はじめて、まじまじとその男の顔を見たのは、その時だったような気がした。

女を見れば、だらしない表情を浮かべる、自分とは対極の位置にある、決して理解し合える事など
出来ない男だと ずっと思っていた。

ルフィと言う媒介がなければ 出会う事などなかっただろうし、
一生 どこにも接点がなく、興味も沸かない存在に過ぎなかった。

こんな表情をするんだ。

自分に対してではない、見た事もない 初老の女性、尼僧の格好をしているところを見れば 
その生涯を神とやらに捧げたその女性へ微笑み掛けた表情に、ゾロの目は引きつけられた。

それが、はじめてサンジの顔をじっと見た、最初だった。

その日の事をサンジは知らない。
ただ、ゾロははっきりと覚えている。

こんな、表情をするんだ、と自分に向けられたわけでもない その笑顔に
一瞬で 何かが奪われた、その日の事を。

ナミやビビなどに向ける 媚びた笑顔ではなかった。

素直な、優しい、そして、どこか 甘えるような 
飾らない、ありのままの感情を露出させたサンジの顔。

特別な関係になった今でも 滅多に見られない。
だからこそ、ゾロは今だに その笑顔を覚えていた。

恋人
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まだ、毎日のように喧嘩ばかりしていた頃だった。
どうして、思いどうりにならない事にこれほどイラつくのだろう。

自分の予想をなにもかも、ことごとく裏切る。

言動、行動、服装、仕草、なにもかもが気にいらない。
視界に入ると、どうしても 気になって、相手の言葉尻を捉えては 突っかかって、喧嘩になる。

「そんなに俺が嫌いかよ」と真顔で、真剣な顔で言われた時、
言った本人より、言われたゾロの方が胸が無意味に痛んだ。

「ああ、嫌いだ。」と答えればいいのに、ゾロは言葉が出てこなかった。

無言でサンジを睨みつける。
自分で自分の心の中に芽生えた 好奇心以上の何かが 一体なんなのか
判っていないのだから、無理もなかった。

が、サンジにしてみれば 口を開けば皮肉、嘲笑、罵倒の言葉しか
掛けて来ない男に 心底イラついていた。

海軍や海賊と戦う時はいい。が、平穏無事、暢気に航海している時に限って、
やけに絡んでくる。
サンジは忙しいのだし、寝ていてくれる方がずっと精神上いいと思うのだが、かといって、
全く無視するのも なぜだか 心が咎める。

バラティエにいた時も気に食わない男はたくさんいた。
いや、サンジに気にいられている男など誰もいなかった。

だから、突っかかってきた相手には 遠慮なく 蹴り飛ばし、
あるいは、まるで 眼中にないかのように振る舞い、黙殺していた。

なのに、ゾロが絡んでくると 
毎度 毎度 流血沙汰の大喧嘩に発展するまでの騒動になるのを
判っていて、本気で頭に来るのだが、
何故だか 必死で相手になってしまっていた。

そんな自分に腹が立つのか、絡んでくるゾロに腹が立つのか
判らないが、とにかく、サンジも ゾロの顔を見るのが嫌でない割りに、
イライラするのだ。
「そんなに俺の事が嫌いかって聞いてんだよ。」

大体、自分は素手で(と言うか 足で)相手をしているのに、
この男は 抜きはしないが 刀を振りまわしてくる。
こっちも包丁を持ち出してやろうかと思うけれど、食べ物を扱う 包丁をこんな むさい男との喧嘩に
使うのもバカらしくて そんなことは考えるだけで 実際にはしない。

が、今日は珍しく ゾロも素手だった。
喧嘩のネタは覚えていない。

サンジはゾロを蹴り倒し、その上に馬乗りになっていた。
そして、詰問したのだ。

「そんなに俺が嫌いかよ。」と。



初老の尼僧に出会ったのは、二人がそんな間柄の頃だった。



かなり大きな島だった。
とても、一日二日で この島全部を見る事など出来ない。
この島を全て見るには、少なくとも 2ヶ月は滞在しないと
行けないだろう、とナミが言うほど 大きな島だった。

