「俺は、今、1人の女性と一緒にいる」
「同じ北の海で生まれて育った人だ・・・・。その人と、今は一緒にいたいんだ」
言葉は、一度口に出して人を傷つけてしまったら、もう取り返しが付かない。
体に付いた傷は、時間と薬が癒してくれるが、心を刺した言葉の罪はそう簡単に
清算出来ない。
だからこそ、サンジは今まで固く口を閉ざしていた。
だが、ゾロは真っ直ぐに、気持ちをぶつけてきた。
それは、サンジを苦しみから助けてやるんだと、自分が自己満足する為ではない。
あくまで、共にその苦しみを背負う為だ。
そう感じたから、サンジは覚悟を決めた。
全てを抱え込んでいる事が苦しくなったから、ゾロにその半分を背負わせる。
ゾロはそう望んでいるけれど、サンジには、そんな気持ちは全くない。
(これ以上、何も言わずにいたら、こいつを苦しめるだけだ)
そう思ったから、腹を括った。
何も話さず、ただ、黙っているだけの事が、こんなにゾロを苦しめているのなら、
今の状況だけは話しておこう、と。
それを聞いてゾロの気持ちがどう変化するか。
それを考える時間さえないままに、真実を、偽りない気持ちを、本当に大事な事を省いて口にしてしまった。
「・・・女?北の海で生まれて育った・・・?」
サンジの言葉をゾロが鸚鵡返しに聞き返してくる。
想像さえしていなかった答えが返ってきた事にとても驚いている様だ。
その感情を、ゾロは隠そうとも、誤魔化そうともしない。
「・・・なんでその女と」
「それは・・・」サンジは言葉に詰まった。なんの言葉も用意出来ていない。
真実を言えば、どうなるだろう。
サンジは、サーシャに出会って、その生い立ち、素性を聞いて、関わりを持ってから
ずっと何度も考えていた事がまた頭に過ぎった。
考える度に、同じ答えを弾き出して来た筈だ。
自分の血を分けた姉を幸福の絶頂から、不幸のどん底に叩き落した男が誰なのか。
それをゾロに言えば、きっと、驚くに違いない。
過ぎた過去の事だと、割り切るだろうか。
姉と弟の身の上に起こった事に接点はない、お前が罪を感じる事はない、と言い切るだろうか。
ゾロがそう言ってくれる男だったなら、サンジはきっと何もかもを全て、ゾロに話せた。
(俺の姉を不幸にしたのはお前だ)
(だから、その罪を俺が替わりに漱ぎたいんだ)
(俺は、お前が不幸にした女性を、せめて幸せに生きていける様になるまで見守りたいんだ)
そう言えたなら、何も苦しまなくて済む。
だが、言えば今以上にゾロを苦しませる事になる。
サーシャは、サンジにとって、やっと巡り合えた、たった一人の肉親なのだ。
今は、肉親の情、と言う感情で、誰よりも大事にしたい、とサンジが思っているその
サーシャが、ゾロを恨み、憎む事で身を汚し、体を削って生きていたと知ったら、
きっと、ゾロはサンジに対して負い目を感じるだろう。
自分に対して、一片の負い目も負って欲しくない。
これから先、一体どれくらいの時間を共に生きていけるか判らない。
だからこそ、そんなわだかまりで、見えない隔たりをゾロのとの間に作るのは嫌だ。
そう考えて、サンジは同じ事を何度も考え、その都度、何度も自分に言い聞かせて来た。
(絶対に言わねえ)
サンジはもう一度、自分の中でしっかりとその言葉を繰り返す。
どう誤解されても、心の中にやましさがなければ、下らない誤解などすぐに解ける。
「・・・同郷の人だからってだけが理由じゃ納得しねえか」
嘘などなにもついていない。だからやましさなど感じないでいい筈なのに、
一番大事な事が欠けた言葉を言うのは、まるで嘘をついているのと同じ感覚を
サンジに感じさせる。
サンジのその言葉を聞いた、ゾロの表情の中に僅かに憤りが混ざった。
「・・・お前らしくねえ言い草だ」
「いつもは俺が納得しようが、納得しまいが、やりたい事を勝手にやってる奴の言う事じゃねえな」
サンジの心の中にあるものを炙り出そうとするかの様なゾロの眼差しを、サンジは敢えて、真っ向から受け止める。
嘘は言っていない。ゾロを騙すワケでもない。
そう自分に言い聞かせて、サンジは勇気を出してゾロを見返した。
何もかも、ゾロを苦しめない為、これから先、それぞれ別の道を歩み出す日まで
共に歩く道のりに、持たなくていい荷物を持たない為だ。
何故、その女と?と問うゾロの質問に答えずに、サンジは言えるだけの真実を口早に
ゾロに話した。
「その人が病気なんだ」
「今も禄に頭も上げられない状態で、家に置いて来た」
「一人きりじゃ、きっと今頃、心細い思いをしてる」
