「コバトちゃんが呼んでるぜ。」
サンジがそう言うと、ゾロは黙ったまま、驚いた表情を露骨に現してサンジに向き直る。
腹の底を探り合うように黙ったままで二人はお互いの顔を見つめていた。
何事もないような風で、サンジが声を掛けてくる。
(アホか、俺は)とゾロは瞬時に思った。
いつもの光景、いつもの態度。
自分が頭を下げなければ絶対に口も利かないか、
あるいは、自分の感情を押し殺して無表情を決め込むかして相手にされないと
思っていたのに、
それがいい意味で予想が外れて嬉しい、そんな自分の気持ちにすぐにゾロは
自覚して可笑しくなったのだ。
「おう。」
と、こちらも気安く答えるが、頬の緊張が緩んでいく。
忙しい下船準備の最中だと言うのに、もう少し、声を聞きたいし、
もう少し、自分だけに用があって近づいて来たサンジを独占したかった。
「なんの用だって?」とゾロは手を休めずに尋ねる。
「知らねえよ。」
ぶっきらぼうにそう言うと、サンジはすぐに背を向けてしまう。
「俺ア、今手が離せねえんだ。お前が相手してろ。」とゾロは慌てて呼びとめる。
すると、本当に鬱陶しい、と言いたげな表情を露骨に見せて、
サンジは顔だけをゾロの方へ振りかえった。口の端に咥えた煙草を
苦々しい顔付きで噛み潰している。
そんな顔付きを見て、ホ、とする自分がまた可笑しくて、
ゾロはつい、照れたような微笑を浮かべ、サンジを見る。
「何が可笑しい」とサンジは明らかに喧嘩腰で威嚇するような目つきをしているが、
その方が(こいつらしいからな)とゾロは安心する。
「お前の人間離れした眉毛が可笑しいんだよ。」とゾロはマストの上から
悪態をつく。
「あ?今更何言ってやがる」と答えるサンジの機嫌の悪い声、
それでも感情を押し殺さずに、
自分に接してくれる事がその声音がゾロに教えてくれる。
ゾロは、昨日の失言を許されているような気になった。
なんの努力も背ずに、自分の失敗の帳尻があったようで、ホっとする。
だが、事はそんなに簡単に解決出来る筈もない。
「コバトちゃんはお前がいいんだとさ。」とサンジは突き放すように言うと、
また、ゾロを拒絶するように背を向けてしまう。
ゾロは「おい、待てよ。」とマストから慌てて、思わず甲板へ向かって、
身を躍らせた。当然、穴が空きそうなほどの衝撃で甲板の板が大きな音を立てる。
サンジはその耳障りな音を耳で聞き、その響きを胸で受けとめた。
また、イヤな軋むような痛みが心臓をざわめかせる。
(飛び降りてくるか。)そんなに慌てて、コバトちゃんのところに行くのか。
そう思った自分に、サンジはまた、煙草を食い千切るかと思うほどの力で
噛み締める。
「島に着いたら、買い物に付合え。」
すぐにコバトの居場所を尋ねてくるか、と身構えていたサンジに、
ゾロは思い掛けない事を聞いて来た。
「なに?」とサンジは背を向けたまま、僅かに顔の角度だけを変えて
ゾロを振り返る。
「なんで俺がお前の買い物に付合わなきゃならねえんだよ。」
久しぶりに、心と口が一緒の動きをし、
心の中に浮かんだ言葉は喉を通過し、唇から息を吐くような自然さで
流れ出てきた。その作業は胸の中になんの澱みも残さない。
「俺が買い物をしてえからだ。」とゾロは両手を腰にあてて、
ふんぞり返って答える。サンジの目からみて、
(一体、なんのつもりで)こんなに横柄に言うのか、全く理解出来ないほど、
無意味に大きな態度だった。
「一人で行けねえのか。」とサンジは珍しいゾロの意味不明な我侭を持て余し、
顔を顰める。が、決して本気で面倒くさがっている訳ではもちろんない。
ただ、他の乗員が忙しく働いているのに、こんなに暢気に
じゃれているのは気恥ずかしかった。
そう思いながら、ゾロの普段どおりのぶっきらぼうなゾロの声を
聞いているうちに、醜い嫉妬の鎖でがんじがらめにされていた重たい心が
嘘の様に軽くなっていくのを感じる。
「行けねえ。」とゾロはサンジの嫌味っぽい言葉に真面目に答えた。
「何を買うんだよ。」とサンジは即座に重ねて聞いた。
「お前が決めろ」
「は?」
(何いってんだ、理解出来ねえ)
サンジは、ゾロとの会話が、
まるで言葉で意志の疎通が不可能な異国人と会話しているような