が、そんなこの船の船長は そんなつもりはなく、
面白そうなところだけ行って見たい、と言う。

ログが貯まるのに、100時間ほどかかるので、とにかく、
海軍の目に触れない、地方の小さな港に停泊する事にした。

「物価が高い!」と自分の私物の買い出しに出たナミが愚痴り、
そこは、やはり、海賊の本業として
強奪でもしなければ、次の島までの食料や備品、医療品など
とても買えそうになかった。

それに、さすがに医療品は強奪できない。
適当に病院に押し入ったとしたら、その薬が必要な患者がいるかも知れない、、
医療品だけは金を払って購入しなきゃだめだ!と
チョッパーが力説してので、食料だけでなく、金も必要になった。

金がない、と言う訳ではない。
ただ、ベリーと違う通貨に両替したら 貨幣価値が全く違っていたのだった。

「悪い奴から金を巻き上げるぞ!」とルフィはウソップ、ナミ、チョッパーと。
ルフィの暴走を止めるためと、好奇心を刺激して
余計な騒ぎを起させないためのメンバーで、本来の目的、
「お宝の強奪」はついでみたいなものだ。

だが、本命のゾロとサンジは違う。
島に立ち寄る海賊船を襲い、積荷を奪うなり、金を奪うなりして、
資金を稼ぐのが目的の組み合わせだった。

ナミの提案にサンジが首を振らない訳はなかった。
ゾロは、正直、そう言われた時、心中、物凄く複雑な思いに囚われた。

サンジと二人で海賊船を襲う。
今回、そんな事は始めての試みだった。

そりゃ、楽しそうだ、と咄嗟に思った。

サンジの戦う姿を見た時、こんな戦い方があったのか、と
武器を全く使わず、相手の肉体にダメージを与える。
命を奪う。その威力に驚いた。

ルフィと出会う前、たくさんの海賊を相手にしてきたが、
なんの武器も持たないで戦う奴はいなかった。
どんなに体術に長けていても、ゾロの前では 必ず、なんらかの武器を持って
向かってくる。

あの、アラバスタで戦った、「スパスパの男」など、体術のレベルは
サンジの足元にも及ばない物だったけれど、全身が鋭い刃物だった。

だが、肉体だけを使って戦う、「悪魔の実」の力をもたないただの人間は、
おそらく グランドラインでもサンジ一人かもしれない。
その戦いぶりをつぶさに見られるのなら、「楽しいだろうな。」と思うのも ゾロとしては当然の事だった。

だが、きっといっしょに行動する間中、ずっといがみ合っているのだろうなと予想はつくのに、
ナミが言う、「二人の仕事」をサンジが嫌がり、別行動を望んだら
きっと 自分は落胆するだろうと言う自分の頭の中のどこから そんな突飛な予想もした。

「ナミさんのお言葉だ。仕方ねえ。」とサンジは意外な事にゾロと行動を共にする事を拒まなかった。

ゾロがサンジと行動する事を「面倒だ。」と言ったら、胸くそ悪イな、とサンジは思っていた。

別に一緒に行動したかった訳ではない。
一緒にいるのが面倒だと思われるほど嫌われていた所で

きっと、平気だ。

ゾロに好かれるなんて 有り得ないし、自分がゾロに好かれる要素など
何も持っていない事くらい自覚している。

好意など持って貰わなくて結構。
仲間としての信頼だけで充分だ。

ゾロに好意を持つ必要もないから、嫌われていても 一向に構わない。

そんな風に自分を誤魔化そうとしていることさえ、自覚していなかった。

お互いの心の中にある 漠然とした何かを持ちながら、
二人は港に 海賊旗を掲げて入港してくる船を片っ端から襲った。

二人が組めば、どんなに大型の軍船であろうと、大人数の海賊だろうと、一たまりもなかった。

3日で5隻の海賊船を静め、賞金も、金も宝も充分に手に入った。

別行動しているルフィ達と合流するまで暫く 時間がある。
二人は 一緒にいた。

顰めた顔をつき合わせながらも、相手が
自分の側から離れて行った時の淋しさを予想して、けれど、それを自分の中でさえ押し殺し、
相手に決して悟られないようにしながら、
まさか、お互いの心の中に全く同じものがある事を思いもしないで ずっと一緒にいた。


