二人だけになって、そして、素直にサンジの料理の感想を述べた。

それだけなのに、サンジとの会話がいつもよりもずっと弾む。
二人だけなら、どことなくぎこちなく、面白くもない、皮肉や当てこすりしか口にしなったのが嘘のように、
ゾロとサンジは極自然に 会話を楽しんだ。

「お前、子供の作り方って、幾つの時に知った?」
ママの味を男が作るのが恥かしい、と言ってすぐにいきなりサンジは話題を変えた。

「子供の作り方ア?」ゾロは 思い掛けないサンジの子供じみた言葉に眉を片方だけ上げ、
飽きれたような笑みを浮かべた。

「そう。具体的に、だ。」サンジの目が穏やかに笑っている。
そんなほのかな表情を見るのも 初めてで、ゾロは皮肉を言ったり、バカにしたりする気が全く起きなかった。

「お前はいつなんだよ。」
ゾロはその問いに答えず、逆に聞き返す。
今は、自分の事を話すよりも、もっとサンジの事を知りたいと言う興味の方が強かった。

「俺は、12歳くらいの時かな。」
サンジが幼い頃の事をゆっくりと煙草の煙を吐きながら話し出す。




「なあ、ジジイ。」
その日、サンジはスープに、コンソメロワイヤルを作る、と言われて大量に卵を割るようにとゼフに言われた。

コンソメロワイヤルというのは コンソメスープに卵を加え、蒸し上げて固まらせた、スープだ。

卵を殻が入らないように、丁寧に割っていたサンジは、隣で 他の料理の下準備をしているゼフに声をかけた。

「どうして、いつもこんな小さな卵ばっかり仕入れるんだ?」
「もっと、大きな卵を仕入れれば、一回ですむのに。」手を休めず、サンジはゼフに聞いて見た。

「あ?もっと大きな卵だと?鶏の卵以上にでかいとなりゃ、
カルガモの卵か。あんなもん、不味くて食えたもんじゃねえ。」
とこちらも手を休めずに答える。

「違う。鳥じゃない。もっと大きな動物の卵。」

「もっと大きな動物の卵?」ゼフはサンジの言葉を鸚鵡返しに聞きかえす。
その手はせわしく動いている。

「うん。牛とか、象とかの卵さ。大きいんだろ。」

ゼフの手が止まる。
まじまじとサンジの顔を呆れたような、珍しい動物を見つけたような目つきで見た。

「・・・なんだよ。」一向に答えが返って来ないのに、
ゼフの作業の手が止まったことを耳だけで感じたサンジが怪訝な声でゼフの答えをねだる。

「お前、幾つだ。」
「12歳になっただろ。」ようやく返ってきた答えは、サンジの問いに答えるものではなく、新しいサンジへの問いかけだった。そして、サンジはそれに即座に答える。

「・・・12歳か。・・・。」そう呟いて、ゼフは作業を再開する。

海で生きること、料理をする事、自分の身は自分で守る事。
それ以外の事は何も教えていなかったことにゼフは気がついた。

そして、鼻で笑った。
牛の卵?
象の卵?

バカだ、バカだ、と思ってたが、そこまでバカだとは思っていなかった、と
サンジの真剣な意見を思い出して、その無邪気さが可笑しかった。

「牛や象は卵は生まねえ。」
「ええっ!!」サンジは意外なほどの声を上げて驚いた。

ゼフは、作業を止めて サンジの方へ顔を向ける。
今から説明する事に一体 どう言う反応をするか、見たかったのだ。

「人間は?何から生まれるんだ?」サンジは大きく目を開いてゼフに聞く。

「そんな事も知らないのか。」
からかってやろう、とゼフは考える。

「人間は、キャベツから生まれる奴もいるし、鳥が運んでくる奴もいる。」
「果物の中から赤ん坊が出てきて、うっかり切りそうになった事もある。」

サンジの目がますます大きく開く。
「本当か、ジジイッ?!」



「・・・ってなことをジジイが言うもんで、俺はしばらく、「キャベツを切るのも、果物を切るのも怖かったな。」

ゾロはまた、意外なサンジの過去を知って 可笑しさよりも意外な気がした。
女を見れば デロデロと纏わりつくのだから、きっと早熟な少年だったのだろうと勝手に予想していたのだ。
それが、12歳で御伽噺のようなゼフの戯事を信じて、
びくつきながら 野菜や果物を切っていたという 無垢で純真な少年だったと聞いて驚いた。