「だから、早く帰るって言ったんだ。これで事情がわかっただろ」
サンジはそこまで言い、勝手に話を終わらせてゾロに背を向ける。
そのサンジの背中にゾロの声が追い駆けてきた。
「・・・そんなに重病なら、ここへ連れてこればいいじゃねえか」
「寝たきりの女を一人、こんな戦火の町に置き去りにしてくるのも・・・てめえらしくねえ」
「てめえがそこまで、思い入れしてる女なら、ここへ連れて来たって誰も文句は言わねえだろうし、それがお前の寄り道だって言うなら、皆もスッキリするだろうぜ」
サーシャが、実の姉でなければ、あるいは、サーシャの夫を殺したのがゾロでなければ、
ゾロの言うとおり、船に連れてきて、手厚く看病してやれた。
変えようのない事実でサンジはだんだん身動きが取れなくなってくる。
「・・・俺の勝手でした事で、皆に迷惑掛けられねえ」
矛盾していると思うのに、そんな言葉を残して、サンジは逃げる様にゾロの横を
摺り抜ける。
「連れて来いよ。それとも、俺に会わせられないワケでもあるのか」
ゾロの言葉にサンジは思わず足を止めた。
(・・・なんでそんな事に気づくんだ。そんな素振りは微塵も見せたつもりはねえのに)
心臓の鼓動が早くなっている事を必死に隠して、サンジは顔だけを僅かに傾けて
ゾロを振り返った。
「・・・ああ?なんだ、そりゃ」
ゾロの口元は皮肉っぽく笑っている。だが、緑色の眼は全く笑ってはいない。
「その女に本気で惚れたとか」
そう言ったゾロの眼に、今までサンジが見た事もない、嫉妬の炎がゆらゆらと燻り始めていた。射抜く様な、その眼差しを受けた途端、サンジは文字通り、射竦められる。
魂ごと、食い尽くされる。そんな怖さを初めて、ゾロに感じた。
それでも、ゾロの猛った気持ちをどうにか静めようと、当たり障りなく、いつもどうりの飄然とした口調を装う。
「・・・俺ぁ、レディに惚れる時はいつでも本気だが」
そう言うと、ゾロの眉が吊り上がった。
次の瞬間、胸倉を掴まれ、そのまま力任せに壁に叩きつけられる。
(・・・ツ・・・)後ろ頭と背中を強かに壁にぶつけ、体勢を整えようとしたが、
もう遅い。
ゾロの手がサンジの首に伸びる。
(・・・ぐっ・・・)凄い握力で喉を押えられ、息も出来ない。声も出せない。
サンジは、そのまま強引に床に引き倒された。
(・・・この馬鹿力っ・・・)どうにかゾロの手を引き剥がそうと、サンジはゾロの手を力任せに掴み、体を捻って、必死に足掻いた。
「・・・さっき、俺の側を摺り抜けた時、妙な匂いがした」
「てめえの匂いじゃねえ」
「女の匂いだ」
サンジの首を片手で押さえつけながらゾロは低い声でそう言った。
「匂いが移る位エの事、やったのか」
「仲間と別行動になろうが、一緒にいてえ、って女だ」
「何日も一つ屋根の下にいりゃ、お互いそんな気になってもオカシクねえ」
ゾロの嫉妬むき出しのその言葉を聞いて、サンジは愕然とする。
ゾロがこんな誤解をするとは、全く想像もしていなかった。
「・・・びょ・・・」(病人だって言っただろうが)と怒鳴り返したくても、喉をがっしりと押えられていて、声が出せない。
「てめえが女に尻尾振ってヘラヘラするのはなんともねえ」
「だが、寝たんなら、話は別だ」
そう言うと、ゾロは空いているもう片方の手でサンジの髪を鷲づかみにし、身動き出来ない様に拘束して、唇を押し付けてきた。
(・・・・違う、このクソ馬鹿野郎が!)
跳ね除けたいと思っても喉と髪を押えられていては、どうしようもない。
ゾロはサンジの唇を食み、荒い呼吸を吐き、無理矢理で、理不尽で、腹いせをぶつけるかの様な、乱暴な行為をしようとしている。
きっと、誰かがその現場を見ていたら、そうとしか見えなかっただろう。
だが、ゾロの口付けはいつもよりずっと荒んでいても、決してサンジを汚そうとはしていない。それはサンジ自身が一番、分かっていた。
言葉をいくら欲しがっても、サンジはゾロが満足行く答えを与えない。
それに焦れたゾロが仕掛けた、この荒い愛撫は、芝居に過ぎないのだと。
これ以上、口付けていれば、きっと心の中の何もかもを見透かされる。
そうでなければ、何もかもをゾロに打ち明けてしまいたくなる。
それが判っているから、サンジは暴れるのをやめ、ゾロの背中に腕を伸ばした。
他の誰も、心に入れる隙間などない。
誰を一番大事に思っているのかを伝える為に、ゾロの背中を抱き締めた。
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