「なんで、てめえのためだけに飯を作らなきゃならねえんだ」
「てめえ、コックだろうが。俺が腹減ってるって言や、黙って飯作れ。」

「偉そうに、腐ったもんか、そうでないもんかさえ わかりゃしねえのによ。」と
相変らず憎まれ口をききあっていた。

空が真っ赤にそまり、二人の影が石畳に長く伸びている。

港町から歩いて一時間もすれば、田舎だけれどとても 美しい村があった。

そこで作られた野菜がこの島一番の美味だと 聞いて
船に帰りつくのが夜になるのを判っていても、サンジはわざわざ足を伸ばしたのだ。

付いて来い、など一言も言わなかった。
ただ、「野菜を買いに行く」とだけ言ったら、
当然のように ゾロは付いて来た。
「なんで、付いてきたんだろう?」とサンジは正直、疑問に思った。

が、不思議と鬱陶しいとも、迷惑だとも思わず、
付いてきた訳も尋ねなかった。

ただ、なんとなく、嬉しいと思う気持ちが胸の中に むくり、と湧き上がったのを
また、ゾロへ暴言を吐いて押し潰した。

「ここだな。」

剥き出しの土の上に素朴な家屋が肩を寄せ合うように立ち並び、
初めて見た景色なのに ゾロもサンジも懐かしく感じるような風がその村には吹いていた。

元気な子供の笑い声が聞こえる。
立ち話をしているのか、賑やかな女たちの声も聞こえる。

サンジとゾロはその村に足を踏み入れた。


「野菜を買いに来た?」
どう見ても 堅気には見えない 佇まいの二人を訝しんで、姦しく井戸端で
お喋りに興じていた女達の視線が気恥ずかしかったが、
サンジは構わず、いつもどおりの柔らかな物腰で その婦人達に自分たちの目的を言い、
その入手方法を尋ねた。

「たしかに、その野菜は夕方に取る物だけど でも、もう市場の方へ運んでいったよ。」
「どうしても手にいれたいのなら、修道院に行けばいい。」と快く 人の良さそうな農婦が教えてくれた。


「てめえがグズグズすっから、余計な手間がかかっちまったじゃねえか!」と
早速 修道院へ向かう道でサンジが絡んでくる。

「お前が煙草休憩だなんて言って、あちこちで暢気に煙草を吸ってっからだろ!」と
ゾロもサンジのやつあたりに言い返す。

そこからさらに30分ほど歩くと修道院に辿りついた。

「あ〜あ、日が暮れちまったなあ。腹減っただろ。」
修道院の呼び鈴を押し、中からの返答を待っている間、サンジは空を見上げて、言葉を吐いた。

「あ?」
ゾロは耳を疑う。サンジが自分の腹具合を気にして、自然に掛けてくれた言葉にドキリと心臓が鳴った。

多分、思い掛けない言葉だったから、驚いただけだ、とゾロは即座にその動悸を分析した。

「腹が減っただろ。」とサンジはもう一度言い、ゾロの方へ向き直る。

さっきの分析の結果が見当違いだったと ゾロは意外なほど申し訳なさそうなサンジの声を聞いて、
「当たり前だ、お前の自己満足でこんなに遠くまで来る羽目になったンだぞ。」と
言う言葉を吐こうとしたが、喉からそんな言葉は出てこず、
「いや、まだ、大丈夫だ。」と全く頭の中の言葉とは違う言葉が飛出した。心から、直接口をついて出てきたように。