「で、本当のことはいつ、知ったんだ。」

「それから一年くらい・・・いや、すぐだったかな?」と
あまりはっきりした記憶ではなかったらしいが、それでもサンジは その続きをゾロに聞かせる。



サンジがキャベツやレタス、かぼちゃなどをびくつきながら切っていた頃のある日、
マダム・クレインが 夜の営業前の休憩時間に
二人によく熟した、いかにも 美味そうな、大きな西瓜を持ってきてくれた。

「チビナス、切ってこい。」と言われ、サンジはそれを厨房で切ろうとしていた。
が、その西瓜はよく 中身が入っていると見て、かなり重い。

(もし、赤ん坊が入ってるのに 切刻んじまったらどうしよう。)

ポンポンと叩いてみたり、耳を当てて中の気配をうかがってみたり、重さをもう一度確認してみたりしていたら、
マダム・クレインが厨房に入ってきた。

「何やってるの?早く食べないと開店時間になっちゃうわよ?」
「あの、・・・これ、赤ちゃんが入ってるかもしれないから、俺切れないよ。」

「え?」
鳩が豆鉄砲を食らう、と言う言い方があるが、マダムの顔はまさにそれだった。
「何言ってるの?」

まさか、12歳の少年がそんな事を大真面目に言うなど 彼女には信じられなかったのだろう。
サンジは、もう一度、
「だから、果物の中に赤ん坊が入ってる事があるって。この西瓜、すげえ重いから、
きっと中にいるんだよ。うっかり切って、バラバラの赤ん坊が・・・。」
そこまで話すとマダムはいきなり 吹き出した。

「そんな事、誰が言ったの?クソジジイね?バカなことを!」
マダム・クレインは腹を抱えてひとしきり 笑い転げた。

サンジは、なんだかとても恥かしい事を言ったような気がして、頬が火照る。

「あのね。人間は果物や野菜から生まれるんじゃないのよ。」
この少年は、本当にゼフの教える事を 全て真実だと思っているのだと
マダム・クレインは感じて、その小さな向日葵色の頭を優しく、
愛しげに撫でた。

「それを切ってごらん。食べながら本当の事を教えてあげるわ。」



「・・・で、教えてもらった。子供の出来る、理論。看護婦だったから、
実に判りやすくて、でも、色気のねえ話しだった。」

サンジの言葉をゾロはもっと詳しく聞こうと 引っかかった言葉をそのまま聞きかえす。
「なんだ、理論って。」

サンジは立ち上がって、ゆっくりとした動作でゾロに酒を用意する。
その間、後むきで背中ごしの会話になった。
「だから、精子がどうの、卵子がどうのって話さ。」
「オスとメスがいて、子孫が残せるんだとか、そう言う話だった。」

「で、色気のねえ話しってどう言う事だ?」
サンジが振りかえり、二つ持ったグラスの内、一つをゾロの前に置いた。
そして、また、椅子に腰掛ける。

「精子と卵子は交尾する事によって受精する。そして、子供が出来る。」
「そんな風に話すんだぜ。さっぱり訳がわかんねえ。」
「交尾ってなんだ?って聞いたら、もう、開店時間が迫ってきてて、聞けなかったし。
でも、それで初めて 人間は人間から人間の形で生まれてくるもんだって知ったんだ。」

