう。サンジは、表情だけでなく、全身を強張らせてチョッパーの前に
立ち尽くしていた。

「…手遅れだって言うのか…?」と呟く声が少し震えている。

「わからない。だから、詳しく調べなきゃいけないんだ」
「助かる可能性を見つける為に、精一杯出来る事をする」
「だから、…一日も早く船に連れて帰らなきゃ。船の上が一番、安全だから…」
そう言うと、サンジは「…分かった」と小さく頷く。

「皆には、俺の口から詳しい事を話す。彼女を連れて帰るまで、…誰に何を聞かれても、
何も話さないでくれ」と言うサンジの言葉に今度はチョッパーが頷く。

(…サンジは、まだ何かを隠してる)とチョッパーは直感的に思った。
だが、今は何も聞かない。
自分の保身の為ではなく、サンジは何かを守る為に頑なに真実を隠そうといる様な気がするからだ。

(きっと、あの人を船に迎え入れたら、サンジは何もかも話してくれる)
(その時まで待とう)

そう思い、チョッパーは来た道を逆に辿り、
重病人を手厚く看護する為の部屋をどう設えるかを考えながら、仲間が待つ船へと戻って行った。


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