「まあ、こんなに遅くにどうぞ、お入りください。」と
ちょうど ゾロやサンジと同じくらいの年の頃の尼僧が扉を明けてくれた。

「いや、俺達は野菜を分けてもらえれば・・・。」とサンジが恐縮する。

(さすがに尼僧相手にナンパはしねえみてえだな。)とゾロは素のサンジを見てほくそ笑んだ。

「いえ、どうぞ。この村には宿はありませんし。粗末な寝床ですが、お泊まりください。」


なんて、無防備なんだろう、と二人とも思った。
そして、顔を見合わせた。

「さあさ、どうぞ。」と奥の方から明るい、品のよさそうな、張りのある声が聞こえた。

サンジは、若い尼僧ごしにその声の主を見た。
ゾロはサンジのその横顔を何気なく見ていた。

若い尼僧が捧げ持っていた、ほのかな蝋燭の光りがサンジの薄い色の肌を照らしている。
その僅かな光りだが、ゾロははっきりとサンジの蒼い瞳が大きく見開かれ、驚愕の表情が顔中に広がって行く瞬間をまざまざと見た。

サンジの唇から出た、
「マダム・・・あの、マダム・クレインじゃありませんか?」と言う言葉が穏やかな笑みを
浮かべていた初老の修道女の顔に僅かな表情の変化をもたらした。

「どうして、この男は私の事を知っているのか?」と言う疑問がはっきりとその尼僧の顔から、
微笑みを薄れさせた。

「俺です。バラティエの・・・サンジです。」
「覚えていませんか?」
サンジは、若い尼僧を遠慮がちに押しのけ、初老の尼僧のまん前に立った。

ゾロはサンジが女に対して、だらしなく媚びた笑いを浮かべている姿を何度も見てきた。
戦いの最中であってもそうだった。

けれど、初老の、自分の親に近い年の尼僧相手に何をそんなに必死になっているのだろう、とゾロは少し
興ざめしたような顔でサンジを見ていた。

サンジの背中ごしに、初老の尼僧の表情が見えた。
「まあっ・・・・あなた、あのサンジなの?」
「随分、大きくなってっ・・・。」

尼僧はサンジの頬を両手で撫で、二人はまるで 久しぶりにあった母子のように抱き合って、
再会を喜んだ。

「さ、どうぞ。」
二人が喜び合っている横で所在無く立っているゾロに
若い尼僧が微笑み、修道院の中に招き入れてくれた。


修道院の中には、10人ほどの尼僧がいた。
来客が珍しいのか、二人は温かくもてなされたが、
サンジはまるで ゾロの事など全く 眼中にないようで、
「マダム・クレイン」と呼んだ、初老の尼僧とずっと話し込んでいた。

バラティエのサンジ、です。だと。

そう言ったサンジの言葉がゾロの耳にのこって苦々しい。
早々にあてがわれた部屋に引っ込んだ。
粗末なベッドに仰向けに寝転がり、明かりも付けずに天井を睨みつける。

「マダム・クレイン」に向けていた、サンジの顔が目に焼きついた。
天井を見ているはずなのに、浮かんでくるのはさっき見た、素直な、優しい、笑顔だった。

あんな顔をするんだ。

ナミにも、ビビにも、誰にもあんな顔を見せた事はない。
どうして、あの顔ばかりが目に浮かぶのか、とゾロはイラついて眼を閉じた。
けれど、やっぱり、浮かんでくる。

なんなんだよ、一体。とゾロは寝返りを打つ。

知り合ってまだ 日が浅いのだ。
知らない事が多くて当然で、まして、口喧嘩以外禄に言葉を交わしていない。サンジのことなど 別に知りたいと思った事もないし、思わないけれど。

サンジはなぜ、あの特別な笑顔をあの尼僧にだけ向けたのだろう。
あの尼僧はサンジのなんなのだろう。

眠ろうとしても、そんな事を考え始めると目が冴えてゾロはなかなか眠れなかった。


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