ゾロはそこまで聞いて、あの尼僧がその「マダム・クレイン」なのではないか、と
やっと気がついた。

「あの尼さんがそのマダムなのか。」
「さっきの料理をお前に教えたのも、あの尼さんなんだな。」

サンジは瞳だけで頷いた。
「こんな所にいるなんて、夢にも思わなかったけどな。」
「ジジイに知らせてやりてえけど・・・。」
サンジの蒼い瞳の光りが僅かに曇った。


アラバスタを出航して、まだ二人がお互いの気持ちに、
いや、自分の気持ちにさえ気がついていなかった頃だ。

ゼフはイーストブルーでまだ、健在だった。

「二人の間に何があったのか、詳しい事は判らなかった。昨夜、あの人に会うまではな。」
「いきなり、姿を消しちまったから。」

ゾロに煙りがかからないようにするためなのか、顔を僅かに傾け、
大きな溜息のように 煙草の煙を吐き出した。

ゾロはほんのわずか、サンジの口調がほんの僅かに重くなったと感じて
「どうして、お前はその人から料理を習ったんだ?」と
その口が自然に解れるような話題をふった。

どうして、サンジの過去の事をこんなに知りたくて、
そして、それを一つ知るごとに 「嬉しい」と言う感情が沸くのかゾロには 判らない。
自分の心の中の事なのに、理解できない。

けれど、それを不快だとは思えない。そして、それをまた、不思議に思いながら、
サンジの話しに耳を傾けていた。

「俺が海軍から返ってすぐの頃だった。だから、14か、15歳だ。」

気を取り直したのか、サンジは再び、懐かしく、暖かな思い出を話し始めた。

グラスの中の氷が 涼やかな音を立てる。


その日は、大勢の予約客が入っていた。
もう、住み込みのコックが何人かいて、大人の、経験豊かなコックに
負けたくないとサンジは 睡眠時間も食事の時間も休憩時間も削って努力した。

料理の腕はもちろん、腕っ節もだ。
ゼフに準じる存在であり続けたかった。

そんな頃、朝起きると頭が酷く痛む。
体が不調を訴えるなど 初めての事だった。

酷く目の奥が痛んで、起きるのが辛かった。
が、そんな事で休んでいられない。鏡で自分の顔を見たら、真っ赤になって、
(・・・病人みてえだ。)と思った。

(・・・お?)良く見ると、顔に赤い発疹が出ている。



「14歳で麻疹か?遅いな。大変だっただろ。」そこまで聞いて、ゾロはサンジの病気を言い当てた。

「良く判ったな。」サンジは思わず ゾロの顔を驚きを隠さないままで見た。
「熱が高くて赤い発疹が出て、その面に後が残ってないんなら麻疹だろ。」
「俺は、道場通いしてた、もっとガキの頃にかかったぞ。」と話しの腰を折らない程度に自分の事も話す。

そして、
「でも、お前の事だからそのまま 仕事したんだろ。」

そりゃ、そうだ。
ジジイに「頭が痛いから休ませてくれ」なんて、言えるわけネエだろ。


少年の癖に、生意気で、口も足癖も悪いサンジが体調を崩しても、バラティエのコック達は 気にしながらも、
ゼフにそれを伝えるような事はしなかった。

そんなお節介を焼けば、「余計な事をするんじゃねえ。」と生意気な声変わりしたてのかすれ声で罵倒され、蹴り飛ばされるに決まっている。

その頃には、サンジの仕事ぶりにすっかり安心して、新しく雇ったコックの仕事の方に関心を払っていたゼフはサンジの容態に全く気がつかなった。

誰にも気がつかれないまま、40度近い熱を出しながら、
サンジは仕事を休まず、三日間、いつもどおりに仕事をこなす。

が、4日目。
朝、朝食の時間にフロアへ行く途中、夜勤明けで尋ねてきたマダムクレインの
船が強くなってきた風に煽られながら、バラティエに近づいてくるのを 開くのが辛いほど痛む目で捉えた。

