ゾロが、「面倒臭エ」と思いながらも、コバトが待つ、
キッチンへ入った。

「ゾロなの?」と気配を感じたらしく、テーブルに腰掛けていた
コバトが降り返える。

「どうしたんだ。」とゾロは別に気遣う風でもなく、まるで、
用件だけを聞きに来た、と言うような口調でコバトに突っ立ったまま、
声を掛けた。

「もうすぐ、島に着くのね。」とコバトは泣きそうで、それを耐えているような
微妙な表情を浮かべる。

「ああ、風も波もそう、条件がいい状況じゃねえからな。」
「皆、忙しいんだ。」とゾロは淡々と答える。

「私と話すの、面倒なの?」とコバトは困った様にゾロに尋ねる。
「今は、な。」とゾロは正直に答える。

皆が上陸する為の作業に忙しい。
サンジには、サンジの仕事があるのに、自分と交替している。
自分の役割をきっちりこなす、と言う前提のもとに小人数での航海を
乗り切って良く上で大切なチームワークが成り立っているのだ。

「島に上がれば、お別れなのよ。」とコバトは取り縋るような目つきをして、
ゾロを見上げた。

「二度と会えねえって訳じゃねえだろ。」と今度はゾロが困ったような表情を浮かべる。

女らしい女と禄に話た事がないので、媚びてくるような顔をされると
どうしていいのかわからないのだ。

ゾロのよく知っている女といえば、ナミやビビ、ロビン、と言った
気の強い女ばかりで、
特にナミやロビンなどは、自分一人で戦い、自分一人で生き抜こうとする力も
知恵もある。
本音でぶつかり合っても、自分が間違っていないと思えば、一歩も退かないし、
媚びるどころか、ゾロを顎で使うほどなのだが、
感情を露骨に見せる所為で、こちらも同じ態度で済むのが面倒臭くなくて良い。

ところが、コバトは違う。
言いたい事がイマイチ、ゾロにはわかりにくい。
それが会話を面倒だと思わせているのだが、やはり、幼馴染でもあり、
兄弟弟子で、腕は全然ゾロには及ばなかったとしても、一応、兄弟子である以上、
邪険には出来ない。

それに。
女の泣きっ面、と言うのは、ゾロも苦手だった。
別になにも悪い事はしていなくても、その顔をさせてしまっただけで
自分がなにもかも悪いような
冤罪を擦り付けられたような嫌な感じがするのだ。
だから、なるべく、女は泣かせない方がいいと思っている。

「二度と会えねえって訳じゃねえだろ。」と言えば、
「会えないと思うわ。」とコバトは言う。

コバトは、「なんで会えないと思うんだ、」と言うゾロの質問を待っていて、
それに対する答えを既に用意している。

そんな計算づくの会話に付き合うのは、本当に時間の無駄だな、とゾロは
腹の中で溜息をつき、
「俺は、くいなのいる、あの世にまで名を轟かせる大剣豪になる。」
「そう言ってるだろ。」
「そうなったら、会いに来ればいいんだ。」と答えた。

「追い駆けるのは、いつも私ばっかり。」と言って、コバトは
どこか投げやりに見える笑みを浮かべた。

「ゾロは、きっと、私の事なんか、忘れて、思い出しもしないわ。」
「こうして会うまで、私を一度も思い出さなかったようにね。」

それを聞いて、ゾロは押し黙る。
コバトの言うとおり、くいなの事は1日だって忘れた事はないが、
コバトに関しては、コバトの言葉に何一つ、反論出来ない。

どう言う言葉をコバトは待っているのか、何をゾロに求めているのか、
さっぱり判らない。
だが、みるみる潤んで行く、コバトの目を見ていると、
だんだんと居たたまれなくなってくる。

(ヤベエ)

勝手に泣き出しているのだから、ゾロには全く非はない。
だが、ヌレギヌの罪を被されて不快な想いをする目に遭いそうな気配を察して、
ゾロはこの場から逃げたくなった。

「ゾロが忘れても、私はゾロを忘れたりしないわ。」
「きっと、一生、忘れないわ。」

「まだ、時間があるだろ。」とゾロは話を遮った。

「海軍には、手配書になってない連中がお前を安全に連れて行くだろうが。」
「俺にだけ、そんな挨拶するなよ、」
「お前の為に骨を折ったのは、俺だけじゃねえんだから、」
「俺達、全員に言ってくれ。」