チンプンカンプンで、理解出来ないと首を傾げた。
今度はゾロが、飛び降りてきたマストを登り始める為にサンジに背を向ける。
向けたまま、
「お前が欲しいと思う物を買う。だからお前が決めろ。」と言った。
サンジはその言葉の意味が咄嗟にわからずに唖然とし、そのまま
目を丸くしてゾロの背中を数秒見つめ、
ゾロの言葉を頭の中で整理し、心の中の自分の声で反芻して見た。
(俺が買い物をしてえからだ)
(お前が欲しいと思う物を買う。だからお前が決めろ)
(なんだ、それ)とサンジはやっと意味が判って、
理性や理屈よりも先に勝手に頬が熱くなるのを感じて、視線を落ち着かなくさ迷わせた。
(なんで、そうなる)
詫びのつもりなら、ありがた迷惑だ、と思った。
本当は嬉しい、と言う気持ちも確かにあるのに、また意地が邪魔をして
その感情をゾロに悟られまいと心の裏の、片隅へと押し隠す。
「お前からモノを貢がれる覚えはねえ。」とひねくれた皮肉が口を突いて出る。
だが、ゾロも慣れている。
それにゾロが決めた事を何があろうと、翻す筈もない。
「誰が貢ぐっつった。」とすぐに威圧的な口調で言い返す。
「俺が買いたいから買うんだ。」
「俺の稼いだ金で俺が何を買おうが、それをお前にとやかく言われる覚えもねえよ。」
「買い物する時間なんかねえだろ。」と
サンジもゾロの言葉がいい終らない内に反論を展開する。
「海軍にコバトちゃんを送り届けなきゃならねえし、」
「コバトちゃんだって、お前と別れを惜しみてえだろうし」
もともと、二人とも自己主張が激しい。一度、意見がぶつかれば、
自分の意見をなんとしても押し通そうと意固地になる。
サンジが反論すれば、ゾロがまたそれに激しく反論し、やがて、口喧嘩は
口論となり、そして最終的には殴り合いに発展する。
その気配が徐々に色濃くなって来た。
「俺は俺の決めた事しかやらねえ。」
「俺が決めた事に文句をつけるな。」とゾロが高圧的に言えば、
当然、サンジはそれに反発し、更にお互いの頭に血が昇って来る。
いつもなら、この段階を経て、ぶつけ合う言葉もだんだん口汚い罵り合いになる。
この時点で、ゾロもサンジもコバトのことなどすっかり忘れていた。
「誰にモノ言ってんだ、ああ?。」
「お前エは俺のご亭主サマかよ。いつからそんなに偉くなった、ああ?」と
サンジが鼻頭に皺を寄せてゾロをなじる。
「誰がお前エなんかと買い物なんか行くか。」
そう吐き捨てる様に言って、サンジはまたゾロに背を向けた。
「そうか、じゃあ、行きたくなるようにしてやる。」とゾロが背中で含み笑いをする。
そのバカにしたような口調にサンジは(なんだ、今クソムかついた)と思い、
罵詈雑言を吐くつもりで、振りかえりかけた。
が、振りかえれない。
ゾロがサンジの脇の下にあっという間に腕をさし入れる。
「なにしやがる!」背中から羽交い締めにされ、サンジは思わず大声を上げた。
「買い物に行くか、俺と」とゾロが耳元で囁く。
「いつまでも、こんな格好でじゃれてると、ナミに冷やかされるぜ」
「俺は全然、構わねえけどな。」
サンジの肩をがっちりと固め、そのまま、強引にゾロは甲板の上に腰を下す。
自然に胡座をかいた膝の中にサンジは腰を下す形になる。
変に抵抗すると肩を脱臼するのは経験済みなので、サンジはなんとか後頭部を
ゾロの鼻へぶつけようと足掻くが、そんな攻撃もゾロは慣れている。
肩を押さえ込んでいた腕を力をいれたまま、ゾロはサンジの胸に回し、
肩に顎を置いた。
耳たぶが目の前にあったので、思わず軽く歯を立てる。
皮肉っぽい口調ながら、ゾロの声には甘えるような響きがサンジには聞き取れた。
「こんなところ、ナミに見られたくねえだろ?」
「俺の用に付合うっていわねえと島に着くまでこのままだぜ。」
(バカ臭エ)とサンジは呆れたが、それでもこんな格好をナミはもちろん、
ロビンにも見られるのはゴメンだ、と渋々ゾロの駄々を承諾する。
(言い訳まで用意させやがって)とゾロの狡さを疑ったが、
それでも、やはり、昨夜まで当てのない嫉妬で苦しかった事が嘘の様に
心が軽くなっているのは、誤魔化し様のない事実だった。
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