看護婦である、彼女は、ふらつきながら甲板を歩いているサンジの姿を一目見て、
船を接艦させると 足早に駆け寄ってきた。

「どうしたの?」と声をかけられ、
「どうもしないよ。」と無理に笑って見せる。

ゼフには 体が辛いと言えなかった。意地でも、仕事を休みたいとは言いたくなかった。
マダム・クレインに対しても同じつもりだった。

が、額に柔らかい掌が添えられた時、サンジは意識がふっと遠のくのを感じた。

「あなた、麻疹にかかってなかったの?」
マダムは、サンジの顔を見て、すぐに病名を悟った。
「いつから熱が出てるの?」

まだ、背が伸びていたと中で、サンジはマダムと同じ位の背丈しかなった。
マダムのふくよかな身体に凭れると、サンジの熱を孕んだ体からどんどん力も、思考能力も失せて行く。
「三日前から頭が痛かった・・・・。」

マダムはサンジを引き摺るようにして、その部屋に連れ戻した。

「どうして、誰かに言わないの?麻疹は手遅れになったら大変なのよ?」
テキパキとサンジを着替えさせると また、忙しなく部屋から出て行った。

(・・・波が荒れてるな・・・。嵐が来るかもしれねえ・・・。)
ベッドに横たわると、船の揺れを立っている時以上に感じる。
サンジは 胸が苦しくて息がしにくくなっていることが辛かったけれど、
頭が痛すぎて眠る事も出来ず、朦朧としていた。

嵐がこれば、客は来ない。
そんな日は バラティエは唐突に店を閉める。

「今から、船を出す?バカか、お前っ!」
ゼフの部屋では マダムとゼフが大声を上げて言い争いをしていた。

「バカはあなたでしょう。三日もあの子の様子に気がつかないなんて。」
「すぐにでも医者に連れていかないと手遅れになるわよっ。」

「オニババア、てめえ、看護婦だろう、なんとかしろ。」
「薬もないのに、なんとかできるもんですかっ」

「この嵐の中、あんな小船を出して無事に港まで辿りつけるわけネエだろう。」

思いの他大きな嵐で、このバラティエを操舵するだけでもゼフの指示なしでは
転覆する可能性がある。だから、ゼフはここを離れられない。
それに、大きな船が着岸できる港へ今、この暴風雨の中移動するのは
いくら もと海賊船の船長をしていたゼフにも難しい事だった。

「一番近い港まで、凪いでる時なら10分もかからない距離よ。」
「風をうまく受けられれば 5分もかからないでしょう。」

止めて、止めるような女ではないとゼフは充分に知っていた。
気の強さと言ったら、自分の部下どもの女房だった女達にも引けを取らない。
だが、自分と同じ心で サンジの事を案じてくれる気持ちを持っているのも、
このオニババアだけだと言う事も判っていた。

だからこそ、いくらサンジを医者に見せるためとは言え、荒れ狂う海に大切な二人を送り出すわけには行かない。

「せめて、風がおさまるまで待て。」

今行けば 二人共を失うかもしれない。
さんざん言い争ったが、海の恐ろしさは ゼフは誰よりも良く知っている。なんとか、マダム・クレインを説き伏せた。

「大丈夫よ、ただ、熱が高いだけだから。」

生まれて初めての高熱で、サンジは不安になっていた。
が、穏やかなマダム・クレインの声に安心した。



「それから、マダムは俺を病院に連れて行ってくれた。」

ジジイが船を操って。
マダムが俺を体全体で包む様にして。

「あの時マダムが来なかったら、俺は死んでたかも知れねえ。」

そして、仕事の合間を縫って、サンジの回復に合わせ、手料理を持って来てくれた。
そのうちの一つが、今日、サンジが作った料理だった、と言った。

「ママの味・・・か。」
ゾロはもう、食べ尽くして一欠けらもなくなった料理の味を思い出した。

確かに、いつのもサンジの料理とは 明らかに違っていた。
けれど、そこに、マダム・クレインと呼ばれていたあの尼僧がサンジに抱いていた想いを確かに感じられる、優しい、ぬくもりのある味わい深いものだった。

「あの人は、ジジイを俺を含めて全部、愛してくれてた。」
「今でもそうだと思った。」
「なのに、ジジイとはもう会う気はないって言うんだ。」

サンジは空になった自分のグラスに酒を注いだ。
ゾロはいつもよりも ペースが速いとゾロは思った。


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