第三章 「戦火の町」


「どこにも行かないって・・・約束してくれ」
「そうすれば、信じられる」
「・・・安心出来る」

ゾロは、サンジにそう言った。
何故、どうして、と言う理由が分からなくても、痛みや辛さを分かり合える程
自分達の心は繋がっている。
だからこそ、サンジは自分が抱えているものをゾロに背負わせまいとして、
口を閉ざした。それが分かっていても尚、ゾロは苦しくて、サンジに救いを求めた。
そして、そのゾロにサンジは答えた。

「約束する・・・、絶対にどこにも行かねえよ」
「今度こそ、お前を傷付けたり悲しませたりするような真似はしない」

そのサンジの言葉には、嘘も誤魔化しも偽りも意地もない。
だから、ゾロは強く頷いた。
それは、サンジの言葉に対する答えでもあり、自分自身に言い聞かせる為でも
あった。
口から出て行く言葉が、心の中で同じ様に響き、そしてしっかりと刻み込まれる。

「分かった」サンジを、何があろうと、
「信じる」、と。

けれども、人の気持ちはとても脆い。
サンジを信じる、何があろうと疑ったりしない、と思い極めていても、
姿が見えず、声も聞かない時間が重なると、少しづつ、不安が募っていく。

自分だけではなく、仲間にさえサンジは何も言わなかった。
信じあっているからこそ、何も言わず、そして仲間も何も聞かずにサンジを送り出してしまった。
今更、それを後悔しても、どうしようもない。

サンジからの連絡はもう、何日も経つのに一切、なかった。
この島での内戦は日々、激化していると言う。
(・・・無事でいるんだろうが・・・)
硝煙の混ざった風の匂いも、もう嗅ぎ慣れたけれども、日が昇っている間は
嫌でも戦火によって焼かれていく町の様子が目に入る。それを見るにつけ、ゾロの頭の中に、
頭から血を流していたサンジの姿が過ぎる。

無事な顔を一目でも見れば安心出来る。きっと、不安を感じている内に、
いつの間にか、心の中で頭をもたげてきた、言いようのない灰色の思いも、
サンジの無事な姿を見て、一言、三言、言葉を交わせば綺麗に拭えるだろう。
そう思っていた矢先だった。

その日、その時、偶然、ゾロは1人で船番をしていた。
チョッパーは、人手の足りない病院を見るに見かねて、怪我人の治療に、
ナミとルフィはそれに付いて行った様だ。
ロビンとウソップは、おそらく、町の状況を把握しに情報を収集しに出掛けたのだろう。

「なんだ、・・・お前だけか」

人の気配を感じて、甲板から港を覗き込むと、サンジがそこに立っていて、
船を見上げていた。そして、ゾロを見るなり憮然とそう言った。

「・・・寄り道はすんだのか」
ゾロは逆にそう聞き返した。サンジは答えずに、いつもと何も変わりない様子で
船に乗り込んでくる。

「・・・チョッパーは?」
「いねえ」

その短い会話を交わして、ゾロはすぐに気付いた。
サンジが自分から目を逸らし、視線を合わせまいとしている事に。
だが、それを不満に思い、訝しいと思っても、詰問は出来ない。

サンジを信じる、と言い切った以上、どんなに不安、不満、不信があろうと、
それを貫かねば、嘘をついた事になる。

「チョッパーになんの用だ」サンジに自分の心の乱れを感じられたくない、とゾロも
いつもとなんら変わらない態度を取ろうとした。
「どこに行ったか、知らねえのか」
サンジはゾロと目をあわす事無く、そしてゾロの質問にも答えない。
そんな仕草を目の当たりにして、歯痒くてならない。
何も真実を言ってもらえないのと、嘘を吐かれていると言う事と、どう違うのか、
そんな感情がゾロの心を掠めた。
それでも、ゾロはまだ、自分の感情をぐっと噛み殺して、平然を装う。
「知らねえ。怪我人の治療に行く・・・とか言ってたが」
「そうか・・・」サンジはそう言うと、小さくため息をついた。

その次の瞬間、落ち着きなくゾロから逸らそうとさ迷わせていた視線が、
何かを探し当てたかのように、一点に定まる。

何かをゾロに言いたげだ。それを言うべきか、言うまいか、迷っている。
僅か数秒、沈黙したサンジの姿を見て、ゾロはそう感じた。

仲間には決して言わない。
だが、ゾロには自分が抱えている重荷の、その訳を話して、楽になりたい。
誰にも言うまい、と頑なだった筈のサンジの心が、ゾロの姿を見、声を聞いた事で
揺らいだ。
思い上がりではなく、はっきりとゾロはそう思えた。
(言え。言っちまえ)、とゾロは言葉には出さずに心の中でサンジに呼びかける。
苦しいのなら、それが、1人で持ちきれないくらいに苦しいのなら、尚更、
一緒にその苦しみを感じたい。そんな思いで、じっとサンジを見つめて、ゾロは待った。