そう言うと、コバトの目からポロリと一筋、涙が零れ落ちた。
(っチ)とそれを見て、ゾロは何故か、腹が立つ。
誰に対してなのか、なんに対してなのか、判らない。

(またかよ。)と思ったのは間違いはない。

「私は、ゾロにだけは特別に言いたかったのよ。」
「どうして、判ってくれないの。」とコバトは急に立ち上がり、
激しい口調でゾロに詰め寄った。

「嘘でもいいから、私の事を忘れないって、言ってくれたらそれでいいのに。」と
コバトは涙を流し声を震わせた。
両手で距離を測り、ゆっくりと足もとをつま先で探りながらゾロに近付く。

「忘れてなかっただろ、これからもそうだ。」とゾロはだんだん
感情的になってくるコバトをなだめる様に穏やかな口調になるように努めて、
自分に向けて手を差し伸べてくるコバトの腕を掴んだ。

横波を受けたのか、急に船が傾ぐ。
コバトがよろめいたので、思わず、受けとめた、それだけの事だった。

コバトの腕がゾロの頭を引寄せる。
船の揺れと、バランスを崩して倒れこむコバトの体を支えようとした事で、
ゾロの体とコバトの体は密着し。

唇が重なった。

予想もしない出来事にゾロの思考回路も体も硬直した。

「おい、そろそろ、持ち場に戻ってくれねえか。」

キッチンの扉の向こうからサンジの声がする。
ゾロはその声を聞いた途端、全身から汗が吹き出るのを感じた。

「もう港に入るし、碇も」キッチンに入ってきた、サンジの言葉はそこで途切れた。


「ゾロは一体、なにやってるのよ、サンジ君!」
数十分前、マスに昇って帆を畳んでいたサンジをナミが見上げて、
そう大声で聞いて来た。

「コバトちゃんと。」とサンジは大声で返事をし、キッチンを指差す。

「サンジ君、後の甲板の帆だけで進みたいんだけど。」
「このままじゃ、スピードが出過ぎで港の入り口が狭いと、制御出来ないわ。」
「一人でやってたんじゃ、間に合わないから、ゾロを呼んで来て。」と
口早に指示されたのだ。

航行中のナミの指示は絶対、船長命令に匹敵する。
「了解しました、ナミさん!」とサンジは元気よく、
明るい口調で、答えて、すぐにキッチンへ向かったのだ。

(あそこには舵があるんだから、いつまでも居座られると困るよな。)と
サンジは思ったのだが、いきなりドアを開くのは躊躇われた。

けれど、そのサンジの躊躇いを吹き飛ばすような突風が横から吹きつけ、
船が大きく傾いだ。

(舵、きらねえと危ねえな)と思いなおして、サンジはキッチンの中へ
声を掛ける。

「おい、そろそろ、持ち場に戻ってくれねえか。」
一応、ノックがわりのつもりだったのだが。
返事が即座に返って来ない。

ふと、視線を感じて前甲板の方へ振返ると、ナミが「さっさとして」と言う顔付きで
こちらを見ている。

「もう港に入るし、碇も」

サンジの目に飛びこんできたのは、コバトの体に腕を回して、
口付けているゾロの姿だった。

サンジの頭の中の"考える"仕事をするべき細胞が全部、動きを止める。

唇から、淡々とした言葉だけが吐き出された。
「スピードが出過ぎで港の入り口が狭いと、制御出来ねえ。」
「一人でやってたんじゃ、間に合わない。」と、ナミがさっき言った言葉だけが
義務報告のような全く感情の篭らない声で言うのをサンジは
不思議な気持ちで聞いていた。

それだけ言うと、ドアを静かに閉める。

胸のど真ん中を撃ち抜かれたような衝撃を受けて、なんだか、
胸の中がスースーするような気がした。

甲板でじゃれていた、さっきまでの浮かれた気分など消し飛んで行ってしまった。

ゾロが慌てて飛出して来て、肩を掴んで、
必死の形相で、何かを喋っているようだが、サンジには理解出来なかった。

頭に血が昇る感覚は起きない。
多分、受け止めきれない激しい感情を心が拒絶した結果なのだろう。
怒りも、嫉妬も、悲しみも、口惜しさも、ごちゃ混ぜになった複雑な感情の波に、
サンジは自分自身が飲み込まれている事にさえ、自覚しないで、

感情を表情に一切出せなかった。

ただ、ゾロの声は耳障りで、ゾロの姿は目障りだと思った事だけは、確かだった。
お前の声なんか、聞きたくもねえ、と思ったままを口に出す。

「さっさとナミさんの指示に従えよ。」と
サンジは、そう言ってゾロの手を乱暴に突き離した。

取りつく島もない。

肩を掴んでいた手を振り払って、向けられたサンジの背中は、
まるで、孤島の絶壁のようにゾロをきっぱりと拒絶した。

(なんで、こんな事になるんだ。)とゾロはマストによじ登り、
帆を手荒く畳みながら、自分の迂闊さと、間の悪さに腹が立って仕方なかった

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