けれども、サンジは口に銜えていたタバコを指で挟み、煙と一緒にさっき吐いた
ため息よりも、もっと大きく深いため息を吐き、それが吐き終ってから、
何かを振り切るように、「また、来る」と背を向けた。

「チョッパーに用があるってことは、薬か、治療が要るんだろ」
「それが分かってて、帰られちゃ、俺が後でチョッパーに非難されちまう」
「あいつが帰ってくるまで、ここで待て」

ゾロがそう言うと、サンジは立ち止まった。
「・・・そんな時間はねえんだ」
「早く、帰らねえと・・・」

「どこへだ」ゾロは一歩も動かず、ただ、声だけでサンジを引き止める。

訳は聞けない、だが、もう、何も知らないまま、訳の分からない不安に苛まれて、
心の中が灰色になっていくのを自分で自覚し、それを何とか振り払おうと足掻くのに
いい加減、疲れてしまった。

自然に、語気が荒くなる。
問い詰めたりしない、と思っていても、口調は無意識にそうなってしまった。
「・・・どこだっていいだろ」と無愛想に言い返されても、もう、引き下がれない。
「チョッパーが帰ってくるまでは、帰す訳にはいかねえ」
ゾロがそう言うと、サンジは渋々、と言った風に顔だけを少し傾けて、
「病人を診てもらいたかったんだ。俺が怪我してる訳でも病気になった訳でもねえよ」
「だから、出直すつってんだ」そう言った。
その声も、いつもの感情が剥き出しになったかのような勢いがない。

むしろ、胸の中に詰まっている感情を爆発させまいと、出来る限り感情を
表に出さないように必死になっている。そんな風にしかゾロには見えなかった。

「・・・その病人の面倒診るのが、てめえの寄り道か」
ゾロがそう言うと、サンジはゆっくりと振り向く。

「だったら、なんだ」
これ以上、俺を引き止めるな。お前には何も言う気はない。

やっとゾロを見た、サンジの目はそう言っている。
その目を見た時、ゾロは、腹から唐突に怒りがこみ上げ来るのを感じた。

「・・・なんだよ、てめえのその言い草は・・・っ!」

自分の気持ちを分かっていながら、サンジはそれを拒絶している。
そこにサンジなりの想いがある、と理性では分かっていても、
愛しいからこそ、その苦しみを共有したい、と言う感情が空回りし、
そのゾロの想いは、なにもかもがただの独り善がりな思い込みなのだと、
ゾロ自身に思い違いさせるに十分な、強烈なもどかしさとなった。

そして、そのもどかしさが、あまりにも強烈過ぎて、怒りに変わったのだ。

「勘違いしてんじゃねえぞ、」と手が勝手にサンジの胸倉を掴んでいた。
「てめえが1人で抱え込めばそれで済む、誰もなんとも思わねえ、なんて
虫のイイ勘違いしてんじゃねえぞ!」

それからは、口が勝手に動いた。
所詮、感情を押し隠して、何食わぬ顔で向き合えるほど、ゾロは器用ではない。

信じる、と言った気持ちに嘘はない。
ただ、どんな事があっても信じ抜きたい相手だと思うからこそ、吹き出た感情だった。
抱えきれないのなら、一緒に背負いたい。そう思ったからこそ、出た言葉だった。

そして、その感情はサンジの心に築かれていた壁を粉砕する。
思いがけないゾロの行動に、サンジの表情は、一瞬だけ、強張った。
だが、ゾロの心とサンジの心は一つに繋がっている。
向き合って、ゾロが感情を爆発させれば、その感情がサンジの心に流れ込み、
サンジの心にも同じ感情を呼び起こす。
無表情を装っていた表情が、動揺で強張り、そしてゾロの怒りを受け止めて、
サンジの心にも、同じ感情がわきあがった。

「・・・勘違い・・・だと」
険しい表情を浮かべて、サンジはゾロを見返す。

「てめえが隠そうとすればするほど、俺は、・・・俺達は苦しいんだって事くらい、
なんで分からねえ!?」
「こうやって、てめえにそれをぶつけたら、もっと苦しい思いをさせる」
「だから誰も何も聞けねえ、それに甘えてる事になんで、気がつかねえ?!」

その言葉が、どんな風にサンジの心に作用したのかは、ゾロには分からない。
自分が今、どんな顔をしているのかさえ、ゾロには分からなかった。
ただ、その純粋な想いに突き動かされて出た激しい言葉と感情に、サンジの心が
変化した事だけは、確かだ。
「・・・分かったよ」
サンジの顔から険しさが消えた。
「確かに、そうだ。皆が俺に何も聞かない訳も分かってる・・・」
「それを分かってるくせに、何も言わないのは甘えてるって言われても仕方ねえよな」

サンジは、静かにゾロを真っ直ぐに見て、唇から余計な言葉が出ないようにと、
一度だけ、小さくコクン、と息を飲む。
そして、言った。

「俺は、今、1人の女性と一緒にいる」
「同じ北の海で生まれて育った人だ・・・・。その人と、今は一緒にいたいんだ」


戻る    次へ